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カテゴリー: 社会

こんな僕でも社長になれた

カテゴリー:社会

著者:家入一真、出版社:ワニブックス
 レンタルサーバーという商売があるそうです。50万人が利用して、年商13億円。
 若い女性が自分のホームページをつくるとき、可愛いサブドメインを何種類も用意して選べるようにした。レンタル料はなんと月250円。3000円の初期設定料も女性に限って半額の1500円。うーん、これはなんだか安そうです。
 でも、同業者からねたまれて、2ちゃんねるに中傷が書きこまれたり、そんな苦労もありました。
 それでも、個人のホームページに広告をのせてもらい、そこから新規客がふえたら一回2円のほか50%の報酬を支払うシステムによって、飛躍的に利用者は増えていった。
 なーるほど、ちょっとした工夫で販路が広がったのですね。
 この29歳の社長は実は福岡出身。中学校のときに登校拒否。そして高校は中退。3年間、自宅にひきこもっていました。だけど、ついに大検に受かって、あの東京芸大をめざして新聞配達を続ける。そして、ネットで知りあった女子高生と結婚。
 一気に読ませた本でした。ちなみに、270頁のこの本を私が読むのに要した時間は1時間ほどです。通勤電車の1時間で読み上げました。途中の駅のアナウンスはまったく耳に入らないほど集中して読みます。いわば至福のひとときです。
 子どものころの貧乏生活を生き生きと再現した描写には心あたたまるものがあります。両親から惜しみない愛情をそそいでもらったことが、著者の生きていく強いバネになったような気がします。とても素直な文章で、ストンと胸に落ちます。私はなかなかの筆力だと感心しました。
 前に紹介しました宮本延春先生の「オール1の落ちこぼれ、教師になる」とか、上條さなえ「10歳の放浪記」を読んだときの感動を思い出しました。元気の出る本としておすすめします。

吉本興業の正体

カテゴリー:社会

著者:増田晶文、出版社:草思社
 吉本は、これから世に出ようという芸人に対して差別しないし、贔屓(ひいき)もしない。放任の姿勢を貫き、努めて平等に扱う。だが、そこに輝くものを見つけたときから、事情が異なってくる。
 芸人は際立った個性を持つうえ、感情の塊のような商品だ。毒を吐き、社会的規範から逸脱してしまうことさえある。こんな扱いにくい商品は他にあるまい。
 吉本は芸人に対して、ときに強面ぶりを発揮し、あるいはネコ撫で声で懐柔しながら、結局は己が掌の中で彼らをマネージメントしてきた。しかも、吉本は一人の才能、一組の人気を最大限に発揮させながらも、決してそれだけに依存しない。
 主力商品の寿命が尽きた日に会社も終焉を迎えるという愚を吉本は絶対に踏まなかった。芸人は商品であり、商品はあくまでも取り替え可能でなければいけない。それを裏で支えているのが、広大で柵の低い放牧地なのだ。
 吉本の強みは層の厚みにある。どの芸人も人気者がコケるのを待っている。そいつがコケたら、すぐに自分の出番があることを自覚している。実際、そのとおりになる。
 吉本興業は2006年3月期に、過去最高の462億円を達成した。
 吉本には過去数回のピークがある。戦前、すでに吉本は東京を制圧し、日本一の吉本を一度実現していた。お笑いの世界への本格復帰は昭和30年代半ばからのこと。うめだ、なんば、京都に三つの花月劇場を構え、勃興したばかりのテレビと蜜月関係を結び、ラジオの深夜放送を聴く若者たちにアピールすることで躍進の糸口をつかんだ。
 吉本は若手を大胆に起用した。仁鶴、やすきよ、三枝、月亭可朝らは吉本の四天王といわれた。戦後30年以上かけて、吉本は上方お笑い界のトップ・プロダクションの座に返り咲いた。1980年に巻きおこったマンザイブームによって、吉本はまた頂点を経験した。このマンザイブームにより、吉本はまた頂点を経験した。このマンザイブームは短命に終わったが、さんま、紳介、ダウンタウンらを先兵として東京制圧を狙った。1990年代にその地盤づくりが完了し、2000年に念願の全国区化を果たした。
 大阪のオモロイ子と、東京のおかしな子では、レベルが違う。大阪の子は親元から通ったり、大学を落ちたから芸人にでもなろか、という手合いがけっこういる。その点、こと危機感という側面だけでいうと、東京の生徒たちは必死だ。故郷を出て一人住まいをして、なんとしてもお笑いの世界でビッグになってやろうという野心をもった生徒が多い。
 大阪は芸人、とくに漫才師の宝庫だ。しかし、戦後からずっと、大阪で生まれた笑いは大阪でしか消費されていない。ところが、吉本は、大阪弁を笑いの標準語に仕立てた。日本の言語史上、これほどまで大阪弁が市民権を得た時代はない。
 1982年、吉本は芸人の養成学校をNSC(吉本総合芸能学院)を開設した。ピーク時には2000人が応募。今でも500〜800人が願書を出す。入学金は10万円で、月謝2万5000円。1年分の学費は合計40万円。面接で、よほど不適当とみなされない限り、ほぼ全員が合格する。
 現実は厳しい。卒業生のなかからプロとしてやっていけるのは、一期あたり4〜5組程度。お笑いの世界でトップクラスになるのは、東大に入ってエリート官僚になるよりも、よほど難しい。ただ、吉本にとって、NSCができたことで、大量の芸人予備軍を手にすることができた。全員がスターになれるわけもないが、いずれにせよ分母が大きい方が、売れっ子を含む確率は高くなる。
 しかし、吉本のすごいところは、タレントの層の厚さより、むしろマネージャーのパワー。彼らは、局におまかせ、仕事下さい、なんて絶対に言わない。どうやって売り出すか、どんな企画がいいか、この番組をステップに次はどう展開するか。本来ならテレビ局側の領域にどんどん足を踏みこんでくる。
 マネージメントという名目の人身売買、社会的良識など通じないアウトローの芸人どもにムチを入れる猛獣づかい。要するに、テキヤ稼業の巨大化したものが吉本興業である。 そんな吉本が一部上場企業になり、経団連にまで入っている。まあ、日本の経済界の本質は、良くも悪くもそこにあるというべきなんでしょうね。
 20年以上も前、大阪に出張したとき、ひまつぶしにナンバ花月劇場に一度だけ入ったことがあります。若い男女で満員、私にはとてもついていけない乱暴なギャグで爆笑の連続でした。早々に退散してしまいました。私はテレビと無縁の生活をずっとしていますので、歌の世界と同じく、お笑いの世界にもトントふれることがないのですが、活字を通して知る芸能界のすさまじさには声も出ません。
 福岡のお濠端で若者二人が芸の練習をしている場面をたまに見かけることがあります。どの世界でも、トップにのしあがるのは大変なんだと、この本を読みながら、お濠端の若者の真剣な稽古姿を思い出しました。

からだのままに

カテゴリー:社会

著者:南木佳士、出版社:文藝春秋
 著者はパニック障害を17年前に発病(38歳のとき)、やがてうつ病に移行した内科医です。
 自分の判断で人の命が左右されてしまう日常はあまりに重すぎる。
 元気だったころ、小説を書き上げたあとで、寝しなに前から読みたかった本を開くのは至福のときだった。掛け布団から出た顔の上に本の世界が広がり、言葉の海を泳いでいくと、思いがけず遠くまで行けそうな気分になり、その場所はゆめの世界に引き継がれたりした。そういう平凡な幸せの時間は、失ってみて初めてその貴重さに気づかされる。
 私にとっては日曜日の昼下がり、昼食のあとのコーヒータイムで本を読みふけるのが至福のときですね。だから、なるべく明るくて見晴らしのいいお店に入りたいのです。ところが、一人で入れるゆっくりできる喫茶店を見つけるのに苦労します。
 他者の死に立ち会う回数が増えてくるにつれて、人が死ぬ、というあまりにも冷徹な事実の重さに押しつぶされてしまいそうで、このつらい想いを身のうちに抱えては生きてゆけないと明確に意識し、自己開示の手段として小説を選んだ。
 実は、私も高校一年生の終わりまで医学部志望でした。高校三年生まで、ずっと理系クラスにいたのです。でも、二年生に上がる前の春休みに自己診断したのです。数学がちっともひらめかないじゃないか。これじゃあダメだ。それで見切りをつけて文系、そして法学部へ転身したのです。いま、医者にならずに本当に良かったと思います。毎日毎日、人の死に直面して過ごすなんて、耐えられません。私の知っている医師は、だから自宅に帰ると、テレビの馬鹿馬鹿しいお笑い番組を見て腹の底から笑っている。そうやって精神のバランスをとるんだ、そう語っていました。なるほど、ですね。テレビを見ない私は、下らないテレビを見ないでも精神のバランスを保持できているというわけです。それだけでも弁護士という職業につけて良かったと考えています。
 著者のペンネームである南木の由来が次のように紹介されています。
 祖母のような地に足の着いた暮らしを営む人たちの生き様を描く作家になりたかったから、ペンネームを南木とした。南木山とは、嬬恋村の浅間山麓一帯をさす地元の人たちの呼び名だ。
 著者の執筆は休日の早朝のみ。まだ暗いうちにいそいそと起きだす。レンジで、牛乳を温め、それを飲みながら「勉強部屋」のパソコンに向かう。書かれた言葉が次の世界の入り口となり、そこに見えてくるものを記述すると、また異なった視点に立てる。こういう非日常の感覚がおもしろくて小説を書き続けてきた。
 なるほど、非日常の感覚が面白いというわけなんですね。私は、まだその境地には達していません。
 書いた死亡診断書が300枚をこえたあたりから、見送る者であった自分の背に死の気配がべったりと貼りつき、他者に起こることは必ずおまえにも起こるのだ、と脅迫してきた。すると、存在していることがたまらなく不安になり、明日を楽観できなくなった。
 小説を書き始めたのは、医師になって2年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を濃縮する剣呑な作業でもあったのだ。
 医者になりたてのころ、死は完璧に他者のものであり、こちらはたまたま臨終の場面に立ち会わねばらなぬ職業についたまでで、やがては慣れるだろうとたかをくくっていた。中年にさしかかると、日々慣れたはずの死が、じつは自分の背後にそっと迫っているのを知り、慄然とした。他者に起こることは、すべてわたしにもおこりえるのだと肌身にしみた。本当の大人になるとは、こういう大事を知ってしまうことなのだろうから、わたしは厄年のあたりでようやく成人したことになる。それからは、自分が存在することそのものが不安で、夜も眠れなくなり、結果として病棟の担当を降りねばならないほど心身を病んだ。
 医師としての本質的な苦労・悩みが惻々と伝わってきます。
 著者の本が映画化された「阿弥陀堂だより」は本当にいい映画でした。機会があればぜひまた見たいと思います。四季折々の風景の移り変わりは、思わず息を呑むほど素晴らしく、生きてて良かったと大画に引きずりこまれながら、つい思ったことでした。

蒸発

カテゴリー:社会

著者:夏樹静子、出版社:光文社文庫
 著者はいま西日本新聞に随想を連載しておられます。大変な腰痛の苦しみを体験したが、それは心因的なものだった。心のもち方ひとつで人間は病気になり、健康でもあるということを体験を通じて学んだ、という話です。なーるほど、ですよね。病は気から、というのは本当なんですね。
 この本は、この文庫本としては発刊されたばかりなのですが、初出はなんと今から34年も前のことです(1973年3月)。道理で、出てくる話がすごく古いのです。昭和 46年5月の朝刊で日本人記者がベトナムで殉職という記事が出てくるので、びっくりしました。私は、そのころまだ東京の大学生ですし、ベトナム戦争がいつ終わるとも知れず、続いていたころのことです。
 この本を読みはじめると、まず飛行機に乗ったはずの女性乗客が消えてしまったという展開にぶつかり、おいおい、どうして、という感じで引きずりこまれてしまいます。推理小説ですので、謎ときはもちろんしません。ただ、内部に手引きする人がいたということだけ申し上げておきます。私は、他の展開はともかくこの謎ときを一刻も早く知りたいと、必死で頁をめくってしまいました。
 関門トンネル内で起きた男性の事故死が、実は殺人事件ではないのかという推理があります。そのとき、松本清張が「点と線」でつかったような時刻表を駆使した推理がなされます。時刻表マニア(今いうオタク族)でなければ、とても考えつかないような話です。
 今から30年以上も前の福岡を舞台にする話なので、いささかの異和感はありますが、そこで語られている男女の愛のもつれはきわめて今日的でもあり、決して古臭いという気はしません。さすが日本ミステリー文学大賞を受賞しただけのことはあります。
 私も著者の講演をお聞きしたことがありますが、気品にみちたお人柄で、作品の一部にあるドロドロした人間の醜さをみじんも感じさせられず、そのギャップの大きさに正直とまどってしまいました。文章力や構成力がすごいわけですが、取材のほうも、かなり丹念に尽くされているのだろうなと、同じモノカキ志向の私はついつい舞台裏のほうに気がいってしまいました。

全国学力テスト、参加しません

カテゴリー:社会

著者:犬山市教育委員会、出版社:明石書店
 いやあ、実に画期的な本です。一地方の教育委員会が政府(文科省)の方針に反抗して全国学力テストに参加せず、その理由を堂々と明らかにして本を出したというのです。その大いなる勇気に対して、私は心から賞賛の拍手を送ります。
 全国学力テストは先日実施されてしまいました。日本の子どもたちの学力レベルを正確に把握するためには抽出調査のほうがより正確に把握できるとされています。しかし、文科省はあくまで記名式の悉皆(しっかい)調査にこだわるのです。それは一体なぜなのでしょうか。
 今回の全国学力テストの本当の目的は、公立の小中学校にPDCAサイクルを導入することにある。Pとは、プラン(企画、立案)、Dはdo(実施)、CはCheck(検証・評価)、AはAction(実行、改善)のこと。最後の改善を次の計画に結びつけ、継続的な業務改善を図るためのマネジメント手法である。
 しかも、全国学力テストの際に学習状況調査もあわせて実施された。そこでは、家庭における私生活についても質問されている。まさに個人のプライバシーにまで踏みこむものである。
 日本のすべての公立小・中学校を30人学級とするに必要な人件費は、9600億円だと試算されている。日本の軍事費支出は世界第二位と言われていますが、1兆円にみたないこの支出こそ、日本民族の将来を保障することにつながる価値ある人件費だ。私はそう思います。ここはドーンと思い切って支出すべきでしょう。
 犬山市では、30人学級を実施するため市独自に講師を採用するなどして、全国に先駆けて学習環境の整備につとめてきた。小学校では34人以下の学級が9割を占めている。中学校においては、56学級のうち42学級34人以下学級がつくられた。それなのに全国学力テストに参加することになったら、これまで豊かな人間関係のなかで人格形成と学力保障につとめてきた犬山の教育を否定することになる。だから参加しないことを決めた。すごーい。まさしく文科省への挑戦状です。
 犬山では習熟度別指導は原則としてとりいれられていない。考え方や習熟度が違う子どもが交流するなかで、豊かな学習が生まれる。習熟度別指導だけでは、学びあい、支えあうということが出来ない。
 犬山市の教育に関するスローガンは次のとおり。
 生徒であったとしても、また教師であったとしても、通いたい学校を目ざす。
 いいですね、このスローガン。朝起きて、さあ今日も学校に行こう。行って友だちと話そう、先生に教わろうという気分だったら最高ですよね。現実には、毎日なかなかそうはならないでしょうが・・・。
 ずいぶん骨のある教育委員会があることを知って、うれしくなりました。安倍首相に読ませたい本です。

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