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カテゴリー: 社会

赤い追跡者

カテゴリー:社会

著者  今井 彰 、 出版  新潮社
うまいです。おもわず、本の世界にぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 エイズ患者の売血がアメリカから輸入された血液製剤に混入していた。それを知りながら原生省は見逃し、学者たちも見逃しに加担する。それを全日本テレビ取材班が駆け付けるのです。
 強奪、脅迫、色仕掛け・・・。取材のためなら手段を選ばないディレクターは、死んでいった罪のないエイズ患者の無念を晴らすため、厚生官僚、医学部教授、製薬会社がひた隠す秘密を暴いていく。
 ええーっ、これって、いま問題の特定秘密保護法案が成立したら、全部、違法行為として処罰の対象になるものではありませんか・・・。取材の自由とか報道の自由なんて、あくまでもイチジクの葉っぱで、何の役にも立ちません。警察が動いてしまったら、もう報道されず、記事にもならないでしょう。あとで、真実が明らかになっても、もっとも真実が明らかになる保障もありませんが、遅いのです。
 この本は、1994年にNKHスペシャルで放映された「埋もれたエイズ報告」が出来あがるまでを小説として再現したものです。どこまで事実に忠実なのかは分かりませんが、アメリカ発の汚染された血液製剤が日本に輸入され、血友病患者に患者を続出させた事実は重いと思います。
 それを官僚と御用学者そして製薬会社が共謀して知らぬ顔をきめこんでいたのですから、悪質です。それにしても、よくぞ取材班は真相を究明できたものです。ところどころに、良心のある人、罪の呵責に悩む人がいて助けられたこともあるようです。みんながみんな、自分のことしか考えているわけではないのですね。
 ちなみに、菅元首相が厚生大臣のとき、隠されたエイズ関連資料を厚生省から探し出したと発表して、一躍、時の人として脚光を浴び、さらに、裁判所の和解勧告を受け入れました。この人気をもとに、一気に菅は大臣から首相への道を手にしたのでした。あからさまなパフォーマンスでしたが、それでも和解を成立させたことは評価すべきなのでしょうね。
 どうやってマル秘資料を発掘していったのかが、この本の読みどころです。それこそ、脅迫、強奪、色仕掛けの数々が紹介されています。これでは、特定秘密保護法案の許す「相当な方法」とはとても言えません。きっと厳重処罰の対象になることでしょう。
 エイズ問題は、すっかり小さな話題になってしまいました。不治の病といわれていたのが、特効薬によって治る病気になったのも大きいですよね。
 NHKの番組として放映されるかどうかも、ドラマになっています。放映禁止の仮処分が申請され、NHK内部にも難局を回避して、放映の先送り論が出てきたのです。
 「きみは日本人を知らないね。日本人ほど、パニックになりやすい人種はいないんだ」
 「日本人は気質的に、パニック民族なのだよ。ことに自分たちが被害を受けるとなると、もう冷静さはなくなる。そうした国民を導いてやるのが、官僚や政治家の役目なのだよ」
 官僚と政治家は、私たち日本人をこのように見ているというわけです。まさしく、上から目線の、国民を馬鹿にした言い草です。とんでもありません。今、いちばん馬鹿げたことを言うのは国会議員に多いように思います。
 婚外子の相続分差別を意見とした最高裁判決について、これでは家族制度が守れないから無視しろという声が自民党内部に強いということです。おかしな話です。そんな低いレベルの人たちに日本の政治を任せておくわけにはいきませんよね。
著者は元NHKのプロデューサーです。前に『ガラスの巨人』(幻冬舎)という傑作を書いています
(2013年6月刊。1700円+税)

ペンギンが空を飛んだ日

カテゴリー:社会

著者  椎橋 章夫 、 出版  交通新聞社新書
生き物のペンギンの話ではありません。電車・バス・地下鉄・モノレール、どこでも使えるようになった便利なIC乗車券が誕生するまでの苦労話です。
私にとっては、今でも不思議でなりません。なぜ、接触させることもなく、機械に近づける(かざす)だけで瞬時に見分けることができるのか、そして、いろんな路線を利用しても、きちんと清算できるのか。ナゾだらけのカードです。この本を読んで、読みとりには短波を使っていることが分かりました。
自動改札機の読みとり装置が電波を出し、ICカードが反射して通信するパッシブ方式。でも、ICカードが反応するには、何らかの電源が必要なのではないでしょうか・・・。
 そこで、電力を内蔵せず、通信ごとに電波で電力を供給する方式にする。すなわち、非接触式で、バッテリーレス。
 カードを読みとり機に少しでも「かざす」時間を長くするために考えられたのが「タッチ・アンド・ゴー」。つまり、カードを触れさせることによってカードの軌跡はV字を描く。直線的な動きより、本の少しだけ時間がのびる。このわずかな傾斜によって、歩行速度が減速して改札機を通過する。これはこれは、偉大なる発明ですよね・・・。
 技術的に解決するのが困難な課題を、「運用」で解決した。
電池を内蔵しないICカードは電波を使った電磁誘導で電力を供給するために、その電力は不安定になる。そのため、データの書き込み途中でチップが止まって書き込みができなくなったり、データ破壊が起こりやすくなる。
スイカ・カードにID機能は不要だという意見もあった。しかし、ID機能をつけたおかげで、その利用可能性は飛躍的に高まった。
2007年3月、スイカ・カードがJR、私鉄、地下鉄、バスで使えるようになった。スイカの運用開始は2001年11月。サービス開始から1年たたないうちに500万枚、2004年10月には1000万枚の利用となった。
 今では、スイカ・カードで買い物までできるのですよね。典型的にへそ曲がりの私は絶対使いませんが、自動販売機やコインロッカーを利用するとき、小銭のないときには便利ですね。でも、コンビニまで・・・・。
 今では、全国の列車、私鉄に通用するのですから、恐ろしいことです。スイカキャラクターはペンギン。飛べないはずのペンギンが空を飛んだ・・・。
(2013年8月刊。800円+税)

ジェラシーが支配する国

カテゴリー:社会

著者  小谷 敏 、 出版  高文研
ついつい、なるほど、なるほど、と何度も頭を大きく上下させてしまいました。日本型バッシングの研究。こんなサブ・タイトルのついた本です。
 小泉純一郎や橋下徹のような政治家が熱狂的な人気を博してきた。彼らを英雄に仕立て上げたのは、安定した身分と収入と保障された公務員へのジェラシーである。だから、近年の日本を「ジェラシーが支配する国」と呼ぶ。
他人の不幸は蜜の味。人間は悪口を言うのが大好きな生き物である。悪口を言い合っているときには、強力な連帯感が生じる。
ところで、諸外国でバッシングの標的となるのは、政治家や経済人、「セレブ」と呼ばれる各界の著名人。ところが日本では、権力とマスコミメディア一体となって普通の公務員や生活保護受給者のような弱者を叩く構図がみられる。強者が弱者を叩くのが「日本型バッシング」の特徴である。子どもの世界に蔓延している「いじめ」は、大人の模倣である。
 1990年代以降の日本では、人々の所得は減少する一方。労働運動も市民運動も低調で、自分たちの力で社会を変えることはできないという諦観(あきらめ)に人々はつかれている。自分たちの生活を良くすることができないのなら、自分たちより少しでも恵まれた者を叩いて憂さを晴らすしかない。
 そして、為政者たちのあいだにも、スケープゴート(犠牲になる羊)を提供して人気とりに専心する「ポピュリスト」がはびこった。
 日本型バッシングの主役はテレビだ。テレビの世界から政界に躍り出た橋下徹は「巨大な凡庸」を地で行く人間だ。公務員たたきも、競争中心の教育改革も反原発もベーシックインカムも、俗耳に受けそうなことは何でも自らの政策として橋下は取りあげていく。インターネットは、テレビ的な凡庸さを増幅する役割を果たしている。
 日本人は「世間」から後ろ指をさされ、つまはじきにされることを何より恐れている。
 「週刊新潮」は、日本文化の特異性を象徴する存在である。
オレオレ詐欺がこれほど現代日本に多いのは、「自分の夫や子どもが、いつ間違いを犯しても不思議ではない」という「存在論的不安」を多くの人たちが抱えているからに他ならない。
 「存在論的不安」につかれた人々は、「諸悪の根源」となっている悪魔のような存在を探し求め、それを叩くことに熱中する。「悪魔」として名指しされた人たちを叩くのは、面白くもないことが続く日常のなかでの恰好の憂さ晴らしになるし、「諸悪の根源」を叩くことによって自分が正義の側に立っていることが確認できる。このようにして、バッシングに加わることで、フラストレーションだけでなく、「存在論的不安」も解消される。
ネット上の右翼的言辞の多くは、まじめな政治的信念にもとづくものというよりは、盛りあがるための「ネタ」であり、ネット右翼を特徴づけるのは、狂信的なナショナリズムではなく、理想をあざわらうシニシズム(冷笑主義)である。
自分自身が苦痛を味わっている人間は、他人の苦しみをみることを渇望している。なぜなら、他人の苦しみをみることによって、自らの苦しみを忘れることができるからである。
他人が苦しむのを見ることは快適である。他人を苦しませることは、さらに一層快適である。これは、一つの冷酷な命題だ。しかも、一つの古い、力強い、人間的な、あまりに人間的な命題だ。
 公務員に対する人々の激しい敵意が目立つようになったのは、民間の給与が下がり続け、人々の雇用が不安定になった「失われた10年」(1990年代)以降の傾向である。
 小泉純一郎を支持したのは、若者ではなく、中高年だった。そして、若者たちの中でも小泉を支持したのは高学歴層だった。「勝ち組」となることに希望をつなぐ層が小泉に投票した可能性が高い。同じように、橋本支持の中核を成しているのは、新自由主義的競争と経済のグローバル化の受益となりうると考えている人たちである。
橋下徹の言動には、驚くほど独創性がない。橋下は、「創造の人」ではなく、「模倣の人」なのである。その政策も「凡庸」という印象が強い。
 大変に歯切れの良い日本社会の分析です。読んでいて、胸がすっきりしてきます。ぜひ、あなたもお読みください。
(2013年4月刊。1900円+税)

ウェブ社会のゆくえ

カテゴリー:社会

著者  鈴木 謙介 、 出版  NHKブックス
彼女(彼)とのデート中に、別の人物とのネットに夢中になるという話が出ています。
 二人で食事をしているときに、テーブルのうえに携帯電話を置くことすらマナー違反だ。二人でいるのに、他の人とも「つながりうる」状態が維持され、それが自分の前に提示されていることが不愉快なのだ。もちろん、そうですよね・・・。
 私の若いころにはありえなかった話です。学生のころ、下宿先の電話はかかってきたら大家さんが呼んでくれるのです。つまり、一家に一台しか電話はなく、間借り人は大家さんから呼ばれて初めて電話に出て会話が出来るのです。ともかく、会って話すことが何より欠かせませんでした。
 ところが今では、人との対面接触はテクノロジーを介したつながりに取って代わられ、生身の人間に対する興味が失われつつあります。
 現実の多孔化(たこうか)。現実空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている状態のこと。生理的な距離の近さと親しさの関係が不明瞭になると、ある空間に生きる人々が、ある「社会」の中に生きているという感覚もまた、確かさを欠くものになるのではないか・・・。
 「セカイカメラ」は、画面にうつし出された場所に関する情報(エアタグ)をふわふわと中に浮いているかのように表示するアプリだ。
 テレビ、新聞、雑誌、そしてラジオという、いわゆる「四大媒体」の広告費は、軒並み右肩下がりである。これに対して、インターネット広告費だけが右肩上がりの成長を続け、今では新聞を抜き去る勢いである。
 我々は、ソーシャルメディアを利用させてもらう代わりに、個人情報を売り渡している。
 我々が直面しているのは、我々自身に関する「データ」が監視される社会である。
高級料理店で食事をとるとき、食べる前に写真をとって、それを自分のブログにのせることが流行している。でも、これもマナー違反として、高級料理店では禁止されている。
 ええっ、ちっとも知りませんでした。私の知人で、それをして好評なブログがあるのですが・・・。
 生身の人間同士のぶつかりあいの体験に乏しいと、現実の日本社会において生きていくのはとても難しいことです。それが分からないまま(実感できないまま)、実社会に出ている若者が増えている気がします。恐ろしいことです。
(2013年8月刊。1000円+税)

里山資本主義

カテゴリー:社会

著者  藻谷 浩介・NHK広島取材班 、 出版  角川ワンテーマ新書
タイトルを見ただけでは何のことか分かりませんが、要は日本の山林を見直せば、原発にたよらなくても日本はやっていけるという話です。なるほど、と思いました。
 浜矩子・同志社大学教授は、グローバル時代は強いものしか生き残れない時代だという考えは誤りだと指摘する。グローバル社会をジャングルと見て、そこでは弱肉強食の生存社会しかないという固定観念は、実は成り立たないもの。ジャングルには強いものだけがいるのではない。百獣の王のライオンから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強いものは強いものなりに、弱いものは弱いものなりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代なのだ。
なーるほど、よく考えれば、そうですよね・・・。
新しい集成材、CLT。直角に張りあわせた板。通常の集成材は、板は繊維方向が平行になるように張りあわせているが、このCLTでは、板の繊維の方向が直角に交わるように互い違いに重ねあわせられている。これによって、建築材料としての強度が飛躍的に高まる。いま、オーストリアでは、このCLTによる木造高層ビルが建てられている。
 CLTで壁をつくり、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵する強度が出せることが判明し、2000年に法改正があって、今ではオーストリアでは9階建までCLTで建設することが認められている。
 オーストリアだけでなく、イギリスのロンドンにも9階建てのCLTビルがある。耐火性機能も十分で、CLT建築の一室で人為的に火災を発生させたところ、60分たっても炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温上がったかなという程度だった。
日本でも、このCLT建築に光があてられようとしている。
 日本の里山にある木くずをペレットにして、そこから発電してエネルギーをまかなう試みがすすんでいる。コストパフォーマンスはすこぶるよく、灯油と同じコストで同じ熱量が得られる。そして、エコストーブが普及しつつある。
 憲法に「脱原発」を明記して原発を全廃したオーストリアでは、今や木材資源がフルに活用されている。
 木材ペレットを個人宅あてに供給するタンクローリーまである。そして、オーストリアでは木材の管理を徹底させ、むしろ木材面積がどんどん増えている。
 これは、日本でも学び、行かすべき方向ですよね。
 「限界集落」というコトバが流行している日本ですが、このように山里の可能性を見直す取り組みが始まっているのを知り、少しばかり安心しました。
(2013年9月刊。781円+税)

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