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カテゴリー: 司法

日本弁護士総史

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 安岡 崇志 、 出版 勁草書房
 江戸時代に公事師(くじし)がいて、公事宿(くじやど)があったことは小説にも描かれていて、今ではかなり知られていると思います。ところが、この公事師を幕府は禁止していたとか、不当に軽く低く評価する人がいます。私は、いろいろの文献を読んで江戸時代の裁判手続において、公事師・公事宿の果たした役割は決して軽視すべきものではないと考えています。この本も、私と考えが共通しているようで、安心しました。
 「公事宿・公事師は長い間、法制史・近世史の研究から打ち捨てられていた」
 しかし、今では、「江戸時代の公事師や公事宿があまねく存在し影響を及ぼしたことにより、19世紀最後の四半世紀に劇的な法の変化への道が開かれた」として、積極的に評価されるようになっているのです。そして、明治以降の日本の法制度は、江戸時代の法制度と明らかに連続面をもっているとまで指摘されています。日本人の心性が明治ご一新の前後で、まったく異なったなど言えるはずはないのです。
 そして、明治になって、初代の司法卿(法務大臣)になった江藤新平(佐賀戦争で敗れて大久保利通によって刑死)が民事訴訟に関する手続きを整備し、代言人に関する規則を定めました。
 明治の初めに代言人となった人々は、江戸時代の公事宿・公事師の流れをくむ人だったと考えられる。つまり、訴訟代理の実態は、江戸から明治への「地続き」でした。
代言人が誕生して3年半後の1876年2月、司法省は代言人規則を制定した。
 1876年に代言人の免許をとったのは、わずか174人。しかし、この当時民事訴訟(新受件数)は32万件もあった。つまり、無免許の代言人がほとんど代人として訴訟を請け負った。1880年7月、東京に代言人組合が誕生した。
 1890年7月の第1回衆議院議員選挙のとき、300人の当選者のうち25~31人が代言者だった。
1893年5月、弁護士法が施行され、代言人は弁護士登録し、弁護士会を設立した。
 代言人は、フランスの訴訟代理人の訳語として福沢諭吉が考え出したとされる造語。弁護士は、漢籍にもある古い「弁護」と「士」を組み合わせた半造語。
「三百代言」は下賤(げせん)な代言人を「三百」として、「安物」と見下したコトバ。
 1896年6月に結成された日本弁護士協会は任意団体だったが、職能団体として時代に先駆けた功績をいくつもあげている。あとになって、弁護士法施行後の明治期を「黄金時代」だったとされた。(島田武夫・1958年度日弁連会長)。
 1918年7月、富山県で半騒動が勃発したとき、日本弁護士協会は全国調査に乗り出し、総会で決議を採択した。
 1933年当時の弁護士について、「弁護士には家主が家を貸さない。米屋からも酒屋からも鼻つまみにされる。既に人心を失った」とされた。「三百追放」は実現したが、弁護士層全般が下り坂になってしまった。
 1929年、弁護士が背任、横領詐欺などで20人も逮捕された。1930年、日本弁護士協会が弁護士の経済状況をアンケート調査した。それによると、収入平均額は年2700円で、検事の平均俸給の8割程度だった。弁護士の6割近くが「弁護士純収入だけでは生活費をまかなえない」と回答した。金融恐慌の影響だとみられる。同時に、弁護士人口の過剰。毎年250人から350人増えていて、訴訟事件が減少していた。過当競争があり、非弁護士が暗躍していた。非弁取締の法律が1936年4月から施行された。
明治から終戦まで、弁護士がもっとも多かったのは1934年の7082人。翌1935年もほぼ同数の7075人。ところが、1936年に5976人に急減する。1937年から1938年にかけても945人減って、4866人になった。このように会員が減少したのは、①戦時の進行で国民の権利主張が圧迫され、弁護士の活動範囲が狭くなった。②満州国へ転出していった。③応召によって軍務についたほか、司政官となったなどがあげられる。
江戸時代の公事師、明治になってからの代言人、そして戦前の弁護士の実情がよく分かります。
(2024年12月刊。4400円)
 一気に春めいてきました。団地の桜も気がつくと3分咲きです。日曜日の朝、庭に出るとチューリップ1号が咲いています。午後に帰って庭に出ると、至るところにチューリップが咲いていました。一気に開花したようです。今年は地植えのヒヤシンスが見事に咲いてくれました。紅、ピンク、黄色の花が華麗に咲きほこっています。
 庭にジョウビタキがやってきました。そろそろお別れです。旅に出る挨拶に来てくれたようです。春はいいのですが、花粉症に悩まされ、目が痛く、鼻水したたるいい男なので、辛いです。

当山法律事務所40周年記念誌

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 弁護士法人当山法律事務所 、 出版 非売品
 沖縄で活躍している当山(とうやま)尚幸弁護士は私と同じ団塊世代です。40周年記念誌が送られてきましたので、早速、法廷を待つあいだ、市民相談の隙間時間に読んでみました。それがまた、とても面白くて、区切りのよいところまで読み上げたいと、少しばかり相談者を待たせてしまいました。ゴメンナサイ!
 当山法律事務所の入っているテミスビル(自社ビルです)には私も行ったことがありますが、小高い丘に威風堂々としていて、当山弁護士そっくりの偉容です。
 当山法律事務所は、県庁前、リーガルプラザ、松尾公園テミスビルと返遷し、2021年に法人化した。当山弁護士は弁護士になったとき33歳、独立創業時は36歳だったが、昨年9月、喜寿を迎えた。奥様(恵子様)は、もと裁判所書記官であり、当山弁護士と結婚してから税理士そして司法書士の資格を取得した。
 当山弁護士の活動歴の紹介のなかで圧倒されたもの、私がとても真似できないと思ったものに、後進の養成法曹人材育成をライフワークとし、物心両面で支えてきたし、今も支えているということです。受験生に月10万円を半年間にわたって送り続け、琉球大学に当山フェローシップ(給付型奨学金)というシステムをつくって支給している。これは当山弁護士自身が沖縄から東京に出て苦しい受験生活を過ごしたという原体験にもとづいています。養鶏業をしていて楽ではない両親から月3万円の仕送りを受けていたのです。下宿の家賃は月7千円でした。
 当山法律研究室(虎の穴)の紹介も落とせません。当山法律事務所にいて朝9時から夜9時まで1日12時間勉強することを条件として月に10万円を支給するというものです。神戸で活躍している韓国出身の自承豪弁護士も出身者の一人で、北九州で弁護士をしていた我那覇東子さんも出身者です。
 さらに、当山法律事務所にかつて在籍していた弁護士、また弁護修習した弁護士や裁判官たち全員からメッセージが寄せられているのにも驚かされます。私の場合は双方にとって不本意な退所者が2人いて、その後は、まったく没交渉です。
当山弁護士は沖縄県の選管委員長ですが、これは本人自身が選挙に出る可能性がないことにもよります。父親の選挙での「悲惨な」体験があるのです。
その前に県の収用委員会の会長もつとめています。沖縄県の土地収用問題となると、米軍そして日本の防衛施設局が関係し、地権者は基地反対運動に組織化されているので、収用委員会は政治的に大きく注目される存在。会長は過激派から狙われ襲われる危険もあるというので、自宅の南北の側に、24時間立哨の警官が1ヶ月のあいだ配置されたとのこと。これは大変です。そして、公開審理では、「野次怒号のない円滑な審理」にすべく、関係者に協議を申し入れて実現。たいしたものです。
有村産業という負債300億円の会社更生法の保全管理人としての活動にも刮目(かつもく)しました。税務署が滞納金の差押をしてきた。これを解除しないと清算手続がすすまない。いったん決裂しかけたとき、考え直して、滞納金の10回分割支払いを提案し、税務署に承諾させた。これまたすごいです。粘り勝ちですね…。
 当山弁護士は2001年4月から1年間、沖縄弁護士会の会長をつとめた。私も同じころ福岡で役員をつとめていましたので、それ以来、当山弁護士とはお互いよく知っている関係なのです。
当山弁護士の反対尋問は、相手(敵性証人)に9割も言わせておいて、いい気になったところで不利な証拠をつきつけ、そこからそれまでの証言との矛盾を次々に指摘して、信用性を一枚一枚はいでいって、裁判所の相手の信用を完全にぶち壊してしまう。その迫力は聞いている味方もトラウマになるほどの強烈さがある。身近にいて震えるほどの鋭さでした。
 イソ弁が裁判の期日を間違っても、すぐにフォローして楽天的な方向にもっていき、カバーする。弁護士は間違えても、それを学んでいけばいいという楽観主義に徹している。
 当山弁護士はアメリカの弁護士倫理を翻訳しています。60歳のとき英語研修でハワイに2週間いて、満点で卒業したそうです。私はフランス語をずっとずっと勉強していますが、ちっとも上達せず、翻訳するなんて考えたこともありません。
 当山法律事務所にも税務調査が来ました。税務訴訟で全面勝訴したことの報復だろうとしています。ありうることです。そして、「おみやげ」なしで終わらせたそうです。えらいです。
 当山弁護士は、ゴルフ大好き人間ですが、「ゴルフなんて亡国の遊びを自分はしない」と言っていたことがあるそうです。人間は変わるものです。
この記念誌のハイライトは、本人抜きで率直に語りつくした座談会。ところが、当山弁護士の悪口がちっとも出てこないのは、やはり人徳ですね。「大里の赤マムシ」と恐れられる男性事務員(近藤哲司さん)の発言が出色です。
 最後に、当山弁護士の人柄について紹介します。
 お節介だ。不言実行の人。カラオケ大好き、裕次郎大好き。奥様メロメロの愛妻家。人望の人。公聴心を持ちつつ、経済的にも成功をおさめている稀有(けう)な弁護士。
 いやあ、こんな楽しく、実に豊かな内容の40周年記念誌(260頁)を読んで、なんだか心がほっこりしてきて、心も軽く、浮き浮きしてきます。沖縄タイムス社が編集協力しているとのことで、レイアウトも見事です。ありがとうございました。
(2024年7月刊。非売品)

再審弁護人のベレー帽日記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 創出版
 小柄な身体は闘志の魂(かたまり)のようです。私も何回か著者の話を聞きましたが、情熱がほとばしり出てくる、速射砲の展開に、心を射すくめられました。
 この本は雑誌『創』の2021年6月号から3年間のコラムをもとにしています。この3年間に、日本の再審と刑事司法をめぐって大きな動きがありました。こうやって振り返ってみると、まさに激動した時代だとひしひしと実感させられます。
 それにしても、2019年6月25日の最高裁判所の決定はひどい、ひどすぎます。せっかく大崎事件について地裁と高裁が認めた再審開始決定をとんでもない「事実」を認定して取り消したのです。許せません。
 著者は、この5人の裁判官を忘れてはいけないとして、実名をあげ、国民審査で罷免しようと呼びかけました。まったく同感です。小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の5人です。しょうもない連中だと言うほかありません。被告人とされた3人が自白しているんだから有罪で間違いないという捜査機関と同じ思い込みから、科学的な鑑定を無視し、はねつけたのです。ひどいものです。
 そして、その後の再審請求について、ひどい最高裁決定をそのまま踏襲したような地裁決定が出されました。まさしくヒラメ裁判官です。勇気をもって自分の頭で考えようとしない裁判官が、いかに多いことか…。残念です。
 再審事件の審理について、いつも納得できないことは、検察官が手持ち証拠を全部出さないこと、隠していること、あるいは袴田再審事件のように証拠を警察が偽造しているのに、それを容認して平然としていることです。大崎事件でも、検察官は、もう未開示証拠はないと断言したのに、鹿児島地裁の冨田敦史裁判長が証拠開示を勧告したら、18本ものネガフィルムが新たに開示されたそうです。検察官は嘘をついたわけです。
 証拠は検察官の私物ではありません。公益の代表者として法廷で行動しているはずの検察官が自分に不利だと思った証拠を隠しもって提出しないということが許されていいはずはありません。
 再審法は改正されるべきです。証拠開示手続の明文化、そして再審開始決定に検察官は不服申立(抗告)が出来ないようにすべきです。
 著者はアーティストでもあります。ライブコンサートでピアノを弾き、歌っています。福岡で八尋光秀弁護士と一緒に、そして見事に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんと共演しています。すごいものです。再審法改正の実現まで、どうぞ健康に留意されて、引き続きのご奮闘を心より祈念しています。
 ここまで書いたあと、大崎事件でまたもや最高裁が再審しないと決定したことを知りました。本当にひどいです。学者出身の宇賀克也裁判官ひとり再審を認めるべきとしています。それだけが唯一の救いです。
(2025年1月刊。1870円)

企業法務弁護士入門

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 松尾 剛行 、 出版 有斐閣
 今や企業法務が若い人に圧倒的な人気です。先日聞いた話では、東大ロースクール生は、40人のクラスで35人が企業法務を志望していて、五大事務所に内定しているそうです。もちろん私は企業法務を否定しませんし、日本社会に大いに必要だと考えています。それでも、企業法務以外に選択肢がないかのような昨今の風潮は残念でなりません。弁護士の仕事は地域的にも、仕事のうえでも、もっと多様なんです。それぞれ自分の人生をかけていきていて、弁護士をしている。そのことを法曹をこれから目ざそうとしている若い人に知ってほしいと切に願っています。
 そんな私が、なぜこの本を読んだのかというと、最近の企業法務の業務の実情を知りたかったからです。私の要望にしっかりこたえてくれる内容の本でした。
 企業法務弁護士になりたいという学生のもっているイメージは…。
 〇キラキラした仕事ができる
 〇一般民事を扱うより、仕事が楽そう
 〇感情論の比重の強い一般民事より合理的でロジックにもとづいて仕事ができる
 〇裁判所に行かず事務所で仕事ができる
 〇親族相続法や刑事法は扱わない
 これについて、企業法務を扱うべきベテラン弁護士である著者は誤解と過大評価があるとしています。
 キラキラ…仕事の実際は地味。
 楽な仕事…大きなプレッシャーを受ける
 合理的・ロジック…法務担当者の悩みを聞き、精神的なケアも必要
 事務所で仕事…面談しての仕事は欠かせない
 親族・相続、刑事を扱わない…社長の家族関係は扱うし、企業をめぐる犯罪を扱えなかったら困る
 著者の以上の回答は、いちいちうなづけるものばかりです。
 では、企業法務の特徴は何か…法務部門が行うリスク管理の過程に貢献し、組織としての意思決定に支援するところだと著者は考えている。
 なるほど、そうなのでしょう。
 企業法務であろうとなかろうと、弁護士実務は、正解のない問題に取り組むという特徴がある。誤りはあっても、唯一の正解というのはないのです。
 新人弁護士に欠けているものは、失敗の経験。なるほど、これは言いえて妙です。まったくそのとおりです。私も数々の恥ずかしい失敗を重ねてきました。
 弁護士業務ではバランスが重要、これまた、そのとおりです。仕事をすすめるうえでのバランス、利益衡量のバランス、仕事と家庭のバランス。いろんな面のバランスをうまくとっていかないと決して長続きしない。どこかに正解があるということはないので、自分なりに精一杯考え、必要なコミュニケーションをとり、周囲の人を巻き込んで正解をつくり上げていく。
 企業法務の弁護士であっても、私のような地方の一般民事・家事を扱う弁護士であっても、目の前には生身(なまみ)の人間がいることを忘れずに取り組むのです。
 弁護士にとって重要なものの一つに、人当たりの良いことがある。いつも明るく前向きにアドバイスすることで、法務担当者にとって相談したい弁護士になるべき。
 これは法務担当者には限りません。相談者が帰るときには明るい、晴れやかな顔をしているのが理想です。
 たとえば、「贈賄(ぞうわい)のリスクがあるから、やめなさい」と回答して終わってしまったら、法務担当者は次から相談に来ない。では、どうしたらリスクを回避できるか、一緒に悩みを共有して、打開策を探っていくべきなのです。
企業法務と刑事弁護は縁がないように見えるが、実はそうではないと著者は強調しています。著者自身が刑事弁護人として現役とのこと。私も、弁護士である限り、刑事弁護人の仕事は続けるつもりです。そのほとんどが国選弁護人ですけれど、やむをえません。
 従業員の横領、性犯罪そして取締役の背任・横領など、企業内外をめぐる刑事犯罪の発生は必至です。そのとき、私は刑事弁護はやってない、分からないという対処はもちろんありえます。しかし、企業にからむ捜査対応では刑事弁護人の経験を生かすことができるものです。もちろん、本格的な刑事弁護はその道のプロに依頼したほうがいいことは多いでしょうが、それでも刑事弁護人の経験の有無は大きな意味をもってくると私も思うのです。
 さすがの内容がぎっしり詰まっている本でした。
 最後にもう一回。弁護士の仕事は企業法務だけではありません。若い人たちに、地方で困っている人はたくさんいますし、いろんな新しい分野にぜひ進出していって開拓していってほしいと呼びかけたいと考えています。
(2023年11月刊。2300円+税)

弁護士の日々記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 前田 豊 、 出版 石風社
 福岡の弁護士である著者が20年前に弁護士会の役職にあったときの随想、そして最近の世相に思うことをまとめた本です。
 私は、白寿(99歳)を祝った著者の父親の被爆体験を初めて識りました。長崎で19歳のとき被爆したのです。三菱造船稲佐製材工場で働いていました。
 突然、空気中が溶接ガスの火花の色みたいになって爆風に飛ばされた。もう、これで死ぬのだと思った。何にも分からず、十数分くらいたったと思う。
 三菱長崎製鋼所のあたりでは、市民や学徒動員の負傷者でいっぱいだった。まさに、この世の地獄だった。大橋から下の浦上川を見ると、そこも傷を負った人たちでいっぱいだった。死体もごろごろしていた。
 救援列車に乗った。いったん乗って、降りて、戻ってくるのを待つと、超満員で汽車が戻ってきた。重傷者は、血止めの方法を教えれくれとか、殺してくれとか、苦しんでいる人が多くいた。車内はまさに地獄状態だった。やっとこさで乗り、列車の連結のところに立ちずくめで諫早駅まで行った。
 焼けたふんどしに裸足(はだし)姿で駅から2キロ歩いて、家に着いた。畳に腹ばいになったあとは、何にも分からない。翌日、体全体が痛む。頭の毛が燃えた悪いにおいがする。昼間はハエがたかる。夜は蚊が刺す。弟たちがウチワであおいでくれる。火傷(ヤケド)にはイノシシや穴熊の油を父が塗ってくれる。背が自分の死を待っている状態で過ごす。8ヶ月後、ようやく歩けるようになった。
そんな状態にあったのに、99歳まで長生きしているとは、まことに人生とは分からないものです。
 さて、随想のほうは20年前の司法をめぐる話題が豊富に提供されています。読んで、そうか20年前というと、裁判員裁判が始まったころなんだなと自覚させられました。
 そして、法テラスもこのころ(2006年10月)スタートしたのでした。いろいろ批判もあるのですが、それまでの法律扶助制度に比べたら、格段の前進であることは間違いありません。
 現在、天神中央公園にある貴賓(きひん)館に福岡控訴院(福岡高等裁判所の前身)があったことを初めて知りました。その後、赤坂近くの城内に移り、今は六本松にあります。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
 それにしても、今の仙人姿は、どうなんでしょう…。相談に来た人に近寄りがたいという印象を与えていませんか。それとも奥様のお好みによるものなのでしょうか。
(2025年2月刊。1760円)

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