法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 司法

私の富嶽百景(Ⅲ)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ総合法律事務所
 神奈川県の弁護士である著者は無類の山歩き族。いったい、いつ弁護士の仕事をしているのかしらん、さては弁護士は片手間仕事でやってるな…、そう思いたくなります。
 はてさて、今回は、主に富士山を各方面から撮った写真のオンパレードです。葛飾北斎の描く富士山も圧巻ですが、この本で紹介されている、富士山の写真も見る者を一気に気宇壮大にさせ、見ごたえがあります。
 ともかく表紙の写真からすごいです。手前の湖には一羽の白鳥が悠々と泳いでいて、その向こうの富士山は早くも真っ白の雪化粧をしています。でも完全に真っ白ではありませんので、冬も間近になった晩秋なのでしょう。
 「歩いて遊び、写して遊び、描いて遊ぶ」。表紙のサブタイトルにあります。歩いて、写真を撮るのは著者で、絵を描いているのは奥様(燿子様)のようです。
 私は弁護士になる前、司法修習生のとき、青法協の現地見学会に参加して忍野(おしの)八海(はっかい)に行ったことがあります。自衛隊の広大な演習場に隣接した村です。もちろん、そこからも富士山が見えました。「逆さ富士」、つまり池(湖)に富士山がうつっているのです。
 ダイヤモンド富士の見事な写真があります。正月1月5日の午前7時45分に、山頂の少しくぼんだあたりに太陽が顔を出して光り、輝くさまは、まさしくダイヤモンド富士の姿です。
 山中湖では2月12日午後4時ころ、日没しようとするサンセット・ダイヤモンド富士の姿も撮っています。いずれ劣らぬ、幻惑的な美しさを感じます。
東京にも富士見町が各所にあります。江戸のころは、各所で富士山を拝んでいたのです。都庁舎の38階に東京都労働委員会の尋問室があるそうで、そこから夕焼けの丹沢山塊の向こうに富士山が見えます。知りませんでした。
 著者は、この本を私に贈呈するときの手紙のなかで、私が蔵書をどのように「処分」しているかと問いかけていますので、回答します。最大の書庫は、かつて子ども部屋だったところです。びっしり本棚を並べて、アメリカ、ベトナム、中国、韓国そしてフランス、日本(戦前)というようにきちんと分類しています。これはモノカキである私にはとても役に立ちます。2階の書庫は、ピアノを置けるように基礎(土台)をしっかり造ってもらいました。ここには江戸時代と日本史関係を並べています。そして、法律事務所には法律関係です。
 ときどき、あふれた本は自宅から事務所に持ってきて、引き取り手を求めます。誰も引き取ってくれない本は、不用本となって捨てます。私の読んだ本は、すべて私の蔵書印を押して、しかも赤エンピツで傍線を引っぱっていますので、「ブックオフ」のようなところには持ち込めません。それでも書庫には2~3万冊はきっとあることでしょう。
(2024年5月刊。非売品)

四日目の裁判官

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 加藤 新太郎 、 出版 岩波書店
 この不思議なタイトルは、この本を読んで氷解しました。
裁判官になって良かったかと訊かれると、著者は、こう答える。
 「裁判官はよい仕事で、3日やったら辞められない。でも、4日目には辞めたくなったりして…」
私は弁護士になったことを後悔したことは一度もありません。それどころか、天職と考えています。おかげで日本全国47都道府県、行ってないところがありません。そして、歴史に登場してくる遺跡もかなりのところに足を運ぶことが出来ました。本当にありがたいことです。
 著者は裁判官40年、弁護士10年というキャリアです。「自由な精神空間を持つ仕事、それが裁判官」だとします。でも、私にはいささか違和感があります。その「自由」には、「権力からの自由」が含まれていると本当に言えるのでしょうか…。
 沖縄の国と県の訴訟は、いつもいつも「国の勝ち」です。それこそ、まともな理由もなく、行政のやることに間違いはないという一刀両断。同じことは、安保法制違憲訴訟についても言えます。まともに証人調べをしない。せっかく学者証人を調べても、その証言を生かすことはない。残念ながら、そんな裁判官ばかりです。たまに良心を守っている(と思える)裁判官にあたると、ほっとしますが…。
 青法協会員の裁判官を追放(「ブルーパージ」と呼ばれます)してから、気骨のある裁判官には滅多に出会えません。本当に悲しくなる現実です。
判決次第で、その後の経歴が左右されると裁判官が信じたら、委縮効果が及ぶ可能性がある。
 著者は、これをまったくの誤解だと言いたいようです。でも、弁護士生活50年の私に言わせたら、決して誤解なんかではありません。厳然たる事実です。著者のような「主流」を歩いてきた裁判官には「見えない」のか、「自覚がない」だけのことだと私は思います。
 私も、30億円というムダづかいをした地方自治体(市長)の責任を追及した住民訴訟で勝訴間違いなしとマスコミともども確信していたのに、敗訴判決をもらったことがあります。住民勝訴の判決を書いたときの反響の大きさに恐れをなして担当裁判官たちは住民を敗訴させたとしか思えませんでした。まあ、それが、至ってフツーの裁判官なんだと思います。
 著者は、和解について、こう書いていますが、この点はまったく同感です。
 裁判官が自ら案件を解決するという気迫を示せば、代理人・当事者もそれなりに意気を感じてくれる。そうなんです。裁判官が自分の心証を示して、これで解決したらどうかと言えば、かなりの確率で和解は成立するものです。ところが、自分の考えをはっきり言わないまま、「足して二で割る方式」の和解案を示す裁判官が、今も昔も少なくありません。
 著者は司法研修所の教官そして事務局長をつとめていますが、その経歴を詳しくみると、高裁長官から最高裁判事という超エリートコースに乗っていたのではないようですね。この点は、裁判官の思考法を知る点でも、勉強になりました。すっかり誤解していました。
 裁判官の思考法を知る点でも、勉強になりました。
(2024年4月刊。2300円+税)

女性法律家

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 三淵 嘉子 、 出版 有斐閣
 1983(昭和58)年5月に刊行された本の復刻版です。もちろん、「虎に翼」(NHK朝ドラ)が好評なので、復刊されたのです。主人公のモデルとなった嘉子さんは紹介を割愛します。   
時代を感じさせたのは1965(昭和40)年12月に東京は神田に発足した「婦人総合法律事務所」です。もちろん、今でも「婦人」という言葉は生きていますが、今や男女共同参画の時代ですから、「婦人」というより「女性」のほうが親しみもあって、使われやすいと私は思います。現に、福岡には「女性協同」事務所があります。
 「婦人総合」は、女性弁護士6人で結成されました。女性だけの共同法律事務所は全国で初めてだったので新聞、ラジオ、テレビで紹介され、開所初日には数十人の相談者が押しかけてきたそうです。以来、17年間、6人の女性弁護士から成る事務所は存続したそうですが、その後は、どうなったのでしょうか…。
 ここの相談料は開所当初は1時間2000円で、17年たった時点では7000円。土曜・日曜は休みの完全週休2日制。私も弁護士生活50年のうち、少なくとも初めの20年間は、土曜日も平日と同じように相談を受けて働いていました。20年以上前から、土曜日は完全に休みで、朝からフランス語の会話練習にあてています。そして午後は、映画をみたり本を読んだりして自由気ままに過ごします。大切にしている私の自由時間です。
 女性弁護士は、どうしても家事事件を多く受任し、担当することになります。そして、この家事事件の当事者にはなかなか厄介な人物が少なくないのです。弁護士の側によほどの覚悟とストレス解消の技(わざ)を身につけておく必要があります。
 私はいわゆる企業法務を扱ったことはありません。大会社であっても社長や法務担当者に個性の強い人(いわゆるアクの強い人)が少なくないと思うのですが、そんな人たちと少し距離を置いてつきあわないと、こちら(弁護側)の心身がもたないことになってしまうと思います。なにはともあれ、女性法曹が増えたのはいいことです。
 この4月から日弁連の会長は女性ですが、ついに検事総長も女性がなるというニュースを先ほど聞きました。いったい、最高裁長官に女性がなるのは、いつのことでしょうか…。
 なんだか、当分、実現しそうもありませんよね、残念ながら…。
(2024年6月刊。2300円+税)

回想録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 康幸 、 出版 弘文堂
 内閣法制局長官から最高裁判事になった著者が自分の人生を振り返っています。
 著者は団塊世代の生まれで、私より1学年だけ下になります。東大入試が中止になったので、京都大学に入ったという経歴です。息子は無事に東大法学部を卒業して、東京で大企業を扱うビジネスローヤーとして活躍中のようです。
 著者の父親は銀行員だったので、転勤族とのこと。新しい学校に行くと、「おまえのしゃべるのはラジオの言葉だ、生意気だ」と、猛烈ないじめにあったそうです。神戸から敦賀に小学2年生のときに転校したときです。いじめのため待ち伏せされたりしたそうです。それで、通学路を毎日変えたり、相手の裏をかいて校舎にかけ込んだり…。あらゆる手練手管で必死に対抗。おかげで、不条理なものへの反発心、状況を読む力、作戦の構想力、忍耐力と交渉力を人並み以上に身につけた。
 なーるほど、災いを転じて福としたのですね、立派です。
 そして、こんな田舎での生活ではなくて、東京へ出て、もっと大きな世界で羽ばたこうと決意したのでした。
 私も、いじめは受けていませんが、ぜひ東京に出てやろうと考えていました。東京に行ったら、大きく世界が広がるはずだと考えたのです。そして、それは、たしかにそうでした。
 著者は幼年期に小児結核にかかったこともあって、外での運動ではなく、家にいて本を読む習慣が身についたとのこと。
 私も小学生以来、ともかく本を読んできました。図書館には、よく行きました。
 中学生のとき、印象深いのは、山岡壮八の『徳川家康』です。これは、本当に読みふけりました。高校生のときは、図書館で、古典文学体系、つまり古文の原書に体あたりしました。もちろん、注釈に頼っての読書です。それでも、原典にあたっていると、試験問題で断片が切り取られての設問でも、断然有利でした。中学3年生のとき、著者は名古屋市内で1クラス55人で、17クラスあったそうです。私は1クラス50人以上で13クラスあったと思います。1年生のときは増設されたプレハブ教室でした。
 著者は名古屋の名門高校(県立旭丘高校)に入学して、中学生のときの丸暗記勉強法が通用しないことを自覚したとのこと。私は丸暗記勉強法というのは、やったことがありません。
 高校では、数学、物理、化学が不得意だったそうです。私は、物理も化学も好きでしたが、数学が出来ませんでした。いちおう数Ⅲまでは勉強して分かったのですが、座標軸をつかったり、図形問題になると、思考できなくなるのです。「大学への数学」という雑誌も少しかじってみたのですが、私には数学的才能はないと自覚して、高校2年生の終わる春休みに理系志望を文系志望に変えました。そして長兄にならって東大文Ⅰ一本槍です。塾も予備校も行かず、Z会の通信添削だけでがんばりました。
 著者は官僚の世界に入って、たちまち頭角をあらわします。私も官僚志向でしたが、官僚にならなくて本当に良かったと今では思っています。
 この本には、著者の先輩の官僚が週に3時間しかとれなかったという話が紹介されています。私には絶対無理ですし、そんなことはしたくありません。私の同期の弁護士(五大事務所のパートナー弁護士になりました)も、同じような状況を経験したそうですが、これまた私は、ご免こうむります。
 ただ、著者は、おかげで文章を書くのが早くなったし、仕事を片付けるコツを身につけたそうです。それは私と同じです。
 いろいろ参考になることも多い本でした(子育てはマネできませんでしたが…)。
(2024年2月刊。3400円+税)
 このコーナーで紹介した岩泉ヨーグルトを天神の「みちのくプラザ」で見つけて買ってきました。普通のヨーグルトと違って、まったく水っぽくありません。プリンほどではありませんが、ヨーグルトの固まりになっていて、食べると、コクがあって舌ざわりも滑らかです。
 庭になっているブルーベリーと一緒に美味しくいただきました。腸内細菌を活性化させ、腸の調子が良くなった気がしました。

戦後憲法史と並走して

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 樋口 陽一 、 出版 岩波書店
 憲法学をかじった人ならだれでも知っている著者が自らの来し方を語った本です。なので、とても読みやすくなっていて、堅苦しさがありません。
 東北大学を卒業し、東北大学で憲法学の教授をしていて、1980年に東京大学法学部に移りました。
 東大での樋口ゼミは人気があったので、ゼミ生20人を選ぶのに「優」をとっていることのほか、「仏独2ヶ国語」をとっているのが条件だったとのこと。これにはまいりました。私は「優」もありませんでしたが、「仏独2ヶ国語」だなんて、とんでもない高いハードルです。それでもきっと、毎年、そのレベルの人がいたのでしょうね。さすが東大、恐るべしです。
 ゼミは時間厳守。その心は、全員が学者になるわけじゃない。社会に出ていって必要なことは、自分の言いたい大事なことを、他人(ひと)の話を聞きながら頭に入れて、そして短い時間で人に伝えるということ。なので、時間が厳守すべきだ、ということです。なるほど、大事なことですね・・・。
 私は本郷で民法を星野英一と平井宜雄の2人から教わりました。といっても25番か31番か、大教室で必死でノートを取ったというだけです。著者は民法の星野英一が、安倍・自民党の改憲策動に危機意識をもって、動こうとしていたというのです。驚きました。これは、同じく民法学の我妻栄が憲法問題研究会に加わり声を上げていたことにならったものと評しています。てっきり、官側の「御用学者」みたいに思っていた星野英一ですが、すっかり見直しました。
 ちなみに、我妻栄は亡父が法政大学で講義を聴いていたと話していましたが、私自身もその「ダットサン」を6回読んで、民法をマスターしたつもりになりました。我妻栄は穂積重達とともに戦前の帝大セツルメントを最後まで支えた一人でもありました(私も戦後のセツラーの一人です)。
 樋口憲法学の学問的特質は、主権と人権の間を橋渡ししたということで、これは革新的だったとのこと。主権を権力の実体とみるか、それとも正当性の所在とみるかの対立があった。国民主権の貫徹というかたちで主張されてきたところの実践的要求は、権力に対抗する人権という観念によっておこなうべきではないかというもの。
 主権をもっぱら正当性の根拠に一元化した樋口説は、「国民主権の貫徹」という形で当時熱っぽく主張されていた実践的要求を引きとるべき受け皿として、ほかならぬ「人権」を選んだということ・・・。
 なんやら、深遠な議論のようで、ちょっと私には正直なところついていけません。
 井上ひさしと同級生だったというのも奇遇ですが、まだまだ元気でご活躍されることを心から祈念しています。
(2024年2月刊。2300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.