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カテゴリー: 社会

原発とメディア

カテゴリー:社会

著者  上丸 洋一 、 出版  朝日新聞出版
メディアは、こぞって「安全神話」の形成にかかわりました。そして今なお、原発の危険性にメスを入れようとしません。だから安倍首相が「安全な原発」の再稼働を推進しようとしているのに、疑問を投げかけようとしません。あの「3.11」の教訓は、「安全な原発」なんてないことが証明されたということです。それを少なくない日本人が忘れているように思えるのが残念でなりません。
 朝鮮戦争のころ(1950年)、朝日、毎日、読売は、アメリカが原発を実戦に使用しようとしたとき、一言の意義も反対も唱えなかった。
 1956年、中曽根康弘は、「原子力をこわがるのはバカですよ」と高言した。
 1958年、岸信介は、「平和利用」の顔をした「兵器としての原子力」へ期待した。潜在的な核保有国としてのパワーを保持しておきたいという願望だった。核兵器保有への道を開いておきたいという思いも強かった。
 関西原子炉について、1959年11月の朝日新聞は社説で有益だとして、「むやみに危険を恐れる必要はあるまい」とし、建設容認論をぶった。
 1961年に東海村で原子炉が起工されたとき、朝日新聞は「注意して取り扱うかぎり、原子炉は少しも危険ではなくなっている」とした。
 1964年、朝日の連載記事は、原子炉について「放射線は怖いけれど、管理さえ十分にやれば絶対に安全ですよ」と断言した。
 1966年9月の朝日の社説は、「原発の危険性は、技術がここまで来た現在では、まず考えられない」とした。
 1972年、朝日新聞の内部でデスクと記者が言い争った。
 「政府の原子力政策を指示するのが朝日の編集方針だ」
 「社の編集方針に反する記事を書くのは、編集権の侵害にあたる。原子力を批判することは会社から編集権をまかされている私が許さない。編集権には、人事権もふくまれる」
 このようにデスクは記者を脅した。
 朝日新聞が、手放しの推進ではないにせよ、原子力しかない、原子力開発を前進させよ、と前から主張し続けてきたことは間違いない。
 1977年、朝日の記者だった大熊由紀子は連載をまとめた本のなかで、次のように語った。
 「原発に反対するのは、原発について無知だからだ。南極や海底などに、高レベル放射性廃棄物を安全に捨てる技術が開発されたら、子孫に迷惑をかけることはない。しかし、安全に捨てる技術はいまだに開発されていない」
 1979年、朝日新聞社から月給をもらっているかぎり、記者は基本的に原発には反対だという立場で記事を書いてはいけないということ。記者は、自分も反対という立場で報道記事を書いてはいけない。
メディアもまた「原子力村」の一員であったこと、いまでもそうであることを、内部告発のように明らかにしている本です
(2012年9月刊。2000円+税)

政治学入門

カテゴリー:社会

著者  渡辺 治 、 出版  新日本出版社
いまの日本の政治をどうみたらよいのか。的確な分析に目を開かせられます。
 鳩山由紀夫は、岡田克也や菅直人らと比べると、支配階級としての自覚が薄い。そのため、鳩山は構造改革政治を止めてほしいという国民の期待に応え、さしたる自覚もないままに保守政党の枠を踏み破り、民主党への熱狂を生んだ。ところが、これに焦った財界やアメリカが猛烈な圧力をかけてきた。
 鳩山は、他の政治家に比べて人一倍、事態に対する甘い見通しにもとづいて行動し、アメリカの「善意」にも甘い期待を寄せ続けた。
 鳩山が「無自覚に」保守の枠を踏み出したのは、選挙めあてにつくられたマニフェストの実現に向けてこだわったこと、運動の声にある程度は向きあう感性をもっていたから。
アメリカと財界の猛反発を受けて、鳩山政権は動揺し、ジグザグの道を歩みはじめた。人々は、当然のことながら鳩山の動揺に怒り、あるいは嘲笑した。しかし、のちの菅直人や野田義彦のすばやい新自由主義復帰、軍事同盟回帰より、鳩山の動揺・逡巡のほうが、はるかに「良質」だった。
 この点は、私もまったく同感です。いつだってアメリカと財界のいいなりの政権って、あまりにも情けないでしょう・・・。
菅直人は言葉の正確な意味で「権力主義者」である。これに対して、小沢一郎は権力主義者ではない。中曽根康弘も小泉純一郎も同じように権力主義者ではない。彼らには、支配階級の政治的代表として実現すべきかなり明確な政治目標があり、権力奪取と維持は、その手段とみなしている。
 これに対して菅直人は、権力の地位、つまり首相の獲得・維持が一貫した目標となり、政策やイデオロギーは、その手段でしかない。
 みんなの党の得票増をもたらしたものは、民主党支持者であった大都市の大企業中間管理職層、ホワイトカラー層を吸収したことによる。
自民と民主という保守に大政党の地盤沈下が始まっている。この二大政党あわせて7割というお風呂が揺らいでいる。しかし、その不信層は、まだ共産党や社民党のお風呂にはいけない。それを新党が吸収し、保守のお風呂をこわさないという役割を果たした。
現代の巨大メディアは、言論機関であると同時に、巨大企業体としての性格をもっていて、この二つが矛盾したときには、経営体の論理が優先することが多い。
 マスコミ幹部には、構造改革と軍事大国化を通じて、大企業本位の日本を構築しなければ日本の浮上はあり得ないという合意が保守支配層内で強固に形成されており、「常識」として根づいている。
 マスコミの記者たちは、昇進・昇格していくなかで、言論人である前に企業人となり、企業指導部の報道方針を忖度(そんたく)し、それに反しない報道を心がけるようになる。
 野田政権になったとき、民主党の変質は完了した。野田は、鳩山のように、国民の期待に応えたいという野望も、菅のように権力に固執し、そのために「国民世論」に乗っかることを辞さないという執念もない、この二人と比べた野田の特徴は、保守支配層とくに財界の意向にひたすら忠実という点にある。その点では、菅と同じように何らかの思想など持ちあわせていない。このような人を首相にしてしまった日本は不幸だったと言うしかありませんね。
 橋下徹は本能的に新自由主義の2つの手法を駆使している。一つは、ねたみの組織化による分断の政治。新自由主義は、その被害者を相互に対立させることで矛盾の爆発を抑えようとするが、橋本は、この点について「天才」である。もう一つは、国民投票型権威主義というべき手法。「参加による同意」の調達。選挙で勝って「自紙委任」を取りつけたとして新自由主義を強行するやり方。この二つの手法によって、橋本はいま全国政治に打って出ようとしている。
 許せませんね。ひどいものです。小泉のときと同じです。
一度目は悲劇として、二度目は茶番として・・・。これはマルクスの有名な言葉です。寸鉄、人を刺すという言葉を思い出しました。
 政治学入門となっていますが、本当に目を開かされるところの多い本として、一読をおすすめします。
(2013年2月刊。1500円+税)

死の淵を見た男

カテゴリー:社会

著者   角田 隆将、 出版  PHP
あの3.11のとき、福島第一原発の所長として死を覚悟した吉田昌郎氏のインタビューが本になりました。そのすさまじさに圧倒されます。吉田所長たちが死を覚悟したとき、日本は3分割される危機が間近に迫っていたのです。それを今の私たちは早くも忘却の彼方に押しやっている気がしてなりません。
日本は、あのとき、3つに分かれるぎりぎりの状態だった。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道そして西日本の三つである。
 このとき、東京は汚染によって住めなくなった地域に入っています。ということは、日本は中枢がなくなるというわけですから、北海道と四国・九州の2つしかないということですよね。中部・関西だって汚染地域に入っているんじゃないでしょうか・・・。いえ、これって単なる架空の絵空事ではありませんよ。もっと原発事故の恐ろしさを私たちは改めて再認識すべきです。
 そして、もう一つ。北朝鮮「脅威」論を右翼・保守があおりたてています。しかし、彼らは決して、原発がテロのターゲットになったらどうなるかということは言いませんよね。
 日本だけは「テロの対象」になりえない。あるいは、日本では原発がミサイル攻撃を受けるはずがないという、幼児的とも言える楽観的志向にみちみちている。しかし、それは原子力行政にある指導者(為政者)として、あるいは実際の原子力事業にあたるトップとして「失格」である。
 ホント、そうですよね。「電力不足」どころの話しではありませんよ。
 吉田前所長は、3.11のあとがんを患い、また脳内出血をして病気入院中(のようです)。やはり3.11からの尋常ならざるストレスが身体をボロボロにしてしまったのでしょうね。
 日本列島の3分割を救った人として(東電幹部として原発推進した責任はあるにしても・・・)、顕彰の対象になる人物だと私は考えています。
 3.11のあと免震重要棟には600人もの人が残っていた。技術系以外の人を対比させたあとも60人ほどが残った。東電本社が「全員退避」の方針をうち出した(東電は否定)のを知って、菅首相(当時)は烈火のごとく怒った。
菅首相は日本がダメになるという危機感を抱いていたのでしょうね。ヘリコプターで福島第一原発に乗り込んで、怒鳴りまくったようです。焦りは分かりますが、一生けん命に身を挺して働けている人たちに怒鳴ってもしょうがありませんよね。菅首相(当時)の人間としての幅の狭さを如実にあらわしているエピソードです。
 決して忘れてはいけない原発の怖さを後から追体験した気分でした。
(2012年12月刊。1700円+税)

建設業者

カテゴリー:社会

著者  建設知識編集部 、 出版  エクスナレッジ
建設現場の実際について、大変勉強になる本でした。知らなかったことがたくさんあり、大いに目を開かされました。
 鉄骨鳶(トビ)は、一日の仕事を終えて現場から帰るときは、自分の足跡を一つ残らずホウキで掃いて消してから帰る。そこまでやらないと、本当にいい仕事をしたとは言えない。そこまで思いやれるようになって初めて、その人間は現場から信頼される職人になる。
たとえば、20年やっている職人と5年しかやっていない職人が一緒に仕事をするときは、必ず20年目の職人が5年目の職人のレベルに合わせてやる。そうすると、下の職人も自然に下の職人に思いやりを持つようになる。常日頃から、こういうコミュニケーションが大切。
現場の職人が互いに思いやりを持って仕事ができなくなったら、とたんに転落や打撲やら、事故が絶えなくなる。 思いやりをもったコミュニケーションこそが最高の安全対策になる。
 クレーンオペレーターは相手の言うとおりにしていたら事故につながるかもしれないと思えば、たとえケンカになってでも、その頼みは断る。そういう意味での決断力を常に意識しておかないといけない仕事だ。
職人の腕の良し悪しは、すべて段取りに出る。段取りの悪さは致命的だ。子どもに見せられる仕事はいいものだ。
2階以上の深さのある地下なら、たいていどこか下から地下水が染み出してくるもの。コンクリートを打ち継いだ目地やコールドジョイント(接着不良)の部分からジワーっと・・・。
 そこで、防水工の仕事は、まず水が染みている部分のコンクリートをはつって(削り取って)、その出所を突きとめる。次に水に反応して膨張する発泡ウレタンをその出所に注入する。あとは、その上に止水セメントを盛って塗布防水剤を塗れば完了である。
 優秀な職人というのは必ず2つの共通点をもっている。一つは段取りがいいこと。親方から言われたとおりにやる人はダメ。臨機応変、その場に応じた発想ができる人でないと現場はまかせられない。もう一つは、下地をきっちり作れること。うまい人は、仕事に対する欲がある。もっとよくしたい、もっと仕事について知りたいという探求心がある。
 現場には、自然にできあがった職人のランクみたいなものがある。大工がいて、左官がいて、それから鉄筋工、型枠工がいて、設備はずっと下。下の方から数えた方が早い。
 屋根まわりの板金なら、基本的には水が流れたいように流れさせてやることが大切。屋根でも庇でも、水が自然に流れない設計は、いつか必ず漏水を起こす。
 ウレタンを壁に均一に吹きつけるには、その日の気温、現場の階数(高さ)、延ばしたホースの長さ、吹きつけるスピードなど、ありとあらゆる要素をふまえて発泡期の状態を調整しないとできないこと。ウレタンって、非常にデリケートな材料なのである。
 階上解体。建物の上の階から解体機で解体しながら一階ずつ地上まで降りてくる工法のこと。鉄筋がしっかり入っていない建物は、解体機を床の上に安心して載せられない。いわゆる手抜き工事が発覚すると、この仕事は難しくなりそうだと覚悟する。頑丈つくってあれば、私たちも安心して壊すことができる。
 やはり、職人芸には学ぶところがたくさんありますね。
(2013年1月刊。1400円+税)

会えて、よかった

カテゴリー:社会

著者  黒田 清 、 出版  三五館
奈良で活躍していた、私と同じ団塊の世代の高野嘉雄弁護士(故人)が、依頼者となった少年たちに読むようにすすめていた本です。私も読んでみました。
 25人の生いたちが語られ、紹介されていますが、いずれも心を打つ話でした。
 著者も亡くなられましたが、はしがきの言葉も素晴らしい。
書きながら、深い感動に包まれて涙があふれてくるときもあった。書き手がそうなのだから、おそらく読まれるあなたも、どこかで耐えきれなくなり、涙でほほを濡らされるに違いない。だから、この本はできることなら電車のなかなどで読まず、一人いるところで心静かに読んでほしい。人間はどんなにすばらしいものなのか。人間は、どんなに悲しいものなのか。私たちは、そのことを繰り返し感じるべきなのである。
 今の世の中には、いわゆるシラケ状況が満ちていて、感動したり、涙を流したりするのは恥ずかしいことのように思われがちだが、もちろん、そんなに思うことのほうが浅薄なのである。
 ここには、いろんな人がいて、それぞれに人生のうたをうたっている。それは勇気のうたであり、母のうたである。平和のうたであり、生命のうたであり、別れのうたである。
 心から感動せずして、涙を流さずして、すばらしいこの世を生きたというなかれ。感動と涙で心を洗われたあなたは、そのあと一生をそれまでと違った価値観で生きていけるようになるだろう。
 すべて実話というのがいいですね。単なる想像上の話ではなく、現実に生きている人の話だと思うと、よけいに勇気、生きる元気が湧いてきます。
 いい本をありがとうございました。素直に頭が下がります。
(2005年8月刊。1165円+税)

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