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カテゴリー: アジア

仏陀バンクの挑戦

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 伊勢 祥延 、 出版 集広舎
仏陀バンクなんて、聞いたこともないコトバですよね。
これに似ているのがノーベル平和賞を受賞したインドのグラミン・ユセフ氏のグラミンバンクですが、それは5人の連帯保証人と20%ほどの利息が求められます。
これに対して、仏陀バンクはなんと利息をとりませんし、保証人も物的担保もとらないというのです。ええっ、そ、そんなのがうまくいくわけないでしょ…。そう叫びたくなりますよね。
でも、そこにちょっとした工夫・仕掛けがあるのです。お金の借りた村人は、お金を貸してくれた「仏陀」へのお礼として1ヶ月分の「お布施」を元金のほかに支払うのです。
ええっ、それじゃあ名目が違うだけで利息をとっているのと同じでしょ…。いえ、違うんです。この「お布施」は貸した側に入るのではなくて、そのまま次の村人への貸し出し原資として使われるのです。たとえば100人規模の村の場合、原資10万円を村人10人に1万円ずつ貸し、借りた村人は毎月千円ずつを返済していく。すると、1ヶ月後には、10人から千円ずつの計1万円が戻ってくるので、それを新しく村人へ貸し付けていく。
対象の村人は仏教徒で、信仰心があることが前提となっている。
この仏陀バンクは、バングラデシュでは2010年に始まった「四方僧伽(しほうさんが)」の主要プロジェクトだ。
バングラデシュはイスラム教国家であり、仏教徒は国民の1%にもみたない存在。
仏陀バンクによると、個人の自立だけでなく、人々の連帯心も生まれる。
バングラデシュの南東部にジュマ民族と呼ばれる先住民が暮らしている。顔つきは日本人とあまり変わらないアジア系モンゴロイド。そして、平原地帯に暮らすベンガル人仏教徒であるバハワ族がいる。この先住民ジュマとバハワという2つの仏教徒は微妙な関係にあり、決して仲がいいとは言えない。
村人にとっていいことずくめのはずの仏陀バンクなのですが、実際に現地に根づかせようと思ったら、2つの民族の対立心があったり、個人の功名心や嫉妬があったり、お金に目がくらむ人もいたりで、大変な苦労をさせられるのでした。なるほど、理想を現実のものにするのはいつだって大変なんですよね。
バングラデシュには、観光客がほとんどいない。観光産業はほとんどなく、旅行という概念がない。旅行者を狙った犯罪もなく、外国人料金も存在しない。人々は外国人が珍しくて仕方がない。
うひゃあ、今どき、そんな国があるのですね…。
道路には交通信号がほとんどない。排ガス規制もないので、大気汚染はひどく、絶え間ないクラクションで頭が痛くなる。世界一の最貧国で、ホームレスが多く、ストリートチルドレンがものすごい。少数民族の仏教徒はイスラム教徒に襲撃されたり、軍部から人権抑圧の対象となったりする。
そして、仏教徒内部のひがみ、やっかみ、虚栄心の張りあいなどで、仏陀バンクは、何度となく破局寸前になるのでした。そして、2016年7月には、ダッカでイスラム過激派による襲撃事件が起き、20人が殺害されましたが、そのうちの7人が日本人で、いずれもJICA関係者だったのです。
このような、次々にあらわれる困難を乗り越え、仏陀バンクは100ヶ村を目ざしつつ、なんとか半数を達成したようです。
すばらしい取り組みだと思いました。こんな地道な取り組みをしている日本人については、中村哲医師と同じように、もっともっとメディアは知らせてほしいものだと思います。
この本の発行は福岡の集広舎ですが、「四方僧伽」の事務局は北海道の石狩郡にあるとのことで、その地域的ギャップの大きさにも面くらいました。一読に値する本です。
(2020年4月刊。2000円+税)

ベトナム戦争と私

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 石川 文洋 、 出版 朝日新聞出版
現在82歳(1938年生まれ)の著者が27歳のとき、1964年8月に初めてベトナムにカメラマンとして足を踏み入れてから今日までのベトナムとの関わり、とりわけ当初の4年間(1968年12月まで)のベトナム取材の様子を写真とともに語った本です。
ベトナム戦争は、その反対運動に大学生時代のとき、私も参加していたので、決して忘れることができません。アメリカは5万人あまりの青年をベトナムのジャングルで死なせましたが、だいたい私と同じ世代です。前途有為の青年がむなしく大義のない戦死をさせられたのですから、むごいものです。もちろん、ベトナムの青年は何十万人、何百万人も殺されていることも決して忘れるわけにはいきません。前に紹介しました『トゥイイーの日記』は涙なくして読めませんでした。
この本によると、アメリカ軍・ベトナム政府は軍に捕まった「ベトコン」(解放戦線)の兵士は拷問にあっても、たとえ親指を切断されても悲鳴すらあげなかったとのこと。
まさしく祖国を守るという大義のために身を挺して戦っていたことがよく分かります。
そして、ベトナム戦争で、日本は韓国とちがって憲法9条のおかげで参戦することもありませんでした。韓国軍はアメリカ軍と同じようにベトナムで残虐なことをしていたことで有名ですが、日本はそんな悪評を立てることなく、経済的利益だけはしっかり吸いとったのでした。
この本によると、日本は、テント、軍服、プレハブ建設資材、建築鋼材、発電機、軍用車、テレビ、ラジオ、冷蔵庫、肉・魚の缶詰、インスタント食品などいろんなものの特需があった。
基地にあるPX(売店)には、日本製のカメラや小型テレビが売られていた。
ダナン基地内を回るバスは日本の国際興業(例の小佐野賢治の会社です)が請け負っていた。また、沖縄からベトナムへ物資を運ぶ輸送船LST(戦車揚陸艦)には2000人以上の日本人乗組員が働いていた。
日本の特需は1964年に3億ドルをこえ、1969円には6億5千万ドルに近かった。しかも、これは表に出た数字であり、もっと多くの金額が働いていたとみられる。戦争は、一部の人間には何のリスクもなく、ぬれ手にアワ式でボロもうけ出来る絶好のチャンスなのです。それを、いつだって愛国心とか、うまくカムフラージュして、きれいごとで覆い隠すのです。
著者の取材は、アメリカ軍・ベトナム政府軍に同行するものでした。そして、現地での、ベトナムの村々を破壊し、農民を虐殺する実際を見るにつけ、これでは農民の支持が得られるはずはない、ベトナム政府軍は、作戦を繰り返すほど敵を増やしていったと確信したのでした。
ベトナムでアメリカ軍が見事に敗退したあと、実は、ベトナム軍のナンバー2の副参謀総長も解放戦線のシンパだったことが判明しました。これはすごいことです。ベトナム政府軍には少なくない人々が見切りをつけていたのですね…。
そして、著者は、ベトナムで撮った写真のネガは1万5千枚あり、そのうち発表したのは500枚のみで、残る1万4500枚は眠っているとのこと。ぜひ、日の目を見せてほしいものです。
80歳になっても元気に日本縦断・徒歩の旅を完行した著者です。ますますのご活躍を心より期待します。
(2020年2月刊。2000円+税)

幸運を探すフィリピンの移民たち

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 細田 尚美 、 出版  明石書店
私のすむ町にも、かつてはフィリピン・パブが何店舗もあり、日本人夫とフィリピン人妻の離婚事件もいくつか扱ったことがあります。フィリピンからタレントとして日本にやって来て、ショータイムで踊ったりする女性がたくさんいました。そして、そのなかに日本人男性と結婚し、子どもを日本で育てている女性と出会ったのでした。今は、とても少なくなりました。
では、そんなフィリピン女性は現地フィリピンではどんな生活をしていたのか、日本人学者(女性)が現地で生活しながら探究していますので、とても具体的で説得力があります。
著者が住み込んだのは、サマール島。私はルソン島とレイテ島には行ったことがありますが、このサマール島には行ったことはありません。
マニラのあるルソン島の南東部にある山がちの大きな島。サマール島の基幹産業であるココナツ産業の最大の問題は、国際市場における価格の不安定さ。そして、このサマール島にも、新人民軍(フィリピン共産党の軍事部門)がいて、1972年から武力衝突が繰り返されていた。コトバは、まず地元のワライ語。そして、マニラに行く人が多いのでタガログ語も話せる人がほとんど。
今では、サマール島でも教育機会が増加し、大学進学者は着実に増えて、7万人へと倍増した。しかし、その就職先があまりないという問題がある。
サマール島は人口は疎らで、大きな都市や大規模農園がなく、マニラへ「冒険する」人々が増えていった。それは、若い女性が主だった。
女性のほうが男性より都市部へ向かう傾向が強い。それは、求職であると同時に結婚相手を探すという意味があった。
ある家族の最大の収入源は、マニラでお手伝いとして働く2人の娘からの送金だった。
生存レベルをこえて少しでも余裕のある村人は、村の家族に何らかの貢献をしてコミュニケーションを維持し、そうでない人は自分たちのできる範囲で維持すれば十分だと考えられている。
サパラランとは冒険。自らの運命が変わるのを受動的に待つのではなく、能動的に働きかける行為だ。したがって、サパラランには幸運探しと言い換えられる。
バサルボンは、村人が村に帰省したときに村人に渡す贈り物。マニラ帰り遊びだと、旅行カバン、ハイヒール、きれいな洋服だ。帰省する村人は、何らかのバサルボンを期待される。バサルボンの種類と量は、帰省する者の成功度を測る尺度の一つだ。
富を分配しない人は孤立し、村人のあいだの相互扶助をあてにできなくなる。他方、分配する人は社会的に認知され、周囲に人が集まってくるが、その態度は常に監視されている。富を分配していたとしても、集団の陰口で評判を落とされる可能性がある。
2000年から18年間にわたってフィリピンのサマール島に通った著者による貴重なフィールドワークが集大成された貴重な本です。
(2019年2月刊。5000円+税)

ダイヴ・トゥ・バングラデシュ

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 梶井 照陰 、 出版  リトルモア
私はインドにもバングラデシュにも行ったことがありません。バングラデシュというと、日本の大手衣料品メーカーが現地で安く縫製させて、日本で「高く」売りつけているというイメージです。
まずは表紙の写真に圧倒されてしまいます。夜の駅に無数としかいいようのない大群衆がホームにひしめいている写真です。ええっ、こんなにバングラデシュって、人口が多いのか・・・、と思わず息を呑みます。
著者は僧侶であると同時に写真家です。高野山で修業して真言宗の僧侶になり、世界各国を取材してまわっています。バングラデシュに2013年から2018年まで通って撮った写真が紹介されています。
2013年4月にバングラデシュ(ダッカ)で縫製工場の入っていたビルが崩落したときには死者1127人、負傷者2700人以上という大惨事でした。
低賃金で働かされる縫製工場に発注している世界的衣料メーカーは、GAP,H&M、ZARA、ユニクロなど、世界的ブランドのメーカーです。
線路のすぐ脇にまでスラム街が広がっています。スラム街の貧しさから抜け出すために、男は劣悪な環境の炭鉱で働き、女は売春婦になっていく・・・。いやはや、なんとも言いようのないほどの貧困と人々の多さです。しかし、そんななかでも原発建設の反対を訴えるデモ行進があったりもするのです。希望がないわけではありません。
まさしく、雑然、混沌とした世界が奥深く広がっているのがバングラデシュのようです。その一端を垣間見た思いがしました。
(2019年5月刊。2900円+税)

「若き医師たちのベトナム戦争とその後」

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 黒田 学 、 出版  クリエイツかもがわ
私は大学生のころ、「アメリカのベトナム侵略戦争に反対!」と何度も叫んだものです。それは学内だけでなく、東京・銀座で通り一面を占拠してすすむ夜のフランスデモのときにも、でした。ですから、私の書庫をベトナム戦争に関する本が200冊以上、今も4段を埋めています。
そのなかでも超おすすめの本は『トゥイーの日記』(経済界、2008年)です。
ハノイ医科大学を卒業して女性医師として志願して従軍し、1970年に南ベトナムで戦死したダン・トゥイー・チャムの日記を本にしたものです。戦死した彼女の遺体のそばから偶然に拾われ、アメリカに渡って英語に翻訳されたという本です。思い出すだけでも泣けてくるほどの率直な若き女医の日誌です。
この本には、トゥイーと同級生のチュン医師の回想記も紹介されています。
この当時の医学生たちは、こぞって戦地への赴任を希望し、その多くがトゥイーのように戦死したのでした。そんな人々が今のベトナムの繁栄を支えているのですよね・・・。
ベトナム戦争の後遺症であるベトちゃんドクちゃんという結合双生児分離手術に至る話も紹介されています。この分離手術は無事に成功し、ベトちゃんは分離手術後、植物状態のまま20年で亡くなったものの、ドクちゃん、38歳は結婚して2人の子ども(名前は富士と桜)がいます。日本もこの分離手術には深く関わっていて、手術の成功は、ベトナムと日本の保健医療分野の前進の成果だと評価されているのです。なにしろ、手術は15時間以上も続いたといいます。そして、テレビで生中継されたのでした。
『トゥイーの日記』を読んでいない人は、ぜひ手にとって読んでみてください。今を生きる勇気がモリモリ湧いてくる本ですよ。
(2019年6月刊。1500円+税)

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