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カテゴリー: 司法

人権は国境を越えて

カテゴリー:司法

著者  伊藤 和子 、 出版  岩波ジュニア新書
 国際人権団体であるヒューマンライツ・ナウの事務局長を務める女性弁護士が若者に向けて書いた本です。
 ヒューマンライツ・ナウは、2006年に発足し、今では700人以上のメンバーを擁している。NPO法人となり、2012年には国連で発言権のあるNPOとして登録されている。
 著者が弁護士になったのは20年前の1994年のこと。高校生のころから弁護士を志望して、大学は法学部を選んだ。司法試験には、3回目で合格。必死にがんばったのでした。
 弁護士1年目の1995年9月に、北京での世界女性会議に参加して世界の人権状況に目が開かされた。
 1996年、フィリピンに現地調査に行った。日本人男性がフィリピンで子どもたちの売春をしていることを知り、告発した。
 そして、日本国内の冤罪事件(名張毒ぶどう酒事件)、難民認定事件などにも関わった。
 2001年の9.11のあと、2002年1月にはパキスタンへ出かけて難民キャンプの実情を調査しています。本当にたいした行動力です。すばらしいですね。
 そこで聞いた難民女性の言葉が胸を打ちます。
 「家に帰りたい。平和がほしい。尊厳を取り戻したい。私たちは、これまで平和に暮らしてきたのだから・・・」
 平和は、失ったときに、その大切さが実感できるのですね。いまの日本の平和な生活を大切にしたいものです。
 2004年から2005年にかけて、アメリカはニューヨーク大学のロースクールに留学した。若いって素晴らしいですね。そこで、国際人権法をさらに勉強し、日本に帰ってきました。
 ビルマ(ミャンマー)、カンボジア、フィリピンに出かけ、現地の法律家との交流を深めます。
 深刻な人権侵害が世界各地にあり、それとたたかう法律家と連帯する活動をすすめています。
 そして、日本国内でも、3.11後の救援活動に身を投じます。こんなに勇気ある若い弁護士がいることを知って、ロートル弁護士である私も元気を出さなくては、と思いました。
 ぜひ、多くの若者そして、子どもたちに読んでもらって、あとに続く弁護士が一人でも多く増えることを願いたいと思いました。
(2013年10月刊。820円+税)

司法権力の内幕

カテゴリー:司法

著者  森 炎 、 出版  ちくま新書
 元裁判官が裁判所内の不合理を告発した本です。
裁判所は組織の体をなしていない。
 東京地裁では、会議のあとの懇親会のとき、若手裁判官たちが地裁所長に酒を注ぎに行っていた。それが慣行(しきたり)になっていた。大阪地裁では、所長のところに注ぎに行くというしきたりはなかった。
 東大法学部の「優秀」組で権力志向の強い人間は、行政官になる。それも財務官僚や経産官僚になる。
 私の知るところでは、自治省や警察庁のほうが、もっと権力志向は強いと思います・・・。
 東大法学部にあって、財務官僚や経産官僚の選択も不可能でないなかで、あえて裁判官を選んだこと自体が、その人は権力志向を捨てている。だから、裁判官にはエリートはいないといって差し支えてない。精神においてのエリートはいない。
 「エリートの権化」のような人は、裁判所のなかでは、見つけたくてもどこにもいない。
 1955年生まれで、両親とも弁護士という元裁判官ですが、この点については、私には同意できません。「エリートの権化」のような裁判官は実際にいます。ただ、そのような人は、私の知る限り、真のトップには立てないようには思いますが・・・。また、裁判官を志向した時点で「すでに権力志向を捨てている」というのは、美化のしすぎだと思います。裁判官になってからも、上ばかりを向いて、上を目ざしている、目ざしているとしか思えない人がいる、それも少なくないのは間違いないと思います。といっても、そのとおりになるとは思えないのですが・・・。
 最高裁事務総局勤務を目ざして任官する人は、一人もいない。
 この点は、私も、そのとおりだと思います。しかし、漠然とではあれ、最高裁を目ざす人はいるのではないでしょうか。そんな人は、とかく無難な判決を書くようになります。失点を恐れるからです。いわば、体制順応です。
裁判所の組織としての問題は、最高裁事務総局が現場を支配していることにあるのではなくて、人事が支離滅裂なことにある。
 民間のような透明性のある評価基準がなく、すべてがブラックボックス化しているのが問題である。そのうえ、結果も良くない。
民間企業に果たして透明性のある評価基準があるのでしょうか。私には、そうとは思えません。むしろ、裁判所のほうが、まだましだとしか思えません。
 裁判官には個室が与えられていない。それは、相互に監視するためである。
 裁判官は、外の世界における行動の自由を事実上制限されている。裁判所と官舎とを公用車で往復させられる。そのうえ官舎に帰ったあと余暇の時間さえ、自由にさせない。たとえば、自家用車の所有や運転は、慣行として半ば禁じられている。旅行もできない。宿泊をともなう旅行は、所属する地裁所長に申告しなければいけない。
 同意できない部分も多々ありますが、本書は、自分自身の体験をもとにしていますので、裁判所の実情と、その問題点を知るうえでは欠かせない本だと思いました。
(2013年12月刊。760円+税)

とらわれた二人

カテゴリー:アメリカ / 司法

著者  ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版  岩波書店
 レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
 そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
 それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
 ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
 無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
 「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
 「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
 すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
 刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
 刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)

憲法改正のオモテとウラ

カテゴリー:司法

著者  舛添 要一 、 出版  講談社現代新書
 今や東京都知事である著者が、野に下っていたときに書いた本なので、自民党を激しく批判しています。なにしろ、自民党から「除名」されたのですから、批判するのも当然です。ところが、この本が出るころには、自民党推薦で東京都知事候補になっていたのでした。ですから、報道によると、この本でも批判のトーンが当初よりも緩和されているといいます。
 それでも、自民党の改憲草案と鋭く批判しているところは、幸いに残っています。
憲法改正とは、政治そのものである。これは、私も、まったくそのとおりだと思います。
 立憲主義を分かっていない国会議員に任せて大丈夫なのか・・・。
 これまた、私も同じで、大きな不安感が募ります。
著者は、自民党の改憲草案(第一次)のとりまとめの責任者だった。
 ところが、第二次草案を一読して驚いた。右か左かというイデオロギーの問題以上に、憲法とは何かについて基本的なことを理解していない人が書いたとしか思えなかった。
先輩が営々として築いてきた、過去における自民党内の憲法論議の積み重ねが、まったく生かされていない。
 憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するもの。つまり、法によって権力を拘束するもの。
 「個人」を「人」に置きかえてしまうと、「人」の対極は犬や猫といった動物のこと。「個人」のような「国家権力」との緊張感はない。
 家族構成員間の相互扶助などは、憲法に書くべきようなことではない。
 自民党内部でも、それなりに意見交換していた。自民党内の独自派は、中曽根康弘、安倍晋三の両氏のみ。協調派は、宮澤喜一、橋本龍太郎、与謝野馨、福田康夫であった。
 自民党内で改憲草案を作成するに至る政治の動きがよく分かり、面白く思いました。
(2014年2月刊。900円+税)

パワハラに負けない

カテゴリー:司法

著者  笹山 尚人 、 出版  岩波ジュニア新書
 とても分かりやすい、労働法の入門書です.大学生向けの教科書として、広く普及できたら、日本は、もっとまともな国になるのではないかと思いました。
なにしろ、今の自民・公明政権は財界言いなりで、労働者の使い捨てをギリギリすすめていますから、労働者の権利なんて絵に描いた餅ほどの軽さでしかありません。ひどい社会です。そんな社会だから、秋葉原事件や食品工場での毒物混入事件が起きるのではないでしょうか。中国の毒入りギョーザ事件も同じだと思います。
自分が大事にされていると思わない労働者は、追い詰められたら、とんでもないことをして社会に報復してしまうのです。もっともっと、働く人を大切にする社会にする必要があります。
 それにしても、この本は読ませるストーリーになっています。まだ40代の若手(中堅)弁護士ですが、これで何冊目なのでしょうか。読みやすさと、解説の深さに息を呑んでしまいそうになります。
 主人公は、望まずして労働弁護士になった阿久津弁護士です。パワハラ事件の相談を受け、裁判を担当するなかで、事件と先輩弁護士たちに鍛えられ、物の見方がぐんぐん変わっていき、人間としても大きく成長していく姿が生き生きと描かれています。そして、話の途中では、なんと、自分自身がパワハラの加害者になったというエピソードまであるのです。心憎いばかりの筋立てです。いやはや、完全に脱帽です。
労働契約とは何か、が語られています。
 労働者は奴隷ではない。だから、対等の立場で契約する。これは、口で言うのは簡単ですが、実践するとしたら、それこそ血のにじむ思いをせざるをえなくなります。
 日本にはブラック企業が現に多く存在している。使用者と労働者が、まるで昔の殿様と家臣のような関係になっている。これは、おかしい。明らかに法律の考え方に合致していない。
身の危険があるようなら、労働者は、たとえ業務命令であっても就労義務は負わない。これは、千代田丸事件についての1968年12月の最高裁の判例。
パワハラ事件では、ICレコーダーによる録音が決め手になることがある。
 民事訴訟では、音声記録が相手の承諾を得ていないから証拠としての価値がないとされることはない。パワハラの被害者は、自分が今まさに人格の崩壊をさせられようとしているのだから、自分の身を守る手段として録音するのは、必要やむえをえざる対抗手段なのだ。
 まことに、そのとおりだと私も思います。大変基本的で大切なことが盛り沢山の入門書です。若手弁護士、そして子どもたちに大いに読んでほしいものです。
(2013年11月刊。840円+税)

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