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カテゴリー: 生物

くらげ

カテゴリー:生物

著者 中村 庸夫、 出版 アスペクト
 海月、水母、久羅下。クラゲをあらわす言葉です。海の中をふわりふわりと漂っていくクラゲは夢幻の存在というほか言い表しようがありません。
 英語ではゼリー・フィッシュというそうですが、まさしくゼリー状の姿をしています。でも刺されたら痛い存在です。私も子どもの頃、お盆過ぎに海水浴をして、クラゲに刺されて痛い思いをした記憶があります。
 クラゲは古事記にも登場しているそうですが、なんと、魚や恐竜よりはるか古く、10億年前に地球上に現れたといいます。
 脳も心臓もエラも骨もない。動物でも魚でもない。プランクトンなのである。
 海の中をフワフワと漂っているのは、クラゲの一生の中のほんのわずかな期間であり、その他の期間は「ポリプ」の姿で付着生活をしている。
 さまざまなクラゲの生態が見事な写真で紹介されています。コンパクトな写真集ですが、生物の多様性を発見・実感させるものとなっています。
 漆黒の水中に体を輝かせて浮かぶ姿は、まるでUFOが宇宙から舞い降りてくるような錯覚をおこさせた。
 こんなキャプションがついていますが、まったくそのとおりです。
 しかも、いかにもカラフルな姿がカラー写真で紹介されています。造形美の極致というべきクラゲの姿は、いつまでも見飽きることがありません。
(2009年3月刊。2000円+税)

いっしょがいいね

カテゴリー:生物

著者 間山 公雅、 出版 文藝春秋
 眺めているうちに、心がほんわかあたたまってくる。そんな鳥たちの可愛い写真集です。
 みずみずしい緑の森の中で、枝にとまった2羽のフクロウが仲良く寄り添っています。隣のフクロウの身繕いに手を貸したりもします。
 丹頂鶴に赤ちゃんが生まれました。丹頂鶴は、求愛ダンスで愛を確認しあうと死ぬまでパートナーを変えず添い遂げるそうです。卵は夫婦で交代しながら温め、家族単位で行動します。赤ん坊が親の背中の羽毛に埋もれるようにしてもぐりこみ、頭だけを出しているほほえましい写真もあります。子どもたちは親からエサを分けてもらったりしながら、次第に大きくなっていきます。身体が白いのが親で黄色いのが子どもです。
 ところが、菜の花の咲く頃には、子どもの身体も白くなり親と見分けがつきません。やがて、親にならって求愛ダンスを始めます。
 災害や戦争などを追いかけていたカメラマンが故郷の北海道をまわって写真を撮り始めたのでした。良くできた、小さな写真集です。
(2009年1月刊。1238円+税)

リンゴが教えてくれたこと

カテゴリー:生物

著者 木村 秋則、 出版 日経プレミアシリーズ
 先日、青森に行ってきました。リンゴが木になっているのを見ると、なんだか不思議な気がしてきます。どうしてこんなに重たいものが、たくさん木にぶら下がっているのだろうと疑問を抱いてしまいます。
 私の毎朝は、リンゴとニンジンそして青汁のジュースから始まります。もう何年も続けています。おかげで、健診を受けるたびに境界型糖尿病と指摘されていたのが、パッタリ止みました。ですから、リンゴを一年中、欠かさず食べているのです。
 この本を読んで、完全無農薬で育てた木村さんちのリンゴをぜひ味わってみたいと思いました。
 完全無農薬で育てながら、なんと虫もつかないというのです。信じられない話です。私は、庭でキャベツを完全無農薬で育てようとしたことがあります。でも、見事に完敗しました。世の中、そんな甘いものじゃありませんでした。毎日毎朝、青虫との戦いでしたが、まるで完全に敗北してしまったのです。
 写真を見ると、私より断然年長のように思われるのですが、なんと、私の一歳年下だったのでした。大変な苦労をしたうえ、農薬のせいで歯を悪くしてしまったので、年齢以上に老けて見えるようです。
 リンゴはバラ科の植物。葉がでんぷんを作る。
 青森県はリンゴの病害中に関する条例を定め、肥料や農薬等で徹底した防除管理をしていた。通告された畑の持ち主が、県の指導を無視すると、強制伐採、そして30万円の罰金が科せられた。農薬を使わない木村さんは、「かまど消し」つまり破産者扱いとなり、村八部同然となりました。
 害虫がたくさん害を及ぼすようになると、初めて益虫が出てくる。しかし、食べつくされることはなく、害虫も益虫もいっこうにずっと消えない環境にある。不思議な仕組みだ。
 木村さんは、リンゴの木に話しかけていったのです。声をかけなかったリンゴの木82本は枯れてしまったといいます。まさか……。本当のことでしょうか?
 無農薬栽培の基本は、園地を放任することではない。剪定、園地の手入れ、土づくりなど環境の整備をすることが大切だ。
 自然栽培で失敗しないためには、穴を掘って、10センチ刻みに温度計で測ること。自然の山では、地表の温度と地下50センチの温度には、ほとんど差がない。
 普通の畑は、20~30センチのところに硬盤層があるから、その冷えたところを破壊しなければならない。
 大規模農家でリンゴ園をやった人は、みんな失敗している。リンゴは、手作業の割合が大きく、人件費など経費がものすごくかかる。昔から、リンゴは労多く益なくといわれてきた。
 木村さんのリンゴのつるは柔軟性があり、しなやかで、落下しにくい。ちょっとくらいの風では、びくともしない。
 無農薬のリンゴづくりに長い間挑戦し、ドン底の生活を余儀なくされながらも、畑とリンゴの木をよくよく観察して、その泥沼から苦労してはい上がった木村さんの話には、感動的なものがありました。大したものです。
 サンモリッツの3日間は、快晴に恵まれました。それもそのはずです。サンモリッツの晴天日は、年間平均で322日もあるというのです。実は、ついた初日は夕方近く少し曇ってしまい、すぐ近くにあるピッツ・ネイルという3000メートルの高さの展望台は、ガスに包まれていました。
 ヤギの一種というアイベックスのブロンズ像の前で、たまたま一緒になった日本人夫婦に記念写真をとってもらいました。
 そして、サンモリッツは涼しいのです。というのも、標高1800メートルの高さにある街なのです。そこで、ガイドブックは次のように書いています。
 サンモリッツに着いてまずやるべきことは、深呼吸。サンモリッツの空気は、古くからシャンパン気候として有名だ。泡のなかで光の粒がはじけるような爽快感がある。
 いやあ、これが誇大広告とは思えない爽やかさが、たしかにサンモリッツ湖の周辺を歩いていると味わえるのでした。両手を大きく広げて、何度も深呼吸してしまいました。
 サンモリッツ湖を見下ろす高台にホテルがあります。カールトンホテルは明かりが見えません。閉鎖されている気配です。私はクルムというホテルに3泊しました。湖に面した部屋を注文すべきでした(もちろん割高になります)。反対側の部屋でもケーブルカーが見え、牛たちが急斜面で草を食んでいる光景が見え、また、ピサの社党のように全体が傾いた教会の塔を眺めることができ、負け惜しみのようですが、それなりの風景が眼前に広がっていました。
 私のブログにスイス・イタリアの風景写真を紹介しています。ぜひ、そちらものぞいてみてください。
(2009年6月刊。850円+税)

フジツボ

カテゴリー:生物

著者 倉谷 うらら、 出版 岩波科学ライブラリー
 海岸にいけば、どこにでもいるフジツボ。岩にしがみつき、へばりついている貝の仲間。そう思っていると、なんとエビ・カニの仲間の甲殻類だというのです。そして、エビのように脱皮しながら成長するというから、驚きです。
 フジツボは、いったん付着面から取れると、貝と違ってくっつき直すことはなく、やがて死んでしまう。フジツボは、自前の殻を作っている。海水中のカルシウムを利用して成長する。フジツボの仲間は、恐竜が現れるはるか前の古生代カンブリア紀中期(5億3000万年前)から存在する。
 フジツボの分布範囲は地球規模。
 フジツボにも、こだわりがある。クジラに付くフジツボは、クジラ以外には断固として付かない。フジツボのペニスは、なんと自分の体長の8倍にまで伸びる。陰茎(ペニス)の先で卵が成熟した他の個体を探知し、ニューッと伸ばす。これによって移動せずとも離れた場所に付着している仲間との交尾が可能になる。
 卵からかえった後、しばらくは海の中を泳ぎまわる。そして、フジツボは、後悔しないよう、くっついてしまう前に、念入りに下調べする。
 フジツボの寿命は、種によってまちまちであるが、1年から長いもので50年にもなる。
 あのダーウィンも、1万ものフジツボの標本を調べて研究し、4巻1200ページの著書を書いた。
 フジツボは、環境汚染を調べる指標生物に、きわめて適している。
 フジツボの生態がたくさんの絵と写真でとても分かりやすく紹介されています。フジツボのたくましい生命力を知ることができました。
 サンモリッツには、セガティーニ美術館があります。ご多分にもれず、ここも昼休みは2時間あります。ですから、夕方は6時まで開いています。
 私は、サンモリッツの町なかからぶらぶらと歩いていきました。ちょっとした森のなかに遊歩道が出来ています。いい気持ちで歩いていると、いつのまにか美術館に到着します。町の中心部から歩いて20分もかかったでしょうか。とても小さな美術館で、暗くて狭い入口でしたので、もう閉館しているのかと心配したほどです。
 ここには画家セガンティーニの作品50点あまりが展示されています。2階の大きな部屋には、3枚の大作があります。自然の採光を取り入れた案内は、ちょっと薄暗いのですが、スイスの景色が、生、死、自然という3部作となっています。生と自然は夕方の景色で、死は総長の光の中で描かれているという対照が、意表をつきます。
 私はフランス語のオーディオ・ガイドに聞き入りました。もちろん、全部を理解することはできません。それでも、何回も同じ解説を聞き直して、なんとか理解できました。やはり習うより慣れろ、です。
 この美術館にいたのは1時間ほどですが、客の多くは日本人でした。すごいですね。日本人って。
 
(2009年6月刊。1500円+税)

羆撃ち

カテゴリー:生物

著者 久保 俊治、 出版 小学館
 いやあ実にすばらしい本です。まさに読書する醍醐味をとことん味わわせてくれました。
 男が野生の風になる瞬間を知った。その研ぎ澄まされた感性に羨望する。
 これは、オビに書かれた言葉ですが、まさしく言い得て妙です。
 森の中に一人分け入ってヒグマを追い続け、狙い定めて撃ち倒します。とても残酷です。ほめられたことではありません。でも、一対一の真剣勝負として、そこに生命を尊重しながらの戦いがえがかれているので、思わず拍手したくなるのです。そして、愛犬が登場してきます。一段と情愛細やかに狩猟場面が描かれます。その愛犬を日本に置いて、アメリカへ修行の旅に出ます。アメリカでの苦難の日々は、すごいものがあります。日本に帰国したとき、野も山も変わり果てていました。
 今どき、こんな狩猟を生業とする人がいるのだろうかと、不思議な思いで読み進めて行きました。すると、なんと著者は私と同じ団塊世代だったのです。私が大学生のころ、著者は北海道の山奥深くに分け入って、感性を研ぎ澄ましていたのでした……。
 ヒグマは本来、非常に警戒心が強く、常に人間とは距離を置こうとする。仔ヒグマを守らねばならないとき、自分のエサだと決めたものを守るとき以外、相手を威嚇する声は出さない。逃げるか、遠ざかろうとするのが、ほとんど。
 藪を歩くときのように、どうしても音が出てしまう場合には、できるかぎりシカの歩調と間合いに似せた歩き方をするように努力する。上手にできたら、シカの警戒心をゆるめることが出来る。そして、気づかれるよりも先に見つける方法を心がける。それには、一つのことだけに心を奪われ過ぎず、あたり一帯に均一な緊張感で注意を払わなければならない。とくに目を見開いて探すより、半目にして見るほうが、かすかに動くものでも目の隅でとらえやすい。自分の肌で感じた天候、気温、風などを記憶し、寝跡、足跡、エサ場などの場所と採食時間帯を自分の記憶と照らし合わせてみることも大切だ。
 シカを倒す。ナイフを取り出してシカの腹を裂く。その腹腔に凍えてかじかんだ両手を潜り込ませて温める。シカの最後のぬくもりが、痛いほどの熱さで両手にしみこんでくる。そのまま、しばしの間、じっとしている。最後のぬくもり、シカの生命のぬくもりの全部を両手にもらった。
 焚火であぶっていたシカの心臓を、焼けたところから、小さなナイフで切り取っては口に入れる。うまい。新鮮な心臓特有の、チリっとした鉄臭い味が口いっぱいに広がる。そして、空っぽの胃に気持ちよく落ちていく。
 うーん、なーるほどですね……。とても美味しそうですね。
 シカを倒した時、心臓と肺を引き出す。心臓は割って血を出し、あらかじめ踏み固めておいた雪の上に置く。このとき、柔らかな雪の上に置いてはいけない。まだ体温が残っていて、それが雪を溶かし、雪の中に埋もれてしまう。そうすると、十分に血が流れる前に凍ってしまい、ベチャベチャした感じになって味が悪くなる。
 雪の上に置いておいた肝臓の一片を少し切り、口に入れる。血の味といっしょに甘い味が口いっぱいに広がる。旨い。手負いで苦しんだり、興奮して死んだ獲物に比べて、苦痛や恐怖をほとんど感じることなく倒された動物の味は、いかにも旨い。
 そうなんですか……。
 寝袋にのって目を閉じると、手を凍りつかせたまま逃げたシカのことが思い出される。生きるということの凄さ、生きようと懸命に努力する姿を目の当たりにすること、それが猟の一番の魅力なのかもしれない。
 ヒグマに出会ったとき、注視するとヒグマもなんとなくこちらを見るので、あわてて目をそらす。できるだけ楽な姿勢で見るともなく半目にしていると、ヒグマもこちらを見ない。
 ヒグマを倒すと、仰向けにして山刀の峰で皮に筋目を入れてから、腹を裂き、内臓をとりだす。胆管を綿糸で縛ってから、胆のうを肝臓から切り離す。肺とすい臓はそばの木に掛け、他の動物に残す。胃と腸は、内容物を出して流れできれいに洗い、胆のう、肝臓とともにテントに持ち帰る。
 ヒグマを倒したとき、最後に、胸腔にたまってプリンのようになった血に、腸間膜を細かく切って混ぜあわせ、裏返して雪で洗った腸に詰め込み、ブラッドソーセージをつくる。それを塩ゆでにして食べる。食べるもののすべてが、すぐに血となり、エネルギーになって、身体の隅にまで浸みこんでいく。
 猟犬は、どんなに素質が良くても、主人の技量と心以上には育たない。猟犬を育てる側は、常に技と思考の向上を目指すことが必要となる。それを怠れば、素質のある犬ほど、自分の猟欲を満足させるために猟をするようになってしまう。
 犬の持っている能力を十分に引き出すためには、気を抜いてはならない。ほめるにしても、叱るにしても、いついかなるタイミングで行うのかを常に考えながら、注意深く、丹念に丹念に訓練を重ねて行く。素質のある犬ほど基礎訓練の覚えも早く、猟のたびに新たなことを覚え理解していく。
 猟犬にこれまで一人でやってきたヒグマ猟のことを話して聞かせる。猟犬に話して聞かせることは、大事な訓練の一つになる。
 山暮らしするうちに感覚が鋭くなって、いつの間にか時計も使わなくなった。陽の高さと、自分の体内時計とで、何も不自由を感じない。とりわけ聴覚と嗅覚が敏感になった。
 職業として狩猟を始めたころは、ヒグマに対する漠然とした恐怖と不安が、いつも頭の片隅にあった。攻撃することを決心したヒグマの恐ろしさは、半端なものではない。攻撃を決心するまでには時間がかかるが、一度決心を固めると、確実に攻撃に移り、焚火などがあっても、その攻撃を止めることはできない。
 猟で生活するのは、あまりお金にはならないが、なんとか食うことは出来る。いつも十分で腹いっぱいとはいえないが、食うものは常にうまいと感じ、ありがたいと思って食うことが出来る。雨、風、雪、寒さ、暑さ、すべてが備わった自然の中で、生きること、生きていることが肌で感じられる。
 すごい本です。思わず森の中にいる気分になって身構え、周囲を見回してしまいました。ありがとうございました。
 
(2009年8月刊。1700円+税)

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