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カテゴリー: 社会

日米秘密情報機関

カテゴリー:社会

 著者 平城 弘通 、 講談社 出版 
 
 自衛隊に秘密情報機関があった(ある)。陸幕第二部別班、通称「別班」を「ムサシ機関」といった。日本共産党が、追及・暴露したことのある組織で、国会でも追及された。
 1973年(昭和48年)に金大中拉致事件が起きたとき、KCIAとともに関わっているとみられた。
 著者は現在90歳で、1964年に「ムサシ機関」の機関長となった。その体験を告白している本です。同じテーマの本として、『自衛隊秘密情報機関。青銅の戦士と呼ばれて』(阿尾博政。講談社)がある。
 著者は、このような「日米秘密情報機関」が、その後、消滅したとは思えない。現在でも、この「影の軍隊」が日本のどこかに存在し、日々、情報の収集にあたっていると確信している、と書いています。これは、今もあるということを言いたいのですよね。
 藤原彰教授(故人。軍事史・現代史)と陸士で同級だったし、阿川弘之(作家)も同じ部隊にいたそうです。
中国大陸で戦車大隊に所属したあと、日本で少年戦車兵学校で教えるうちに終戦を迎えます。やがて、自衛隊の前身の警察予備隊に入り、出世していきます。
 1963年(昭和38年)、陸幕二部情報収集班に所属する。そして、1964年に「ムサシ機関」(正式名はMIST)の機関長となった。 MISTはアメリカ軍が必要性を痛感して出来たもの。その人材養成として、昭和29年9月から翌30年9月にかけて、アメリカ陸軍情報学校に陸幕第二部保全班の山本舜勝三佐を、昭和30年4月から8月にかけて陸幕二部在籍の清野不二雄三佐をアメリカに派遣した。MIST教育は第2段階で実施され、昭和31年からアメリカ軍の支援のもと、実質的な訓練が朝霞のキャンプ・ドレイクにあるMIST・FDD内で始められた。MIST教育は昭和35年に廃止されたが、成績優秀者を選抜して第二部付としてMISTに所属させた。秘密情報工作について、アメリカ軍側は、アドバイザーとしての立場における助言、日米チームによるAH活動、応分の資金援助をした。
「ムサシ機関」の実体は「二部別班」であり、情報員の訓練から情報収集機関に発展した。つまり、この「ムサシ機関」の発足の裏には、在日米軍の兵力削減による情報部内の弱体化を防ぎ、日米の連携強化を狙った、アメリカ軍の要請があった。それに自衛隊が便乗した。アメリカの情報機関は、警察と公安調査庁に別個のルートを持っていたので、ムサシ機関に対して国内情報収集の要望はなかったので、全部、国外情報をターゲットにした。
工作員は私服である。本来は自衛官であって、アメリカ軍と共同作業した。
昭和40年8月1日現在の定員25人に対して現在員は16人いた。
しかし、マスコミや国会で追及されても、そんなものはないと、シラを切っていた。
宮永幸久陸将補がソ連大使館に情報を売っていたことが発覚(1980年)。著者の動向をつかむために警察公安からスパイが送り込まれていた。
 スパイの世界も一筋縄ではいかないようですね。いったい、誰から何を守ろうというのか、いつのまにか鈍磨してしまうのでしょう。こんな機関が今もあって、私たちを日常的に監視しているなんて怖いですよね。
(2009年2月刊。1600円+税)
 松山に一泊してきました。動機の弁護士の中で古稀を迎えた人が出ています。もちろん、みな元気です。でも、夜は皆10時には寝てしまいました。そして、朝は6時に起きだします。
 朝から温泉に入り、英気を養いました。NHKの「坂の上の雲」が放映されていますが、司馬遼太郎の歴史観を手放しで礼賛はできないように思います。昔の日本人が良かったとは単純に言えないと思うからです。なにより、平和な今の日本っていいですよね。朝湯につかりながら思ったことでした。

西海の天主堂路

カテゴリー:社会

著者:井手道雄、出版社:星雲社
 長崎の有名な大浦天主堂をはじめとする北九州一円の天主堂が写真とともに紹介されています。聖マリア病院の院長としての仕事のかたわら自ら車を運転して写真を撮ってまわったというのですから、すごいものです。惜しいことに、著者は2004年7月に亡くなられました。
 ここでは、福岡の筑後平野のど真ん中に戦国時代以来の潜伏キリシタンがいたこと、そして、今も今村天主堂という壮麗なる天主堂があることを紹介します。
 戦国時代、16世紀後半から17世紀初めにかけて筑後地方には数多くのキリシタンがいた。教会堂が久留米に二つ、柳川に一つ、今村(大刀洗)に一つ、秋月に二つ、甘木に一つ建てられた。
 今村のキリシタンには大友宗麟の影響がある。1600年(慶長5年)ころ、筑後のキリシタンは7000人に達し、1605年には、久留米から秋月に至る地域のキリシタンは8000人をこえた。今日の筑後地方のカトリック信者は2900人ほどなので、当時は今よりはるかに多かった。
 キリシタン禁制以降も、大刀洗の今村は潜伏キリシタンとして残った。宗門改めはあったが、久留米藩は他藩に比べると緩やかなものだった。明治になって、早い時期に村をあげてカトリック教会に復帰した。
 今村の潜伏キリシタンは仏教徒を装いながら、祈りや教会暦を正しく継承して、純粋にキリシタン信仰を守った。
 洗礼。子どもが生まれると、できるだけ早く水方がバブチズモ(洗礼)を授けた。水方は茶碗に水を汲み、上等の紙を細かく折って茶碗の水に浸し、子どもの額と胸につけて洗礼の言葉を唱え、洗礼式には代父か代母を立てた。葬式のときも、仏式の葬式をして、ひそかに紙で十字架を折り、懐のなかに入れて埋葬した。今村では、宿老、水方、聞き方、帳方などの役職者のいる秘密の組織体制が確立していた。
 藩当局からすると、年貢のためには、重要な穀倉地帯の農民を殺すわけにもいかず、とくに目立ったことをしなければ、おとがめないと黙認していたのではないか。
 潜伏キリシタンが発見されたときの問答が面白いですよ。小斎には肉を食べないという習わしこそ教会の掟であった。お互いに必死で探りあったなかで確認しあった。
 ところが、今村の潜伏キリシタンが露見したとき、明治新政府は弾圧した。これを今村邪宗門一件という。今村の信者は三回も入牢させられたが、改心を申し出たので、釈放された。信者も改心届や血判状を出して出牢したら、すぐに信仰に戻るなど、あくまでしたたかだった。
 このとき、868人が潜伏キリシタンだったといいますから、すごいですね。
 明治14年に最初の今村天主堂が建てられた。このときの信者は1402人だった。
 明治の末に今村天主堂の信者は2070人となった。
 現在の今村天主堂は1913年(大正2年)に完成したもの。ロマネスク風の堂々たる建物です。残念ながら、私はまだ見ていません。
 この本は、2006年に出版されたものが絶版になっていましたので、ここに新装再版となったものです。私のフランス語仲間の弥栄子夫人より贈呈していただきました。お礼を申し上げます。ぜひ、一度読んでみて下さい。
(2009年8月刊。2000円+税)

東大は誰のために

カテゴリー:社会

 著者 川人 博、 出版 連合出版 
 
 川人(かわひと)ゼミが20年も続いているなんて、すごいことです。心からなる拍手を贈ります。川人弁護士は、一期だけ後輩にあたります。この本は贈呈していただきました。
 私自身は大学の4年間、神奈川県川崎市(古市場)でセツルメント活動に没頭していました。2年生のときに東大「紛争」が勃発しましたので、もっけの幸いとばかり、授業はほとんど受けていません。大学生として必要なことはセツルメントで地域の人たちから、そして先輩たちから、またセツラー同士のふれあいのなかで学んだと思います。ともかく、地域にある現実の重みに圧倒されました。いまの日本で毎日の食事をとれない人々がたくさんいますが、当時も同じでした。これだけ「飽食の日本」なのに「オニギリを食べたい」と叫びながら餓死した人が現にいるのです。私の学生時代も典型的貧困と現代的貧困の異同を真剣に議論していましたが、本質的にはまったく同じ現象が今日なお存在するのに改めて驚くしかありません。
 川人ゼミは正式には「法と社会と人権」ゼミといいます。東大生のなかの最良の部分を結集しています。川人ゼミの卒業生は既に数百人に及びますが、そのなかの41人が手記を寄せています。すごい影響力です。官僚もいますし、医師や弁護士もいます。子育て中の人、農業に専念する人までいるのですから、まさに多士済々です。
 川人ゼミの特徴は、社会との接点を大事にし、現地に出かけたうえで、文系・理系の枠をこえて議論することにある。将来の専門を問わない幅広い学びの場は、学生が自らの体験を議論を通して学問へと高める機会として、社会の辺縁でこの学び舎を巣立った若者たちの力を必要とするためにある。
川人ゼミで味わった驚き、悲しみ、喜びを思い続けていきたいと思ったし、感じ続ける感性を失いたくないと思った。これは、私が大学一年生のときにセツルメント活動に入ったときに痛感したことと、まったく同じです。
川人ゼミは驚きの連続だった。フィールドワークに参加して、自分のまわりの世界が一気に開けた気がして、爽快だった。知らなかった現実をこれでもかと突きつけられ、もっと目を開けて世の中を見ろと、目玉が飛び出るほど目をこじあけられるような思いだった。自分が本当に知っていることはごくわずかで、ほとんどのことは知っているつもりにすぎないのではないかという思い。怖れともいえる感覚を、はっきり自覚するようになった。
川人ゼミが与えてくれたもののなかで一番大事なものは、ゼミの仲間だった。私にとっては、セツラー仲間こそ、もっとも大切なものでした。残念なことに今では日常的な交流はありませんが・・・・。
 川人ゼミは自らの夢や志を見つめる場でもあった。フィリピンのスラム街でホームステイして、理不尽な状況に置かれながらも、日々懸命に生きる人々の存在を、忘れ得ぬ体験として学んだ。川人ゼミの活動の本質は現場体験であり、現状を肌身で感じてくることだった。
 私たちのセツルメント活動でも同じようなことを、お互いに言っていました。そして、それを文章にするのです。総括すると表現していました。
20年間も続いた川人ゼミです。必ずしもイメージの良くない東大生ですが、東大生も捨てたもんじゃないな。そう思わせる内容の本で、うれしくなりました。
 弁護士会活動のなかでも元セツラーが何人もがんばっています。やはり、現実に密着して、若いうちに体験しておくことって、本当に大切なんですよね。いい本でした。
(2010年9月刊。2200円+税)

だいじょうぶ3組

カテゴリー:社会

 著者 乙武 洋匡、  講談社 出版 
 
 あの乙武さんが小説を書いたのです。正直言って、まったく期待せず、いつものように軽く読み飛ばすつもりでした。270頁ほどの本なら、30分もあれば楽勝だと見込んでいたのです。実際、その程度で読んでいる本は多いのです。また、そうでもないと、年間500冊を読むのは無理なんです。どうして、そんなに無理してまで速く読むのかって・・・・。それは、次に読みたい、知りたいことの書いてある本が待っているからなのです。世の中って、不思議なことだらけじゃありませんか。私は、それを少しでも知りたいし、その本を手がかりにして、いろいろ考えてみたいのです。
 それはともかく、この本は、30分どころじゃありません。予想以上に手こずり、その3倍もかかってしまいました。なぜか・・・・。要するに、一言でいうと面白かったからです。すごく面白くて、じっくり味読したいと私の脳が要求したのです。すると、途端に頁をめくるスピードが落ちてしまいます。30分を過ぎたところで、この本の3分の1も読んでいないのに気がついて、思わず焦ってしまいました。
乙武さんの初めての小説とは思えないほどよく出来た情景描写、心理描写があり、ぐいぐいと教室内に引きずり込まれていったのでした。私も子どものころに戻り、小学生になった気分に浸ることができました。
乙武さんは、現実にも、小学校の教師として3年間つとめました。この本は、その体験をもとにしていますし、乙武さんそのものの赤尾先生が登場します。ちなみに、赤尾っていうと、豆単、英語の小さい単語集を思い出しますよね・・・・。
 -何かで一番になろうと思ったら、当然、努力が必要になってくる。でも、努力してがんばって、それでも一番になれなかったら、子どもは傷つく。自分は、ここまでの人間なんだって、天井が、自分の限界が見えてしまう。だったら、初めから一等賞なんて目ざさないと考える子がいても不思議じゃない。もちろん、そこに成長はない。でも、成長しないぶん、傷つくこともない。自分は本気を出していないだけなんだ。本気さえ出せば、いつかは何とかなる、そんな夢を見続けることができる。
 -そんなの、夢って言わねえよ。ただ逃げているだけじゃん。
 -一番になろうと努力することは大事なんじゃないかな。その努力が自分の能力を伸ばすだろうし、逆に、努力しても報われない経験を通して、挫折を知ることができる。
 挫折って、大事だと思う。傷つくのはしんどいけれど、人間は挫折をくり返すことで学んでいくんじゃないのかな。自分がどんな人間なのか。どんなことに向いていて、どんなことに向いていないのか、なんてことを・・・・。
いやあ、これって、本当に大切な指摘ですよね。でも、あまりに重たい指摘でもありますね・・・・。
赤尾先生には、手も足もないけれど、私たちには最高の先生だったよ。
 これは終業式の日、黒板に大きく書かれていたメッセージです。受け持った28人の子どもたちの一人ひとりに目を配りながら、みんな違って、みんないいという温かい目で見守り通してくれる教師の存在は偉大です。
とても心温まる、いい本でした。あなたもぜひお読みください。最近、ちょっと疲れてるな。そんな気分の人には最適ですよ。
 
(2010年9月刊。1400円+税)

自衛隊という密室

カテゴリー:社会

著者:三宅勝久、出版社:高文研
 日本の自衛隊は死者を出し続けている。死者数でもっとも深刻なのは自殺である。1994年から2008年までの15年間で、1162人もの隊員が自殺で命を落とした。一般公務員の自殺率の2倍にあたる。
 暴力事件で懲戒処分された隊員は2007年度の一年間で80人をこす。
 脱走や不正外出で処分された隊員は326人、病気で休職している隊員が500人。脱走・不正外出は脱柵(だっさく)という。2007年度の脱柵による処分は272人。ほとんど1日から1ヶ月内に見つかっているが、半年以上も行方が分からずに免職になった隊員も7人いる。
 自衛隊法施行規則57条第6項に、「部下の隊員を虐待してはならない」と定めてある。
 「死にたい奴は死ねばいい。なにがメンタルヘルスだ」
 一佐の年収は1000万円以上、退職金は4000万円。そして納入業者に役員待遇で再就職する。防衛省との契約高15社に在籍しているOBは2006年4月、475人。三菱電機に98人、三菱重工62人、日立製作所59人、川崎重工49人。
 2008年度の1年間で、防衛省と取引のある企業に再就職した制服幹部(一佐以上)は、80人。三菱電機が一番多い。
 三菱重工と防衛省との年間契約高は2700億円。三菱重工ほど、兵器でもうけてきた会社はいない。
 まさに死の商人なんですね。ちっとも、そこにメスが入らないのは不思議です。マスコミよ、しっかりして下さいな。
 日本の自衛隊のいじめ体質は、軍隊のもつ本質でしょうね。かつてのアメリカ映画『フルメタル・ジャケット』を思い出しました。新兵訓練のしごきで、殺人マシーンに仕上げられる様子がまざまざと描かれていました。それに耐えられない、まともな神経の新兵は銃口を口にくわえて、ひっそりと自死してしまうのです。
 それにしても、日本の軍需産業の実態、とりわけ防衛省幹部の天下りがまったく知らされていないのは由々しき問題です。ぜひぜひ、誰かバクロして下さい。そこにこそ壮大なムダづかいが隠されているはずです。
(2009年9月刊。1600円+税)

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