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カテゴリー: 司法

刑事弁護プラクティス

カテゴリー:司法

著者  櫻井 光政 、 出版  現代人文社
新人弁護士養成日誌というサブタイトルのついた本です。著者の長年にわたる活動実績と熱意には本当に頭が下がります。
 「季刊・刑事弁護」で連載されていましたので、このうちいくつかは読んでいましたが、こうやって本になって改めて読んでみますと、その指導のすごさが実感できます。そして、厳しい指導を受けて大きく成長していった新人弁護士は幸せです。
弁護人は被告人の良き友人になろうとする必要はない。被告人も友だちがほしくて弁護人を依頼しているのではない。だから、人間的に立派な人だと思ってもらう必要もない。被告人の弁解を十分に聞いて、法律的にきちんと主張すること、捜査官、裁判所に手続を守らせること、そのための努力を払えば、被告人は弁護人を弁護人として信頼するはずである。弁護人としては、それで十分である。
生まれ育った境遇も現在置かれている立場もまったく異なる被告人と弁護人との間の信頼関係は、所詮そこまでのことと心得るべきである。弁護人も報酬の多寡はあるけれど、仕事でのつきあいなのだから。
「先生のおかげで生まれ変わりました」などと言っていた被告人が数ヶ月後に同種事犯で逮捕され、「また先生にお願いしたい」などと連絡してくるのは驚くほどのことではない。そんなことで「自分の努力は何だったのか」などと嘆く弁護人がいたら、その思い上がりこそ戒められるべきである。弁護士が「お仕事」で数ヶ月つきあっただけで、人は生まれ変わったりはしない。一般的に言えば、接見回数が多すぎることによる弊害は、少なすぎることに比べて、はるかに少ない。
私自身は、1回の面会時間は少なくして、なるべく回数を重ねるように心がけています。この本にも、接見時間が4時間とか、とても長い新人弁護士の話が出てきますが、1回にあまりに長時間かけるのは他人(はた)迷惑(別の弁護人が接見できなくなることになります)でもありますし、仕事として効率的でもありません。
たとえ新人だろうが、バッジをつけたら一人前の弁護士だ。自分の責任で事件に対応しなければならない。困難な問題に突きあたったときに、先輩弁護士に意見を聞くのはよい。しかし、最初に何をしたらよいのか分からないようなときは、明らかに自分の手にあまるのだから、そのような事件を受任すべきではない。一つひとつが生の事件であることを忘れて、あたかも単なる学習教材のように接する姿勢があるとしたら、たいへんな間違いである。
情状弁護においては、被告人が再び罪を犯さないようにすることを大きな柱のひとつに据えている。目先の刑の長短よりも、その後の被告人の立ち直りのほうが、被告人のためにも、ひいては社会のためにも重要だと考えている。そのための努力を惜しまないことが、弁護士の矜持だと心得ている。
この点は、私もまったく同感です。被告人に対して、なるべく温かく接して、社会は決してあなたを見捨てていませんよ、というメッセージを送るのが私の役目だと考えています。
裁判所により仕事をしてもらおうと思ったら、弁護士は手を抜いてはならない。
この指摘は私にも大変耳の痛いものがあります。大いに反省させられます。弁護士生活40年になる私がこうやって新人弁護士養成日誌を読んでいるのも、初心を忘れないようにするためなのです。ありがとうございました。
(2013年9月刊。1900円+税)

憲法問題-なぜいま改憲なのか

カテゴリー:司法

著者  伊藤 真 、 出版  PHP新書
著者は、自分のことを護憲派だと思ったことはないと言います。
 ええーっ、だって・・・と思うと、次の言葉で救われます。なるほど、なるほど、です。
 自分のことを改憲派でもなく、「立憲派」だと思っている。
 著者が現憲法にも変えたほうがいいという点も示唆に富んでいます。たとえば、こうです。
 現憲法は人間中心であるがゆえに、動物や植物に、さらにいうと地球と共生していくという視点がない。地球環境に言及する条項もあっていい。なーるほど、ですね。
 しかし、憲法の基本から逸脱すると、憲法で社会を良くするつもりで改正したのに、逆に悪くなってしまったという自体を招きかねない。
 604年に聖徳太子が制定したといわれる十七条の憲法にも、立憲主義の考え方が隠れている。「官吏は賄賂をとるな」(5条)、「任務をこえて権限を濫用するな」(7条)、「国司や国造は人民から勝手に税をとるな」(12条)という条項には、国民を守るために国家権力を縛ろうという意図が込められている。
 このように、マグナ・カルタより600年も早く、日本には国家権力を縛る考え方が存在していたわけである。
ちなみに十七条憲法でよく紹介されている「和をもって貴しとなし」というのは、このころあまりに争いごとが多くて裁判が増えすぎたので、いい加減にしろ、もっと仲よくなりなさいというものであって、日本人が仲良くしていたというのではありません。誤解しないようにしたいものです。
安倍首相と自民党の96条改正先行論は、改憲の「裏口入学」であって、真の目的は戦争放棄を誓った9条の改正にある。
 自民党改憲草案の前文には、日本は「天皇をいただく国家であって」としている。これは、国民の上に天皇がいて、権威のある天皇に国民が従属しているという構図を想起させる。そして、改憲草案の前文第二段には、日本が戦争加害者になったことに触れていない。
 夫婦同姓が日本の伝統的な家族のあり方だというのは誤解。夫婦同姓がスタンダードになったのは、明治以降のこと。それまでは夫婦といえども別姓があたりまえだった。有名な北条政子は源頼朝と結婚しても名前は変わっていない。
 個人の尊重は、立憲主義にもとづく憲法の根底にある大事な考え方である。人間を身分や制度から解放して、かけがえのない個人として尊重しようとするもの。一人ひとりが多様に生きていることこそがすばらしい。それが個人の尊重の意味。ところが、自民党の改憲案は「個人」から「個」をとって、「人」とした。「個」をとったということは、人を自立した個人ではなく、「人」という集団としてとらえているということに他ならない。
 人を個人として扱われなくなれば、個人としての責任も曖昧になる。
人々が苦労して発展させてきた立憲主義の歴史をふまえたとき、時代の針を巻き返すような自民党の改憲案を認めることが、はたして正しいことなのかどうか、ぜひ考えてほしい。
 わずか250頁の新書ですが、最新の知見と論点を盛り込んで改憲論の問題点をじっくり考えさせてくれる本になっています。一読をおすすめします。
(2013年7月刊。760円+税)

憲法は政府に対する命令である

カテゴリー:司法

著者  C・ダグラス・ラミス 、 出版  平凡社ライブラリー
初版は2006年8月、小泉内閣の前の第一次安倍内閣のときに刊行されています。
第一次の安倍内閣は憲法改正を始める力はなかった。しかし、第二次安倍内閣には憲法改正のための政治力があるかもしれない・・・。
 そして、自民党は2012年4月、憲法改正草案を発表した。この草案の正確は、国民に対する命令である。草案102条にある「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という条項は、主権者にいう言葉ではない。
 安倍首相のいう「日本を取り戻す」とは、大日本国帝国政府のよさを取り戻すという意味だ。しかし、明治憲法が現憲法に変わったとき、日本がどれほど変わったのかを思い出す必要がある。
憲法とは国の政治を形づくるものである。
 近現代の憲法の多くは、国家権力の制限を基本としている。
 明治憲法のもとでは「臣民」が存在していた。明治維新より前には「国民」という言葉は存在もしなかった。政府は、社会契約の相手であり、その契約を守るかぎりにおいて市民も、それを守る。つまり、市民は、「政府」として認めて、法律に従う義務がある。日本国憲法に命令として従う義務があるのは国民ではなく、政府である。厳密にいうと、政府を構成する人間である。
 問題は押しつけ憲法がどうか、なのではない。誰が誰に、何を押しつけたのか、ということである。日本の民衆は、総司令部(GHQ)の大日本帝国政府への新憲法の押しつけに参加した。
 施行されてしばらくして、アメリカ政府は、とくに9条に関して、後悔した。しかし、それは後の祭りだった。
 交戦権とは、兵士が人を殺す権利である。
 交戦権とは、侵略戦争をする権利ではなく、戦争自体をする根本的な権利である。
 交戦権とは、兵士が戦場で人を殺しても殺人犯にはならないという特権だ。それは兵士個人の権利ではなく、国家の権利である。
 侵略戦争を起こしたときには、それが禁止されているものである以上に、交戦権は成り立たない。自衛戦をする場合のみ、立派な交戦権が成り立つ。
日本国憲法において重要なのは、その国家の正当暴力の権利を、すべてではないが、その一部の交戦権を放棄しているということ。
 自衛隊は軍隊の組織をもち、軍服を着、軍事訓練を受け、そして戦争のための武器をもつ。しかし、軍事行動はできない。このように、かなり訳のわからない組織である。
 不思議な自衛隊である。このように矛盾した状況だが、結局、憲法ができてから今までの60年あまり、日本の交戦権の下では一人の人間も殺されたことはないという現実がある。
 自民党の改憲草案は、戦争で日本は害を受けたが、害を与えたことはないという歴史観に立っている。
 いやはや、なんという間違った、狭い考えでしょうか・・・。情ないです。いまは沖縄に住むアメリカ人の著者による歯切れのいい憲法を論するの文庫本です。一読をおすすめします。
(2013年8月刊。1000円+税)

日本国憲法の初心

カテゴリー:司法

著者  鈴木 琢磨 、 出版  七つ森書館
『路傍の石』の山本有三が日本国憲法の成立に深く関わっていたことを初めて知りました。直接的には、口語化ですけれど、広い意味では日本国民の意思を体現して現憲法の成立を推進したと言えると思いました。
 山本有三は1887年7月、栃木県で生まれた。一高から東京帝大独文科に入って学ぶ。一高時代、同級の近衛文磨と生涯と友となる。
 山本有三は強度の近眼のため、微兵検査で不合格となり、兵役は免れた。
 1920年に文壇にデビューしたが、1933年、共産党との関係を疑われて検挙された。
 戦後、日本国憲法をつくるというとき、山本有三は口語体にすることを強く主張し、口語体の文案をつくった。政府は山本有三の口語体文案をおおいに参考にしながら、現在の憲法をつくりあげた。
 山本有三は、戦後、1947年の参議院選挙に全国区から出馬し、9位で当選した。そして、無所属議員による緑風会に所属する。そして、文壇の大先輩である幸田露伴の死去にさいし、参議院本会議で追悼の演説をした。
 1956年の参院選挙のとき、自民党が憲法改正を叫んだのに対して、山本有三は次のように主張した。
 押しつけられた典に不満もないわけではない。いつかは改正しなければならないと思う。しかし、憲法改正は非常に重大なことであるから、軽々しく取り扱うべきものではない。
 本当にそのとおりですよね・・・。次に、山本有三の戦後の反省のコトバを紹介します。
 軍部や右翼がのさばったのは、たしかに不都合には相違ない。しかし、それをのさばらせたのは、国民の中にも何かがあったからではないのか。官僚や議員や報道陣が、常にときの権力に屈従しているのは、必ずしも彼らだけが悪いのではなく、そうさせるものが国民の中にもあるからではないか・・・。
 いのちを投げ出すことを最高の美徳と考えたり、それをほめたたえる思想は、封建主義的な思想だ。ヤクザ仁義の思想であり、軍国主義的な思想だ。こういう考え方、気風というものは、ぜひとも根だやしなければならない。
 日本は領土を広めようとして海外に乗り出したときは、必ず失敗している。
 「もし他国から攻撃を受けたとしたらどうするか」「武力をもたない日本は、ひとたまりもないではないか」
 この質問に対しては、逆に問い返したい。
 それなら、どれだけの兵力をもっていたら侵略をくいとめることができるのか?
 デンマークとナチスの例を考えたら、国防軍を備えていたところで、なんになったろうか・・・。問題は、どれだけ武力をもつかということではない。そんなものは、きれいさっぱりと投げ出してしまって、裸になることである。そのほうが、どんなさばさばするかもしれない。裸より強いものはない。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさじられる。それよりは、役にも立たない武器なぞは捨ててしまって、まる腰になるほうが、ずっと自由ではないか。そこにこそ、本当に日本の生きる道があるのだと信ずる。
 戦前の厳しく辛い経験をふまえた山本有三の指摘は、今も生きているものだと思いました。
(2013年8月刊。1600円+税)
 稲穂が垂れて、畔に紅い彼岸花の咲く秋になりました。久しぶりに庭に出て、花を整理しました。
 夏のカンナを刈り、夜に芳香を漂わせる夜光木をカットしました。その隣には、エンゼルトランペットが黄色い花を咲かせています。
 娘が庭に植えていた芋を掘りあげました。なんとか食べられそうな芋を収穫することができ、さっそく秋の味覚として美味しく、みんなでいただきました。

原発を止めた裁判官

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著者   神坂さんの任官拒否を考える会、 出版  現代人文社
3.11の前、画期的な原発運転差止め判決を書いた井戸謙一・元裁判官が講演した内容を本(ブックレット)にしたものです。
 著者は私より5歳ほど若いのですが、大学時代には私と同じようにセツルメント活動をしていました。著者はいま彦根で弁護士です。65歳の定年退官前に弁護士生活をスタートするという人生計画を立てていたというのですから、司法当局ににらまれて裁判官を辞めたということではありません。32年間、ひたすら現場で裁判官をしてきた。出身が大阪(堺)なので、常に大阪地裁での仕事を希望してきたが、ついに勤務できなかった。神戸や京都、金沢そして大阪高裁で仕事することは出来たけれど・・・。ただし、金沢と京都では部総括(いわゆる部長)もしているので、決して冷遇されたわけでもない。
裁判官の世界が一番自由闊達だったのは1960年代の半ばくらい。
 青法協(青年法律家協会)の裁判官部会には360人の裁判官が加入していた。これはすごい比率であり、人数です。そして、司法反動の嵐のなかで百数十人の裁判官が脱退していく。それでも200人の裁判官が青法協に残った。
 全国裁判官懇話会というのが1971年に始まり、議論していた。それも、当初は210人あまりの参加があって、毎年のように開かれていたが、次第に参加者も減り、ついに2007年に解散した。
 著者は修習31期。同期の裁判官の結束は固く、配偶者も「奥様同期会」をつくり、「風の便り」という同期会誌を発行していた。
これには驚きましたね。そんなに仲が良くて、交流できていた時代があったとは・・・。だからこそ裁判官懇話会への参加の呼びかけ人になったのが30人をこえたのでしょう・・・。それにしても、すごい人数です。感嘆するほかありません。
 勾留請求について、1日1件は却下するくらいの心構えでのぞむべきだと高言していた大阪高裁の裁判官がいた。いやはや、驚くばかりです。
 志賀原発2号機の差し止め判決を書いた著者は、福島第一原発事故を受けて、自分の考えが甘かったことを痛感させられた。
 第一に、原発の集中立地の恐怖に思い至らなかった。
 第二に、使用済み核燃料がこれほど怖いものがという点で、認識を新たにした。
 第三に、国家というものは、こんなに国民を守らないのかということ。
 裁判所は、これまで、原発裁判について、専門家の判断に異議を唱える決断ができなかった。
 この点は、私のもよく分かります。国の判断にタテついたときの反動が、裁判官だって怖いのです。表面上はともかく、内心はヒヤヒヤしているのです。だから、そんな裁判官を励まし、安心させてやる必要がどうしてもあります。それが大衆的裁判闘争の狙うところです。
 今では、裁判所内での露骨な人事差別はほとんどなくなった。しかし、それは差別的な人事をする必要がなくなっているということでもある。裁判官の自主的な集まりというものが、ほとんどなくなっている。
 個性豊かな裁判官が裁判所のなかにいないし、いづらくなっている。
 上司におべっかを使うような裁判官は実は出世しない。物腰が穏やかで、人当たりがよくて、発想はリベラル。若いころには裁判官懇話会にも参加したような人こそ出世していく。問題が生じたときに柔軟に対応できるだけの人柄の良さ、そして枠を踏み外さない。そんな人が出世していく。
 たしかに、私の知る限りでも、そう言えると思います。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。今後とものご活躍を祈念します。
(2013年8月刊。900円+税)

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