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カテゴリー: 社会

独立の思考

カテゴリー:社会

著者  カレル・ヴァン・ウォルフレン、孫崎 享 、 出版  角川学芸出版
ウォルフレン氏はオランダ生まれで、日本語ペラペラの人ですが、この本では英語で会話しているようです。
 ウォルフレン氏は、今の日本の自衛隊を憲法にきちんと位置づけるべきだという改憲派です。こんな条文にしたらいいというのです。
「日本は主権国家として、他国と同様に交戦権を有する。しかし、過去の歴史の反省に立ち、自らの領土が脅かされた場合を除き、武力に訴える行為はとらない」
 ええっ、これは従来の自民党政府の見解とほとんど同じですね。だったら、今さら明文改憲する必要はないように思いますが・・・。
 孫崎氏は、次のように反論しています。現在の改憲論は、現状よりさらに自衛隊をアメリカに追従させるためにおきているもの。安倍政権下での改憲は、さらに日本が対米追随を強めるだけ。
 これについては、ウォルレンも同感だといいます。
「安倍首相の主導での憲法改正は私も納得できない」
しかし、とウォルレンは反論します。「これまでの日本の左翼の責任は大きい。左翼は、悲惨な戦争の歴史をくり返すなと言ってきただけ。本当に平和を求めているのなら、自ら改憲を言い出すべき。左翼は、実は日本人を信頼していない」ええーっ、どういうことなんだろう・・・。
 「憲法には指一本でも触れてはダメというのは、日本を成熟した大人とみなしていないからだ」
でも、現実には、左翼が多数派になったことがないわけですから、ちょっと、どうなのかな・・・、と思いました。
 それは、ともかくとして、この二人の対談はとても興味深い内容でした。
日本人が思っているほど、アメリカは日本のことなど考えてはいない。
 アメリカの国務省で対日政策を仕切っているのは、ヒラリー・クリントンに任命されたペンタゴン(国防省)出身者だ。日米関係をふり返って、これほどペンタゴン出身者が重用されたことはない。アメリカは、日本を「主権国家」とすらみていない。
 アメリカを動かしているのは軍産複合体。戦争によってもっとも利益を享受している。莫大な資金力をバックにアメリカ政界で強い影響力をもち、オバマまで、すっかり取り組んでいる。軍産複合体に抵抗すらできないオバマは、実に弱々しい大統領でしかない。
 もはや、アメリカ政治には「中道」は存在しない。アメリカは、いま、軍産複合体、ネオコン、そしてウォール街という三つの正力に牛耳られている。
 アメリカは、日本と中国が接近しないように、尖閣問題の表面化を望んでいた。尖閣問題で、アメリカには日中間を悪化させようとする動機があった。中国から日本を守るために沖縄に基地が必要だという論理を押し通したいのだ。尖閣問題で日中間が悪化したことで、日本の安保政策は間違いなくアメリカの望む方向へと走り出している。
 アメリカの軍産複合体にすれば、日中間で衝突があれば、日本に武器や兵器を売り込めると考えている。いや、衝突の起きる前に売り込む。実際に衝突が起きるかどうかなど、まったく頭にない。
 TPPの問題もアメリカが仕組んだ罠だ。TPPのISD条項によって、日本は主権を失ったも同然だ。このように厳しく批判されています。まったく同感です。いくらか意見の異なる部分もありますが、胸のすく思いのする切れ味のよい対談集です。勉強になりました。
(2013年5月刊。1400円+税)

教育統制と競争教育で子どものしあわせは守れるのか?

カテゴリー:社会

著者  日弁連 、 出版  明石書店
昨年10月、佐賀で開かれた教育シンポジウムが本になりました。大阪からは子どもたちのつまづき、そして非行の原因を明らかに驚きの事実が語られます。そして、北海道・稚内では、教組と教育委員会そして父兄・地域が一丸となって子育て運動をすすめているという元気の出る話が語られ、聞いているうちに、うれしくなりました。でも、地域の現実は深刻です。地域経済が疲弊しきっているからです。私も稚内の商店街のシャッター通りを見学してきました。東京の養護学校の先生は、性教育に取り組んだ真面目な実践を一部の都議と都教育委が押しつぶしてきたのに闘った現場の状況をレポートしました。
 卒業式で在校生との対面式を許さず、壇上には日の丸を掲げ、「君が代」を歌わせる。口パクでも許されない。いったいどうなってんだろう、この国は・・・。こんなこと、まともな大人のやることじゃないよな・・・。本当にそう思います。でも、したがわないと処分されるという現実があります。
 子ども第一というより、おカミによる統制第一という教育現場は、一刻も早く変えなければいけません。学校では子ども本位、そして、そのためには教師が伸びのび自由に教材研究がやれるような環境を保障すべきです。
 昨年1月の最高裁判決は、「不起立は教職員の世界観や歴史観にもとづくことから、『減給』以上の処分は謙抑的であるべきだ」として、懲戒処分(一部)を取り消しました。当然です。そして、弁護士出身の宮川光治裁判官は、「教員における精神の自由はとりわけて尊重されなければならない」と述べました。本当に、そのとおりです。
大阪の橋下市長の教育関係の条約もひどいものです。子どもたち同士、そして学校同士で過度の競争をあおりたてようとしています。教員統制も問答無用式に強めているため、今では大阪市の教員志望が激減しているとのことです。教員をいじめて、学校が良くなるわけはありません。そして、子どもたちが伸びのび育つはずもありません。道徳教育を上から一方的に押しつけて、効果のですはずもないのです。
 北海道でも、教育委員会が組合活動についての聞き取り調査を実施し、それに答えなかった6500人に対して文書によって「注意・指導」をしたいと思います。
 世取山洋介・新潟大学准教授は新自由主義教育の問題点をアメリカとの対比で分かりやすく解説してくれました。親の経済的格差が子どもの学力に影響している。学力と相関関係にあるのは、親の学力だけということは確認ずみ。
 親の資力は、子どもの力では変えようがないので、早くから学力競争をすると、自分の力ではどうにもならないことでマイナスの烙印を子どもたちは押され続けることになって、無力感と絶望感が蓄積していくことになる。
 競争主義のプレッシャーの下で子どもたちがとる行動は四つある。プレッシャーを他人シャーを感じる、そしてプレッシャーを感じる自分を壊す。
 他人への転嫁は「いじめ」に、相手方の破壊は「校内暴力」に、逃避は「不登校・登校拒否」に、そして、自己破壊は「自殺」としてあらわれる。
アメリカのおける教育改革、「おちこぼれゼロ法」は華々しくスタートしたが、結局のところ、失敗した。「成績向上」のために全米で不正が横行してしまった。そして、肝心の学力は低下していった。
小学生で九九ができず、掛け算ができない。また、漢字が読めない。これでは、中学生になって問題が解けるはずもない。すると、もう競争なんてできない。子どもたちのずさんだ世界の源泉がここにある。
人間は永遠の学力感の中で生き続けることはできない。やがて、彼らは破壊を求め出す。これは、エーリヒ・フロムの『悪について』という本に書いてある文章。こが日本の中学生に起きている。
 この大阪の小河勝氏の指摘は実に驚きでした。
200頁のハンディな、読みやすい本になっています。ぜひ、あなたも手にとってお読み下さい。
(2013年7月刊。1800円+税)

植田正治の写真と生活

カテゴリー:社会

著者  増谷 和子 、 出版  平凡社
戦前から写真家として有名だった父親の姿を愛娘カコちゃんが親しみを込めて紹介しています。ほのぼのとした情景が目に浮かんできて、読んでいるうちに、じわりと心が和みます。どこかしら憎めない雰囲気の、ほのぼのとした写真が、また実にいいのですね。本当に写真が好きで好きで、たまらない、そんな気分がよく伝わってきます。
 鳥取県は西の端、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるで有名ですが、同じ境港に生まれ育った写真家です。
祖父の家は履物屋、年末になると、お正月におろす新しい下駄を買いに客が押し寄せ、朝6時から店の前に行列をつくる。
 12月29日は、お正月の準備は何もしてはいけない日である。
 写真館は、正月は忙しい。家族写真をとろうという人が詰めかける。
 いまの境港はひっそりしているが、戦前までは大いに栄えていた。美保関とあわせて、北前(きたまえ)船の寄港地であり、朝鮮半島を窓口にした大陸貿易の拠点でもあった。だから、新しいものや珍しいものがどんどん集まった。
 父・植田正治は新しいもの好きだった。境港で初物を買って、自慢にしていた。祖父は父が東京の美術学校へ行くのを阻止した。代わりに舶来カメラを買ってやる。それでも、東京の写真学校に入学した。1932年のこと。5.15のあった年ですね。
 そして、19歳で境港に「植田写真場」の看板を揚げて開業したのです。とびきりハイカラな西洋風の写真館でした。日曜日になると、3軒先まで写真を撮ってもらおうという人々の行列ができた。予科練があり、訓練生(水兵)たちがよく来ていた。
徴兵検査で2度も不合格となって命びろいをしました。背が高くて貧弱な身体をしていたためです。不幸が幸いするのですね。終戦になって、ますます元気に写真をとりはじめました。
鳥取・大山(だいせん)の麓に植田正治写真美術館があるそうです。個人名のついた写真美術館は日本初だったそうです。ぜひ行きたいと思いました。なつかしい日本の風景を撮った写真が堪能できそうです。
(2013年3月刊。1800円+税)

改憲と国防

カテゴリー:社会

著者  柳澤協二・半田滋ほか、 出版  旬報社
日本の防衛政策について語るときに必ず登場するアメリカ人として、アーミテージがいます。この本では、次のように指摘されています。
 マーミテージ元アメリカ国務副長官はもう過去の人物だ。そうかもしれませんが、それにしては日本の大手マスコミは依然としてもてはやしていますよね・・・。
 2006年12月の自衛隊法改正によって、海外活動が国防に準じる本来任務に格上げされた。
海外派遣の司令部である「中央即応集団」が2007年3月に誕生した。国際活動教育隊はその支配下にある。
自衛隊の海外活動は国際緊急援助隊を含めると28回、のべ4万人の隊員を派遣した。
 現在、自衛隊の海外活動は、アフリカ大陸の二つの活動のみ。南スーダンに陸上自衛隊、ジブチに拠点を設けて海上自衛隊はソマリア沖の海賊対処に取り組んでいる。
 日米同盟をベースにした自衛隊の任務の拡大は先が見えなくなっている。何のために自衛隊を出すのか、非常に混迷した状況にある。
 アメリカの海兵隊が沖縄に駐留することの利点は、思いやり予算による安上がりの経費にある。海兵隊は機動性にすぐれた即応部隊であり、いざとなればアメリカ本国から世界のどこへでも展開する体制になっている。
 海兵隊は、沖縄にいて日本を守るための存在ではなく、アメリカのアジア戦略にもとづく活動を沖縄から展開している。
 日本がアメリカにいつまでも頼っていていいのか、疑問を深めることができる本です。
(2013年7月刊。1400円+税)

国防軍とは何か

カテゴリー:社会

著者  石破茂、森本敏、西修  、 出版 幻冬舎ルネッサンス
北東アジアは、今日、深刻な核の脅威にさらされている。朝鮮半島問題は、中国問題である。もっとも深刻なリスクは、中国の軍事力を背景とする勢力拡大や北朝鮮の核・ミサイル開発である。
日本の同盟協力・領域防衛・邦人保護などの面で、防衛力の活動が限界に直面している。
日本の自衛隊は、国際社会では軍隊として扱われていながらも、国内では軍隊ではないという状況が60年以上も続いている。これを速やかに脱却して、国家防衛のための軍隊である国防軍を保有し、軍隊としての態様を整え、軍隊としての権限を与えるべきだ。
これが著者たちの主張です。私には、危機をあおって、ともかくフツーに海外に出かけて人殺しのできる軍隊にしようという呼びかけだとしか思えませんでした。なぜ、そんな人殺しを本務とする軍隊にしなくてはいけないのか、説得的とは思えないのです。
原子力発電所(原発)がテロリストに狙われたらどうするか、という指摘もなされています。私も、その点は真剣に心配すべきことだと思います。ところが、その対策は具体的に何も示されません。テロリストが、9.11のようにジャンボ・ジェット機を乗っとって原発に突っ込んだら、日本列島はアウトです。これは原発が休止中であっても、その危険性には変わらないのに、まともな核シェルターがないということだけが取りあげられ、問題の本質をそらしています。
石破議員(自民)は、橋下徹・大阪市長(維新の会代表)の従軍慰安婦に関する発言を厳しく批判しています。
「このとんでもない発言は、政治的にはリカバリー不可能だ」
「あの発言で、日米同盟のために尽力している人が、どれだけ大変な目にあったか。国家にとって、本当に大きなマイナスを与えた」
「政治家として発言する以上、周辺諸国やその国民がどう受けとめるかについて、外交上政治上の配慮があって然るべきだろう」
「日本だけがフェアに扱われていないという橋下の弁明は、いくら繰り返したところで、日本が過去にやったことを正当化できるものではないし、免罪もできない」
「橋下発言があってから、アメリカには、この時期に日本が憲法改正をやることは、東アジアの緊張をさらに高めることになるから反対だという考えの人が増えている」
いまの自衛隊が、本当に軍隊として機能するのかと問われたら、ノーと言うほかはない。今の自衛隊は、実は、大きな警察なのである。国際的な標準からみると、自衛隊は軍隊ではない。「自衛隊」という日本語には、自分たちの国を守るだけで他国を攻撃する組織ではないという意味をもたせてきた。自衛隊は、その出自からして、見た目は軍隊、中味は警察だった。自衛隊は、軍事力をもつ実力組織と言いながら、実際には主として、国内の治安と安定を維持するための組織として育てられてきた。
国民のほうも、自衛隊に対して、災害救助などの役割を強く求めているのが実際だ。災害派遣や国外での災害救援・国際平和維持活動に盛んに従事し、その実績を見て自衛隊を判断し、また、そういう面に国民は期待している。
自衛隊は、できる法で定められていること以外ではできない。現在の自衛隊は、自衛隊法などで、がんじがらめの状態になっていて、これで本当に戦闘力を発揮できるのか。
自衛隊の装備と能力はどんどん向上して、どこからみても「軍隊ではない」とは言えない。自衛隊はイラクのサマーワに行っていたとき、その基地をイギリス軍とオーストラリア軍に守ってもらっていた。
国防軍をつくるというのは、単なる名称の変更ではない。自衛隊が、軍隊になりきっていない、それがいま、現実の前で行き詰まっている。
果たして、本当にそう言えるのでしょうか・・・。
戦後、戦死者ゼロを自衛隊は強調しているが、集団的自衛権を行使することによって、他国の軍隊と同じリスクに直面することになる。真の軍隊というのは、そういうものだ。覚悟しなければならない。
今の自衛隊には、いわゆる軍法も、軍事法廷も、軍事裁判もなく、捕虜収容所もない。これでは真の意味での軍事活動はできない。
自衛隊が「国防軍」に変わるというのは、単なる名称変更ではないということがそれなりに分かる本です。批判的に熟読すべき本です。ご一読ください。
(2013年6月刊。857円+税)

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