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カテゴリー: 社会

日本大使公邸襲撃事件

カテゴリー:社会

著者 ルイス・ジャンピエトリ、 出版 イースト・プレス
 事件が起きたのは、今から13年前の1996年12月です。それから4か月(126日)後に、軍隊が突入して占拠集団は全員殺害されたのでした。この本は、人質となり、今やペルー政府副大統領となった人物が書いたものですから、占拠集団をテロリストとし、日本政府、そして人質となった日本人の行動を厳しく批判しています。占拠集団をテロリストと呼ぶのについては、私も否定するつもりはありません。しかし、果たして彼らの交渉の余地はなかったのか、また、逮捕して裁判にかけることをしなかったわけですが、本当にそれで良かったのか、という疑問があります。
 それはともかくとして、この本は、フジモリ大統領の強引な救出作戦の内幕を肯定的に紹介しています。
 公邸に監禁された人質のなかには、ポケベルを持ちケータイを隠し持っている人たちがいた。もちろん、それで外部とひそかに連絡をとった。
 公邸の人質のなかには、フジモリ大統領の母や姉などの親族もいたが、MRTAは早々と解放した。フジモリ大統領は、初めから軍を突入させる作戦を考えていた。ただし、人質の予測死亡数が多い作戦は、政治的配慮から却下した。
 赤十字が人道的見地から公邸内に運び込んだものには、盗聴用マイクが仕込まれていた。人質は当初600人ほどいたが、女性や公邸使用人など、150人が一番に解放された。次々に解放されていき、最終的に人質は106人になった。フジモリ大統領は公邸内の人質が減りすぎるのが面白くなかった。MRTAの負担は重い方がいいと考えていたからだ。
 赤十字のほか、マスコミが公邸内内にやってきて、ひそかに盗聴器をあちこちに仕掛けた。いよいよ人質は72人となり、グループ別に部屋が指定された。著者たち軍人グループは、ひそかに脱出計画を立てた。しかし、テロリストに同調的な日本人たちがいるのを気にした。
 MRTAのなかに、16歳と20代前半の女性もいた。彼らが人質と親しくなりすぎたことから、リーダーは警戒した。
フジモリ大統領は、公邸の地下トンネルを掘り進める作戦を許可した。鉱山の町から60人の坑夫を集め、8時間ずつ3交代制で作業を続けた。1月1日に掘削をはじめて、3月15日に完成を予定した。900トンの土地を地上に運び出すため、夜に少しずつトラックで運んだ。そのトンネル掘削音をごまかすため、公邸に向けて、4台の巨大スピーカーを休みなく大音量で流しつづけた。そして、公邸の実寸大のレプリカを作り上げ、公邸突入作戦の訓練を繰り返した。
 地中にトンネルを掘りすすめていたところ、その地上部分に緑の帯がつくられていった。トンネル内の大壁に水を補給していたのが、地表面にまで浸み出して、雑草を育ててしまったのである。
 うへーっ、そういうこともあるのですね。MRTAはこの地表の異変には気がつかなかったようです。
 公邸に突入する突撃部隊は3つの支援班そして2つの後方支援班で構成された。それぞれ4人1組のエレメントである。合計して140人の兵士から成る。
 特殊部隊はトンネルに入って2日間、待機させられた。総勢90人。腐った野戦食にあたって、ひどい下痢をする者が出た。そこで、トンネル内には湿気を防ぐカーペットが敷かれ、扇風機がまわされた。
 4月22日。フジモリ大統領は、前妻から起こされた慰謝料請求の裁判のため、裁判所にいた。アリバイ作りである。そのとき、突入作戦が始まった。
 ペルー国家側の言い分としては、そうなんだろうなと思いながら読みました。でも、本当に、降伏したMRTAを問答無用式に射殺したことはなかったのでしょうか。フジモリ大統領の強権的手法を考えると、やっぱり大いに疑問です。
 この本のなかで、名指して批判されている元人質の小倉英敬氏の本『封殺された対話』(平凡社)もあわせて読まれることをおすすめします。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

米原万里を語る

カテゴリー:社会

著者 井上 ユリ・井上ひさし ほか、 出版 かもがわ出版
 1950年生まれというから、私より2歳も年下なのに、残念なことに米原万里は3年前に亡くなりました。この本を読むと、本当に惜しい人を亡くしてしまったという思いに改めて駆られます。
 九条の会の事務局長をつとめている小森陽一東大教授が、ロシアで米原万里の弟分だったことをこの本を読んで初めて知りました。
 米原万里は、ロシア語はロシア人よりもよくできた。そして、なにより日本語がとても上手だった。だから、ロシア語の同時通訳は素晴らしかった。通訳の仕事は、言葉の勉強と、さらに通訳そのものの勉強をしない限り出来るものではない。
 そうなんです。通訳はなにより日本語ができないとダメなのです。アメリカで日常会話レベルの英語が話せるというくらいでは、通訳はつとまりません。私も何回か、しどろもどろ、まったく趣旨不明の通訳に出会い、メモをとることが出来なかったことがあります。私のフランス語もそうです。なんとか聞き取れる程度ですから、通訳なんて、とてもとてもできるものではありません。いえ、私に冗談半分でしたが、通訳しろと言った友人がいたのです。
 米原万里は、服装も派手で、化粧も香水もきつく、飾りもジャラジャラジャラジャラつけて、すごく大胆で、思いきっていて、力強いひとだという印象を与える。しかし、本当はずいぶん慎重な性格で、臆病なところがあった。なーるほど、ですね。
 米原万里の父親は、米原いたるといって、共産党の幹部で、衆議院議員もつとめている。戦前、一高を放校になり、終戦まで地下に潜っていた。その実家は鳥取の大富豪、名家だった。だから、戦後、公然と活動を始めて選挙に出ると、鳥取で最高点で当選した。プラハに家族を連れて常駐したのです。
 米原万里は、やっと小説を一作書いただけで、あの世へ旅立ってしまった。
 米原万里は、小学生のときにプラハ(チェコ)へ行き、日本語が全く通用しない場所にいきなり放り込まれた。そこでは、ロシア語をしゃべれないと、自分が誰であるか何者であるかということも分からない状況があり、言葉がいかに重要なものであるか理解していった。若いころに、自分の言葉の危機を迎えた人は、言語に対してとても敏感になる。アイデンティティの危機と言葉の危機は密接につながっている。
 しみじみと心に残るいい本でした。井上ひさしと奥さん(万里の実妹)の対談がとても面白く、興味をそそられました。 
 久しぶりに神戸へ行ってきました。
 土曜美の夕方でしたが、三宮駅前の商店街の人の多さに圧倒されました。まっすぐ進めないほどの人出です。日本って景気いいのかなと思いました。
 新神戸駅前に超高層マンションがいくつも建っていました。高所恐怖症の私には、とても住めません。値段も高いのでしょうね……。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

マルクス資本論

カテゴリー:社会

著者 門井 文雄、 出版 かもがわ出版
 理論劇画。はじめて聞く言葉です。つまり、単なるマンガ本ではないということです。うむむ、あの難解なことで有名な資本論をマンガに出来るのか。そして、マンガにしたら理解できるのか。ハムレットのような問いを突き付けられます。
 まあ、でも、マンガだとたしかに分かりやすいかな。そんな感触は得られます。
 私も資本論には、これまで少なくとも3度、挑戦しました。大学生時代に一度、そして弁護士になって時間をおいて二度、挑んでみました。でも、やっぱり私には難しい本でした。頭にするするっと入ってくるような本では決してありません。著者が、思いっきり、渾身の力をふりしぼって語っている。そんな迫力にみちみちた文章が、はてもなく切りもなく続くのです。ですから、私も意地になって、少なくと3度は全巻を読みとおしたわけです。だけど、残念ながら理解できたとはとうてい思えませんでした。
 マルクスが、生涯の友となったエンゲルスに出会ってまもなく書いた『共産党宣言』、これは私も大学1年生のときに読んで、なるほどと感心した覚えがあります。こちらは分かりやすい本でした。世の中の矛盾に目をつぶることなく、万国の労働者よ、団結して立ち上がれと呼び掛けていました。ぶるぶるっと、体中が震えてしまいました。非力でも、何とかしなくては、そう思いました。
 この理論劇画は、資本論第1巻の大意をなんとか伝えようと奮闘努力しています。それでも剰余価値とか、等価交換とか、やさしいようで難しい言葉が出てきます。そして、労働力と労働の違いが語られます。この点は、なんとなく分かった気になります。
 大洪水よ、我が亡きあとに来たれ。資本家は、ほおっておくと強欲な論理をむき出しにして、労働者を老いも若きも、女性までも非人間的扱いにして、踏みしだいてしまう。
 まるで、今の日本と同じように、マルクス時代のイギリスでは、労働者の生命、身体が悲惨な状態に置かれていました。そして、御手洗氏の率いる日本経団連は、イギリスの強欲資本家の完全な直系の子孫です。ともかく、我が身の繁栄しか考えていません。いったい、キャノンの製品を買うのはロボットだとでも考えている人でしょうか……。せめてヨーロッパ並みの、ルールと節度をもった資本主義社会であってほしいものです。老後は年金をもらって、ゆったり生活できる。これを望むのは当然のことではありませんか。それをできなくする社会を生み出している今の日本の政治は根本的に間違っています。プンプンプン。
 
(2009年4月刊。1300円+税)

回復力、失敗からの復活

カテゴリー:社会

著者 畑村 洋太郎、 出版 講談社現代新書
 自滅パターンにはまりこんだ人には、ある共通点がある。それは、人は弱いという認識が欠けていること。窮地に追い込まれて大変な状況のときに心がけるべきことは、自分の出来ることをただ淡々とやり続けること。ただ、それがまた難しいのですね。心が乱れていますから……。
 組織運営に外部の人間を参画させると、硬直した雰囲気を壊すひとつの有効な手段になりうる。内部の人間だけだと、どうしても客観性に乏しい。社会とズレた見方になってしまう。そうなんです。私の参加する会議の一つに、たまらなく暗くてかたい雰囲気のものがあります。お互い、けなしあうだけで、相手の成果を認めようとしないのです。いるだけで、くたびれる会議です。出なくて済むときには、心底ほっとします。
 ピンチのときのポイントは、ひとりだけで荷物を背負ってはいけないということ。
 私は、やったー、失敗したー……というときには、それを誰か、気の置けない友人に話して吐き出してしまうようにしています。自分のうちにうつうつと籠らせないようにするのです。
 自分のやっていることに自信を持つ。自信のない人は、ちょっと困難なことがあると、すぐに撤退してしまうので、結局は目標を達成できない。自信をもっていると、ちょっとくらいの困難ではめげないで、再チャレンジする。その差が、最後に結果として現れる。そして、この自信は根拠がなくてもかまわない。
 大切なことは、失敗を前にして、自分が何をどう考えて、どう行動したかを後々までしっかり覚えておくこと。それが出来たら、自分の判断や考え方、それにもとづいた行動がどんなふうに間違っていたか、後で確認することができる。これは失敗を正しく理解するための基本である。そのようなことのできる人のみが、失敗に学ぶことができる。
 手助けを受けられるのは、おそらく日ごろから愚直かつ丁寧に努力を続けている人である。うむむ、けだし至言だと思います。何事も謙虚であり、持続したいものです。
 失敗なんかで死んではいけない。まさしく至言です。いい本に出会いました。
(2009年1月刊。720円+税)

東大駒場学派物語

カテゴリー:社会

著者 小谷野 敦、 出版 新書館
 私にとって昔懐かしい駒場の話です。大学2年生のとき、ちょうど東大闘争に突入して授業がなくなりましたから、まともに授業を受けたのは1年と2か月ほど。ところが私自身は、大学で授業を受けて勉強する意義が分からず(と称して)、地域(神奈川県川崎市です)に出かけて、若者(労働者です)たちと一緒のサークルをつくって、しこしこと(その当時の流行語です)活動していました。
 翌年2月に授業が再開されてからも、引き続き漫然と授業には出ずに、地域でのセツルメント活動に没頭していました。まさしく、人生に必要なことは、大学ではなく、地域におけるセツルメント活動で学んだという気がします。
 それはともかくとして、この本を読むと、駒場での教授生活も、内情はかなり大変だということを知ることができます。それは第一に、この本のように内情暴露する人が出てくる危険性は高い、ということです。この本は、学者のゴシップでみちみちています。
 といっても、『源氏物語』だってゴシップを載せているじゃないかと著者は反撃しています。なるほど、そうなんでしょうね。『源氏物語』が世の中に出たとき、この人は誰がモデルなのか、いろいろ話題になったことでしょう。だから著者は、次のように喝破するのです。
 文学はゴシップと不可分の関係にある。ふむふむ、そうなのか、うむむ。
 私が大学生のころ、渋谷駅から井之頭線に乗り、駒場東大前駅で降りていました。ところが、この駅は、なんと1965年(昭和40年)にできたものだというのです。なーんだ、まだ2年しかたっていないときに私は利用したんだ……。昔から、こんな駅があったとばかり思い込んでいました。
 駅の階段を降りると、真正面が駒場の正門に至るのです。回れ右をすると、麻雀屋やラーメン店などの飲食店が混じる商店街になっていました。
 駒場の春、という言葉が出てきます。五月病とは無縁な、未来へのなんとはなしの希望を感じさせるものです。しかし、その希望を現実化させた人は、どれだけいたのでしょうか……。
 私にとっての救いは、まず第一に駒場寮です。6人部屋でしたが、先輩のしごきなんて、とんと無縁の自由極まりない天国のような生活が、そこにありました。ただし、経済的には楽ではありませんでした。1ヶ月をわずか1万3000円あまりで生活したという収支ノートが今も手元に残っています。もらっていた奨学金は月3000円。学費は年に1万2000円でした。
 第二に、セツルメント活動です。ここで、素晴らしい先輩と素敵な女性たちに出会うことができました。残念なことに、私の恋は実りませんでした。
 著者は、35冊も著書を出したのに、駒場で不遇な目にあったのを嘆き、攻撃しています。そうなんでしょうが、きっと学者にも求められる協調性に欠けていたのでしょうね。
 著者は、本を書かない教授がごろごろしていると手厳しく批判しています。本当にそうです。私も本は何冊も書いていますが、モチはモチ屋で、何を得意とするかの違いがあり、私などは議論のとき、きちんと順序、論理だてて展開するのはまったく不得手のままです。この本を読んで、学者の世界の厳しいゴシップを聞いた気がしました。
 それにしても、天皇崇拝論者が駒場の学者にそんなに大勢いたなんて、驚きです。ご冗談でしょ、という印象を受けました。
 昨日の日曜日、福大で仏検(1級)を受けました。朝から「傾向と対策」を読んでフランス語の感覚を必死で取り戻す努力をしました。単語がポロポロと忘却の彼方に飛び去っているのです。試験は3時間かかります。1問目2問目と全滅していき、長文読解でなんとか得点して、最後の書き取り、聞き取りで少し点を稼ぎます。100点満点で30点そこそこという哀れな成績がつづいています。我ながら厭になりますが、それでもフランス旅行を夢見て続けています。
 休憩時間に庭へ出てみると、色とりどりのバラの花が見事に咲いていました。梅雨空の下で、フランス語にどっぷり遣った苦難の日でした。
 
(2009年4月刊。1800円+税)

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