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カテゴリー: 日本史(戦前)

金子さんの戦争

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 熊谷 伸一郎 、 出版 リトルモア
 日本軍が中国に侵攻し、支配していた地域では、まさしく残虐な行為をしていました。その実行部隊の一人だった金子安次・元陸軍伍長の話が本になっています。
 1920年1月に東京近くの浦安に生まれましたので、1909年生まれの私の父より10歳ほど下の世代です。漁師の次男でしたが漁師にはならず、小さな鉄屋に丁稚(でっち)奉公に出ました。
 浦安コトバでは、目上の人に対して兄貴の意味で「なーこう」と呼び、二人称は「いしや」と呼ぶ。貴様の意味でしょうか…。
 丁稚奉公しているときは無給。月に1回50銭もらうだけ。浅草に行って、漫才か映画を観る。漫才が10銭、映画は15銭。帰りに25銭の天丼を食べる。
 遊廓は吉原は高くて5円。庶民的な玉の井は1円50銭。ただ、これは晴れた日の値段で、雨の日は客が来ないので1円とか50銭と安くなる。
 出征のときは喜んで行った。母親が生きて帰ってこいとこっそり言ったので、軽蔑した。軍隊に行かないと一人前の人間にはなれないという感覚があった。会社から餞別として20円もらった。
日本刀と兵隊は叩けば叩くほど強くなると言われていた。
 兵隊は毎日、上官から叩かれた。
中国人が木に縛り付けられているのを刺突させられた。日本では僧侶していた1等兵がどうしても刺せないといって泣きだした。すると、上官からめちゃくちゃ殴られた。そのうち、その1等兵も平気で刺突するようになった。
 兵隊を戦場に慣れさせるためには、殺人が早い方法だ。これは師団長からの命令だった。初めは人を殺すのは嫌だけど、戦場を経験すると、だんだん人間を殺すことをなんとも思わなくなってくる。人を殺せなくて戦争なんか出来るかという気持ちになってくる。
 人を殺し、家屋をこわして燃やすのを楽しんでやるようになっていった。
4歳の男の子を連れた母親を強姦しようとして抵抗されたので、無理矢理に井戸に投げ込んだ。すると、それを見ていた男の子は、自ら「マーマー」と叫びながら井戸に飛び込んだ。上官が、「武士の情だ。手榴弾を投げ込んでやれ」と命じた。
 いやあ、これが戦場の現実なのですね。まさしく鬼畜の仕業です。
兵士たちが強姦しても輪姦しても軍法会議にかかることはない。
 行軍途中で落伍する兵士が出ても中隊長たちは平気で知らん顔。責任をもたなければいけないのは分隊長。行軍できない兵士は自殺するしかない。手榴弾は2発もたされていて、1発は戦闘用、あと1発は自決用。捕虜になるなということ。
 日本に帰国してから、中国でやっていたこと、とりわけ強姦・輪姦をしていたことを妻や娘に話せるわけがないので、黙っていた。
 そうなんですよね。なので、今でも軍規の厳粛な帝国軍人が中国でそんなことしたはずはない。みんな中国軍のデマだ、プロパガンダと言いはる人がいるのです。
戦争が本当に人間性を喪わせるものだということを実感させられる本です。
(2005年8月刊。1980円)

戦場の人事係

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 七尾 和晃 、 出版 草思社
 凄惨な沖縄の戦場を生きのびた軍曹(准尉)が、戦時名簿をもとに亡くなった兵士の遺族たちに、その最期の状況を伝えるべく全国を歩いたという実話です。
 この元軍曹(石井耕一)は、新潟県で1913年に生まれ、1944年7月、3度目の召集で沖縄に配属されたのでした。野戦高射砲大隊の人事担当として勤務し、1945年6月、米軍の捕虜となり生きのびることができました。戦後は町の助役を6期24年つとめたあと、豊栄市長も4期16年つとめました。2012年2月、享年98歳で永眠。
 著者は95歳の石井から話を聞き、戦時中に石井が作成し、本土に持ち帰った戦時名簿の現物を見せてもらいました。
 捕虜収容所にいるとき、米兵と親しくなり日本刀が欲しいという米兵からジープに乗せてもらって、戦時名簿を埋めていたガマ(洞窟)に行き、掘り出したのです。缶に入れて防水の布でくるんでいたので、名簿や行動・死亡記録は無事でした。奇跡的な発見です。
遺族に手紙を出すと、届かない人もいたけれど、届いた遺族から最期の様子を聞きたいという申し出があったりした。
 あるとき、遺族は、帰り際にこう言った。
 「そこまで家族のことを思っていてくれたのなら、なんで、何としてでも生きのびてくれなかったのでしょうか…」
 いやあ、遺族の言いたいことは分かりますよね、でも、沖縄の戦場はそれを許さない厳しさだったのです。石井が生きのびたのは、ただ運が良かっただけでした。沖縄戦で、日本兵は米軍の本土攻勢を少しでも遅らせるよう死守せよと厳命されていたのですから…。
沖縄に上陸した米軍は18万3000人で、艦船1500隻が一気に押し寄せた。
 この沖縄戦では、指揮していたバックナー中将も1945年6月18日に日本軍の砲弾があたって戦死しています。それほどの激戦だったのです。
貴重な記録がよくぞ残ったものです。そして、それを掘り起こした著者にも敬意を表します。
(2024年8月刊。1870円)

写真が語る満州国

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 太平洋戦争研究会 、 出版 ちくま新書
 日本が中国東北部につくりあげた満州国の実相を豊富な写真とともに明らかにした新書です。かなり前に大連に行ったことがあります。日本統治下でつくられた大連ヤマトホテルがそっくり残っているのに驚きました。その前は大きな広場になっていて、朝早くは太極拳を練習している老若男女でいっぱいでした。
 ヤマトホテルは主要都市15ヶ所にあったそうです。いずれも満鉄直営です。
 関東とは、万里の長城の東端にあたる山海関から東の地方を指す中国語。当時の満州の省である奉天・吉林・黒龍の三省を総称した。つまり関東とは、満州全体の呼称だった。
 ロシアが旅順・大連周辺を関東州と命名したのを日本も踏襲した。
 1906年11月に発足した満鉄は1万3000人の社員を擁した。このうち中国人は4000人で、全員が社員より格下の日給の雇人だった。
満鉄の軌道は世界標準の広軌にした。日本は狭軌。
日本は満州を我が物とすべく、関東州の租借期間を1997年までの99年間に延長した。同じく満鉄は2002年まで経営できることにした。
 満州国が「建国」されたのは1932(昭和7)年3月のこと。日本の繁栄は満州であってこそというキャンペーンが功を奏していた。「満蒙は日本の生命線」というスローガンです。
 上海事変は、満州国の実態を調査するため国際連盟が派遣したリットン調査団に対する目くらまし戦法の一つでした。ところが、中国軍はドイツの軍事顧問団の指導を受けていて、近代的兵器も備えてクリークで待ち構えていたので、日本軍は予想外に苦戦させられた。このとき「肉弾三勇士」の話があり、日本人の戦意高揚に役立てられた。
満州国の国防・インフラ建設、官署の人事などは、すべて関東軍司令部が握っていたので、リットン調査団が満州国を独立国家ではないと認定したのも当然でした。その結果、1933年2月、日本は国際連盟から脱退してしまったのです。
文字どおりのカイライ政権だった満州国ですが、幻想を抱いて日本から満州に渡った大勢の日本人は、日本敗戦後、大変な辛酸をなめさせられました。生きて日本に戻ることのできなかった人が無数にいました。
今、再び戦前の日本へ復帰しようという動きが現実化しています。とんでもないことです。
(2024年8月刊。1200円+税)

もう一度!近現代史

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 関口 宏 ・ 保阪 正康 、 出版 講談社
 戦前の日本は三つの大きな過(あやま)ちをおかした。その一は、統帥(とうすい)権の名のもとに軍事が政治の上に立ったこと。その二は人間の命を戦争の道具として使ったこと。特攻隊や「玉砕」がその大きな例。その三は、戦争を国家の事業と考えたこと。
 私も、この三つの指摘に同感しています。今、日本は戦争に備えるという口実で、大々的に軍事予算を増やしています。5年間で43兆円という気の遠くなる莫大な軍事費です。これまで5兆円をこえるというのに大騒ぎしていたのがウソのように、今では年8兆円といってもまあ、そんなものか、仕方ないなという雰囲気です。これでは福祉や教育予算が削られるのは必然です。でも、戦争にならないようにするのが政治家の最大の任務のはずです。
 軍部と軍需産業が癒(ゆ)着し、大威張りだった戦前の状況に戻ったら大変です。そんな日本にならないよう、戦前の日本にたどった道を振り返って、そこから大いに学ぶ必要があると思います。
 日本の陸軍は、中国軍なんて弱いもの、いくらか日本兵を派遣したら一撃で屈服させられるものと錯覚していた。上海事変が、その典型ですよね。実際には、中国軍はドイツ軍人の顧問団によって訓練され、最新兵器も備え、しかも士気旺盛だったのです。日本軍が慣れないクリーク戦で大苦戦したのも当然でした。
 東条英機は関東軍の参謀長だったことがあります。そして、東条と反目していた石原莞爾が、その下に参謀副長になったのでした。
 二人は互いにまったく口をきかなかった。 その後、東条英機は陸軍大臣になって「戦陣訓」を発表した。石原莞爾は、「こんなものは読む必要がない」といって、開封もせずに倉庫に収納させた。いやはや、すごい反目ですね。結局、石原莞爾のほうが予備役に追いやられてしまいました。
日本軍は中国大陸での泥沼の戦争にひきずり込まれ、総数129万人のうち、90万人をこえる将兵を中国大陸に置いていた。満州からは精鋭の師団が沖縄をふくめ南方に送られ、次々に敗北の道をたどりました…。
 名門中の名門である近衛文麿は優柔不断で決めきれない男だった。
松岡洋右は諸突猛進で、また言うことがくるくる変わる男だった。
アメリカの暗号解読の能力は大変なものがあったようです。山本五十六元帥の撃墜もミッドウェー海戦の失敗も暗号で内情を知られていたことで起きた悲劇でした。
天皇の弟宮で陸軍にいた秩父宮、海軍にいた高松宮も東条英機に強い反感をもっていた。秩父宮は、東条英機に対して、3度も詰問状を送っている。
 日本がなぜ戦争に敗れたのか、きちんと知ることは大切なことだと私は思います。それは自虐史観なんていうものでは決してありません。
(2022年4月刊。1980円)

羊は安らかに草を食み

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 宇佐美 まこと 、 出版 祥伝社文庫
 いやあ、よく出来ています。満州開拓民の戦後の苛酷すぎる逃避行を現代によみがえらせるストーリー展開で、思わずのめり込んでしまいました。
 私も、叔父(父の弟)が応召して関東軍の兵士となり、日本の敗戦後は八路軍(パーロ)と一緒に各地を転々としながら紡績工場の技術者として戦後9年ほど働いた状況を本にまとめ(『八路軍とともに』花伝社)たので、日本敗戦後の満州の状況は調べましたが、この本は、11歳の少女2人が親兄弟を失いながら助けあって日本に引き揚げてきた状況をストーリー展開の核としながら、その苦難の状況と、それが戦後の生活といかに結びついたのか、少しずつ解き明かされていきます。その手法は見事というほかありません。
その苦難の逃避行をした女性の一人は、今や認知症になっていて、自ら語ることは出来ません。でも、人間らしさは喪っておらず、また、昔の知人と会えば反応はするのです。認知症だからといって、完全に人格が崩壊しているのではありません。
 俳句を通じて仲良くなった80歳台の女性3人が、四国そして長崎の島まで認知症となった女性ゆかりの地へ旅行するのです。
人間の尊厳を見つめた、至高のミステリー、とオビに書かれています。11歳の少女のときの苛酷すぎる状況の記憶が現代にいかにつながるのか、しかも、それが認知症だとどうなるのか、人間とは何かをも考えさせられる文庫本でした。  
東京からの帰りの飛行機で一心に読みふけりました。初版は3年前に刊行されていて、今回、著者が加筆修正して文庫として刊行されたものです。
 参考文献のいくつかは私も読んでいましたが、未読のものも多々ありました。
(2024年3月刊。990円)

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