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カテゴリー: 社会

悔いなき生き方は可能だ

カテゴリー:社会

著者:村岡 到、出版社:ロゴス社
 著者は40年前の東大闘争のとき、全共闘の活動家でした。
 ときに周りをふり向くと、活動を持続している人が意外に少ないことに気づく。あのときの活動家が10分の1でも「生き残って」いてくれたら、そんな思いに駆られたことが再三ではない。なぜ、多くの青年が活動を継続できなかったのだろうか。それぞれに理由と事情があるに違いない。
 ふと外の世界との接点で、自分の行ないをかえりみる機会を与えられ、気づいてみると、そこにある種の断絶を感じる。感じとるだけの常識を備えていると、ある場合には命がけで闘っていた課題と自分の生きざまとに微妙な落差・陰を感じることになったのではないだろうか。そういう問題を軽視して、組織が重要だとだけ説教する運動から離脱していったのだろう。
 日本マルクス主義法学の創始者である平野義太郎の『マルクス主義の法理論』を一読すると、法律の問題はマルクス主義における空白をなしていたことがよく分かる。それはレーニンも同じことで、『国家と革命』には、法律は登場しない。
 私は、この二つの本を何回も読みました。目が開く思いでしたが、法律が位置づけられていないというのを初めて知りました。
 ロシア革命のなかでは、法律の無知をもって革命家の誇りとする風潮があったほどである。この風潮は、民主政府の伝統を欠如していたロシアの歴史に深く根ざしていた。ロシア革命を、法の精神なき革命だと大江泰一郎は特徴づけた。
 レーニンは、革命の利益は、憲法制定会議の形式的権利よりも尊いという立場を断固として貫徹した。左翼における憲法の軽視の根底にはマルクスが『共産党宣言』で断言した「法律はブルジョア的偏見である」というドグマがある。
 うーむ、なかなか鋭い指摘だと思いました。
 東大闘争(1968年6月〜1969年3月)から40年近くが過ぎた現在、今なおそれを客観的な歴史として語れない、語りたくない団塊世代が想像以上に多いように思います。そこにはノスタルジーの世界ではなく、今の生き方を厳しく問いかけるものがあるからではないでしょうか。タイトルにありますように、お互い悔いなき人生を送りたいものです。もっとおおらかに人生と社会変革のあり方を語りあいたい。本当にそう思います。
 著者とは、東京の河内兼策弁護士による、「昔、全共闘だった人も、民青だった人も、いま憲法9条を守るために」というテーマの集会で初めてお会いしました。団塊世代の参加者がとても少なくて、残念でした。このとき、関西地方からインターネットを見て参加したという人がおられました。安田講堂内にたてこもっていた人です。逮捕されて、執行猶予判決を受け、その後、企業に就職して何も社会活動はしてこなかった。妻にも自分の過去は言っていないとのことでした。まだまだ、団塊世代の人がこの種の集会に参加するためには心理的抵抗がとても大きいようです。
(2007年4月刊。2000円+税)

食糧争奪

カテゴリー:社会

著者:柴田明夫、出版社:日本経済新聞出版社
 この本を読むと、日本は、もっと食糧自給率を高めるべきだと痛感します。
 日本では余剰感のあるコメだが、世界的にみると需給が引き締まり傾向にあり、将来、楽観視はできない。
 現在、穀物メジャーは、伝統的な穀物商社のカーギルとバンゲ、搾油業や小麦製粉業などの食品加工業を由来するADM、コナグラの大手四社。
 古いデータだが、1997年時点で、これら四社にコンチネンタル・ケレインを加えた大手五社の米国の穀物流通のシェアは、産地集荷段階で3割、内陸部の中間流通段階で5割、輸出段階で7割、一次加工段階では5割を占めていた。
 世界に栄養不足人口は8億5000万人いると推計されている。
 世界の穀物市場では、2000年を境に供給過剰から供給不足へと需給構造の転換がすすんでいる。旺盛な需要に供給が追いつかず、結果として、世界の穀物在庫が取り崩されているためだ。この背景には、中国やインドなどの人口大国が本格的な工業化の過程に突入し、猛スピードで日・欧・米の先進諸国へ追いつこうとしていることがある。
 もはや世界経済を牽引しているのは、1990年代までの日・欧・米の先進国(人口8億人)ではなく、人口30億人のブラジル・ロシア・インド・中国である。
 2003年時点で、遺伝子組み換え作物の栽培比率は、大豆で81%、トウモロコシで40%に達している。
 日本の農家戸数は1980年の466万戸から2005年に293万戸へ4割も減少した。農地面積は546万ヘクタールが471万ヘクタール(2004年)へ14%減少した。農業就業人口は506万人から259万人(2003年)へと49%も減少した。
 日本の食糧自給率は40%というが、実は、日本の畜産物はその飼料のほとんどを海外に依存している。だから、注目すべき自給率は穀物自給率の28%。これは他の先進諸国と比べて異常に低い。アメリカは128%、フランス142%、ドイツ122%である。イタリア62%、イギリスでも70%である。
 これでは日本人は餓死寸前みたいなものではありませんか。この面でもアメリカ頼みでは日本人は将来を生きていけないのです。
 イギリスはかつて日本並みに低かった。一時は400万ヘクタールだったイギリスの耕地面積は、1800万ヘクタールにまで拡大された。これによって食糧自給率が向上した。飽食・日本の将来を不安にさせる警告の書です。石油を食って生きていくことは出来ないのです。自動車をつくって外国に売り、食糧は外国からお金を出して買えばいいという発想は明らかに誤りだと思います。
 先日、札幌に行ってきました。心の優しい岩本勝彦弁護士の紹介で行った小料理屋(「しんせん」)で、シャケの心臓(ハツ)の串焼きを初めて食べました。北海道は美味しいものがたくさんあります。やっぱり産地が分かっているものを安心して食べたいですよね。
(2007年7月刊。1800円+税)

全記録・炭鉱

カテゴリー:社会

著者:鎌田 慧、出版社:創森社
 かつて日本には至るところに炭鉱があった。炭鉱で働く労働者は1948年に46万人、1957年にも30万人いた。2007年の今では釧路炭田(釧路コールマイン社)に  500人ほどしかいない。
 私は一度だけ、閉山前の三井三池炭鉱の坑内に入ったことがあります。有明海の海底よりさらに何百メートルも下、地底深くの切羽(きりは。石炭掘り出しの最前線です)にたどり着くまで、坑口から1時間以上もかかりました。周囲はすべて真っ暗闇のなかです。厚いゴム製のマンベルトに乗って、石炭のひと塊になった感じで昇ったり降りたりしてすすんでいくのです。暗黒の地底に吸いこまれそうな恐怖心を覚えました。
 炭鉱夫が生き抜くのは、ひとえに運と勘である。そうなんです。運が悪ければ死、なのです。いつ落盤にあってボタ(石炭ではない岩石)に圧しつぶされるか、いつガス爆発で殺されるか分からない、まさに死と隣りあわせの危険な職場です。
 北海道にあった北炭夕張炭鉱では、7年ごとに死者数百人という大事故が発生しており、死者20人未満の事故など、数えきれないほど。もちろん、天災というのではなく、安全無視、生産優先による人災です。
 そして北炭夕張炭鉱が閉山になって、人口10万人いた夕張市は、今では人口3万の都市になってしまいました。
 北海道の炭鉱の労務管理は三つの型に分類できる。三菱系は警察型労務管理。三井系は物欲的労務管理。北炭系は精神的労務管理。
 うーん、そうなんですか・・・。三井系も、けっこう警察に頼った労務管理をしていたように私などは思うんですが・・・。
 夕張には3人の市長がいると言われてきた。鉱山の所長、炭労出身の地区労議長、そしてホンモノの市長は、いわば三番目の市長。初代市長は北炭の労務課長出身だった。
 大牟田にあった三池炭鉱が閉山して、既に10年がたちました。いま、大牟田に炭鉱があったことを思い出させるのは、海辺にある石炭科学技術館くらいのものです。映画『フラガール』で見事に再現されていた2階建ての炭鉱長屋もまったく保存されていません。そういうものは、きちんと歴史的遺産として残すべきだと私は思うのですが・・・。
(2007年7月刊。1800円+税)

石油、もう一つの危機

カテゴリー:社会

著者:石井 彰、出版社:日経BP社
 今またガソリンが値上がりしています。リッター140円台です。どうして、こんなに値段が上下するのでしょうか。さっぱり分かりません。
 2003年までの価格の3倍にも高騰した。ところが、イラン原油が全面的に輸出停止になっても困らないほど、世界の石油消費量の3年分はあった。では、中国の石油需要が急増したためなのか。それも、否。
 ピークオイルが近づいたためか?
 ピークオイル論というのは、世界の石油生産能力が数年以内に地質的限界、資源量的限界に達してピークを迎え、あとは秋の日のつるべ落としのように、運命的、必然的に凋落していくという議論である。ただし、これははじめに1990年までにピークが来ると言っていたのが、2007年まで、いや2010年までと、何回も延びのびになっている。
 いま、公的機関でも業界でも、2015年より前のピークアウト、いや、2030年より前にピークアウトすると予測しているところはない。
 では、なぜ石油価格が高騰しているのか?
 原油先物市場が完全に金融市場にのみ込まれて金融商品化し、そのため需給実態を反映しない過度な価格高騰を来した。これは、石油市場の過去の歴史にはない、21世紀に入ってはじめて現れた現象である。
 価格上昇の主導権は、プロの投機家から、年金基金を主体とする巨額資金の素人投資家に変化した。
 現在、日本の発電用エネルギーのうち、石油はわずか1割。世界でも6%ほど。発電による二酸化炭素の発生源は大半が石炭である。
 世界的にみて、石油需要は、6割が自動車、航空機、船舶等の交通用需要である。発電用や工場・商業施設等の熱源、石油化学の原料などは、全部あわせても4割。
 石油は、もはや産業の米や経済の血液ではなく、交通・輸送の血液に大転換している。
 世界的に見たら、今や「産業の米」は、石油ではなく、天然ガスである。一次エネルギー消費に占める割合でみると、日本では石油が依然として最大で5割を占める。天然ガスはわずか13%ほど。しかし、先進諸国では、石油が40%、天然ガスが25%を占めている。
 かつては、シェルやエクソンなどの七シスターズが世界の石油生産と貿易を牛耳っていた。今や、新セブン・シスターズとは、サウジアラビア、ロシアのガスプロム、中国のCNPC、マレーシアのペトロナス、イランのNIOC、ブラジルのペトロブラス、ベネズエラのベドヴェサの7つの国営石油会社をさしている。
 メキシコとサウジアラビアは、外資をまったく受けつけず、資源資源ナショナリズムでいく。今日の石油をとりまく情報の一端を知ることがことができました。日本の石炭も、もっと大切にすべきだったと、つくづく思います。
 芙蓉の木いっぱいに艶やかな淡いピンクの花が咲き、見るだけで心が和みます。酔芙蓉の花も咲いています。午前中は純白の花が、午後になると次第に赫く染まっていくさまは、まさしく酔人の顔そのものです。エンゼルストランペットも咲きはじめました。細長いトランペットのような黄色い花がたくさんぶら下がっています。チューリップの球根を植えました。とりあえずは、50個ほどです。12月まで、折々の日曜日に植えています。そろそろヒマワリを刈る季節にもなりました。
(2007年7月刊。1600円+税)

ひとり誰にも看取られず

カテゴリー:社会

著者:NHKスペシャル取材班、出版社:阪急コミュニケーションズ
 孤独死は全国で毎年3万人ほど出ていて、実は自殺者の3万2000人を上まわるのではないか。ええーっ、と驚いてしまう数字です。いつのまに日本はそんな国になってしまったのでしょう。
 トントントンカラリンとお隣りさん、という世界は、はるか彼方の遠い昔のこと。今では、隣りは何をする人ぞ、というだけ。無関心、没交渉。お金がいくらかあっても、まさに人知れず死んでいく人がなんと多いことか・・・。
 最近、私の依頼者でアル中の人が死後3ヶ月ほどして発見されました。同じ市内に親兄弟が住んでいたのですが、アル中のため散々、身内に迷惑をかけていたため、ついに家を追い出され、一人でアパートを借り、生活保護を受けながら生活していたのです。発見の契機は、通院先の病院から、実家に「最近、通院されていませんが、どうしたのでしょうか」と安否を尋ねる電話がかかってきたので、アパートに行ってみたところ、死後3ヶ月たっていたというのです。発作をおこして病死したようです。痛ましい孤独死でした。
 孤独死の定義は、いろいろあるようです。
 孤独死とは、低所得で、慢性疾患に罹患していて、完全に社会的に孤立した人間が、劣悪な住居もしくは周辺領域で、病死および自死に至るときをいう。
 孤独死とは、すでに社会的関係が絶たれていて、その結果、誰も死に気づかず、死後かなりたってから、第三者に発見された場合をいう。
 千葉県松戸市にある常磐平団地は4、5階建ての中層集合住宅。入居開始は1960年4月。総戸数4839戸。入居完了は1962年6月。当時は入居希望者が殺到し、抽選倍率は、なんと20倍。
 当時としては、まさに夢の住まいだった。団地内に、保育所、幼稚園、小・中学校、郵便局、商店街まで備えた、一つの町、ニュータウンが誕生した。団地族が誕生した。人口のピークは、1970年ころ、2万人。一戸あたりピーク時4人、今は2人を下まわっている。65歳以上の住民が3割に達している。
 家賃滞納で孤独死が発覚するケースは、今はほとんどない。家賃を口座引き落としにしている人が9割以上だし、生活保護を受けていると、毎月、引き落としされる仕組みになっているから。人と人とのつながりが希薄になっているだけでなく、システムとしても孤独死が見えにくくなっている。このため長期間、放置されてしまうケースが出てくる。
 孤独死する人は、電話も止められていないのに、誰にも連絡することなく亡くなっていることが多い。うへーん、寂しい話ですよね、これって・・・。
 40代、50代、60代の中年男性の孤独死が、高齢者の孤独死を上回っている。
 孤独死を扱った番組に対して、読者からの投書には、なぜ孤独死してはいけないというのか、孤独死する覚悟はできているぞ、というものが多かった。
 これに対して著者は反論する。死を概念的にしかとらえず、「放置された死」がどういうものか知らないことも大きい。ウジがわき、ひどい臭いを放つ姿になった自分を、赤の他人に見られる。遺品もすべて他人の手に委ねられる。そして、それを処理する人の迷惑。現実の孤独死は、美学とはほど遠いものでしかない。
 うむむ、そうなんでしょうね・・・。考えされられる本でした。
(2007年8月刊。1400円+税)

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