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カテゴリー: 司法

企業法務と組織内弁護士の実務

カテゴリー:司法

著者  東弁研修センター委員会、    出版  ぎょうせい
 
 私は、分類されるとマチ弁護士になるのでしょう。いわゆる労働弁護士(労弁)を目ざしたような気もしますが、労働事件はほとんど依頼されることがありませんでしたので、労弁ではありません。草の根民主主義を大切にしたいと考えてきましたから、自分としては民主的弁護士(民弁)と言いたいのですが、民弁といっても韓国と違って定着した呼び方ではありませんので、しっくりきません。仕事の大半は多重債務をふくめた消費者被害を扱うものですから、やっぱりマチ弁としか言いようがありません。だから、企業法務なんか、あんたには関係ないでしょうと言われると、実はそうではないのです。マチ弁は、実のところ、零細な中小企業を主たる依頼者としています。だから、いわゆる企業法務ではないのですが、スケールを何桁も小さくした企業法務を扱うのは主要な日常業務の一つなのです。その意味で、この本は私にとっても大変勉強になりました。
 契約書の作成と審査にあたっての大切な視点として、2つあげられる。一つは、契約書において依頼者の利益が確保されていること。二つは、リスクの回避がきちんとできること。契約条項が明確になっていることは第三者によって検討が可能であること、そして、当事者間による契約条項の内容の共通認識である。
 契約条項において、文章で権利・義務の主体を表示するときには、受動態ではなくて、できるだけ能動態をつかうことが重要である。
 リスクの回避には3段階ある。まず、リスクを指摘する。そして、次に、そのリスクを取れるリスクか取れないリスクかを評価する。さらに、そのまま受けとめるか、軽減するか対応する。この指摘、評価、対応という3段階をふんでリスクを検討する。
 法律事務所の弁護士と企業内の弁護士との違いの一番大きいのは、リスク評価に対する対応だ。企業内弁護士は、企業の一員として、ある程度はビジネスに関与して責任を負う。だから、リスクを指摘するだけではなく、この中で取れるリスク、取れないリスクをイニシアチブをもって指摘する。リスクがあるからNOというのは簡単だが、それはダメ。リスク回避の観点から、ビジネスを動かすためにはどうしたらいいのかを考えていく必要がある。企業法務部は、建設的な提言をする必要がある。そのためには、ビジネスに対する共感が大切だ。
 法務部のコメントは、こうすればビジネスは動きますよと、ビジネス部門を法的に武装してあげるものでなければいけない。ビジネスに対する共感を持ち、ビジネスを円滑に進め、そしてそこから発生する法的なリスクをいかに回避するか、ビジネス部内の人たちと協力し合うことが必要である。
 マスコミとの対応では、マスコミに迎合せよということではない。正しくマスコミをリードするのも危機管理の一つなのだ。
 危機管理の実務は三つある。一つは、被害を最小限に食い止める。二つは、自浄作用を働かせる。三つは、プロセスを社会に示す。説明責任は会社内だけでなく、社会に示して完結するもの。
 不祥事は厳罰に処するというポリシーを経営者が日ごろ口にしていると、現場はまず隠そうとする。そういう企業文化が必ず生まれる。そうではなくて、不祥事があったら、いち早く報告させる。過ちを速く報告したら、1点加点してやるくらいの組織体制が必要だ。もともと大した不祥事でないものを、役員の事後対応のまずさから大きいニュースバリューのものに育てあげていくことがある。それが、役員の善管注意義弱違反である。
 拙速な公表は、たしかにまずい。しかし、分かっている事実と分かっていない事実とをきちんと区別してプレス・リリースするのはとても大切なこと。これは鉄則である。取締役会で法務部が議論をリードするのは危険なこと。
 企業が自浄作用を働かさないと外圧がかかる。外圧とはマスコミ、捜査当局、監督当局そして行政だ。危機管理コンサルタントは、おじぎの仕方、派手なネクタイはいけない、金ピカの腕時計ははずせとか、小手先のテクニックを使いたがる。しかし、結局のところ、会社がどういう姿勢で、何をしてきたかが勝負どころだ。
 マスコミは、相手が期待する以上の情報を提供しないと、何日も記事を書きつづける。
 こんな研修だったら、還暦を過ぎた私でも、今からでも受けてみたいなと思うほど、内容の濃い本でした。
(2011年1月刊。2095円+税)

日本国憲法の旅

カテゴリー:司法

著者  藤森 研、    出版  花伝社
この本の序文(はじめに)に著者は次のように書いています。日本国憲法の大切さを自分の仕事と生活のなかで実感したというのはすごいですよね。弁護士をしていても、憲法を日頃意識するのは、実は私にしてもそんなに多くはないのです。反省させられました。
この35年間、新聞記者として事件や司法、教育、労働、戦後処理、ハンセン病、メディア問題などを取材した。その時々の課題を追う社会部記者の暮らしのなかで、いつもどこかで気になっていたのは、私の場合は、日本国憲法だったように思う。
著者は大学時代に、小林直樹教授の憲法ゼミに所属していたとのことです。そして、今は新聞社を退職して、専修大学で学生を教えています。
日露戦争のとき、与謝野晶子が「きみ死にたまうことなかれ」と反戦詩を発表したのは有名ですが、その前に、ロシアの文豪トルストイもイギリスで同じような反戦の論文を発表していました。いったい、晶子はトルストイの論文を読んでいたのか。著者は読んでいたと断言しています。時期として矛盾しないし、内容に類似性があるということが根拠になっています。実は、私は別の本でも、このことを追跡しているのを読んだばかりですので、著者の考えに同感です。
そして、晶子が日露戦争のあと、変節したのかと問いかけています。晶子は満州旅行に出かけたとき、ちょうど奉天で日本軍による張作霖爆殺事件に遭遇したのでした。この事件は、当時の日本では満州某重大事件として真相が秘匿されていましたから、晶子が真相を知っても、その考えを発表することはできなかったでしょう。
軍隊を持たないコスタリカにも著者は行って現地で取材を重ねました。モンヘ元大統領は次のように語ったそうです。
私たちは軍隊を持っていないだけに、どんな小さな紛争も看過せずに調停と仲介を通じて、積極的に平和をつくり上げていく。私たちの中立主義はイデオロギー的な立場で唱えているのではなく、人間の自由と人権を守る方向で考えている。アメリカは複雑な国だ。ペンタゴン(国防総省)やタカ派は反対であっても、アメリカ議会は我々の立場を承認する方向にあった。
そして、コスタリカでも注目すべきは選挙です。サッカーと選挙は国民的な祭典である。投票日直前になると、全国一斉に禁酒となる。過熱によるケンカの予防のため。ただし、これはコスタリカだけではなく、他の多くのラテンアメリカの国と同じ。そして、子ども選挙が行われている。高校生たちが企画・運営し、10歳前後の子どもたちが大人と同じように本物そっくりの投票箱に投票用紙を入れる。こうやって、子どもたちは民主主義とは何かを体験し、学んでいく。実践的な公民・政治教育が盛んにすすめられている。いやあ、これっていいことですね。日本で政治に無関心な人が多いのは、子どものとき学校できちんと教えられていないことにもよりますよね。
 コスタリカ政府がアメリカのイラク侵攻を始めたのを支持する声明を出したとき、一人の法学部生が憲法に反対すると提訴した。そして、最高裁は政府によるアメリカ支持の声明を違法とし、その声明の取り消しを命じる判決を出した。
 うむむ、これってなかなかすごいことですね。こうやって憲法をつかい、定着させていくわけですね。日本では、その点の努力がまだまだ弱いですよね。
 著者は本の最後を次のように締めくくっています。これまた、とても大切な言葉だと思いました。
 日本国憲法を世界に活かしていく歩みは可能だと思う。望めば、その歩みに直接かかわることもできる国に暮らしていることを、恵まれたことだと私は感じる。
 実は、著者は私と同じころ大学(駒場)にいたのでした。学生のころは面識がありませんでしたが、今では年賀状などをやりとりする関係にありますので、この本も贈呈していただきました。ありがとうございました。じっくりと読むに価する本だと思います。 
(2011年1月刊。1800円+税)

税務調査の奥の奥

カテゴリー:司法

著者  清家 裕 ・竹内 克謹、  出版  西日本出版社   
 
 3月の確定申告期に備えて、久しぶりに税務調査について勉強してみました。元税務署の調査官による面白い裏話も盛りだくさんの本です。
 税務署は税理士をコンピューターにデーターを入力して体系的に評価するシステムをつくっている。ペケの多い顧問先をたくさんもっている税理士にはマークがついている。
 脇の甘い税理士が山ほどいるので、税務署の側では「困ったときには○○税理士を狙おう」と言っている。つまり狙われた税理士の関与先を調査すると、たくさん税金がとれるというわけです。
 質問顛末書は書く(サインする)必要はなく、また、書いてはいけないもの。確認書に名前を書いてしまっても取り戻せる。間違ったことを書いていたときには、そう書いて改めて提出すればいい。
 税務署の調査官時代、1件あたりの調査日数は2~3日程度であった。お土産を用意している納税者は税務署にとっては、税金を取りやすい「いいお客さん」に該当する。だからそこへ出かけることになる。一度でも「お土産」を渡すと、税務署はその会社について、「調査すれば何か出そうな会社」という烙印を押し、3年に1回必ず調査が入ることになりかねない。
調査官が会社にやってきたとき、必要な帳簿や書類は、調査官が求めてから提出・開示するのが鉄則である。
 調査官がトイレに行くときも、案内を兼ねて同行する。調査官から名刺を受け取ったあと、身分証明書の呈示を求め、それをメモに書き写す。ともかく、それだけ落ち着いて対応すること。
テープレコーダー(ICレコーダー)やビデオ、カメラを用意しておく。
帳簿書類の持ち帰りを受任する義務はない。
調査官は、狙いのない世間話はしない。優秀なベテラン調査官ほど、世間話が上手だった。
質問顛末書は、調査官が納税者に「不正の意図があった」ことの証明にし、重加算税をかける意図で書かせようとするので、絶対に書いてはいけない。重加算税は35~40%である。ふむふむ、なーるほど。そう思って読了しました。
それにしても、いいかげんな税理士も多いようなので、税理士えらびは大切です。まあ、これは私たち弁護士についても言えることですが・・・・。
(2010年10月刊。1500円+税)

冤罪をつくる検察、それを支える裁判所

カテゴリー:司法

著者  里見 繁 、  出版 インパクト出版社
 冤罪をつくり出した裁判官たちが実名をあげて厳しく批判されています。裁判官は弁明せず、という法格言がありますが、なるほど明らかに誤った判決を下した裁判官については、民事上の賠償責任を争うかどうかは別として、それなりの責任追及がなされて然るべきだと思いました。裁判官だって聖域ではない。間違えば厳しく糾弾され、ときには一般市民から弾劾もされるというのは必要なことなのでしょうね。
 著者は民間放送のテレビ報道記者を長くしていて、今では大学教授です。本書では9件の冤罪事件が取り上げられていますが、うち1件を除いて季刊雑誌『冤罪ファイル』で連載されていたものです。
 この9件の冤罪事件を通じて、冤罪は偶発的なミスとか裁判官や検察官の個人的な資質から生まれるのではなく、日本の司法制度そのものに冤罪を生みやすい土壌、もっと言えば構造的な欠陥があり、それがこれほど多くの冤罪を生み出す契機になっていると考えざるを得ない。
裁判官がミスを犯す大きな理由の一つは忙しすぎること。また、厳しい管理体制の中におかれ、出世競争の厳しさは検事の世界以上だ。出世の決め手となる成績は、一にも二にも事件の処理件数ではかられる。どんなに分厚い裁判記録も裁判官にとっては、たまった仕事の一つにすぎない。
 能力主義が能率主義にすり替わり、それが昇進に直結している。独立しているはずの裁判官が厳しい出世競争の中でサラリーマン化してしまい、倫理も正義もかえりみるひまがない。
 日本のマスコミでタブーとなっているのは三つある。天皇制、部落問題そして裁判所。あらゆる職業のなかで、裁判官だけはマスコミが自由に取材することのできない唯一の集団である。
 高橋省吾、田村眞、中島真一郎の3人の裁判官は、結局、医学鑑定書を理解することができなかった。長井秀典裁判長、伊藤寛樹裁判官、山口哲也裁判官は本当に刑事裁判の基本を理解しているのか、と批判されている。
 山室恵裁判官は痴漢冤罪事件で懲役1年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。
このように実名をあげての批判ですから、名指しされた裁判官たちも反論ができればしてほしいものだと読みながら思ったことでした。でもこれって、やっぱり難しいというか、不可能なことなのでしょうね。今、それに代わるものとして裁判官評価システムがあります。10年ごとの再任時期に限られますが、このとき広く市民から裁判官としてふさわしいかどうか、意見を集めることに一応なっています。もっとも、この手続について市民への広報はまったくなされていません。私は広く知らせるべきだと前から言っているのですが・・・。
(2010年12月刊。2000円+税)

冤罪の軌跡

カテゴリー:司法

著者  井上 安正 、  出版 新潮新書
 事件が起きたのは、今からもう60年以上も前のことです。1949年(昭和24年)8月でした。弘前大学医学部教授夫人が就寝中に殺されてしまったのです。犯人はなかなか捕まりませんでした。やがて、近所の警察官志望の青年が逮捕されました。事件のあと警察官まがいの行動をしていたことから、逆に不審人物とされたのです。とても不幸なことでした。
 有名な弘前大学教授夫人殺害事件について、当時、マスコミの一員として関わった著者が新しい視点で事実を再発掘して紹介しています。
それにしても、真犯人が名乗り出ているのに、その「自白」を疑わしいとした裁判官がいたというのには、驚きというより呆れてしまいます。そんな節穴の裁判官は過去だけでなく、現在もいることでしょうね。信頼できる裁判官がいることは私も大勢知っていますが、逆に、話にならないくらいにひどい裁判官にも何回となくぶちあたりました。決して絶望しているわけではありませんが、裁判官は間違わないというのは単なる幻想だというのは日頃の私の実感です。
 この事件では幸い真犯人が名乗り出たから、無実の人が救われたわけです。逆にいうと、真犯人が名乗り出なかったら、濡れ衣は恐らく晴れないまま死に至ったことでしょうね。それこそ、まさに無念の死でしょう。
 その冤罪の根拠となったのは、高名な古畑東大教授の鑑定書ですし、その「材料」を提供した警察です。なにしろ返り血を浴びたはずのシャツに、当初はなかった血痕があとになって出てくる「怪」がありました。そうまでしても、警察は「犯人検挙」の実績をあげたいのですね・・・。
 古畑教授は、法医学は社会の治安維持のための公安医学であると高言していた。ええーっ、そんな馬鹿な、と思いました。同じ法医学者でも、本村教授は、法医学は無実の者が処罰されることのないようにする学問だと言い切ります。まさにそのとおりだと私は思います。
 世の中は本当に怖いことだらけですね。殺してもいないのに殺人罪で有罪となったという人が日本でもアメリカでも何十人もいて、刑死させられた人も多いというのですからね・・・。
 
(2011年1月刊。700円+税)

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