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カテゴリー: 司法

欠陥捜査

カテゴリー:司法

著者 三浦 良治、 出版 毎日新聞社
 実際に起きた交通事故について、警察の捜査がいかに杜撰であるか、また、検察庁はそれを追認するだけのお粗末なものだということを、なんと現職の検察事務官が告発している本です。
 この検察事務官は、大学生の息子さんがオートバイに乗って走行中にバスにはねられて即死したのです。その事故で、息子さんは一方的に悪い、バスに対して加害者だと決めつけられ、バスの運転手は何のおとがめもなかったことに憤慨しておられます。
 この本を読むと、なるほど、オートバイに乗っていた息子さんだけが『死人に口なし』として一方的に加害者だと決めつけられるのは納得できないと思います。
 警察の交通事件捜査についての対応は、事件処理を急ぐあまり、十分な捜査をしないことがある。殺人事件や汚職事件などに比べて、交通事件は件数が多いこともあるが、どうしても軽んじられる傾向が強い。
 この事故では、死亡したオートバイの運転者のみを被疑者とする実況見分調書が作成された。しかも、調書の作成は、実況見分をした日のうちに終わっている。通常なら、数日から数週間たってから完成されるものであるのに……。
 しかしながら警察官は、刑事訴訟法によって、罪とならないことが明らかな事件であっても、犯罪の嫌疑がないことが明らかになった事件であっても、これを検察庁に送付することになっている。ところが、バス運転手については、被疑者として扱われておらず、その結果として、当然のことながら検察官に送致もされていないため、捜査に不服があってもそれを訴える手段はない。
 ないと言われても、著者はめげることなく民事訴訟を提起しました。バス会社を訴えて敗訴し、さらに県警(つまり国)を捜査不十分で訴えたのです。すごい執念です。しかし、残念なことに結局のところ、民事裁判で認められることはありませんでした。
 私もオートバイに乗っていた青年の死亡事故を頼まれて2件ほど担当したことがあります。どちらも東京での事故でした。オートバイというのは、ちょっとしたはずみで死亡などの重大事故になると、刑事記録を読みながら思ったものです。
 その事件では、遺族が1億円を請求していました。私はそれを知って、とてもそんな金額は認められません。印紙代がもったいないので、3分の1くらいにしましょうと提案しました。しかし、遺族からは即座にノーという返事が返ってきました。
 そうなんです。遺族にとってはゼニカネの問題ではないのです。この検察事務官の指摘するとおり、原則として、刑事記録を誰でも(訴訟関係者は当然のこととして)見られるようにしてほしいと思います。
 陽の暮れるのが遅くなり、日曜日は膝の痛いのも忘れてジャーマンアイリスの植え替えに励んでいたところ、なんと夕方6時を過ぎていました。
 ジャーマンアイリスはいつも華麗な花を見事に咲かせてくれますが、とても丈夫で世話要らずの花です。球根がどんどん増えていきますので、株分けして知人に配って歩きました。
 いま、庭にはたくさんの白水仙のそばに黄水仙が咲き始めました。ネコヤナギの白い綿毛のような花がつくと、春到来を思わせます。
 チューリップの芽が少しずつ出ています。
 
(2009年11月刊。1500円+税)

消えた警官

カテゴリー:司法

著者 坂上 遼、 出版 講談社
 これは警察小説ではありません。実際に起きた事件を丹念に追って再現した本です。菅生事件についての本は何冊も読みましたが、私にとって決定版と言える本です。
 1952年6月1日の深夜、大分県菅生村(現竹田市)で駐在所が爆破され、現場付近で地元の共産党員ら3人が逮捕された。しかし、新聞発表によると現場で逮捕されたのは2人だけ。1人が消えていた。実は、この1人こそ現職の警察官であり、「爆破」事件を企図した張本人であった。駐在所の「爆破」自体が警察の仕掛けた「内部」犯行であり、共産党員2人はシンパを装った警察官に騙されて現場におびき寄せられただけだった。
 この本は、当時、中国共産党にならって無謀な軍事路線をとっていた日本共産党の内情をあきらかにし、裁判所の法廷において弁護人たちが苦しい尋問を続けていたこと、そして、犯罪を引き起こした張本人である警察官(市木春秋こと戸高公徳)を潜伏中の東京で発見するまでの経過が生々しく語られていて、実に読み応えがあります。
 いま、大分県弁護士会会長である清源(きよもと)善二郎弁護士の父親の清源敏孝弁護士が、地元の弁護人として登場します。まだ40歳の青年弁護士でした。私がUターンして福岡県弁護士会に登録したころも、かくしゃくとしてお元気でした。お酒が入ると、地元の神楽だったのでしょうか、見事な踊りを披露されていました。初めてお会いしたのは60代後半だったのではないでしょうか。
 もう一人、福岡の諌山博弁護士も登場します。諌山弁護士と一緒の法廷に立ったのは数回しかありませんが、それはみごとな、堂々たる尋問でした。諌山弁護士が法廷にいると、それだけで裁判官もふくめて緊張するのです。たいした弁護士でした。
 清源弁護士(父親)と一緒に羽田野忠文弁護士も弁護人として活動しましたが、この羽田野弁護士はあとで自民党代議士になったと思います。そして、検察官として鎌田亘検事が登場します。この鎌田検事は退官したあと福岡で弁護士になり、私も話したことがあります。温厚な人柄でした。
 駐在所「爆破」事件があると予告されていて、毎日新聞の記者は警官隊と一緒に現場付近で張り込んでいました。そこへ共産党員が2人やってきたわけです。
 ところが、この記者は、法廷ではあいまいな証言に終始してしまいます。
 駐在所「爆破」といっても、犯人とされた一人は背が小さくて、背伸びしても門灯に届かず、その電灯をとりはずすことはできなかったことが現場検証で明らかになった。
 さらに、「爆発」状況をよく見ると、内部に置いたものが爆発したとしか考えられないことが学者の鑑定によって明らかにされた。
 つまり、警官隊や記者を待機させていながら爆発が起きなかったというのでは警察に取って具合が悪いので、確実に爆発する仕掛けがなされていたのでした。
 市木春秋が実は戸高公徳という警察官だと判明するにいたった経過も面白いのですが、潜伏中の東京のアパートを見つけて張り込みをする状況も手に汗を握ります。
 このとき共同通信のキャップとして指揮した原寿雄記者には先日お会いしましたが、今なお元気にジャーナリズムの第一線で活動を続けておられます。
 戸高公徳の住んでいたアパートの電話番号は、警察幹部の女性秘書がこっそり教えてくれたというのです。人目をひくハンサムな斉藤茂男記者が得た情報でした。斉藤茂男の本もたくさん読みましたが、いつも感銘を受けました。
 戸高公徳は、事件後は潜伏していたが、それでも手厚い保護を受け、表に出てからはホップ・ステップ・ジャンプの上昇階段を駆け上がった。警察大学校研修所教官、四国管区警察局保安課長、警察庁人事課長補佐、警察大学校教授、警視長、警察共済組合常務。ノンキャリア組にはありえない異例の大出世です。共産党を「ぶっつぶした」ことをこんなに高く評価する日本の警察って、いやはや恐ろしいですね……。ただ、本当に幸せな人生を過ごしたのか疑問だと著者は指摘していますが、私も同感です。戸高公徳の顔写真がなかった(黒く塗りつぶされています)のは残念です。どんな顔をしていたのか知りたいと思いました。
 
(2009年12月刊。1700円+税)

人間力の磨き方

カテゴリー:司法

著者 萬年 浩雄、 出版 民事法研究会
 弁護士にとって実務に役立つ心がまえやヒントがたくさん盛り込まれている本です。
 弁護士費用を値切る人は無責任な人間であることが多い。
 これは、私も同感です。なんでも値切るような癖のついた人は、要注意です。
 打ち合わせ中でも、電話には出るようにしている。目の前にいる客には失礼になるが、短時間で解決できるときは電話に出て解決するのがいい。
 まったく同感です。下手すると1日に何本どころか何十本も電話がかかってくるのに、それをすべて「あとでこちらからかけなおします」なんて対応していたら、とても事件がまわりません。打合せ中や相談を受けているときには、かけて来た人の名前は目の前にいる客には分からないよう、事務局の書いたメモに従って対応します。事務員が依頼者の名前を呼ぶことは極力ないようにすべきです。
 電話は相手の姿こそ見えないが、相手の品格はよく見える。
 電話するときの姿勢は、そのまま相手に伝わるものだという指摘はあたっていると思います。
 損保会社の顧問弁護士として、被害者本人の直接折衝にあたる。その示談交渉で駆け引きはしない。支払うべき賠償を事前に、または本人の面前で一気に計算し、そのメモを示して示談を迫る。
 示談交渉は、相手の顔の表情を見ながら、一気に示談する。
 示談交渉は、いかに相手方を説得するのか、まさに人間性の勝負なのである。
 電話交渉は難しい。とにかく、弁護士も若いうちは電話で商売してはいけない。足を運んで、相手方と交渉する。そうすると、その人の熱意に打たれて協力する姿勢に変わる。面識のない人が電話で請求してくるときには、適当にあしらったらよい。
 弁護士には、役者の要素がなければいけない。頭を下げたり、怒鳴ったり、ひたすら哀願したり、交渉のシナリオの展開を考えながら、計算して演ずる必要がある。
 交渉は人間性の勝負である。人間性で勝負しながら、計算された演技をするのが交渉術の要諦である。
 刑事弁護人は、被告人を裁いてはいけない。被告人を裁くのは裁判官である。しかしながら、刑事弁護人は常に被告人の言いなりになる必要はない。不合理な弁解に対しては、それでは裁判所に通用しないよと言いながら、法廷では被告人の言うとおりに弁論する。これは、被告人の納得感を満足させるためである。
 民事事件については、基本的に和解で解決すべきものだと考えている。
 この点、私もまったく同感です。
 著者は証人尋問にあたって、もちろん証拠・記録を全部読みなおしたうえでのことでしょうが、メモなしで承認を尋問する。そのほうが躍動感があるからであると強調しています。これは言うは易く、行うは難しです。
弁護士への誘惑の実情、そして危険な落とし穴も紹介されていて、改めて大変勉強になりました。ただ、司法改革やロースクール(法科大学院)についての考え方には賛同できません。そこで優秀かつ真面目な若手がどんどん生まれています。
なにはともあれ、先輩弁護士としての教訓に満ちた本として一読をお勧めします。
著者は、全国に先駆けて当番弁護士を実施した福岡県弁護士会のなかで、その必要性と意義を真っ先に提唱した弁護士でもあります。まさしく先見の明がありました。
 
(2009年3月刊。2800円+税)

公事師公事宿の研究

カテゴリー:司法

著者 瀧川 政次郎、 出版 赤坂書院
レック大学の反町勝美学長が最近出された『士業再生』(ダイヤモンド社)を読んでいると、江戸時代の公事師について不当に低い評価がなされていると思いました。そこで、私が改めて読みなおしたこの本を、以下ご紹介します。私のブログでは3回に分けましたが、ここでは一挙公開といきます。ぜひ、お読みください。
いつもと違って長いので、特別に見出しを入れます。
民事裁判と刑事裁判
 江戸時代には、公事訴訟を分って出入物と吟味物との二としたが、この区別は大体今日の民事裁判、刑事裁判の区別に等しい。公事も訴訟も同じ意味であるが、厳格に言えば白洲における対決を伴うものが公事であり、訴状だけで済むものが訴訟である。江戸時代に於いて公事師が取り扱うことを許されたのは出入物だけであって、吟味物には触れることを許されなかった。是の故に公事師は又一に出入師とも呼ばれた。
公事は江戸時代には訴訟の意味であるから、訴訟のことを『公事訴訟』とも言った。しかし、公事と訴訟とを対立して用いるときには、公事は訴が提起せられて相手方が返答書(答弁書)を提出してから後の訴訟事件を言い、訴訟は訴の定期より訴状の争奪に至るまでの手続きを言う。即ち訴訟というのは、まだ相手方の立ち向かわない訴えであり、公事というのは対決する相手のある訴訟事件である。
 江戸時代においては、行政官庁と司法官庁との区別はなく、すべてのお役所は、行政官庁であると同時に裁判所であった。
江戸時代の法定である『お白洲』に於いて『出入』即ち民事事件が審理せられるときには、原告即ち『訴訟人』とその『相手方』である被告とが『差紙』をもって『御白洲』に召喚せられて奉行の取調べを受けたのであって、『目安』即ち訴状の審理だけで採決が下されたのではない。必要があれば、奉行は双方の『対決』即ち口頭弁論をも命じたのである。…公事師が作ったのは願書にあらずして『目安』すなわち訴状である。願書の代書もしたが、公事師の作成した文書のすべてが願書であるわけではない。願書と訴状とは明瞭に区別されていた。
江戸時代の庶民は、決して『裁判所を忌み、訴訟を忌み』嫌わなかった。江戸時代の裁判所は、権柄づくな、強圧的なものではなく、庶民の訴を理すること極めて親切であって、時に強制力を用いることもあるが、それは和解を勤める権宜の処置であって、当事者間に熟談、内済の掛け合いをする意思があれば、何回でも根気よく日延べを許し、奉行は時に諧謔を交えて、法廷には常に和気が漂っていた。
 江戸の庶民は、裁判を嫌忌するどころか、裁判所を人民の最後の拠り所として信頼して、ことあればこれを裁判所に訴え出て、その裁決を仰いだ。
徳川時代奉行所や評定の開廷日に於ける、訴訟公事繁忙の状は、全く吾人の予想外に出でている。水野若狭の内寄合日には、『公事人腰掛ニ大余り、外ニも沢山居、寒気も強く大難渋』であり、評定所金日には、『朝六ツ半(午前七時)評定所腰掛へ行候処、最早居所なし』、『朝六ツ半時分に御評定所へ出。今日は多之公事人ニつき、都合三百人余出ル』とあるほど、多人数が殺到している。此事は徳川時代の民衆が、奉行の『御慈悲』に依頼して、相互の争を解決することが最良の方法であることを、充分に知覚していたことを意味すると同時に、幕府の裁判が民衆の間に、如何に多くの信頼と『御威光』とを、有していたかを物語るものである。

(さらに…)

新参者

カテゴリー:司法

著者 東野 圭吾、 出版 講談社
 いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
 この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
 この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
 ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
 たとえば、こんなくだりがあります。
 よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
 今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
 推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
 この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。
(2009年12月刊。1600円+税)

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