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カテゴリー: 社会

小泉規制改革を利権にした男・宮内義彦

カテゴリー:社会

著者:有森 隆、出版社:講談社
 現代日本の悪名高い政商の実像を暴いた本です。こんな男が規制改革の旗ふりをしているのですから、日本の前途が危ぶまれるわけです。
 宮内は2002年の時点で、地方は切り捨てていいと高言していました。
 東京23区の人口は800万人。これを2倍の人口が住める街に改造すれば大変効率が上がる。所得配分を自然にゆだねると、過疎地の人口は町村等の中心地に移動し、地方の中核都市がさらに発展していく。
 ここには経済効率しか念頭にありません。なんと貧相な頭でしょうか。
 宮内義彦自身は政商と呼ばれることを大変嫌っているそうです。でも、右手で規制緩和をすすめながら、左手でその分野に自らビジネスを拡大していったのです。これを政商と言わずに何と言うでしょうか。
 宮内は公人と私人(企業人)の立場を実に巧みに使い分ける。公人としては参入障壁が高い分野の扉をこじ開け、企業人としては先頭に立ってその分野に新規参入する。政策を自己に有利な方向に誘導していくのだ。
 規制緩和の大義名分の下で自らこじあけたドアから、真っ先に足を踏み入れるのが宮内の流儀だ。
 宮内は、官営経済と統制経済を解体することが戦後最大のビジネスチャンスを生み出す、こう語る。官製市場の規制緩和によって、公的サービスを肩代わりして収益源に変える。その一つが医療分野の民間開放である。宮内がまず足を踏み入れたのは、高知県でのPFI病院。次いで、神奈川県で株式会社病院に参入した。
 宮内のオリックスがリース時代から一貫して収益の柱としているのは、パチンコ店とラブホテル。大阪にはパチンコ店の店内専門の部署がある。パチンコ店の店内工事やラブホテルの内装を行う内装工事会社を子会社にもっている。
 宮内は読売社主・巨人オーナーの渡辺恒雄(ナベツネ)と犬猿の仲だった。
 宮内ごときと大読売が日本シリーズで対決だって? 穢れる。不愉快。オリックスなんて、まともな正業ではない。
 宮内は、規制緩和のインサイダーではないのか。宮内は1996年に行政改革委員会規制緩和小委員会座長に就任して以来、規制改革委員会委員長、総合規制改革会議議長、推進会議議長と、組織の名称は変わっても、常に、そのトップの座に君臨してきた。
 宮内辞任のカウントダウンが始まったのは、村上ファンド事件の発覚からだった。宮内は最大の後ろだてだった小泉純一郎が首相の座からおりたあと、後任の安倍には嫌われていたので、渋々、トップをやめざるをえなかった。
 私は弁護士会の役員として東京にほぼ常駐していたころ、自民党有力議員の昼食セミナーに参加したことがあります。講師は八代尚宏教授ともう一人、女性アナリストでした。規制緩和すれば日本経済は回復するという強いトーンの講演内容でしたが、その一つとして駐車違反取り締まりの民営化があげられていました。ええーっ、そんなことまで民営化しようというのか、と大変驚いたことを覚えています。しかし、これは既に実現してしまいました。この取り締まりにあたっている民間企業は警察等の行政OBと何らかの関係があると思いますが、いかがでしょうか。
 彼らのすることには、すべて裏がある。何かの利権につながっていると思わなくてはいけません。
 でも、天下国家を論じているふりをして弱者を食いものにする男って、本当にサイテーですよね。これでいっぱしの企業人気取りで大きな顔をしているのですから、日本の財界も墜ちたものです。お客様は神様、とまでいかなくても、金もうけするにしても、もう少し社会的弱者へ目配りしつつ金もうけしてほしいものです。

NHKvs日本政治

カテゴリー:社会

著者:エリス・クラウス、出版社:東洋経済新報社
 NHK受信料を支払わない家庭が11万件。これは総契約数の0.3%。日本全国
3500万世帯がNHKと受信契約を結んでいる。支払い拒否は、10億円の収入減を意味する。実は、私もNHKの不祥事発覚以来、支払いを拒否しています。もっとも、私はテレビを見ることはまったくありません(ただし、ビデオで動物番組を見ることはあります。日曜日の夜に、1時間ほどですが・・・)ので、罪悪感はまったくありません。見てないのに、なぜ受信料を支払わなくてはいけないのか・・・、というわけです。今や成人してしまった子どもたち3人もテレビを見ないで育ちました。今の私と同じようにビデオだけは見ていました。じいちゃん(義父)が送ってくれていたのです。
 NHKのニュースにおいては、驚くほど国家に注目し、よく登場する。政治的な話題のなかで最大の割合を占めているのが国家官僚機構の活動。官僚機構にやたらにたくさん注目するのがNHKの政治報道の特徴だ。逆に、NHKのニュースは、社会や市民個人についてはあまり報道しない。うむむ、なるほど、そう言われると、たしかにそうですよね。
 NHKにおいて、国家は紛争を調整する人として描かれている。国家は、何よりもルールと意志決定の儀礼的な策定者として描かれている。国家は、国民の利益を守る、積極的な守護者として、社会の諸問題に対応する姿が描かれる。うーん、そうかー、それは片寄った見方ですよね。
 日本の記者と取材源との関係で何より特殊なのは、記者クラブの存在。記者クラブは、日本新聞協会によって正式に認可され、規制されている。
 記者クラブは、ジャーナリストを政治家や官僚たちとの親密な結びつきを生み出している。記者クラブの存在によって、政府からの自律というジャーナリストの職業規範は希薄になり、NHKの記者は組織の犬になってしまう。
 記者たちの関係を調整する非公式の規制や規範があり、とても詳細だ。たとえば、番記者のルールに、質問は首相の腰が膝より低いときまでというのがある。つまり、首相が立ち上がったら質問は許されないのだ。
 自民党の総務会の会合は、ドアが5センチだけ開いている。15分ごとに記者が交代して立ち聞きするという慣習がある。そうやってリークして、世論を誘導しようとする。
 NHKのニュースは、昼のニュースについて午前10時に会議が開かれ、夜7時のニュースについては、午後4時の会議で最終決定がなされる。しかし、20人もの人が集まっては何もできない。これは芝居にすぎない。メインプロデューサーの決めたことを正式なものにする儀式が行われるだけのこと。
 NHKはきわめて政治的に動く。たとえば消費税導入の前、世論調査の結果、国民の 46%が反対、賛成はわずか19%だけだった。このとき、NHKは、まったく無視して放映しなかった。
 アナウンサーはジャーナリストではない。彼らは1分間に300文字というペースを守って読むだけ。ニュースを取材することはない。トーキングマシーンでしかない。あくまでニュースは台本に従って動いていく。
 NHK会長を承認しているのは、現実には首相をはじめとする自民党の首脳たち。
 NHK会長のポストは与党の人事決定によるもの。それは内閣のポスト配分とほとんど同じ。会長に選出されるためには、多くの場合、自民党内に支援者が必要となる。少なくとも、首相や自民党内の有力派閥の領袖を敵にまわさないように努力しなければならない。
 日本とアメリカの記者の最大に違いは、アメリカの記者が独自の報道スタイルを発展させていくのに対して、日本の記者が書くものは比較的似ていること。日本の記者は基本的に企業人間であり同じ組織内部の人々と交流してきた。
 NHKの局長クラスは臨時職員を雇う権限をもつので、政治家や有力者の家族や交際範囲を採用してきた。縁故採用者でも、2〜3年で正規採用のチャンスをもらえる。そのときの試験は、一般の入社試験に比べて、はるかにやさしい。
 自民党の有力幹部は、みなこのNHKの裏口を利用してきた。
 NHKは、自民党からときどき批判されることもあるが、NHKは自民党の支配に大きく寄与しているし、自民党もそのことを十分に意識している。
 NHKは自民党の影響力に弱いし、官僚支配を揺さぶることは一切表現しない。
 自民党が政権を握っている限り、NHKが完全に解体されることはないし、完全な商業化や民営化されることもないだろう。
 NHKって、自民党営放送って名前を変えたほうがいいですよね。この本を読んで、私は改めてそう思いました。

徴税権力──  国税庁の研究

カテゴリー:社会

著者:落合博実、出版社:文藝春秋
 新潟地検の検事正が、妻と義母の遺産相続について東京の税務署から2億数千万円の申告漏れを指摘されたことについて税務署長宛に抗議文を送りつけたことがありました。
1996年1月のことです。新潟地方検察庁の封筒をつかい、検事正の肩書をつけての抗議文でした。
 自分は公益の代表者として調査を止めさせることが出来る。検察庁の立場から見ても不満が残る、と抗議文に書かれていました。驚くべき職権濫用です。検事正への処分が戒告処分にとどまったのが不思議でなりません。
 国税庁は一般職員に決してノルマを課していないといいます。しかし、国税局や税務署では、各年度ごとに増差総額をまとめていますから、一線の調査官には無言のプレッシャーになっている。
 国税庁は世論の動向にきわめて敏感な官庁である。中小企業には厳罰でのぞみながら、巨大企業はマルサの聖域となっている。マルサは一度も大企業に踏みこんだことがない。ところが、もし大企業をあげると、その効果は絶大なものがあります。ケタが違うからです。三菱商事がカリブ海のバハマにペーパーカンパニーをつくっている課税逃れを摘発されたとき、隠し所得はなんと110億円でした。
 大企業の海外取引に国税当局がちょっと目をつけると、次のとおりの税額が回収できたのです。ホンダ117億円、京セラ127億円、船井電機165億円、武田薬品570億円、ソニー324億円、マツダ76億円、三菱商事22億円、三井物産25億円。
 すごいものです。まだまだあることでしょう。これはほんの氷山の一角だと思います。
 大新聞などのマスコミのほか、創価学会にも申告漏れないし課税逃れがあると著者は指摘しています。ところが、公明党が政権与党になって、国税庁は方針を変え、甘い姿勢を示すようになったといいます。権力は国税よりも強し、なのです。困ったことです・・・。
 小泉純一郎も、地元の暴力団関係企業やゼネコンのために秘書が口利きをしたと厳しく糾弾されています。人生いろいろ、そんな言い逃れは許せません。
 国税庁が警察や検察をしのぐ日本最強の情報収集力を本当にもっているのかは大いに疑問です。でも、アル・カポネが捕まったのは脱税によるものでした。金丸信自民党副総裁も脱税による逮捕で失墜してしまいました。国税権力は今後も時の権力者にしっかり目を光らせてほしい、納税者の一人として願っています。

若者はなぜ3年で辞めるのか

カテゴリー:社会

著者:城 繁幸、出版社:光文社新書
 この著者の「内側から見た富士通・成果主義の崩壊」は大ベストセラーになりましたが、成果主義の虚像を事実をもって暴いた点に深い感銘を覚えたことを覚えています。
 大企業の人事部は、たいてい通常の人事業務に加えて、結婚仲介的業務がある。
 なーるほど、今でもそうなんですね。官庁のキャリア組についても同じ部署があると聞きますが・・・。
 企業が欲しがっているのは、組織のコアとなれる能力と、一定の専門性をもった人材である。TOEICは、ちょっと前は500点そこそこだったが、今は600点代後半にまで上がっている。このように企業が学生に課すハードルは上がっている。
 企業においては、権限は、能力ではなく年齢で決まる。技術者にとっては、事務系よりはるかに深刻だ。キャリアを重ねても、必ずしも人材の価値が上がるとは限らない。なぜなら、技術の蓄積よりも、革新のスピードのほうが重要になった業種が急速に増えているから。
 日本の企業において、休暇は会社の温情によるサービスであり、労働者の権利とは認知されていない。もちろん、労基法では権利とされている。そんな無茶苦茶な労働環境の下で、黙々と働く日本人は、勤勉ではあるが、ヒツジの従順さのようなものだ。
 ヒツジを逃がさないようにするには方法が二つある。一つは逃げられないように鎖でつなぐ。もう一つは、そもそも逃げようという気を起こさせないこと。
 企業が体育会系を好むのは、彼らが主体性をもたない人間だから。徹底した組織への自己犠牲の精神、体罰さえも含む厳しい上下関係というようなカビの生えた遺物が、いまも多く体育会では脈々と受け継がれている。
 彼らは、並の若者よりずっと従順な羊でいてくれる可能性が高い。つまり、つまらない仕事でも、上司に言われた以上はきっちりこなしてくれる。休日返上で深夜まで働き続けても、文句は言わない。彼らにとっては、我慢こそ最大の美徳なのだ。
 他人より少しでも偏差値の高い大学を出て、なるたけ大きくて立派だと思われている会社に入り、定年まで勤める。夜遅くまで面白くもない作業をこなし、疲れきってはネコの額のような部屋に寝るために帰る。そして、日が昇るとまた、同じような人間であふれかえった電車にゆられて、人生でもっとも多くの時間を過ごす職場へ向かう・・・。
 それこそが幸せだと教えこまれてきた。だが、少なくとも、それだけで一定の物質的、精神的充足が得られた時代は、15年以上も昔に終わった。
 その証拠に、満員電車に乗る人たちの顔を見るといい。そこに、いくばくかの充足感や、生の喜びが見えるだろうか。そこにあるのは、それが幸福だと無邪気に信じ込んでいる哀れな羊か、途中で気がついたとしても、もうあと戻りできないまま、与えられる草を食むことに決めた老いた羊たちの姿だ。
 著者は、若者はもっと自分の権利を主張すべきだ。自分の人生を大切にすべきだ。投票所に行って、きっちり意思表示すべきだ。こう強く主張しています。この点は、まったく同感です。

21世紀のマルクス主義

カテゴリー:社会

著者:佐々木 力、出版社:ちくま学芸文庫
 数学史を専攻すると同時にマルクス主義とりわけトロツキイの信奉者でもあるという著者がマルクス主義を現代に復権させようと主張している本です。
 著者はコミュニズムを共産主義と訳すのは、若干アナクロニズムであり、賞味期限が切れているという印象を抱いています。共産というより共生というべきではないかと主張するのです。
 著者は環境社会主義を説きます。この環境社会主義は、初版社会主義の解放目標を保持し、社会民主主義の軟弱な改良主義的目的と、官僚社会主義の生産主義的構造とを拒否する。エコロジー的枠組み内での社会主義的生産の手段と目的を再定義することを主張する。持続可能社会のために本質的な成長の限界を尊重する。
 現代帝国主義は、自然に敵対する帝国主義である。とくに、核兵器は、現代帝国主義の政治的、モラル的矛盾の結節点である。
 ソ連「社会主義」の一時的挫折、中国の市場原理の導入をもって、マルクス主義本来の社会主義プログラムの蹉跌とみるのは、あまりに早計である。
 ソ連邦時代の公有財産は、彼らのもとで急成長した新興成金によって「強奪」されてしまった。かつての「労働者国家」ソ連邦が変貌した現在の資本主義ロシアでは、かつてのノーメンクラトゥーラである「デモクラトーゥラ」は国民の資産をかすめとって私物化し、さらに「強奪化」し、経済を混乱の極に陥れている。彼らを国際資本が助けている。
 今日の大方の論者は、ソ連邦の崩壊をもって社会主義思想一般までも有効さを喪失したかのように喧伝しているが、レーニンとトロツキイは、ソヴィエト国家を社会主義をめざすべき政体と見なし、その意味で「社会主義的」政体と呼んでいたものの、マルクス主義的意味での本来的な社会主義体制であると断定的に名指ししたことはないのだ。
 アメリカ型資本主義が勝利した。ソ連型社会主義は敗北した。マルクス主義なんて前世紀の遺物だ。そんな通説がいま根本的に疑われているのは確かです。なにしろ、アメリカ型資本の基盤の弱さには定評があります。その典型的例が治安の悪さです。人々が安心して暮らすこともできない社会にしておきながら、世界の憲兵として全世界を支配しようなんて、虫が良すぎます。
 マルクス主義の復権がなるかどうかは別として、政治の光はもっと弱者保護に向かうべきだと私はつくづく思います。ところが、安倍政権の高官が先日、格差を云々することは社会主義をもとめているようなものだと強弁しました。現代日本で格差が加速度的に拡大しているのは現実です。その格差縮小を目ざすのが社会主義だというのなら、日本は社会主義を目ざすべきだということになります。

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