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カテゴリー: 司法

希望の裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  LABO
このタイトルは、ジョークでも皮肉でもない。日本の現元裁判官が大まじめでつけたもの。
希望が今後も大きくなるように、さらなる司法改革を心から訴えている本である。
日本裁判官ネットワークは、1999年(平成11年)9月に、現職裁判官をメンバーとする日本で唯一の裁判官団体(裁判官OBがサポーターとなっている)。
この本の冒頭にあるのは、なんと「判決どどいつ」です。弁護士から裁判官になった竹内浩史判事です。それがなるほど、よく出来た「どどいつ」なのです。たとえば、次のようなものがあります。
セブン・イレブン、反省気分、多分報告、不十分
これは、最高裁判決がセブン・イレブンの本部に仕入の詳細に関する情報開示を命じたものに関するものです。
福岡高裁を最後に定年退官した森野俊彦弁護士は非嫡出子の相続分差別規定を憲法違反とした最高裁判決を積極的に評価しながらも、その理由づけに不満を述べています。立法理由の合理性の判断から逃げているという点です。そして、夫婦同姓規定について合憲とした最高裁判決については大いなる疑問を投げかけています。
ただ、鎌倉時代の北条政子について、官位を付与するときの便宜的なもので、記録上だけとしているのは、本当なのでしょうか。同じように、夫婦別姓だったとして有名なのは日野富子もいますし、江戸時代は夫婦別墓で、妻は実家の墓に入っていたということですし、単に便宜とか記録上というのではないように私は考えています(私も、さらに調べてみます)。
人生の半分以上を費やした場所である裁判所になお、希望を見出そうとする思いがにじみ出ている論稿でした。
浅見宣義判事は、激動する日本社会の中で、裁判官という職務のやりがいが特に大きくなり、その魅力が高まっていると力説しています。
私も、そう考えている裁判官がもっと増えてほしいと思います。現実には、やる気のない裁判官、記録をじっくり検討しているのか疑わしい裁判官、枝葉を妙にこじくりまわす裁判官、いかにも勇気のない裁判官があまりに目立つからです。
裁判員裁判を経験した刑事裁判官が、体験して本当に良かったと述懐していたとのこと。私も、こういう話を聞くと、うれしくなります。私は残念ながら、裁判員裁判を1件も経験していません。殺人事件を担当したら、いわゆる認定落ちになってしまったのです。
体験した弁護士の、必ずしも全員が裁判員裁判を積極評価しているわけではありません。先日、これまで8件ほど体験した福岡の弁護士に意見を求めると、昔の職業裁判官による裁判に比べたら断然いいと思うし、やり甲斐があると語っていました。パワーポイントなど使わず、裁判員の顔を見ながら弁論するので、反応がすぐ分かり、手ごたえがあるのが良い、とのことでした。
これまでの調書偏重裁判を打破したという点で、裁判員裁判は画期的なものだと私も考えています。そして、被告人の保釈が認められやすくなったのも事実です。「人質司法」が少しだけ改善されたのです。
もちろん、裁判所は、もっともっと改革されるべきです。たとえば、裁判官の再任審査にあたって外部意見を取り入れる建前になっていますが、それは「外部」といっても、せいぜい弁護士しか想定していません。広く裁判を利用した国民の声を反映させるものではまったくありません。実は、弁護士会のなかにも、その点について消極的な声があるので、驚くばかりです。大学でも学生が教授を評価するのがあたりまえになっている世の中です。裁判を担当した裁判官について、利用した国民がプラス・マイナスの評価をつけることが「裁判の独立」をおかすものとは私には思えません。
最後に『法服の王国』の著者である黒木亮氏がイギリスの裁判では、みんなが活発議論していることを紹介しています。私は日本でも、もっと本当の口頭弁論をしなければいけないと考えていますので、日本はイギリスを見習うべきだと思いました。
ともあれ、日本の司法について希望を捨ててしまったら、いいことは何もありません。
日本国憲法の輝ける人権保護規定を深く根づかせるためにも、私たち弁護士も、裁判官も、もっと努力する必要がある。そのことを確信させる貴重な問題提起の本です。
私の同期の元裁判官(仲戸川隆人弁護士)より贈呈を受けました。ありがとうございました。日本裁判官ネットワークのさらなる健闘を心から期待しています。
(2016年12月刊。2500円+税)

黒い巨塔、最高裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社
最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

学校内弁護士、学校現場のための教育紛争対策ガイドブック

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版  日本加除出版株式会社
著者は学校内弁護士です。スクールロイヤーではありません。えっ、どこが違うの・・・?
著者は5年前から、私立高校の社会科教員であり、また弁護士でもあり、兼業しています。
実際のスクールロイヤーは、「学校」の弁護士ではなく、「教育委員会と管理職教員」の弁護士。学校からすれば、あくまでも外部の第三者。毎日、学校にいるわけではない弁護士が「スクールロイヤー」の名称を用いるのは、あまりにも実態とかけ離れている。スクールロイヤーと称する弁護士の最大の問題点は、学校と日常的に関わっていないことにある。
学校内弁護士の魅力は、一日、学校に勤務するだけでも、何十人、何百人もの生徒と接することにある。もう一つは、同僚として教育現場で働く先生と直接的な関わりをもてること。 
学級担任の法的責任は、学級経営に関する裁量権の逸脱・濫用が認められる場合にのみ成立すると考えるべき。学級経営に関する事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、判断の過程・内容が著しく不合理でない場合でない限り、学級担任は責任を負わないと解される。
教育的責任と法的責任はまったく別の概念である。
何らかの事故が起きた場合、保護者から責められたときには、
「一教育者として申し訳なく思います」
「損害賠償などの件については、弁護士と協議してお答えしたいと思います」
このように答える。事実関係や因果関係を記載した「報告書」などの書面は、弁護士や第三者が関与するまでは作成すべきではない。
保護者側が秘密録音することを防止するのは不可能。
「いじめ」のとき、加害者を直接交渉に関与させることは、加害者の親権者に対して、家庭の責任を意識させる契機になる。紛争当事者としての意識をもってもらうことも大切。学校は補完的に仲介するのがよい。
危険性を有する加害者の家庭は、そもそも家庭内での問題をかかえていたり、連絡がなかなかとれなかったりする場合が少なくない。そのため、学校としては、家庭の事情や連絡した事実を記録して、証拠化しておくことも大切。
「いじめ」が発生した場合、学校は、通常、在学契約にもとづく安全配慮義務または不法行為責任を負う。しかし、「いじめ」の法的責任を一時的に負うのは、あくまでも加害者とその親権者である。学校は、できる限り早期に双方に対して「紛争当事者」であることを意識させる必要がある。
学校は必ずしもアンケート調査を実施する必要はない。むしろ、アンケート調査は不要と考える。匿名によるアンケート調査は気休め程度のものでしかない。むしろ、日常的に面談調査やヒアリング調査を行うほうが、「いじめ」の早期発見につながる。
「いじめ」を早期発見できなかった責任は教員だけでなく、親権者にもある。
男子は身体的で可視的ないじめが多く、女子は心理的で陰険ないじめが多い。いじめる家庭は家庭に問題を抱えていることが多い。これは、全世界に万国共通の傾向である。
保護者対応の基本原則は、保護者のクレーム内容に合理性があるかどうかを検討すること。合理性のない主張には毅然とした対応を示す。合理性のない主張には、合理的な主張で対応することが非常に効果的である。
さすがに学校現場にいる弁護士だけあって、とても説得的かつ実践的な本です。学校にからむトラブルに関心のある人々に、一読を強くおすすめします。
(2016年8月刊。2700円+税)

法解釈の正解

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 田村 智明 、 出版  頸草書房
実務法曹の世界で活動している若き哲学者の目で書かれた法解釈の本です。
正直言って、私には少々難しい場面も少なくありませんでしたが、なるほど、そういうことだったのかと初めて認識させられるところの多い法解釈の本でした。
今は青森で弁護士をしている著者は司法試験に合格したあと、8年間も司法試験の予備校専任講師として受験指導をしています。その体験もふまえた哲学的見地から法解釈のあり方がとかれています。著者は法解釈には正解があるという立場です。
だからこそ自己の立場は有限なのであり、謙虚にふるまう必要がある。そして、一般意志ですくいきれなかった他の立場の人の思いに対して、きちんと思いやらねばいけない。
法の支配の原理、あるいは憲法上の個性尊重主義は、もともと正解志向こそが本質なのである。そして、法の支配の原理の論理学のなかには、他者排除、価値観の押しつけの論理が含まれている。
法の支配の原理にもとづく法解釈の論理とは、結局のところ、「支配者の論理」なのである。だから、他者との共存を排除する方向性をもつ危険を秘めた思想である。この点を自覚しておかねばらない。法解釈の実践とは、まさに、このような支配の論理学を駆使しているのである。このことの自覚が実務法曹には不可欠である。
司法試験では、法の支配の原理こそが重要な価値である。
自分が信じる正義の内容も示さずに条文の言葉だけで結論を導いたり、あるいは正義を示したとしても、あまりに形式的、独善的で社会的な説得力を欠くようではいけない。
実務家として、自分がどんな立場に立っていても、プロとして、社会の人々に対して自己の立場の正義を理論的に説得するという役割を担っていることを自覚すべきだ。
正解志向は決して悪いことではない。むしろ、これを自覚的に実践することは、自己批判を可能にし、自己を謙虚にさえする。なぜなら、正解志向は、自分がある特定の価値観を前提に正解を導いていることを自覚させるから。
プロの法律家に必要とされる能力は、与えられた、あるいは自己が現実を欲している実質的主義を法的な形式にしたがって表現、主張すること、これに尽きる。
真に自由になるためには、自分を知らなければならない。真の自分は、普遍的な法に従うことで幸福を感じるような自分である。
自由とは、一般に、自分が生活している社会の中で自分が発揮できる持ち味を発見し、その発見した持ち味を生かす道を選びとること。そのためには、目先の快楽などにはとらわれずに、自分や社会のことを知る必要がある。
子どものころ、私たちが勉強するのは、大人になってから自由になるため。自由とは、強制から解放されたらすぐに獲得できるというものではない。自分が従うべき普遍的法則を発見し、かつ強制から解放された場合にはじめて得られるものなのである。その普遍的法則を発見するためには、学校でみなが同じことを学ぶ必要がある。
自由とは、自己の個性の発揮である。だから、自由になるためには、自己の個性を知らなければならない。それには、さまざまな経験と勉強とが必要である。なぜなら、個性には、自分の属している社会との関係も含まれているから。自分がもっとも社会に貢献できる持ち味を発見することが自由獲得の条件である。
民主主義が正義である根拠は、討論や審議によって、さまざまな立場の意見が法案に反映される点にこそある。
多数派の意見は多数派の利益になる意見とは必ずしも合致していない。
裁判官の多くは、自分の頭で何が正しいかを判断する勇気をもたず、上級審判決がこうであれば、それに従うのが正義だという内容の判決を大量生産しているのが現状である。
なかなか考えさせられることの多い本でした。今度は、論文式合格答案の書き方の本も読んでみることにします。著者から贈呈を受けました。ありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
(2010年10月刊。2500円+税)

日本国憲法は希望

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 白神 優理子、 出版  平和文化
いま大いに注目されている若手弁護士です。そのさわやかな話しぶりは、憲法の伝道師を名乗る伊藤真弁護士に匹敵します。
なにより、弁護士生活3年だというのに、憲法を語る学習会の講師を100回以上もつとめたというのですから、ただものではありません。私なんか、3年間で片手もあるかなという体たらくなのです。まあ、なんといっても若さにはかないません。
白神は「しらが」と読みます。著者から講師として憲法を語るときのポイントを聞きました。
まず第一に、憲法の魅力を自分の生き方を紹介しながら具体的に語ること。中学生までは、どうせ世の中は変わらない、変えられないと思っていた。ところが高校に入ってから、いや世の中は変わるし、変えられる。憲法は国民の自由を保障するもの、権力を縛るものだと知って心を動かされた。歴史は着実に前へ進んでいることを教えられた。
第二に、憲法を改正しようとする人たちの狙いは、日本を戦争できる国の体制につくり変えることにある。戦争と言えば、イラクでもアフガニスタンでも、大勢の罪なき市民が殺され傷ついている。子どもの手足が爆弾でもがれる、そんな悲惨な戦争を日本の権力者は再びしょうとしている。黙っていては危ない。
第三に、自民党の憲法改正草案は国民の基本的人権をまったく無視し、公益に反しない範囲でしか守られないとしている。つまり、国民は国家に逆らってはいけない存在になっている。
第四に、経済の視点からの話も欠かせない。戦争する国づくりは、福祉国家をこわすことになる。つまり、国民の貧困化が一層すすんでしまう。
白神弁護士は、ここまで話してきて、頭を上げてニッコリほほえみました。でも、最後に、希望を語ることが大切だと強調したのです。私も、まったく同感でした。せっかく憲法について学習しようと足を運んでくれた人を暗い足どりで帰してはいけません。しっかり元気を取り戻して、明るい気持ちで、家に帰って、周囲の人に声かけあうようにしなくてはいけないのです。
その点を白神弁護士が最後に強調したので、さすがに多くの憲法学習会で鍛えられている人は違うな、そう感嘆しました。
「ワインで語る憲法の話」という企画にも講師として参加したそうです。ワインのソムリエをしている人がアメリカ、ドイツ、スペインのワインの特長を紹介すると、この三国の憲法状況を白神弁護士が語ったというのです。すごい発想です。こんな柔軟な発想が年輩の私たちにも必要です。
都知事選挙のなかでのネガティブ・キャンペーンに踊らされる人がいかに多いか。その現実を前にして、日頃から私たちの言うことに耳を傾けてくれる人々をいかにたくさんつくっておくかがポイントだ。この白神弁護士の指摘にも、私は共感を覚えました。
このブックレットは、そんな豊富な憲法講師活動のエッセンスがまとまっています。年金・福祉や教育・予算を削る一方で、軍事(防衛)予算だけは、一貫して右肩上がりに増え続け、ついに5兆円を突破しました。そんな流れをぜひ変えたいものです。
憲法を守って、私たちの平和と人権を守り抜きたいものです。
80頁、800円(プラス消費税)という、とても手頃で味わい深い冊子です。表紙にある白神弁護士の笑顔の写真を眺めるだけでも心が癒されます。あなたに、ご一読を強くおすすめします。
(2016年7月刊。800円+税)

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