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カテゴリー: 社会

日本の原発、どこで間違えたのか

カテゴリー:社会

著者   内橋  克人    、 出版   朝日新聞出版
 原発一極傾斜体制を推し進めてきた原動力の一つには、あくなき利益追求の経済構造が存在している。原発建設は、重電から造船、エレクトロニクス、鉄鋼、土木建設、セメント・・・・、ありとあらゆる産業にとって、大きなビジネスチャンスだった。
 1980年代後半、日本は国の内外ともに不況は深刻だった。電力9社の発電設備の余剰率(ピーク時電力に対する)は、31%をこえていた。つまり、設備の3分の1近くが既に余剰だった。既に償却ずみの、したがって安いコストで発電できる水力や火力の設備をスクラップしてまで原発建設は進んだ。「安全」を捨て、「危険」を選んだのは、選ばせたのは誰か・・・・。そうなんですよね。目先の利益に走った集団のため日本民族の危機が迫っているわけです。
 電気事業連合会は、その本部を経団連会館のなかに置く。その地から、「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信し続けた。そのとおりですね。日本経団連会長は福島原発事故が起きて日本中が放射能被害に心配している今でも、やっぱり原発は必要だなんて無責任な発言を続けています。許せません。ながく金もうけのことしか考えないと、そこまで人間が堕落してしまうのでしょうね。もちろん、お金もうけは大切ですけど、何事も生命と健康あってのことなんですよね。そこを忘れては困ります。少なくとも経済界トップとしての自覚がなさすぎですよ。
 本書は、実は今から30年も前に発刊されたものを復刊したものです。それだけに原発をつくるときに、原発の危険性を指摘していた人々がいたこと、それを電力会社や自民党がお金と権力をつかって圧殺してしまったことが生々しく再現されています。
 福島第一原発の地元である大熊町は、町税収入のなかの83%が原発関係の収入だった。まるで、原発丸がかえの町だったのですね・・・・。そして、原発は安全だと強調していた福島県は、実はひそかにヨード剤を27万錠も買って常備していた。ええーっ、そうなんですか。ところで、このヨード剤って今回の震災で活用されたのでしょうか?
 自民党は、日本に原発を100基設置する方針を打ち立て、強力に推進した。そうなんですよね。今、自民党は震災対策で民主党政権を非難していますが、元はといえば自分が強引に推進してきた原発政策が破綻したわけですから、国民に対してまずは自己批判すべきではないでしょうか。他人を批判する前にやるべきは自民党の自己批判ですよね。 
原発技術は、つまるところ溶接技術である。複雑にいりこんだ形状の原子炉格納容器、おびただしい数にのぼる曲がりくねった大小のパイプ、それらは完璧な溶接技術なしには成立しない。
日立製作所やIHIは「世界一」の確信をもっていた。それが、原発の稼動後まもなく、もろくも崩れ去った。まだ実証炉の域を出ていない原発の技術を、すでに実用段階と思い込み、安易に原発に対処したのだ。
その日本側の認識の甘さは大いに責められるべきです。そして、政府、自民党とともにマスコミの責任も重大ですよね。原発の「安全神話」はマスコミの協力なしには普及しなかったわけですから・・・・。
 読んでいると、背筋に寒さを覚える本でした。
 
 
(2011年5月刊。1500円+税)

まんが原発列島

カテゴリー:社会

著者   柴野 徹夫 ・向中野義雄  、大月書店  出版   
 福島第一原発の大惨事が起きて、22年前(1989年)に刊行されたマンガ本が復刊されました。
 22年前に指摘されていた原発の危険性が、今や現実のものとなったわけですが、原発について「絶対安全」だなんて大嘘ついて推進してきた東京電力をはじめとする電力会社のドス黒い体質も鋭く告発されていて、読みごたえのあるマンガ本です。
 新聞記者として、日本の原発の実態について潜入・徘徊・取材を重ねてきた著者は、電力会社から尾行され、脅迫されていたのでした。
 今から22年も前に、
① 現在の原発は未完成で、致命的な未来のない巨大な欠陥商品である。
② アメリカの世界支配戦略として押し付けられた原発によって、日本はさらに対米従属を深める。
③ 放射能廃棄物の処理は膨大で危険きわまりない。
④ 国と電力会社による専制的な地域支配・監視管理、秘密主義が進行している。
⑤ 原発の底辺労働者は日常的に奴隷のように被曝労働を強いられている。
などなど、目下、現在進行中の大惨事を予測していたのでした。
国と電力会社は日本の将来を奪いつつあると言って決して言い過ぎではありませんよね。東電の社長が6月に交代するようですが、年俸7200万円というのですから、莫大な退職金が予想されます。しかし、とんでもないことです。むしろ歴代の社長全員から退職金を吐き出させて、被災者支援にまわすべきではないでしょうか・・・・。
今、強く一読をおすすめしたいマンガ本です。
(2011年4月刊。1200円+税)

不破哲三・時代の証言

カテゴリー:社会

著者  不破 哲三    、中央公論新社 出版   
 日本共産党のトップが、あのヨミウリで自分の半生を語った新聞連載が本になりました。
 「意外な新聞社からの意外な話」だと著者も述べていますが、いかにも意外な組み合わせです。しかし、準備に半年かけ、1回の取材に3時間をかけて10回ものインタビューに応じたというのですから、共産党や国会の裏話をふくめて密度の濃い内容になっていて、とても読みごたえがあります。
30回の連載をもとに、さらに記述を膨らましてあるようですので、新聞を読んだ人にも、恐らく重複感は与えないと思います。日本の現代政治史を考える資料の一つとして大いに役立つ内容だと思いながら、私は一気に読了しました。
著者は、幼いころ、虚弱体質、腺病質だったとのこと。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、床の間に行ってこっそり泣くので、「床の間」というあだ名がついた。うへーっ、そ、そうなんですか・・・・。とても感情が豊かな子どもだったのでしょうね。私は小学校まで笑い上戸だといって、家族みんなから笑われていました。
そして、著者は本が好きで、小学校3年生のときから小説を書いていたというのです。どひゃあ、恐れ入りましたね。いかにも利発そうなメガネをかけた当時の顔写真が紹介されています。
 戦争中は、ひたすら盲目的な軍団少年だったとのこと。まあ、これは仕方のないことでしょうね。それでも、やはり早熟なんですよね。なんと、16歳、一高生のときに日本共産党に入党したというのです。そして、婚約したのも早く、19歳のときでした。いやはや、早い。
会費制の結婚式を駒場の同窓会館で挙げたとのこと。私も大学一年生のとき、そこで開かれたダンスパーティーに恐る恐る覗きに行って、尻込みして帰ってきました。踊れないので、輪の中に入る勇気がなかったのです。本当は女子大生の手を握って踊りたかったのですけど・・・・。
 著者が共産党の幹部になってから、ソ連や中国共産党からの干渉と戦った話は面白いし、さすがだと感嘆します。大国の党の言いなりにならなかったのですね。アメリカ政府の言いなりになっている自民党や民主党の幹部たちのだらしなさに改めて怒りを覚えました。
 著者は国会論戦でも花形選手として活躍したわけですが、対する首相たちも真剣に耳を傾け対応したようです。
質問していて一番面白かったのは田中角栄だ。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた。このように、意外にも角栄には高い評価が与えられています。大平正芳も真剣に対応したようです。
 この本で、私にとって興味深かったのは、宮本顕治へ引退勧告するのがいかに大変だったか、それが語られていることです。私の敬愛する先輩弁護士のなかでも、引け際を誤って、老醜をさらけ出してしまった人が何人もいます。本人はまだ十分やれると思っていても、周囲はそう見えていない、ということはよくあるものです。老害はどこの世界でも深刻なんだよなと、つい思ってしまったことでした。
 かつて共産党のプリンスと呼ばれたことのある著者も今や80歳。70歳のときにアルプス登山は卒業しました。そして、今、インターネットを通じて社会科学の古典を2万5千人の人に教えているそうです。すごいことですよね。
 先日、毎日新聞の解説員が絶賛していましたが、原発問題についての講話はきわめて明快で、本当に出色でした。目からウロコが落ちるとはこのことかと久しぶりに実感したことでした。小さな小冊子になっていますので、ぜひ手にとってご覧ください。老いてますます盛んな著者の今後ともの活躍を期待します。
(2011年3月刊。1500円+税)

日本語教室

カテゴリー:社会

著者    井上 ひさし 、 出版   新潮新書
私の深く敬愛してきた井上ひさしが日本語について語っています。その蘊蓄の深さには驚かされますし、改めて惜しい人を日本は喪ってしまったものです。残念でなりません。
外国語が上手になるためには、日本語をしっかり、これはたくさんの言葉を覚えるということではなく、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身についていなければならない。母語は道具ではない、精神そのものである。母語より大きい外国語は覚えられない。あくまで、母語を土台として、第二言語、第三言語を習得していく。
言葉というのは常に乱れている。言葉は完璧な多数決なので、どんな間違った言葉でも、大勢の人が使い出すと、それが正しい言葉になってしまう。
ズーズー弁は、東北と出雲と沖縄に残っている。
日本人は3種類の言葉を微妙に使い分けている。「きまり」はやまとことば、「規則」は漢語、「ルール」は英語。日本語は大変だ。やまとことばと漢語と外来語の3つを覚えなければならない。そして、日本人の生活の基本になっているのは、ほとんどやまとことばである。漢語が入ってくる前から、寝たり起きたり食べたりしているのだから、当然である。
「権利」という言葉のもともとの意味は、「力ずくで護る利益」ということ。仏典や中国の『荀子』という道徳書では、「権利」は「権力と利益」という意味で使われている。
日本人は、地上ユートピア主義である。日本人は自分の国が一番いいとは思っていない。たえず、いいところは他にあると思っている。しかし、完璧な国などありえない。必ずどこかで間違いを犯す。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で、必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来がある。過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれる。
日本の悪いところを指摘しながら、それを何とか乗り越えようとしている人たちがたくさんいる。そんな人が売国奴と言われる。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないだろうか・・・。
日本語の発言は非常にやさしく、会話はすぐ上手になれる。しかし、本格的に読んだり書いたりする段階になると、世界でももっとも難しい言葉の一つになる。
うふん、そんな難しい言葉を自由に操れる私って天才かな・・・、と思うのは単なる錯覚でしかありませんよね。日本語と日本人を考え直させてくれる、いい本でした。
(2011年3月刊。680円+税)

ニッポンの書評

カテゴリー:社会

著者   豊崎  由美  、 出版   光文社新書
私が書評を書き始めたのは2001年のことですから、もう10年以上になります。初めのころは毎日ではありませんでした。そのうち1年365日、書評をアップするようになりました。単行本を最高で年に700冊以上、このところ年に500冊ほどは読みますので、題材には不自由しません。面白くなかったら書評は書きませんし、著者の悪口を書くつもりはまったくありません。だいたい読んだ本の7割について書評を書いていることになります。
この本によると、書評ブロガーのなかには著者をけなすのを生き甲斐にしている人もいるようですが、私はそんなことはしたくありません。悪口なんて書くのは時間がもったいないとしか思えません。読んだ本で、感動を覚えた箇所や、なるほどそういうことだったのかと認識させられた部分などを紹介したくて、こうやって書評を書いています。私自身はパソコンの入力作業はまったくしません。すべて手書きです。秘書に入力してもらって、それに赤ペンを入れるのが私の楽しみなのです。
読んだ本のこれというところには、いつもポケットの中に入れている赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。書評を書くときには、赤い傍線の部分を抜き出しながら文章を整えてきます。ですから粗筋を追うのは二の次となります。
著者は三色ボールペン(主として赤と黒)を使い、付箋を貼っていくということです。まあ私とだいたい同じやり方です。
書評家の果たしうる役目は、これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者に分かりやすい言葉で紹介すること。
小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っぱるのが編集者(出版社)、書評家は後から大八車を押す役割を担っている。
書評にとって、まず優先されるべきは読者にとっての読書の快楽である。書評は、まずなにより取り上げた本の魅力を伝える文章であるべき。読者が、「この本を読んでみたい」と思わせる内容であってほしい。
書評と批評は異なるもの。書評は、対象となっている本を読む前に読まれるものであり、批評は読んだあとに読まれるもの。
書評においては、読者から本を読む愉しみをほんのわずかでも奪うことがあってはならない。プロの書く書評には、背景がある。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本の出版が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づける。それが書評と感想文の差だ。
書評をかくとき、一番気をつかうのは書き出しの部分だ。書評だって読みもの、文芸の一ジャンルだ。読んで面白くないものになってはならない。
この書評を一体どれだけの人が読んでくれているのか分かりませんが、私の力が及ぶ範囲で、これからも無理なく続けていくつもりです。どうぞ応援してやってください。
(2011年4月刊。740円+税)

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