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カテゴリー: 社会

S−1誕生

カテゴリー:社会

著者:白坂哲彦、出版社:エビデンス社
 国産初の世界レベル抗癌剤の開発秘話というサブ・タイトルがついています。実に20年以上かけて有効な抗ガン剤を開発したという話です。いやあ、たいしたものです。その地道な苦労に頭が下がります。
 抗ガン剤開発に携わる人間にもっとも必要とされる要素は、好奇心と執念。この仕事はケタ違いにスパンが長く、根気のいる仕事を毎日続けなくてはいけない。
 抗ガン剤の開発が感染症などの治療薬の開発に比べてはるかに難しいのは、標的となるガン細胞が体外から侵入してきた外敵ではなく、自分自身の体の一部だから。
 ガンの場合、ガン細胞は自分の体の正常細胞が異常増殖を始めたものなので、ガン細胞と正常細胞との間には、ヒトと病原部生物の細胞間にみられるようなはっきりした違いはない。
 抗ガン剤であるマイトマシンやプレオマイシンのルーツは、関東地方や九州で採取された土中の微生物にある。同じくアドリアマイシンもアドリア海の砂からみつかった微生物にルーツがある。
 いやあ、どこに貴重品がころがっているのか、世の中って本当に分からないものですね。
 会社というものは、誰もが成功に一役買いたいと考えるような、きれいごとの世界ではない。なかにはアラ捜しをして点数稼ぎをする者もいるし、やっかんで足を引っ張ろうとする者も出てくる。
 著者が開発したS−1は、基礎研究に15年、臨床試験に6年4ヶ月、承認の申請から承認まで1年3ヶ月、合計22年6ヶ月かかりました。すごい歳月です。
 著者たちは、ご飯が食べられるガン治療を目ざしたのです。ガン患者から生きる力を奪うのは、悪心、嘔吐、食欲不振、下痢、口内炎、全身倦怠感という副作用。たしかに、これらがあったら生きてる気がしませんよね。
 S−1は、外来通院でQOLを保ちながら、長期間投与することが可能。抗ガン剤の特徴は、はっきり効果が認められたものは、世代を超えてつかわれ続けることにある。
 20年後、日本も世界も、ガン治療は外来主体になっている。著者はこのように予測しています。果たして、そうなるのでしょうか。
 S−1は、進行・再発胃ガンの治療薬として承認され、その後、応用範囲が広がっているということです。このような地道な研究・開発をすすめておられる研究者に対して心より敬意を表します。
 まさに平和産業の最たるものです。もっと世の中の光をあてていいように思います。

修身教授録

カテゴリー:社会

著者:森 信三、出版社:致知出版社
 戦前の昭和12、13年、教師養成期間である師範学校の生徒を対象として修身科の授業をした、その講義録です。生徒に口述したものを書き取らせるという授業のやり方でした。修身の国定教科書をまったく使わず、独自に口述したのです。異例なことでした。
 中味は、こうやって70年後に復刻されるだけの価値があります。とても高度で、濃い内容の授業です。倫理・哲学の講師であった著者42歳のときの渾身の授業です。
 われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見いだすことができる。もし読書しなかったら、いかに切実な人生経験をしていても、真の深さは容易に気づきがたい。書物を読むことを知らない人には、真の力は出ない。
 読書は、われわれ人間にとっては心の養分なので、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるもの。一日読まざれば、一日衰える。
 人間は、読書しなくなったら、それは死に瀕した病人がもはや食欲がなくなったのと同じで、なるほど肉体は生きていても、精神は既に死んでいる証拠だ。ところが、多くの人々は、この点が分かっていない。心が生きているか死んでいるかは、何よりも心の食物としての読書を欲するか否かによって知ることができる。大丈夫です。これを読んでいるあなたは、今、しっかり生きています。
 本を読むとき、分からないところがあっても、それにこだわらずに読んでいく。そして、ところどころピカリピカリと光るところに出会ったら、何か印をつけておく。ちなみに私は、すぐに赤エンピツでアンダーラインを引くようにしています。
 人を知る標準に五つある。第一には、その人が誰を師匠としているか、第二に今日まで何を自分の一生の目標としているか、第三に今日まで何をしてきたか、第四に愛読書は何であるか、第五に友人は誰なのか、ということ。
 人間の知恵は、自分で自分の問題に気がついて、自らこれを解決するところにある。人間は、自ら気づき、自ら克服した事柄のみ、自己を形づくる支柱となる。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もない。自分が身体をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる。
 人間が学校で教わることは、ちょうど地下工事にあたる。その上に各人が独特の建物を建てる。その建物のうち、柱は教えであって、壁土は経験である。
 性欲の萎えたような人間には、偉大な仕事はできない。みだりに性欲をもらす者にも、大きな仕事はできない。人間の力、人間の偉大さは、その旺盛な性欲を、常に自己の意志的統一のもとに制御しつつ生きてくることから、生まれてくる。
 人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなもの。この人生は二度と繰り返すことのできないもの。この人生は二度とない。いかに泣いてもわめいても、われわれの肉体が一たび壊滅したら、二度とこれを取り返すことはできないのだ。したがって、この肉体の生きている間に、不滅な精神を確立した人だけが、この肉の体の朽ち去った後にも、その精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることができる。私がモノカキとして精進しようとしているのも、ここに理由があります。
 一時一事。人間というものは、なるべく一時(いっとき)に二つ以上のことを考えたり、あるいは仕事をしないようにしたほうがいい。ある一時期には、その時どうしてもなさなければならない唯一の事柄に向かって、全力を集中し、それに没頭するのが良いのだ。
 いろいろ考えさせられることの多い修身授業ではありました。やはり、国定教科書を押しつけるなんて、ダメなんですよね。「心のノート」なんて、まったくうわべだけのものと思います。

コトの本質

カテゴリー:社会

著者:松井孝典、出版社:講談社
 中学時代の著者は、色浅黒く、剣道がやたら強いだけの少年だった。高校生になってからは、とくに際だつところも見られなくなった。学校の成績もトップレベルではなく、とくに目立つところは何もなかった。
 ええーっ、と思う紹介文です。著者は東大理学部に入り、今も東大教授をしています。アメリカやドイツで大学教授もしているのですよ。そんな人が、中学・高校時代に目立つ成績ではなかったなんて、とても信じられません。
 でも、この本を読むと、その秘密がなんとなく解けてきます。
 毎日が楽しい。ゴールがはっきりしているから。何のために生きているかそれがはっきりしているから。自然という古文書を、読めるだけ読んで死んでやろう。そう思って生きている。
 私の楽しさは、どう生きたいか、というところに根源がある。自分の人生なのだから、思うように生きてみたい。せっかくの人生だから、悔いがない形で、やりたいことはみなやって生きる。そう思っている。
 うーん、まったく同感です。私は、人間というものを知りたい、知り尽くしたい、そう思っています。本を読み、人の話を聞くのも、みんなそのためです。
 私の歓(よろこ)びは、考えるということと結びついている。考えていなければ、ひらめくことはない。それも四六時中、考えて考えていなければ突破できない。考えるということは、私の仕事。四六時中、考えに考えている状態。それが、まさに自分の望んでいた人生そのものなのだ。
 考えるべきことは、頭の中に全部ある。混沌として霧に包まれた状態のなかにあるが、解くべき問題としてはきちっと整理されている。頭が澄み切っていて、何でもことごとく分かるように思える。そういう日が一年のうちに10日くらいある。
 残念ながら、私にはそのような体験はありません。でも、今が一番、頭が澄み切って、冴えている。そんな気はします。少しは世の中のことが見えてきました。ですから、酔っぱらってなんかおれない。今のうちに、たくさん書いておこうという気になっています。
 過去と未来を考えて生きているのは人間だけ。人間という存在は、時間的にも空間的にも、限りなく広い領域で、その果てを絶えず求めている。そういう存在なのだ。脳の中の内部モデルとしては、果てというものはない。したがって、我々はそれを永遠に追い求めていく。
 やりたいことは、際限もなく出てくる。何でも興味があるから。
 この世に生まれてきたということは、どういうことなのか。それは、その間だけ、自分で好きなように使える時間を得たということだろう。その時間こそ自分の人生そのものなのだから。それを100%自分の意志のままに使いたい。それこそが最高の贅沢で、至上の価値だろう。
 自分の時間を人に売ってカネをもらうというのでは、何ともわびしい。自分の人生であって、自分の人生ではないようなものではないか。自分の時間を人に売り渡さず、考えることだけに没頭したい。
 うんうん、良く分かります。本当に私もそう思います。
 自分の知っている範囲のことをすべてだと思いこみ、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につき過ぎる。そういう人たちには謙虚さがない。いまの日本は、限りなくアマチュアの国になりつつある。
 私とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張している。
 問題がつくれない人は、エリートではない。解くべき問題を見つけるまでが大変なのだ。問題が立てられれば、解くのはある意味で簡単だ。
 学問の世界では、自分で問題がつくれなければ、プロとして本当の意味で自立することはできない。
 分かるということは、逆に言うと、分からないことが何なのか、ということが分かること。分かると分からないとの境界が分かること。
 自分の身体は自分のものと考えているかもしれないが、本当は寿命のあいだだけ、その材料を地球からレンタルしているだけ。死ねば地球に戻るもの。生きるというのは、臓器とか神経系とかホルモン系とかの機能を利用することであって、物質は、その材料にすぎない。物質は、その機能を生み出すために必要なものにすぎない。
 うーん、よく考え抜かれていることに、ほとほと感心してしまいました。さすがですね。すごい人がいるものです。私よりほんの少し年上の人だけに、つい悔しくなってしまいました。まあ、これも身のほど知らずではありますが・・・。
 きのうの日曜日、庭に出るとウグイスが澄んだ声でホーホケキョと鳴いていました。いつもは初めのころは鳴きかたが下手なのですが、今年は、初めから上手に鳴いて感心しました。梅にウグイス。もうすぐ春ですね。気の早いチューリップは、もうツボミの状態になっています。庭の隅の侘び助に赤い花が咲いていました。

電話はなぜつながるのか

カテゴリー:社会

著者:米田正明、出版社:日経BP社
 私は、地下鉄のホームで携帯電話をつかって話している人を見かけるたびに、不思議でなりません。どうしてコンクリートの固まりの地下で電波障害を起こすこともなく、地上の人と話ができるのでしょうか・・・。
 小さな細い電話線しかないのに、何万人、いや何百万人もの人々が一斉に電話をかけて混線しないのはなぜなのか。これまた理解できずに悩んでいました。この本を読んで、少しだけ理解がすすみました。もちろん、まぜ全部を理解したというわけではありません。本当に、この世は不思議なことだらけです。
 電話ネットワークは、電話交換機のつながり。電話交換機同士は、1000本以上の線を束ねた太いケーブルでつながっている。これは、1000車線の道路でつながっているようなもの。
 電話網を電話の動脈だとすると、共通線信号網は神経にあたる。共通線信号網がないと、電話交換機同士はお互いにメッセージを交換できない。
 電話線の長さは、平均2.2キロ。
 電話の音声は電気信号として電話線の中を進む。その速さは、真空中の60〜70%で、秒速18〜21万キロ。ポリエチレン絶縁体をつかうため、光速より少し遅くなる。
 電話の声は、1秒間に300〜400回往復運動する音(周波数300Hzから3400Hz)を扱う。
 
 電話の音声は、1秒あたり8000個の数値で表す。それぞれの数値は0〜255とする。この256段階の音を0か1で表すと、8ケタ(8ビット)が必要となる。だから、1秒あたりの音は、800×8ビットで6万4000ビットとなる。これを64キロビット/秒という。
 人間の聴覚は小さい音の変化は敏感に感じとるが、大きな音量になると、音の変化に鈍感になる。そこで、耳が敏感な小さな音はなるべく細かく、耳が鈍感な大きな音は大ざっぱに数値化している。
 複数の回線を一つの高速な伝送路に時間的に区切って束ねる。これを時分割多重という。光ファイバーをつかうと64ビット/秒の電話回線を2000本多重できる。
 音を波形グラフで表し、これを刻々と高さの目盛りを読みとり、すべてデジタル情報に置き換えるのです。
 要するに、音を電波に乗せるということは音波の速度ではなく、光速(正しくは、その6〜7割)ですすむので、1秒間に地球を7まわり半するだけの長いヒモがあり、そこに、0か1の数をたくさん並べても、並べ切れないほどになるという仕掛けです。
 それでは、いったい、どうやってその長いレールにうまく乗せ、また、それから降ろす(取り出す)というのでしょうか。そこが分からなくなりました。
 それにしても、電話がつながる根本のところが、この本を読むといろいろ図解してありますので、素人にもそれなりに分かります。

レバレッジ・リーディング

カテゴリー:社会

著者:本田直之、出版社:東洋経済新報社
 読書とは投資活動そのもの。本を読むのは、自分に投資すること。そして、それはこのうえなく割のいい投資である。1500円の本で学んだことをビジネスに生かせたら、元がとれるどころか、10倍いや100倍の利益が返ってくる。
 本を読まないから時間がないのだ。忙しくてヒマがないというのは事実に反している。
 本当は、本を読めば読むほど、時間が生まれる。本を読まないから、時間がない。というのは、本を読まない人は、他人の経験や知恵から学ばず、何もかも独力でゼロから始めるので、時間がかかって仕方ないから。
 ゲーテは、常に時間はたっぷりあるし、うまく使いさえすれば、このように言っている。
 うーん、なるほど・・・、そうなんですよね。
 できるだけたくさんの本を効率よく読むことが肝心。読書をしない一流のビジネスパーソンは存在しない。
 本は自腹を切って買うこと。書きこみをし、よれよれになっても構わない。お金を出すと、元をとってやろうと真剣に読む。
 著者は本を年に600冊ほど購入し、400冊を読む。本代は月に7〜8万円。私とあまり変わりません。私は年に500冊の単行本を読みます。本代も月に10万円ほどになります。ちなみに、夜の巷での飲み代はほとんどありません。ただし、接待・交際費はあります。後輩の弁護士や司法修習生と飲食をともにする機会は多いのです。
 一つのテーマについて、たくさんの本を集中して読むこと。私は、たとえば一つのテーマについて30冊の本を読むようにしています。それは入門書でも何でもいいのです。これくらい読むと、大体のことが分かります。
 著者は朝1番に早起きして風呂で本を1冊読むそうです。とてもマネできません。私はもっぱら移動中の電車や飛行機のなかです。周囲の騒音がほとんど耳に入らないほど集中して本が読めます。片道60分に本1冊というのが、私の標準的なペースです。ちなみに、この本は、電車のなかで15分ほどで読了しました。もちろん、たくさん赤エンピツを引きました。それをたどって、こうやって書いているのです。これを書くのに40分かかります。やはり、読む以上に書くのには時間がかかります。
 速く読むといっても、問題意識をもって読むので、「ん?」と引っかかるところが出てくる。活字のなかで、そこだけ太く、濃く見えるというか、浮き上がって見えてくる。そこで、スピードを落とし、じっくり読む。
 私は、赤エンピツを取り出して、アンダーラインを引きます。
 著者はビジネス書ばかり読んでるそうですが、本当でしょうか。それでは人間の幅が狭くなってしまうんじゃありませんか。私は、いろんなジャンルに飽くことなく挑戦しています。

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