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カテゴリー: 司法

昨日の世界

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 島崎 康 、 出版  毎日新聞出版
元検事長の回想小説というタイトルに惹かれて手にしました。実は、まったく期待することなく読みはじめたのですが、どうしてどうして、とても中身の濃いサスペンスタッチの小説でした。
「ある殺人事件の捜査担当検事が最後に行きついた人間の真実とは・・・時代に翻弄される人々の生き様を描く意欲作」というのが本のオビにありますが、このオビの文章を決して裏切ることのない大変な力作です。東京から帰る飛行機のなかで読みはじめ、家に帰りつくまでに読了しました。あっという間でした。
実は、私は目下、「弁護士会殺人事件」なるものに挑戦中なのです。犯行の手口はそれなりにイメージできて書けるのですが、犯行動機の点でハタと行き詰まっています。人を殺すほどの動機が利権の乏しい弁護士会にあるとは思えず、考えつかなくて困っているのです。
そこを、暴力団がらみの殺人事件が起きた本書で、どのように工夫をし構成しているのか、知りたくて読みすすめましたが、最後まで、ぐいぐいと惹きつけられました。
最後に参考資料として、 侠客・ヤクザはともかくとして、満蒙開拓団・学生運動・浦上四番崩れがあげられています。それがうまく(解説がくどいという部分もありますが・・・)、動機部分と人物描写に組み込まれていて、ストーリーに深みをもたせています。ここも類書にない特長です。
警察の検察への事前相談は、法律上の根拠はない。いわば、官庁間の根回しに類するもの。警察は、その事件の帰趨が社会的に注目されている場合には、事件の送致前に検察に「事前相談」し、事実や法律問題を詰め、勾留の可否、起訴の可能性などを探る慣行がある。
警察が「もうちょっとがんばります」というのは、検察に無理難題を押しつけるときの常套文句だ。
検察は、何事をするにも上司の決裁を必要とする。検事の日常は、この上司への報告・決裁に向けて毎日を過ごしているようなもの。検事のなかには、「上司の意向を忖度(そんたく)し、それにあわせて捜査し、処理しようとする者、捜査や後半より報告書づくりに精力を傾ける者がいる。
嘘をつくというのは、普通の人間にとって、並大抵でない緊張を強いる。それが取調べであれば、なおさらだ。
人は、いったん嘘をつくと、これを合理化するために、さらに嘘をつかねばならない。そのうえ、取調官が、どこまでの材料をもっているのかを推測する。身柄拘束されていたら、これに密室妄想的要素が加わり、さまざまな想像をめぐらせる。そして、四六時中、そのような想念にとりつかれているうちに、自らの嘘で自縄自縛になり、あらぬ話を捏造し、ついには墓穴を掘る羽目に追い込まれる。取調べの早い段階で、相手方に好きなだけ嘘をつかせることも尋問技術のひとつだ。
著者は検察官を長くつとめ、検事長にまでなったというだけあって、検察庁内部の人間模様と警察との関係などは、さすがに真に迫っていて、想像とはとても思えない迫力があります。
今年最後に読む一冊として、一読をおすすめします。
(2019年1月刊。2300円+税)

刑務所しか居場所がない人たち

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店
日本の刑務所が福祉施設と化しているという点は、私も事件を通して大いに推測できるところです。ところが、逆に今日の日本では福祉施設が刑務所化しているとの指摘があり、ドキッとしてしまいました。
著者は元国会議員で実刑判決を受けて刑務所生活をしたことがあります。そのとき、刑務所内の福祉施設化を自ら体験したのでした。
2016年に新しく刑務所に入った受刑者2万500人のうち、4200人は、知能指数が69以下だった。つまり、受刑者10人のうち、2人は知的障害をもっている可能性がある。
同じく、2016年の「新人」2万500人のうち、殺人犯は218人。少年犯罪は激減していて、10年前の4分の1。全国の少年鑑別所はガラガラの状態。
殺人事件で被害にあった人は、1955年(昭和30年)に年2119人だったのが、1985年に年1017人、そして2016年には289人にまで減った。
犯罪の認知件数は、2002年に日本に285万件だったが、2017年には91万件となり、この15年間で、3分の1以下に減った。
2016年に刑法犯として検挙された人のうち65歳以上の人は4万7000人。これは全体の2割をこえている。20年前の5倍以上。
高齢受刑者は何度も犯罪を繰り返すことが多く、70%が累犯者。高齢者の犯罪は、窃盗が7割(女性だけだと9割)。
刑務所が1年間に使う医療費は7万人の受刑者で32億円(2006年)だったのが、今では5万人いないのに2倍近い60億円となっている。・
日本の障害者福祉予算は年1兆円。これはスウェーデンの9分の1、ドイツの5分の1、フランスやイギリスの4分の1。アメリカと比べても2分の1以下。
福祉の刑務所化とは、お金が目当ての福祉施設では、効率よく入所者を管理すべく、刑務所並みの厳しいルールで利用者の勝手な行動を止めさせているということ。
府中刑務所への1800人の収容者の内訳をみると、日本人受刑者の700人以上が精神か知的障害のある人で、600人が身体に障害をもっていた。
著者の本は、いま日本の刑務所がどんな実情にあるのかを知ることができて、その役割の尊さをふくめて頭が下がります。
(2018年5月刊。1500円+税)

無実の死刑囚、三鷹事件・竹内景助

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 高見澤 昭治 、 出版  日本評論社
三鷹事件が起きたのは1949年(昭和24年)7月15日の夜8時24分。三鷹駅構内の無人の7両連結の電車が暴走し、時速60キロをこすスピードで600メートルを走り、駅構内を突き抜け、駅前の派出所や運送店を破壊したあと、ようやく停止した。その結果、改札口に向かって歩いていた乗降客6人が亡くなり、十数人が重軽傷を負った。
この年は、直前の7月5日に下山事件(国鉄の下山総裁が列車に轢断され、死亡した事件)、1ヶ月後の8月17日には松川事件(列車転覆脱線事故のため運転士ら3人が死亡)が発生している。そして、この三鷹事件については、発生した直後から、マスコミ(新聞)は共産党員による犯行だと報道した。
ところが、暴走電車によって完全に破壊された駅前派出所には警察官は誰もおらず、1人として被害にあっていない。また、事故直後にアメリカ軍のMP(憲兵)が現場に来て暴走電車内に立ち入っているのが目撃されている(その状況写真もある)。事故発生前にアメリカ軍のジープが現場に停まっていた。
当時、日本を占領していたアメリカ軍は、三鷹事件について、いち早く「共産党による破壊工作」と決めつけ、吉田内閣に働きかけて、捜査当局の目を共産党員による犯行へ向けさせた。このことは間違いない。
下山事件は自殺ではなく、他殺。そして、松川事件はアメリカ軍の謀略部隊によるデッチ上げ事件、これが間違いないところでしょう。この三鷹事件も、アメリカ軍による謀略事件の疑いがきわめて濃厚です。
ところが、ひとり竹内景助ばかりは「単独犯」なのか「共同犯」なのか「自白」が変転したこともあり、有罪のまま獄死(病死)してしまったのでした。
事件発生の翌2日である7月17日に、朝日新聞の社説は、名ざしこそしていませんが、共産党員による犯行と言わんばかりですし、毎日新聞にいたっては、「思想的関係のあることが明らかになった」として「極刑にせよ」という見出しをつけています。驚くべき内容の社説です。
では、なぜ竹内景助のみは有罪となって確定したのか・・・。
竹内以外の被告人たちは、無罪をあくまで主張して、がんばった。しかし、竹内はいったん「自白」しているうえ、単独犯だとしたり共同関係にあるといったり、フラフラしていた。そして、弁護士に「だまされた」というのでした・・・。
竹内は、几帳面で真面目な性格の人間だった。
逮捕されたのは8月10日だったから、事件が発生して2週間以上たっていた。
警察からは、松川事件での赤間被告と同じように、叩いたらすぐ壊れる「弱い環」とみられていたのかもしれません。
検察官が竹内に言った言葉を、竹内は詳しく再現しています。
「この野郎、まだ言わんのか。証拠が山ほどあるんだぞ。いくら無罪と言ったって、そんなこと通用するもんか、バカめ・・・。救い難い奴だな、こいつは。このまま死刑にしてやるから覚悟していろ。共産党は、こういうバカばかり集めて、ああいう事件しか起こせないんだなあ、呆れたもんだ・・・。おい、何をボンヤリしてるんだ。その手をようく見ろ、人殺しめ、人の顔なんか見なくてもいい。自分の手をようく見ろ。きさまが殺した手を見ろ・・・。人殺し。おい人殺し。電車がひいたんでも、結局、人殺しだ。それでもまだ白ばっくれているというのか、このやろう。意地でも死刑にしてやるぞ。それだけ頑張るんだから覚悟しているだろうな」
いやはや、とんでもない検察官です。
三鷹事件の「真相」を初めて知ることができました。再審の厚い壁を、ぜひとも乗りこえていってほしいと思います。
(2019年10月刊。2000円+税)

挑戦する法

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 島川 勝 、 出版  日本評論社
著者は20年間の弁護士生活のあと、1992年に裁判官となり、10年間を裁判所で過ごしたあと、法科大学院で実務の教員になりました。今は、また弁護士に戻っています。私は著者が裁判官になる前の弁護士のとき、クレサラ問題に取り組むなかで交流がありました。
著者は裁判官になってから、破産部でサラ金破産を担当しました。破産件数が日本最多のころのことです。そのため効率化が図られ、免責審尋は個別面接する余裕がなく、集団面接という方式となっていました。要するに、個別事情は無視して、裁判官が一方的に「説教」して終わらせるものです。
著者は、それだと破産者に破産原因をきちんと認識することがないため、再度の破産も目立ってきたので、「島川教室」を開設した。単に形式的に不許可事由を尋ねるのではなく、利息の計算方法や破産の原因について、きちんと説明するように心がけたのでした。
このころ大阪弁護士会のクレサラ問題を扱う弁護士の多くは、なんでも一律、簡単に免責を得るのが当然で、倫理性は不要だと声高に主張するばかりでした(私は、当時も今も異論を唱えました)ので、それへのささやかな抵抗を試みていたことになります。
著者は裁判を迅速にする試みのなかで、証拠(証人)調べをするのが2割になっていることを問題だと指摘していますが、これにもまったく同感です。争点を明確にしたうえで、証人を法廷で調べるのは原則として必要なことです。
著者が1992年に裁判官に任官したとき、大阪から他に4人(合計5人)だったそうです。このころは弁護士任官に勢いがあり、裁判所も積極的に受け入れようとしていました。今では弁護士任官は年間5人にもみたない状況です。裁判所が消極的なのです。厳しいハードルを勝手にもうけて、せっかくの任官希望者をふるい落とすものですから、希望者自体が激減しています。大変悲しむべき事態です。裁判所改革は、本当にすすんでいません。
著者は大阪の西淀川大気汚染訴訟の原告弁護団事務局長としても活躍していましたし、青法協(青年法律家協会)の会員でもありました。そんな経歴の弁護士が裁判官に就任したというので大変注目されました。期待にたがえず10年間の裁判官生活をまっとうし、このような立派な本を刊行したわけです。そのご苦労に心より敬意を表します。
(2019年11月刊。3800円+税)

当番弁護士は刑事手続を変えた

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 福岡県弁護士会 、 出版  現代人文社
福岡県弁護士会は1990年に全国に先駆けて待機制の当番弁護士を始めた。それから30年がたとうとしている。今では、被疑者の国選弁護制度まで実現している。
私も被疑者の国選弁護人を今年(2019年)は1月から10月まで6件担当し、被告人国選弁護へ移行したのは2件のみです。
この本は2016年に開かれた当番弁護士制度発足25周年記念シンポジウムをもとにしていますが、当番弁護士制度の発足経緯、スタートしたころの状況が紹介されていて、私もその当時の大変さをまざまざと思い出しました。福岡部会では重い携帯電話の受け渡しから大変だったと聞いています。今のように各人がケータイを持ってはいなかったのです。
私は、福岡県弁護士会が当番弁護士制度を発足させたあと、「委員会派遣制度」をつくって運用しはじめたこともまた高く評価されるべきだと考えています。これは、世間的にみて重大事件が発生したら、被疑者からの要請を待たずに、弁護士会側の判断で当番弁護士を派遣するというものです。この制度が始まったことにより、「弁護人となろうとする者」(刑訴法39条1項)の解釈が見直されることになりました。
そして、日弁連がつくった「被疑者ノート」もグッドアイデアでした。これが書けそうな人には、私もなるべく差し入れるようにしています。すると、被疑者との会話が深まるのです。
当番弁護士がスタートした1990年度の出動件数は108件、翌年217件、3年目に415件だった。それが11年目の2001年には2312件となり、16年目の2006年には4千件近い3991件になった。今では、すっかり定着しました。もっとも刑事事件そのものは、幸いなことに激減しています。
福岡県弁護士会はリーガルサービス基金をつくって、財政的にも制度を支えた。この財政的な裏付けは、天神センターが発展していき、弁護士会の財政が潤沢になったことによります。
まさしく当番弁護士制度は日本の刑事手続を大きく変えたと言えます。このことを歴史的にふり返った画期的な本として、一読をおすすめします。
(2019年10月刊。2500円+税)

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