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カテゴリー: 司法

筑豊じん肺訴訟

カテゴリー:司法

著者:小宮 学、出版社:海鳥社
 実にいい本です。久しぶりに、じわーんと心が温まる心地よさを堪能しました。著者の人柄の良さがにじみ出ていて、世の中には、こんな人がいるから、捨てたもんじゃないんだよな。そう思わされました。だって、法廷で弁論しながら、依頼者の置かれた苛酷な状況を思い出して、思わず泣き、勝つべき裁判で思いがけない敗訴判決をもらって一晩中、泣き通したというのです。残念なことに、弁護士生活35年になる私にはそのような経験はありません。いえ、勝つべき裁判で負けて悔しい思いをしたことは何回もあります。でも、負けて悔し泣きを一晩中したというほど肩入れした裁判はありません。なんで裁判官はこんなことが分からないのか、とんでもない、と憤りを覚えたことは、それほど数限りなくあるのですが・・・。
 大変よみやすい本でもあります。とにかく気どりがありません。著者は福岡県南部に生まれ育ちました。著者は仔豚を育てる農家の長男として生まれ育ったのでした。そして、仔豚が高く売れた時代でした。そのおかげで、関西の私立大学(関西学院大学)に進むことができました。まさに豚のおかげです。
 大学では法律研究部に入り、末川杯争奪法律討論会に出た。6人中5位の成績だった。
 久留米で弁護士となり、やがて筑豊へ移った。1985年、筑豊じん肺訴訟を起こすことになった。弁護団長は北九州の松本洋一弁護士。山野鉱ガス爆発訴訟を3年で解決した。この裁判は国を被告としているから少し大変なので、4年で解決する。松本弁護士は、こうぶちあげた。松本弁護士は豪放磊落を絵に描いたような弁護士でした。そのたくまざるユーモアに私は何度も魅きこまれてしまいました。
 著者が担当したじん肺患者の角崎さんは入院中だった。酸素マスクをとりはずし、喉にあいた穴を指でふさいで、小さくこう言った。
 「地獄です。助けてください」
 一審での弁論のとき、角崎さんのその悲痛なうめきを話しながら、著者は泣いてしまった。弁護士の仕事は説得である。相手方を説得し、裁判所を説得し、依頼者を説得し、紛争の解決を目ざす。弁論の最中に泣いたため、説得力のある弁論ができなかった。弁護士として恥ずかしい限り。
 うむむ、こう言われると、泣いたことのない私のほうが、かえって恥ずかしい思いにかられてしまいます。
 松本弁護士は次のように言って弁護団にハッパをかけた。
 被告代理人が理不尽なことを言ったら、腹を立てて大声で怒れ、法廷が混乱してもかまわない。法廷が混乱したときには、オレが引きとってまとめるから、心配するな。
 松本弁護士は、弁護団に議論をたたかわせるが、事態の転換を図る術を知っていた。実際、2回目の裁判のとき、江上、岩城、稲村の3弁護士が激しく被告企業を論難して、法廷は大混乱した。しかし、弁護団の剣幕に圧倒されて、次の3回目から、医師の証人尋問に入ることができた。
 まことにあっぱれです。そうでなくてはいけません。
 被告企業側が裁判のひきのばしを図ると、松本団長以下、そろって地裁所長と高裁事務局長(裁判官)と面会して、国民の裁判を受ける権利が侵害されているので直ちに改善するよう申し入れた。
 す、すごーい。こうするべきなんですね。
 その結果、2ヶ月に1回、午前10時30分から午後4時30分まで証拠調べがされるようになった。昼休みには、裁判所の会議室で原告団と弁護団そして支援する会が一緒に弁当を食べ、裁判の報告をした。すごく交流が深まったことでしょうね。
 一審判決の前日、弁護団は8本の垂れ幕を用意した。「国・企業に勝訴」「時効なし」「全員救済」「画期的判決」「国に敗訴」「企業に勝訴」「時効不当」「不当判決」
 そして1995年7月20日、よもやの「国に敗訴」、「時効敗訴」判決だった。
 7月21日の夜、著者は一睡もできなかった。一晩中、「ちきしょう、ちきしょう」と声を出して泣いた。それから3ヶ月、まったくやる気がわかず、下ばかり向いて歩いていた。秋となり、予定の仕事をすべてキャンセルし、上高地にのぼった。2泊3日の山のぼりで、ようやく敗訴判決を受け入れることができた。
 そのあとは、敗訴判決の原因をきちんと直視して、まき直しを図るのです。すごいものです。人間、やればできるという気にさせます。
 そして、筑豊じん肺訴訟の完全勝利まで18年4ヶ月かかりました。原告患者169人のうち、144人が亡くなっていたのです。
 2007年、筑豊じん肺訴訟記念碑の除幕式が行われました。
 著者は弁護士として、人間として、実に豊かな人生を送っておられるとつくづく思いました。多くの人、とりわけ若手弁護士に一読を強くすすめます。小宮先生、いい本、ありがとうございました。これからも、ますます元気にがんばってください。
(2008年4月刊。1500円+税)

実践・法律相談

カテゴリー:司法

著者:菅原郁夫・下山晴彦、出版社:東京大学出版会
 相談者中心主義とは、リーガル・カウンセリングの基本的な視点である。相談者が自分で解決方法を発見してもらうほうが好ましいという考え方でもある。法律相談とは、相談者がかかえる問題事案を理解し、その事実に法規をあてはめて権利義務に関する判断をするとともに、問題解決のための法的手続を教示し、必要に応じて代理人として受任するものである。
 そこでは、相談者である市民が主体的に問題を解決する過程において相談を受け、その問題解決の援助を行う。そして、関連する事実に法規をあてはめて権利義務に関する判断を示すことが中心作業となる。カウンセリングとは、援助を求めている人々(相談者)に対する、コミュニケーションを通して援助する人間の営みである。
 私は、これからの弁護士に求められる分野の一つが、このカウンセリングではないかと考えています。私自身、それほど自信があるわけでもありませんが、依頼者(とりわけ多重債務をかかえている人)と話しているとき、これってカウンセラーの仕事だよな、と思うことがしばしばあります。
 弁護士の側が、相談者の話を「聞く」(聴く+訊く)技法を学ぶことは、ますます必要となる。すなわち、相談面接の技法の観点からいえば、話を聞かなければならないのは、相談者ではなく、弁護士の方なのである。
 相談者のニーズを弁護士が把握できないと、会話のくり返しが生じたり、堂々めぐりが起きたりする。また、ニーズを把握しておかないと、必要とされる論点と、その解決策を提示できないまま、法律相談を終了させてしまうことにもなりかねない。相談者のニーズが、法律相談の背後に隠された法律問題以外の問題であることも多い。また、相談者がニーズを複数かかえていることは普通である。そして、相談者が自分のニーズを自覚していないこともある。
 うむむ、なるほど、なーるほど、そういうことって、現実によくあります。
 弁護士に「聴く」姿勢がみられないときには、次の3点の兆候がある。
? 弁護士の話が長すぎる。
? 相談者が自由に話していない。
? 弁護士が話を中断する。会話をさえぎっている。
 つまり、弁護士にとっては、聴くことと焦点をしぼるために尋ねることという、相反する2つをいかに按配して実践していくかは、重要なポイントである。
 相談を受けて分からないときには、分からないので追って調査して答えます、と勇気をもって言うこと。これも専門家としての誠実な態度である。
 そうなんです。ところが、意外に、これって難しいんです。ついつい、相手は素人だと思って適当にごまかしてやり過ごそうという発想になりがちなのです。
 新人弁護士にとって読むべき、必要な本だと思いました。もちろん、ベテラン弁護士も読んだら、初心にかえって弁護士は何をするべきかを、もう一度考えるうえでの素材となると思います。
(2007年7月刊。2600円+税)

日本国憲法の論点

カテゴリー:司法

著者:伊藤 真、出版社:トランスビュー
 著者の講演をつい先日ききました。いやあ、さすがですね。さすがに司法試験界のカリスマ講師と讃えられるだけのことはあります。実に歯切れがよく、明快なのです。なるほど、なるほどと、本当は分かっていなくても、ついつい分かった気になってしまいます。
 憲法の根本的な意義・役割とは何か。それは、権力に歯止めをかけるということ。これは憲法学のもっとも基本的な常識。しかし、そのことが学校で教えられていない。教科書にも出てこない。
 法律は国民をしばり、憲法は権力をしばるもの。だから、日本国民に憲法を守る義務はない。そして、ときに憲法は民主主義を制限することもある。
 憲法は国家の基本法であるからこそ、「気分刷新」といった目的のための、たんなる手段として使うべきではない。憲法には、人権保障と国家権力への歯止め、という憲法本来の目的がある。景気回復や財政改革のために憲法が存在するのではない。
 国民がつくった憲法によって、国民の多数意見の暴走に歯止めをかける。つまり、憲法とは、ときどきの多数意見によって奪ってはいけない価値を明文化したもの。
 多数意見に歯止めをかけるということは、近代憲法は「民主主義」に歯止めをかける存在でもあるということ。したがって、日頃、強い者の側にいる人間にとっては、弱者を守る憲法の必要性を感じない。
 著者の講演を聞いて、もっとも感銘を受け、印象に残ったのがこの部分でした。そうなんです。憲法は強い者にとってはなくてもいい、むしろ、どうでもいいものなんです。しかし、弱い者にとっては拠りどころとなるものなのです。
 憲法99条は、憲法を尊重し擁護する義務を負う者を明記しているが、そこに国民は含まれていない。憲法を守らないといけないのは、国の象徴である天皇、それから公務員、つまり国家権力を行使できる強い立場にいる人間なのである。
 100年前に制定された明治憲法ですら、国民の権利を守る道具であることを明確に自覚して制定されている。いやあ、そうなんですよね。
 理想を掲げることも憲法の重要な役割である。ふむふむ、そうなんですね。
 法と現実とのあいだには必ずズレがある。それを現実にあわないというので法を変えることを繰り返すのでは、法が何のために存在するのか分からなくなる。現実と規範の適度の緊張関係のなかで、現実を少しでも理想に近づける努力をすること、それが憲法に対する誠実な対応である。
 日本は、ポツダム宣言を受諾した時点で、現行憲法が示す価値観を自ら選びとったことになる。それは、決して「押しつけられた」というものではない。
 草案をマッカーサー司令部がつくったからといって「押しつけ」というのは、あたらない。それは、日本の法律のほとんどは官僚が案をつくり、国会で審議して成立させている。このとき、官僚が「押しつけ」たなどという人は誰もいない。審議と議決こそが、法の制定における核心なのである。また、ある意味で、憲法とは、常に「押しつけられるもの」である。少なくとも、近代憲法は、国民から権力者に向かって「押しつけられるもの」なのである。国家権力に歯止めをかけることが目的なのだから、権力側の人間が「押しつけ憲法」と感じるのも、ごくあたりまえのことなのである。
 「高校生からわかる」というキャッチフレーズの本ですが、なるほどそうでしょう。とても分かりやすい憲法読本です。
(2005年7月刊。1800円+税)

続・獄窓記

カテゴリー:司法

著者:山本譲司、出版社:ポプラ社
 国会議員から囚人になった433日間の日々を綴った『獄窓記』から4年。
 これは本のオビに書かれているフレーズです。なるほど、そうでした。『獄窓記』は、私も読みましたが、胸うつ体験記でした。この本は、その続編として、前の『獄窓記』を書くに至る経緯と、その反響の大きさをかなり大胆に、あからさまに描いています。ただ、PFI刑務所を手放しで礼賛しているような記述は、本当にそうだろうかと私にはひっかかるものがありました。刑務所の民営化は、企業にとって(ゼネコンも動いています)単なるもうかる投資先が増えたということになってしまわないだろうか、と心配します。
 知的障害者は、決して苦しみや悲しみに無頓着なわけではない。他人からの冷笑・憐憫・無視あるいは健常者でない自分の存在、そのすべてを鋭敏に感じとっている。ところが、自らの思いを外に伝えることがきわめて苦手な人たちだ。結局、彼らは、悲哀や憤怒の気持ちを表現することもなく、何ごともじっと耐え忍んで生きている。きっと心の中では、もだえ苦しんでいるに違いない。
 いやあ、そういうことなんですか・・・。ここらあたりが実体験のない私には理解しづらいところです。
 そんな一人が、刑務所の一大イベントである観桜会のとき、いきなり『花』を高唱した。「泣きなさーい、笑いなーさーい」と歌いだした。そして、彼は、ボク、死ぬまでここで暮らしてもいい。外は怖いから、というのです。世の中に対して、恐怖心を抱いているわけです。はい、なんとなく、それって分かりますよね。
 日本のセーフティーネットは、非常に脆(もろ)い。毎日、たくさんの人たちが、福祉とつながることもなく、ネットからこぼれ落ちてしまっている。社会の中で居場所を失った人たちが、やっと司法という網に引っかかり、獄中で保護されている。これが日本社会の現実だ。いま、刑務所の一部が福祉施設の代替施設と化してしまっている。
 いえいえ、先日、拘置所でも同じだと聞きました。高齢のため、介護や福祉の対象となるべき人々が拘置所にまで押し寄せてきているので、職員は福祉・介護の勉強をしているというのです。強いもの、お金をもったものがまかり通る社会は、弱い者を拘置所・拘禁施設に追いやっているわけです。
 全受刑者のうち、その帰りを配偶者が待っていてくれる者は、1割でしかない。服役前に離縁したケースが3割、服役あるいは出所後の離婚も多い。ふむふむ、きっとそうだろうと、私も思います。
 著者は、早稲田大学を出て、26歳で東京都議会議員に当選。以後の4回の選挙はすべてトップ当選。蹉跌を味わうことのない人生だった。それが2001年6月、刑務所に入り、2002年8月に仮出所となった。
 服役中は、毎日、夜の訪れが楽しみだった。夢の中で妻子と会うことに、大きな期待と愉楽を覚えていた。実際、夢の中に妻や息子がひんぱんに現れた。ところが、出所したあとは違った。毎晩のように悪夢にうなされた。刑務所に連れ戻される夢など。そして、寝汗をかいた頭に浮かんでくるのは、かつての支援者たちの顔。その誰もが軽蔑にみちた眼で見ている・・・。
 なるほど、そういうことなんでしょうね。ここらあたりは体験者でないと分かりにくいところですね。
 国会議員のとき、霞ヶ関の官僚組織からは、日々、大量の情報が寄せられていた。ところが、今ふり返ってみると、国会は、かえって本質が見えにくい場所となっていた。たとえると、高速道路を走りながら、車外の光景を眺めていたようなもの。多くの見識を得たつもりになっていても、実は何も分かっていなかった。ところが、刑務所での生活は、「生」への実感があった。
 服役した直後、先輩の受刑者は著者にこうさとした。
 刑務所の中で生活していくうえでの、もっとも大事な心構えを教えてあげよう。それは、自分が人間であることを忘れること。それに、この世の中に『人権』という言葉があることを忘れることだ。
 うへーっ、そ、そうなんですか・・・。
 日本の警察の留置場は代用監獄と呼ばれている。今や、ダイヨーカンゴクとも呼ばれ、日本の司法の後進性を世界にアピールしている不明な存在だ。トルコやハンガリーでも同じような仕組みがあったが、人権侵害の恐れが高いということで、10年前に廃止された。うむむ、日本では、残念ながら、警察の留置場に最大23日間も入れられるというシステムは当分、変わりそうもありません。
 日本は、対「テロ」戦争の狂奔するアメリカなんかよりヨーロッパに学ぶべきところが多々ありますね。
 現在、3万人の新しい受刑者がいるなかで、その4人に1人は知的障害者と認定されるIQ70以下の人である。
 ええーっ、そうなんですか。それは知りませんでした。これでは、福祉の充実が必要なわけです。
 ところが、これらの知的障害者の多くは、ちょっと見では分からない。
 うーん、これは困りましたね。
 そして、刑務所から出た人の再犯率は5割をこえている。矯正教育というのは、口でいうほど簡単なものではない。やはり、社会がもっとあたたかく「前科者」を受け入れ、仕事と家庭を保障しなければいけないということです。目には目を、人を殺した奴は死刑にしろ、などという応報刑思想では社会の安全はたもてません。
(2008年2月刊。1600円+税)

よみがえれ少年院の少女たち

カテゴリー:司法

著者:中森孜郎、名執雅子、出版社:かもがわ出版
 この本を読むと素直な気持ちになって、すごく感動しました。少年院で、こんな素晴らしい人間教育が何十年にもわたって営々となされていることを知り、その地道な粘り強い努力に対して心から敬意を表したいと思います。人事院総裁章を受けたということですが、このような地道な取り組みは、もっと世の中に知られていいと思いました。知らなかったのは恐らく私だけではないと思いますので、ここで声を大にして紹介したいと思います。
 仙台市にある青葉女子学園では、24年間にわたって表現教育が続いている。朝日新聞の天声人語でも取り上げた(2007年1月6日)。
 女子少年院は、全国に9ヶ所ある。その一つである青葉女子学園では、毎年春になると、創作オペレッタの準備に取りかかる。これは、すべて手作りの音楽劇である。まず、教官が漢字1字のテーマを与える。2006年は「今」だった。これをもとに、20人の少女たちが手分けして脚本や歌をつくる。すごいですね、自分たちでイメージをふくらませていって、すべて手づくりです。
 少年院に収容された少年は、その多くが幼いころから家庭内や親子の間に葛藤があるなかで育ち、学校では学習につまづき、いじめや不登校の問題にさらされ、非行に至る。ようやく見つけた不良仲間との居場所も決して安定できる場所ではなく、人に対する信頼も、自分に対するプラスの評価もないまま、絶望的な気持ちで少年院に強制的に収容されてくる。とくに少女の場合は、性的な被害体験など、女子特有の傷つき方をしていて、心身ともに疲弊して入院してくることも多い。ちなみに、少年院に送られる割合は家庭裁判所の扱う少年保護事件のうち3%程度。
 少年院に来た少女たちに共通する3つの問題点は、第1に嫌なことでも我慢してやりとげることが苦手なこと(自己統制力の未熟さ)、第2にルールを守って生活したり、集団の中で自分の役割を責任もって果たすという姿勢に乏しい(規範意識の欠如)、第3に親や周囲から愛情を受けてきた実感に乏しく、人一倍受け入れてほしい、認めてほしいという気持ちが強い(愛情欲求不満の高さ)。
 このような少女たちが大人へ示す反応・行動は、何を訊いても「分からない」「別に」などの「拒否」、どんなことにもへ理屈や難くせをつけて受け入れない「反発」、受け入れてもらうための作り笑顔や必死の「迎合」、ときには自分に好意的に接してくれる大人を試すための「裏切り」。
 うむむ、なるほど、なーるほど、これってなかなか扱いが難しいですよね。
 問題は、そこで、どうするか、です。青葉女子学園では、創作オペレッタに取り組んでいます。このオペレッタは、題材自体を少女たちが創作するという特徴があります。そして、それに少年院の全員が何らかの形で関わるのです。テーマは、漢字一文字で指導者が設定します。
 翼、道、時、光、樹、河、風、旅、響、星、窓、緑、灯、橋、鏡、手、空、輝、今、声。これが今までのテーマです。うーん、な、なーるほど。
 脚本は、全部、手書き。あえてパソコンはつかわない。これは、自分たちでつくった作品であることを実感させるため。歌も少女たちが作詞・作曲する。これまでに20回で277曲の歌がつくられた。
 ひゃあ、すごい、すごーい、ですね。
 上演時間は40〜50分間。配役も背景(舞台)づくりも、みな少女たちがする。
 このほか、青葉女子学園では身体をほぐす体操、和太鼓、詩の朗読などにも取り組んでいます。「春を呼ぶ太鼓と朗読の会」を毎年3月、家族にも来てもらって開いています。
 青葉女子学園を退院した少女が出院したあと5年内に再び犯罪・非行をして収容された率は4.5%だそうです。すごいことです。大変な苦労が学園の内外にあると思いますが、ぜひ今後とも続けてほしいと思います。
 この本を、少年付添事件を担当する弁護士すべてに読んでほしいと思いました。
(2008年3月刊。2200円+税)

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