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カテゴリー: 司法

女性法律家

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 三淵 嘉子 、 出版 有斐閣
 1983(昭和58)年5月に刊行された本の復刻版です。もちろん、「虎に翼」(NHK朝ドラ)が好評なので、復刊されたのです。主人公のモデルとなった嘉子さんは紹介を割愛します。   
時代を感じさせたのは1965(昭和40)年12月に東京は神田に発足した「婦人総合法律事務所」です。もちろん、今でも「婦人」という言葉は生きていますが、今や男女共同参画の時代ですから、「婦人」というより「女性」のほうが親しみもあって、使われやすいと私は思います。現に、福岡には「女性協同」事務所があります。
 「婦人総合」は、女性弁護士6人で結成されました。女性だけの共同法律事務所は全国で初めてだったので新聞、ラジオ、テレビで紹介され、開所初日には数十人の相談者が押しかけてきたそうです。以来、17年間、6人の女性弁護士から成る事務所は存続したそうですが、その後は、どうなったのでしょうか…。
 ここの相談料は開所当初は1時間2000円で、17年たった時点では7000円。土曜・日曜は休みの完全週休2日制。私も弁護士生活50年のうち、少なくとも初めの20年間は、土曜日も平日と同じように相談を受けて働いていました。20年以上前から、土曜日は完全に休みで、朝からフランス語の会話練習にあてています。そして午後は、映画をみたり本を読んだりして自由気ままに過ごします。大切にしている私の自由時間です。
 女性弁護士は、どうしても家事事件を多く受任し、担当することになります。そして、この家事事件の当事者にはなかなか厄介な人物が少なくないのです。弁護士の側によほどの覚悟とストレス解消の技(わざ)を身につけておく必要があります。
 私はいわゆる企業法務を扱ったことはありません。大会社であっても社長や法務担当者に個性の強い人(いわゆるアクの強い人)が少なくないと思うのですが、そんな人たちと少し距離を置いてつきあわないと、こちら(弁護側)の心身がもたないことになってしまうと思います。なにはともあれ、女性法曹が増えたのはいいことです。
 この4月から日弁連の会長は女性ですが、ついに検事総長も女性がなるというニュースを先ほど聞きました。いったい、最高裁長官に女性がなるのは、いつのことでしょうか…。
 なんだか、当分、実現しそうもありませんよね、残念ながら…。
(2024年6月刊。2300円+税)

回想録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 康幸 、 出版 弘文堂
 内閣法制局長官から最高裁判事になった著者が自分の人生を振り返っています。
 著者は団塊世代の生まれで、私より1学年だけ下になります。東大入試が中止になったので、京都大学に入ったという経歴です。息子は無事に東大法学部を卒業して、東京で大企業を扱うビジネスローヤーとして活躍中のようです。
 著者の父親は銀行員だったので、転勤族とのこと。新しい学校に行くと、「おまえのしゃべるのはラジオの言葉だ、生意気だ」と、猛烈ないじめにあったそうです。神戸から敦賀に小学2年生のときに転校したときです。いじめのため待ち伏せされたりしたそうです。それで、通学路を毎日変えたり、相手の裏をかいて校舎にかけ込んだり…。あらゆる手練手管で必死に対抗。おかげで、不条理なものへの反発心、状況を読む力、作戦の構想力、忍耐力と交渉力を人並み以上に身につけた。
 なーるほど、災いを転じて福としたのですね、立派です。
 そして、こんな田舎での生活ではなくて、東京へ出て、もっと大きな世界で羽ばたこうと決意したのでした。
 私も、いじめは受けていませんが、ぜひ東京に出てやろうと考えていました。東京に行ったら、大きく世界が広がるはずだと考えたのです。そして、それは、たしかにそうでした。
 著者は幼年期に小児結核にかかったこともあって、外での運動ではなく、家にいて本を読む習慣が身についたとのこと。
 私も小学生以来、ともかく本を読んできました。図書館には、よく行きました。
 中学生のとき、印象深いのは、山岡壮八の『徳川家康』です。これは、本当に読みふけりました。高校生のときは、図書館で、古典文学体系、つまり古文の原書に体あたりしました。もちろん、注釈に頼っての読書です。それでも、原典にあたっていると、試験問題で断片が切り取られての設問でも、断然有利でした。中学3年生のとき、著者は名古屋市内で1クラス55人で、17クラスあったそうです。私は1クラス50人以上で13クラスあったと思います。1年生のときは増設されたプレハブ教室でした。
 著者は名古屋の名門高校(県立旭丘高校)に入学して、中学生のときの丸暗記勉強法が通用しないことを自覚したとのこと。私は丸暗記勉強法というのは、やったことがありません。
 高校では、数学、物理、化学が不得意だったそうです。私は、物理も化学も好きでしたが、数学が出来ませんでした。いちおう数Ⅲまでは勉強して分かったのですが、座標軸をつかったり、図形問題になると、思考できなくなるのです。「大学への数学」という雑誌も少しかじってみたのですが、私には数学的才能はないと自覚して、高校2年生の終わる春休みに理系志望を文系志望に変えました。そして長兄にならって東大文Ⅰ一本槍です。塾も予備校も行かず、Z会の通信添削だけでがんばりました。
 著者は官僚の世界に入って、たちまち頭角をあらわします。私も官僚志向でしたが、官僚にならなくて本当に良かったと今では思っています。
 この本には、著者の先輩の官僚が週に3時間しかとれなかったという話が紹介されています。私には絶対無理ですし、そんなことはしたくありません。私の同期の弁護士(五大事務所のパートナー弁護士になりました)も、同じような状況を経験したそうですが、これまた私は、ご免こうむります。
 ただ、著者は、おかげで文章を書くのが早くなったし、仕事を片付けるコツを身につけたそうです。それは私と同じです。
 いろいろ参考になることも多い本でした(子育てはマネできませんでしたが…)。
(2024年2月刊。3400円+税)
 このコーナーで紹介した岩泉ヨーグルトを天神の「みちのくプラザ」で見つけて買ってきました。普通のヨーグルトと違って、まったく水っぽくありません。プリンほどではありませんが、ヨーグルトの固まりになっていて、食べると、コクがあって舌ざわりも滑らかです。
 庭になっているブルーベリーと一緒に美味しくいただきました。腸内細菌を活性化させ、腸の調子が良くなった気がしました。

戦後憲法史と並走して

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 樋口 陽一 、 出版 岩波書店
 憲法学をかじった人ならだれでも知っている著者が自らの来し方を語った本です。なので、とても読みやすくなっていて、堅苦しさがありません。
 東北大学を卒業し、東北大学で憲法学の教授をしていて、1980年に東京大学法学部に移りました。
 東大での樋口ゼミは人気があったので、ゼミ生20人を選ぶのに「優」をとっていることのほか、「仏独2ヶ国語」をとっているのが条件だったとのこと。これにはまいりました。私は「優」もありませんでしたが、「仏独2ヶ国語」だなんて、とんでもない高いハードルです。それでもきっと、毎年、そのレベルの人がいたのでしょうね。さすが東大、恐るべしです。
 ゼミは時間厳守。その心は、全員が学者になるわけじゃない。社会に出ていって必要なことは、自分の言いたい大事なことを、他人(ひと)の話を聞きながら頭に入れて、そして短い時間で人に伝えるということ。なので、時間が厳守すべきだ、ということです。なるほど、大事なことですね・・・。
 私は本郷で民法を星野英一と平井宜雄の2人から教わりました。といっても25番か31番か、大教室で必死でノートを取ったというだけです。著者は民法の星野英一が、安倍・自民党の改憲策動に危機意識をもって、動こうとしていたというのです。驚きました。これは、同じく民法学の我妻栄が憲法問題研究会に加わり声を上げていたことにならったものと評しています。てっきり、官側の「御用学者」みたいに思っていた星野英一ですが、すっかり見直しました。
 ちなみに、我妻栄は亡父が法政大学で講義を聴いていたと話していましたが、私自身もその「ダットサン」を6回読んで、民法をマスターしたつもりになりました。我妻栄は穂積重達とともに戦前の帝大セツルメントを最後まで支えた一人でもありました(私も戦後のセツラーの一人です)。
 樋口憲法学の学問的特質は、主権と人権の間を橋渡ししたということで、これは革新的だったとのこと。主権を権力の実体とみるか、それとも正当性の所在とみるかの対立があった。国民主権の貫徹というかたちで主張されてきたところの実践的要求は、権力に対抗する人権という観念によっておこなうべきではないかというもの。
 主権をもっぱら正当性の根拠に一元化した樋口説は、「国民主権の貫徹」という形で当時熱っぽく主張されていた実践的要求を引きとるべき受け皿として、ほかならぬ「人権」を選んだということ・・・。
 なんやら、深遠な議論のようで、ちょっと私には正直なところついていけません。
 井上ひさしと同級生だったというのも奇遇ですが、まだまだ元気でご活躍されることを心から祈念しています。
(2024年2月刊。2300円+税)

罪を犯した人々を支える

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 藤原 正範 、 出版 岩波新書
 著者は、家裁の調査官を28年間つとめ、大学で教員もしてきた「少年非行の専門家」。
 そして、最近は、ひまを見つけて裁判所に出かけて法廷を傍聴しているのです。著者は、多くの人に刑事裁判の傍聴をすすめています。すすめている傍聴の対象は民事裁判ではありません。民事裁判だと、法廷での証人尋問はあまりありません。書類の交換の場と化している口頭弁論も、今ではインターネット上がほとんどですので、傍聴自体が出来ません。
 刑事裁判だと、公開の法廷で進行しますし、ほとんどの事件では傍聴券が発行されることもなく、自由に傍聴できます。
数多くの裁判を傍聴した著者の感想の一つは、「今の裁判は、関係者が寄ってたかって被告人に恥をかかせ、人格を貶(おとし)めているようにしか見えない」というもの。弁護人として活動することのある私には、少し意外な感想です。
高齢男性に性欲が動機になる犯罪が少なくない。性犯罪を犯した少年より高齢者のほうが「要保護性」が高いように思われる。この指摘は、そうかもしれないと、私も思います。
 刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育(はぐく)む機能は内包されていない。したがって、更生とは、裁判の結果、送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復すること、というのはフィクションだ。この点は、私もまったく同じ考えです。
 刑務所に入ったら、かなりの人が(決してすべてではありません)、悪いことを覚えてしまう危険があります。自覚して人間性を回復するようなことは、現実にはあまり期待できないと私は考えています。なので、実刑より執行猶予の判決のほうが、よほど本人の更生に役に立つことが多いというのが私の考えです。
 「罪を犯す人」は、日本全国で1年間に600万人いる。ええっ、そんなにいるの…、と思ったら、なんと580万人は道路交通法違反です。一時停止違反とかスピード違反が含まれています。警察庁が起訴した人は年間8万人ほど。そして、裁判所で実刑判決を受けた人は1万6千人弱です。執行猶予の判決は3万人が受けています。
 受刑者の罪名は窃盗と詐欺(万引と無銭飲食など)、そして覚せい剤取締法違反の三つで、男性の7割、女性の9割を占めている。
刑務所に収容される人の高齢化が進んでいる。男性で8%、女性で14%を占める。なので、刑務所では介護や認知症への対応に追われている実情にある。
国選弁護人の比率は地裁で85%、簡裁で92%を占める。私は被告人国選弁護士を30年前は月1件ほど受けていましたが、今では年に1.2件です。ただし、被疑者国選は2.3ヶ月に1件の割合で受任しています(今も)。
 罰金が支払えないので、労役場(刑務所)に入る人が年間3千人近くいる。
 弁護士が社会福祉士と連携して、「犯罪を犯した人」の社会での再出発を援助する制度が始まっています。まだ私は体験していませんが、社会福祉士の役割は司法の場でもますます大きくなっていると、最近つくづく実感しています。
(2024年4月刊。920円+税)

回想録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 庸幸 、 出版 弘文堂
 元内閣法制局長官で、最高裁判事もつとめた著者が、後任の長官に小松一郎元駐仏大使がなると聞かされたときの衝撃を赤裸々に描いています。
 著者は私より1学年だけ年下なのですが、1浪してしまったため、東大入試が中止となって、京大にまわったのでした。私も東大闘争(当事者の一人ですので、紛争とは呼びません)に関わったものとして、申し訳なく思いますが、決して私たちのせいではないと考えています。当時の政府の政治的判断なのです(実施しようと思えば実施できたと思います)。
 官房副長官から、「君には辞めてもらうことになっている」と申し渡されたのです。そこで、後任を尋ねると、「フランス大使の小松くんだ」と言われ、思わず「全身に鳥肌が立つような気がした」といいます。
 「官邸は、集団的自衛権を実現するために、この人事を考えたに違いない。かねてから最悪の事態として想定していた通り、いよいよ、来るものが来たということか・・・。ここが、まさに正念場だ」
 「私の交代劇は、大きな歴史の転換点となった」
 まさしく、そのとおりだったと私も考えています。
 「内閣法制局は、特に政界の左翼の人たちからは、とんでもない保守反動の右翼の権化のような組織と思われたもの」
 この点も、認識は一致しています。
 ところが、「内閣法制局は首尾一貫して同じ説明をしているにもかかわらず、いつの間にか、その立ち位置が、以前の右翼側から、気が付いてみると、真反対の左翼側へと動いてしまっていたのである。何という皮肉かと思った」
 これまた、認識は共通しています。
 「集団的自衛権は・・・要するに、他国から直接攻撃を受けなくとも、わが国の友好国を攻撃する国に対して、わが国が一方的に武力の行使をする、つまり戦争行為を行うことができることを意味する。これほどのことが、現行憲法九条の下で認められるとは、とても考えられないのである。どう理屈をこねても、憲法を改正しない限り、それはできないと言わざるをえない」
 いま、全国の裁判所で、安保法制が憲法違反であることを裁判所で認めてもらおうという裁判をすすめています。ところが、著者のこのような明確な認識は明らかに正しいにもかかわらず、裁判所はあれこれ言い逃れするばかりで真正面から憲法判断しません。本当にだらしない裁判官ばかりです。どこかに骨のある裁判官が一人くらいはいないものかと探し、待っているのですが、かなり絶望的です。
そんななかで、最高裁の裁判官就任の記者会見でも、著者は集団的自衛権は憲法に違反すると堂々と表明したというのです。偉いものです。こんな人がもう少し裁判所にいてほしいものです。
内閣法制局長官を経て最高裁判所の裁判官になってからも、それなりの筋を通したことがよく分かる回想録となっています。
(2024年2月刊。3400円+税)

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