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カテゴリー: 社会

希望を持もって生きる

カテゴリー:社会

 著者 釧路市生活福祉事務所、 筒井書房 出版 
 
 驚きの本です。サブ・タイトルに「生活保護の常識を覆すチャレンジ」とあります。ええっどういうことなの・・・・?
 釧路市の人口は19万人弱。水産、石炭、そして紙パルプの町として栄えてきた。水産は水揚げ日本一を誇っていたのが、いまや最盛時130万トンのわずか1割10数万トンでしかない。石炭は最後まで残った太平洋炭鉱が閉山してしまった。紙パルプ産業も縮小し、失業と人口減に悩む町になった。
 生活保護世帯は5581世帯。保護率は46.1パミール。平成20年度の保護申請は
888件、保護開始が777件、廃止が485件。母子世帯が16.3%いて、これは全国平均8%の2倍。受給世帯の子どもの割は母子世帯の子ども。
 これまではよくある話です。ここからが違います。釧路市の生活福祉事務所はコペルニクス的転回を遂げるのです。
第一に、福祉事務所になじみのある「就労阻害要因」は何かという切り口から受給者の「自立」をとらえるのではなく、「社会資源・社会参加」という切り口から受給する母子世帯の問題を見る。
 第二に、「点検管理」という伝統的なアプローチではなく、「自尊意識の回復と醸減」という当事者のエンパワメントを意図してアプローチする。
 第三に、「就労一筋」に対して、「中間的就労」という造語表現をつかって、ステップをもうけることに意識付けをする。
 第四に子ども支援に取り組む。具体的には、母子受給世帯のなかの子どもたちに呼びかけて「高校行こう会」をスタートさせた。教える側の一員として保護受給中の人にも参加してもらう。
 このほか、病院ボランティア、公園管理ボランティア、廃材分別作業ボランティアなど、いろいろあります。
 受給者には、確かに認められ大切にされていると感じる経験、人に感謝され誰かの役に立っているとい感じる経験が必要だ。そのことから、人間に備わっている自己回復力のようなものが働き、ゆっくりでも着実に、行動するための活力が湧いてきて、自分から「社会に出てみるのも悪くない」「もう一度社会とのかかわりをもってみよう」と徐々に思えるようになっていく。
 参加を迷っている人に対しては、「ためしに参加してみてはどうですか。参加してみて、良かったらずっと参加していくし、合わなかったら、ほかも紹介できますし・・・・」と話す。すると、たいてい「ためしなら・・・・」と言って参加してくれる。「絶対」という言葉で萎縮して一歩踏み出せないよりは、心も軽く外に出てみることのほうが大切なのだ。
無償のボランティアが受け取る対価は「人の役に立っている」という意識と「ありがとう」という言葉だ。「ボランティアができるなら、すぐに働けるだろう」という声があがることもあるが、結果をあせらず、十分な助走が大切である。
 受給者のなかには、人と話す機会もすくなく、ひきこもりがちになっていた人も少なくない。人は決まった時間に出かける場所や仕事、楽しいイベントなどがあると、前もって準備し、身づくろいもする。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気乗りしないが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていく。働くということは、「生活のためにお金を稼ぐ」ことだけでなく、自分を生かし、あてにされ、しゃかいとのつながりを通して自分自身を確認することでもある。
 このように釧路市では、いわば市役所が地域に出て行っているのです。驚きましたね、この発想と行動力には・・・・。
 その中心にあるのは、受給者の自尊感情の回復。就職に必要な資格取得であれ、就労体験的なボランティア活動であれ、受給者の自尊感情の回復を抜きにしては前に進むことはできないのだ。
 まさしく、そのとおりですね。「毎日つらかったけれど、今は人間に戻った気がする」というボランティア体験者の声は本当にすばらしいです。
人を支える生活保護。これが地域に生きる福祉事務所の役割なんだ。なんと素晴らしい言葉でしょうか。
今は世迷言と言われそうなフレーズを口にしながら、そのような釧路をつくる道程にこそ私たちの希望が宿るという信念を貫いていきたい。
 これがこの本の結びの言葉です。心から大きな拍手を送ります。多くの人にこの本が読まれることを願います。岐阜で開かれた第30回全国クレサラ被害者交流集会の相談員分科会の会場で、釧路はまなす会の方の紹介で知って、すぐに買い求めた本です。本当に買って良かったと思いました。ご紹介、ありがとうございました。
(2009年10月刊。1600円+税)

日本人の階層意識

カテゴリー:社会

 著者 数土 直紀、 講談社選書メチエ 出版 
 
 2000年代になると、男女をふくめて四年制大学への進学率は40%に達し、2009年には50.2%になった。
 高校への進学率は、数十年も前に90%を超えていて、もはや高校への進学は特別なことではなく、まったく普通のことになっている。1985年にもっとも大学への進学率が高かったのは広島県(40.8%)、奈良県(40.5%)、兵庫県(39.6%)と続く。逆に、もっとも低かったのは、青森県(17.8%)、新潟県(19.0%)、岩手県(19.7%)となっている。
 1970年代には学歴には、それほど象徴的価値が見出されていなかった。時代が現代に近づくにつれ、学歴は象徴的価値をますます獲得し、現在は過去数十年間のなかで、もっとも学歴に象徴的な価値が付与されている時代である。
実証的な研究によると、日本人がアメリカ人と比較して、とくに集団主義的であるという証拠が見出されなかったばかりでなく、日本人のほうが個人主義であるとみなしうる研究成果も少なくなかった。つまり、なんとなく、アメリカ人は個人主義的であり、日本人は集団主義的であるというイメージを持っているが、実際には、必ずしもそうとは言いきれない。そして、国民の多くが自分のことを中だと思っていた「総中流」は、なにもとりわけ日本的な現象ではなかった。それは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンといった先進国にも共通してみられる現象だった・・・・。
 1970年代、1980年代の一億総中流は、人々によって所属階層を判断する基準がバラバラであったことによってもたらされていた現象なのである。
一億総中流と呼ばれた時代の日本人の階層意識が特徴的だったのは、「中」と感じている人々の間に共通する社会的、経済的地位を見出すことが難しく、そのために「中」について明確な階層的輪郭を描き出すことができなかった点にある。
 人は、時間の流れの中にのみ存在する歴史的存在であったように、ある場所の上にのみ存在する空間的存在なのである。だからこそ、人々の参照する情報が空間的に偏って存在しているために、人々の意識も空間的な偏りを持つことになる。
 かつての日本人があたりまえのように考えていた一億総中流論は、今では、はるか昔のことであり、現在は格差社会、富める者はますます富と権力を持ち、貧しき者は家を失い、餓死してしまう存在になっている。
このようなことを少し違った角度で考えさせてくれる本でした。
(2010年7月刊。1600円+税)
 金華山に登ってきました。稲葉山城ともいいます。そうです、岐阜に行ってきたのでした。ロープウェーで頂上近くまで一気に上って、そこから10分ほど石段と急勾配の坂道を登っていくと、コンクリートで再現された岐阜城に辿りつきます。お城からは360度のパノラマ展望です、秋晴れの快晴の日でしたから、遥か遠く名古屋のツインタワーまで眺めることができました。眼下の岐阜市内そしてゆったりと流れている長良川を見おろすと、信長の天下布武の気持ちもちょっぴり実感できます。ふもとの岐阜公園では信長居館の発掘作業がすすんでいました。当時の建物が再建されたら、ぜひ見たいものです。
 見事な紅葉あふれる公園内の喫茶店に腰掛けて、おでん、五平餅、そして甘酒を頂きました。甘いみそだれのおでん、米粒の残る五平餅、昔ながらの素朴な甘酒をいただきながら、秋の柔らかな日差しを浴び、幸せなひとときでした。ただ、左ひざの痛みを覗けば…。
 泊まった都ホテルは、長良川に面していて、部屋からは全山紅葉で映える金華山に屹立する岐阜城の雄姿を眺めることができました。

脱・「子どもの貧困」への処方箋

カテゴリー:社会

著者:浅井春夫、出版社:新日本出版社
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会で素晴らしい劇をみました。東京の若手弁護士たちが関わっていることは分かっていましたが、その迫真の演技に、まさか弁護士が演じているとは思えません。ところが、あとでパンフレットを見てみると、ほとんど弁護士が演じていたのです。すごい、すごいと一人で興奮してしまいました。
 といってもストーリーの内容は悲惨です。離婚した母親。職場や地域でいじめにあって、うつ病。住まいはゴミ屋敷と化します。二人の子どもたちは満足に食事をとらせてもらえなくて心身ともに発育不良。社会に出ても、なかなか落ち着けない。そんな苦労話のなかで、弁護士との接点が少しだけ明るい話として登場してきます。いやあ、本当に、世間の風は冷たいよね。思わず、涙ぐんでしまいました。この劇の骨子を提供しているのが、この本です。日本の悲惨な現実を改めて認識させられました。
 子どもの貧困は、現代日本の政策によって緩和されるどころか、つくり出され深刻化している。子どもを養育する大人が複数から一人親になることで、生活の貧困化が急激にすすむ現実がある。「子どもの貧困」は、個人・家族の責任だけに帰する問題ではなく、社会が生み出す問題として考えなければならない。
 今の日本の現実の一例。
○ 給食がないので、夏休み明けに10キロも痩せてくる中学生がいる。
○ ほとんど給食だけで暮らしている子どもがいる。
○ コンビニ弁当、カップラーメン、冷凍食品、お菓子など、まったく手づくりの食事をとったことのない子どもがいる。
○ カッパや傘がなく、雨が降ったら無断欠席する子どもがいる。
 うへーっ、これが金持ちニッポンで子どもたちの置かれている現実なのですね・・・。
 子どもを虐待する親の特徴。
 第一に、自己評価の低下サイクルに陥っている。 
 第二に、親は自らの行為を虐待であると思わないか、認めようとしない。
 第三に、社会的に孤立している。
 第四に、ストレス解消法を知らない。
 第五に、子育ての間違いに気がついておらず、「体罰」を「しつけ」と考えている。
 そうなんですか・・・。
 1990年から2008年までの18年間で、高校三年生の性交経験率は、5分の1から半数へ急増した。性被害・加害経験の多さも、「生徒の性」を考えるうえで避けて通れない。
 民主党政権の子育て支援政策は、現金給付に力点を置くという特徴がある。しかし、現金給付は、子どものために、そのお金が使われるという保障はない。親の生活費の補填に回る可能性は高い。
 いまの日本の現実に対して、政府は、「子どもの貧困」との戦争について「宣戦布告」する決意が問われている。
 子どもの貧困率14.2%を半分に削減する目標と、達成年度を明確にして提示すべきである。
 食生活の貧困は、食事内容の貧しさとなって現れる。それは子どもに必要な栄養価を満たすことなく、身体的な発達への影響や病気へとつながりやすい。
 食生活の貧困は、家庭だんらんを奪うことと同じである。子ども期には、食べたいものが食べられる権利の保障がなくては、安心・安全の生活とはいえない。
 すべての子どもがおなかを空かして悲しんでいることのない社会を今の日本で実現できないはずはない。すべての子どもたちが腹一杯に食べることができ、きちんと学校で勉強ができて、いじめにもあわない。そんな社会になったら、安全な社会を維持する経費が、今よりもずっとずっと安くなる。
 物事は、すべて視点を変えてみる必要がありますよね。日本の現実を知るうえで、いい本でした。ぜひ、あなたも、ご一読ください。
(2010年8月刊。1700円+税)

バカボンのパパよりバカなパパ

カテゴリー:社会

 著者 赤塚 りえ子、 徳間書店 出版 
 
 今ではほとんどマンガ本を読むことはない私ですが、大学生のころまでは週刊マンガをよく読んでいました。『おそ松くん』は愛読していましたし、シェーという奇声とパフォーマンスは私も何回もしたことがあります。そんなわけで赤塚不二夫は、とても身近な存在なのです。その愛娘である著者がマンガ家である父親をどう見ていたのか、ぜひ知りたいところなので、早速よんでみました。天才の娘であることは喜びなのか苦痛なのか。どうなんでしょう・・・・?
 この本を読むと、赤塚不二夫が天才的才能を持っていることを改めて確認できると同時に、単なる女好きの凡人ではないのかという気にもさせます。それにしても、娘はいいものですよね。父に可愛がられたあげく、イギリスに渡って自らの芸術的才能を花開かせることができたのです。そして、父母が離婚したあと、なんとか父親と再び折り合いをつけることが出来たのでした・・・・。
 「なんでマンガを描いたの?」
 「マンガはな、お金をかけないで、監督も俳優も美術も全部ひとりで出来るんだ」
 なーるほど、そうも言えるのですね・・・・。赤塚不二夫は、早くから分業システムを導入していた。仕事量が増えるにつれ、さらに合議制をフジオ・プロに取り入れていった。
 ギャグマンガは、毎回新しいネタを一から作らなければならない。赤塚不二夫は一人だけのアイデアでは限界があると早くから悟り、マンガのアイデアを練るために、アシスタントや担当編集者も交えて「アイデア会議」を開いた。それは、初めから雑談から入る。雑談のなかの何かちょっとした事柄からアイデアが飛び出して、どんどん広がっていく。このアイデア会議には3時間かける。絵を描き始めるのが昼からで、終わるのが夜中の3時。12、3頁の作品にかける時間は、アイデアを含めて15、6時間ほど。
 1970年代の前半には、アシスタントだけで、40人を数えた。うへーっ、す、すごい人数ですね・・・・。
 赤塚不二夫は、多いときには週刊・月刊あわせて12本の連載を抱えていた。容赦なく迫る締め切りに向かって、毎日違うマンガを描いていた。平日は週刊誌、週末は月刊誌をやっていた。1日4時間足らずの睡眠時間だった。
 しかし、赤塚不二夫は、どんなに忙しくても、呑みに出かけた。しかし、そこでもアイデアをつかんでいたのだ。
 ハチャメッチャな人生を送った赤塚不二夫ですが、何事にも真剣だったようです。そんな真面目さがなければ、あんなふざけたマンガなんて描けませんよね。
 私も赤塚不二夫には、お世話になりましたという感謝の気持ちで一杯です。
 
(2010年6月刊。1600円+税)

ふるさと子供グラフティ

カテゴリー:社会

 著者 原賀 隆一、 クリエイト・ノア 出版 
 
 これはこれは、とても懐かしい絵のオンパレードです。思わず見とれてしまいました。手にとってニンマリ。幼かったころの楽しい思い出の数々が脳裏によみがえってきます。著者は私より年下の団塊世代ですから、子ども時代は、お金がなくても豊かな自然があり、同じ年頃の友達がわんさかいて、群れをなして集団遊びに打ち興じていました。もちろん、ボス支配などもあり、いじめもあっていたのですが、なにしろ子どもの数は多いので、たくさんのグループがあり、テレビもゲーム機も何もないような時代ですから、みんなで遊びを作り出しながら楽しんでいました。そういう意味で、現代の子どもたちは不幸ですよね。お金があっても、楽しく遊べる仲間が身近にいないというのですから・・・・。
 著者は高校の同級生と結婚し、奥様がスタッフ兼、経理兼、妻だというのです。うらやましいような・・・・。
50年以上も前の子どもたちの遊びが楽しく図解されています。ああ、なるほど、こんな遊びをしていたよね。生まれ育った地域は少し違うのですが、同じような遊びをしていたことを知って喜びをともにしました。
 ここになかったのは「パチ」の遊び方です。近くの社宅に行くと、子どもたちが、メンコを山のように積み重ねて、ひらりと一番上の一枚を飛ばすと勝ちとなり、全部のメンコをもらえるのです。それこそ神技でした。どさっという音がしたのではダメなのです。まさしくひらりと軽やかな音をたてると一番上のメンコが一枚だけ音もなくすーっと空を飛んでいくのです。すごい、すごいと感嘆していました。
 ラムネん玉(ビー玉)遊びもよくしていました。きらきら輝くビー玉を手に持って遠く離れたビー玉にうまく当てるのです。私はこれは得意でした。
だるまさんがころんだ。六文字。三角ベース(野球)・・・・。いやあ、子どものころの遊びって、たくさんありましたね。なつかしさ一杯の楽しい絵本です。ぜひ、あなたも手にとって眺めてみてください。すっかり気分が若返ること、うけあいです。
(2009年11月刊。2000円+税)

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