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カテゴリー: 司法

憲法の招待

カテゴリー:司法

著者  渋谷 秀樹 、 出版  岩波新書
 日本国憲法は、人類普遍の原理を調和的に組み込んだすぐれた内容をもっている。それは、世界各国の現行憲法の水準からみても、いまなお最先端かつ最高の内容をもち、世界に誇るべき究極モデルである。
 いま、憲法を取り巻く状況は風雲急を告げている。風通しの悪い、息苦しい、生きていくのが大変な日本にならないように、私たちは政治の動きをしっかり監視していかなければ、ならない。
 私も、まったく同感です。選挙のときに棄権するなんて、とんでもないことです。いま、投票率は全体で6割未満、若者にいたっては3~4割という悲惨な状況です。これでは日本の政治が良くなるはずがありません。主権者たる自覚をもって投票所に出かけましょう。
 憲法の「憲」という字は、上半分が勝手な動きをおさえることを意味し、その下に目と心があるので、全体として、人間の勝手な心の動きや見方を上からおさえるという意味の言葉だ。これって、初めて知りました。
 権利の保障と権力の分立が備わった憲法こそ、真の意味の憲法なのである。
 聖徳太子の17条憲法は、いま一般的に使われている憲法と同じもの、つまり立憲主義的憲法、真の意味での憲法であるとは言えない。
 納税の義務(憲法30条)は、政府が課税するときには、必ず法律をつくって内容や取り立て方法を定めることを義務づけた点にこそ意味がある。
 憲法は誰を支配し、誰が守らなくてはならないものか?
 それは、統治活動を担当する政府であり、それを担う人なのである。憲法に、一般市民に対して憲法を守れと命じた条項がないのは、「法の支配」からして、当然の論理的な帰結である。
 憲法上の「国民」とは、国籍を保有するものに加えて、日本政府の統治権の及ぶ空間内に生活の本拠を有する者(定住者や特別永住者など)であると解すべき。
 特定秘密保護法は、明治憲法下の戦争遂行時の情報管制の時代に時計を戻そうとしている。
 第一に、いまどき本当に国家機密というべきものが存在するのか。国民主権の原理からして、国民誰もが、本来、それを知る権利をもっている。ところが、この法律によると、最長60年間も隠せるし、さらには永久に隠すことも可能としている。
 第二に、特定秘密の内容があいまいで、恣意的に指定される危険がある。時の政権や官僚機構にとって不都合な情報が指定される可能性は大変大きい。
 第三に、報道機関の取材活動を委縮させて、国民の知る権利を狭めてしまう。
靖国神社は、敵味方を区別なく弔うという収容的伝統からかけ離れた存在である。「朝敵」を排除し、民間人の戦争犠牲者も対象としていない。そのうえで、A級戦犯14人を合祀している。
靖国神社は、一宗教団体が運営する宗教施設である。そこに神道の礼法にのっとって参拝するのは、まぎれもない宗教的活動である。政府首脳が参拝するのは、この神社を特別扱いしている印象を国民に与えるもので、憲法で定められた政教分離原則に反し、違憲である。
 まことに明快です。本当にそのとおりだと思います。だからこそ、昭和天皇(A級戦犯が合祀されたあと)も、今の天皇も、靖国神社には参拝していないのです。
 「国政」を「国の政治」と理解するのは誤りで、「統治活動」の意味である。
自衛隊を取り巻く現実をみたとき、日本で発生した大規模・特殊災害への対処こそ、自衛隊の本来的任務の一つに揚げられるべき。
 日本国憲法のもつ意義を、最新の社会状況にあわせて、とても分かりやすく、明快に解説している新書です。難しいことを分かりやすく伝えることが、今ほど求められているときはありません。ぜひ、ご一読ください。
(2014年2月刊。800円+税)

弁護士の失敗学

カテゴリー:司法

著者  高中 正彦・市川 充 、 出版  ぎょうせい
 つい最近、恥ずかしながら弁護士賠償責任保険の適用を申請しました。控訴状のなかに当事者の表示が抜けているところがあったのです。もちろん私のミスだったのですが、運悪く年末年始の時期だったので、控訴期間内の補正が間にあわなかったのでした。私の方は上告したのですが、身内をかばう習性の強い高裁は棄却してしまいました(簡裁が一審だったのです)。
 弁護士過誤を避けるための5ヶ条。①受任事件を吟味する。②依頼者とのコミュニケーションに万全を期する。③ケアフルな執務を実践する。④知識・技能をアップする。⑤誰に対しても誠実に執務する。
弁護過誤を防ぐ7ヶ条。
 ①むやみに人を信用しない。
 ②こまめに報告する。
 ③常に冷静であれ。
 ④説明の腕を磨け。
 ⑤すべての事件で手を抜かない。
 ⑥おカネに魂を売らない。
 ⑦謙虚であれ。
 依頼を断る勇気をもつ。弁護士という職業は、どこから弾が飛んでくるかもしれない、危険一杯の職業である。
 依頼者は、えてして移り気なもの。そのような依頼者からの報酬で事務所を維持して生計を立てていかなければならないのが弁護士の宿命。
直感で、「あれ?」と思ったら、必ず、六法全書や基本書にあたること。この直感はかなりあたる。
裁判官は国家からの給与で生計を立てるのに対して、弁護士は依頼者からもらう弁護士報酬で生計を立てる。
ミスを防ぐには、多重の防止策が有用。事務員と連携して防止策を重ねる。場合によっては、複数の事務員に確認させる。
 「現場百回」、一度でも現場に足を運んでいると強い。
弁護士は、他人(ひと)の失敗でメシを食っている職業なのだから、弁護士が失敗しては、話にならない。性善説では、弁護士は生きていけない。
 いつでも、何年たっても、「思い込むな。初心に返れ」が必要である。
時間管理ができない人は、それだけでその人の評価を下げてしまう。
 必要でない原本は、なるべく預からないこと。
 依頼者層は、その弁護士の人格を写す鏡である。スジの悪い事件は、スジの悪い弁護士に自ずと集まってくる。
 「すべて先生(弁護士)におまかせします」というタイプは要注意。そんなことをいう依頼者は、決してすべてを弁護士に任せる気などない。
 弁護士のなかには、自分の依頼者はすべて正しく、相手方はすべて悪だと思い込み、断言するタイプがいる。
 本当に困ったタイプの弁護士がいます。一見すると、依頼者にとって「頼もしい」存在なのですが、適正・妥当な解決を遠ざけてしまって、紛争の泥沼のなかで、もがくばかりという危険もあるのです。その見きわめは、大変困難です。
 依頼者に、こまめに報告書を送るのが大切。できるだけ、その日のうちに送る。
私は、この報告書は、FAXとかメールでしてはいけないと考えています。あくまで郵送です。この間に、別の事件処理ができるからです。メールではレスポンスが早すぎます。
若いときには、小手先だけで要領よくやろうとするのではなく、徹底的に考え、調べて書面をつくるべき。若いときに努力しなかったら、弁護士としての成長はありえない。
事件ファイルは、弁護士の命である。きちんと整理しておくこと。
去っていった依頼者は追わない。
依頼者とのトラブルが生じたときには、気心の知れた弁護士に相談すべきである。
 依頼者に共感することはあっても、この依頼者は自分が絶対に幸せにしなければならないと思い詰めてはいけない。依頼者と手を取り合って泣いたりしてはいけないのだ。
 この40年間、私も思い返せば恥ずかしきことの数々でした。それでも、なんとか仕事を続けることができています。ありがたいことです。初心に立ち返ることの大切さを改めて認識することのできた本です。多くの若手弁護士に読んでほしいと思いました。
(2014年7月刊。3000円+税)

私たちはこれから何をすべきなのか

カテゴリー:司法

著者  金子 武嗣 、 出版  日本評論社
 著者は私と同世代、団塊の世代の大阪の弁護士です。
 明治以来の弁護士の歴史を振り返り、また、40年間の自分の弁護士生活で得たものを語っていて、大変よみやすい本になっています。
司法改革について、最近、何となく弁護士会の内部に全否定してしまうような風潮があります。著者は残念がっています(121頁)が、私もまったく同感です。
 司法制度改革は、当時の社会状況を抜きに語るわけにはいきません。ある意味では、ひどい弁護士叩きが進行していました。政府と財界は弁護士自治を骨抜きにしようとしていましたし、マスコミと市民は弁護士は市民と縁の薄い、独善的な存在だと厳しく批判していました。弁護士自治が解体させられたら、たまりません。どうやったら弁護士自治を守り抜けるか、市民のための司法の理想に一歩近づけるためにはどうしたらよいのか、必死の模索をしたのです。それを「後知恵」で、陰謀でもあったかのように批判する人がいて、司法制度についての議論が混迷させられました。
 私自身は、地方都市での弁護士生活を40年近く続けてきて、弁護士はまだまだ多くの市民と縁遠い存在だということを実感しています、かつての司法試験も難しすぎました。2万人の受験者で500人の合格者だなんて、少なすぎます。もっと早くから1000人、1500人の合格者にしておくべきだったのです。
そして、司法修習生を無給にして、奨学金を貸すなんて、国はせこすぎます。今度、1機100億円のオスプレイを17機導入するそうです。1700億円です。強襲揚陸艦とか、そんなものに使うお金はあっても、人材養成にはお金をケチる。国のあり方として、根本的に間違っていると思います。
この本を読んで初めて知ったこと、再認識させられたことがいくつもありました。
 弁護士自治を定めた弁護士法が成立したのは昭和24年(1949年)5月のこと、9月から施行された。この成立にあたっては、政府も裁判所も乗り気ではなかった。それを弁護士出身の国会議員の力で成立させた。弁護士が力を合わせて勝ちとったものと言える。
昭和11年に施行され旧弁護士法で、初めて女性弁護士が誕生した。
 このとき、弁護士試補は1年半の研修を義務づけられた。しかし、無給だった。そこで、政府から手当が弁護士会に支給された。弁護士会も予算措置をとって、弁護士試補一人に25~30円を支給した。
 司法修習生にアルバイトを禁止し、修習専念義務を課しておいて無給とするなんて、野蛮国のすることです。一刻も早く、司法修習生に対して、以前のように給費制を復活すべきだと思います。
 この本で、江戸時代の公事師と代言人について低く評価している点は納得できませんでした。まず、江戸時代にはたくさんの訴訟があっていたこと、それを公事師が支えていたこと。この点の積極評価がありません。
さらに、明治前半には裁判がとても多かったこと、江藤新平は、その点で積極的役割を果たしたこと。「多すぎる」裁判の抑制策として高額の印紙税制度が導入されたこと、そして、代言人の多くは自由民権運動の闘士として活動していたこと。これらの記述が抜けています。この点については、著者に補正してほしいと思いました。
 それはともかくとして、とりわけ多くの若手弁護士に読んでほしい、弁護士と弁護士会のあり方を論じた本です。
(2014年7月刊。1800円+税)

冤罪判決実例大全

カテゴリー:司法

著者  日本国民救援会 、 出版  桐書房
 裁判員向けのテキスト、読本です。裁判員にあたった人には、ぜひ裁判とは何かを予習するうえで、読んでほしいと思いました。
 プロ(裁判官)の常識は、素人(市民)の非常識。これがサブタイトルになっています。長く(40年も)弁護士をしている私はまったく同感なのですが、当の裁判官は、自分こそ豊富な常識をもっていると自負している人が大半です。
 重箱の隅をつつく議論は得意とするところですが、大局的な見方とか、社会正義の実現という点では、それこそ致命的な弱点をもつ裁判官のなんと多いことか・・・。ときに絶望的な思いに駆られてしまいます。でも、たまに意欲的で良心を忘れていないと思える裁判官にあたると、そうだ、まだ司法は生きている、とうれしくなってしまいます。先日の大飯原発差止訴訟の判決の格調高さに、私はしびれてしまいました。何度も判決文を読みかえしました。
 刑事裁判官のデタラメ判決が、いくつも紹介されています。驚き、かつ呆れはててしまいます。そのきわめつけが、血液型の混合判決です。
被害者はA型、加害少年はB型。乳房に残っていた唾液はAB型。加害少年の唾液と被害者の垢が混じってAB型になったという判決を書いた裁判官がいたのです。その裁判官の名前は、森岡茂、小田健司、阿部文洋です。そして、清水湛、瀨戸正義、小林正という3人の裁判官が、それを再び支持しました。まったくバカバカしい判決です。こんな裁判官に裁かれた被告人は哀れです。この人たちも、今では、心から反省しているものと期待します(反省してますよね・・・?)。
 自らは有罪を言い渡しながら、「もし、やっていなければ・・・」と説示したという裁判官にも呆れてしまいます。
 「以上のとおり、当裁判所は有罪と認定した。キミは、ずっと有罪を主張してきた。もし、やっていなければ仕方ありませんが、もしやっているのであれば、反省してください」
 こんな判決は許されるのでしょうか。疑わしきは罰せず、という法格言を裁判官は忘れてしまっているようです。
 元裁判官が、署名運動には効果があることを認めて、次のように語っています。
 「どんな人でも、自分のやろうとしていることについて、多くの人が関心を寄せていることを感じると、必ずこれは一生けん命にやろう、誰からもケチをつけられないように、批判に耐えられるように、しっかりしたことをやろうと思う。人間心理として当然です。
 投書の内容を読まなくても、これだけ関心を持たれているんだったら、しっかりした判断をしなければダメだという気持ちになる。それは、必ずプラス効果がはたらく」
300頁にみたない本なのですが、ずっしり重たい本です。救援会の意欲は大いに買いますが、もっと薄くして読みやすい冊子にしないと、ぜひ読んでほしい裁判員とその候補者のなかに十分広まらないような気がしました。
 それはともかくとして、大変内容の濃い読本です。ぜひとも読んでほしいと思います。
(2012年7月刊。1500円+税)

刑事裁判ものがたり

カテゴリー:司法

著者  渡部 保夫 、 出版  日本評論社
 27年前の本の復刻版です。前にも読んでいましたが、司法、とりわけ刑事裁判の本質を当の刑事裁判官が鋭く語った本として一読してほしいものです。
ただし、木谷明弁護士(元裁判官)の解説によると、著者(渡部保夫)は、平賀書簡問題では所長を擁護するばかりで、的確な行動をとることが出来なかったと厳しく批判されています。司法行政官としては欠陥もあったようですが、刑事裁判官としては、大いに実績を上げたようです。
 日本では、刑事裁判の原則が奇妙に転倒している。無実の者であっても無罪判決を得るのは非常に困難であり、検察側が有罪の判決を得るのは簡単である。
日本では、重罪も軽罪も、1年間に400万人が起訴されて被告人となるが、そのうち無罪になるのは全国で1年間を通じて、わずか400人ほど。
 自白こそは、刑事裁判における最大の「つまずきの石」である。
 人は、ある身体的、心理的な環境の下では捜査官から追求されると、意思の弱さなどのために、案外、簡単に虚像の自白をするものだ。罪を犯していないのに、捜査官からさまざまな圧力を受けて虚像の自白をした場合には、機会をみて自白を翻そうとする。
 誤判の起きる根本的原因には、誤った意味の経験主義がある。次のように考えがちだ。
 我々は毎日、犯罪の捜査をやり、また裁判をやっている。それだけで、犯罪の操作や事実認定について十分に熟達できる。それ以上、ことさら研究する必要なんかない。
 しかし、どんなことでも、単に経験を重ねるだけで熟達できるわけではない。
 長年、同じような仕事を続けていると、とかくマンネリズムに陥り、新鮮な感覚を失いがちになる。そうすると、「疑わしきは被告人の利益に」という裁判原則に対する忠誠心がゆるみがちになる。そうなんですよね。マンネリズムは怖いものです。
裁判官の洞察力にも限界がある。裁判官は、自己が平凡な通常人であることを自覚すべきである。裁判官は謙虚でなければならない。
 今も新しい、学ぶべき司法の本です。
(2014年6月刊。900円+税)

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