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カテゴリー: 司法

弁護士キャリア失敗事例集

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 北 周士 、 出版 第一法規

 東京の五大事務所と大々的宣伝で集客するカタカナ事務所への若手弁護士の集中傾向がますます強まっています。先日、ロースクール生を3週連続で受け入れ、お互いに新鮮な刺激を受けました。

 ロースクール生にとって、地方(はっきり言って田舎)の弁護士はまったく見えない。魅力のない存在のようです。地方には仕事がない。なので、自分で仕事を見つけなければいけない。事件の種類と幅も限られている。弁護士がいない(少ない)から、勉強する機会も少ない(勉強できない)。このような大いなる誤解を抱いています。

 ただ、誤解じゃないと私も思ったのがただひとつ、ありました。地方で弁護士やっていても、何億円もするようなタワーマンションを買えるという保証はない(いえ、買っている地方の弁護士もいますが、それは例外的です。むしろ地方だと、マンションよりも庭付き戸建て住宅を好みます)。私もタワーマンションを買えるほどの資産はありませんが、バブルとは一貫して無縁の住宅団地の一隅に、広々とした庭で花と野菜づくりという畑仕事をする(夏の雑草とりは大変ですが…)生活を送っています。

 そして、仕事のほうは、多種多様です。大半が着手金10万円とか30万円ほどで、法テラス利用も5割前後ですので、毎月の売上額はしれたものですから、税務署なんかちっとも怖くありません。

この本を読んで、ぜひ紹介したいと思ったのは、ネット広告集客を得意とする事務所で8年間も働いたので、そろそろ独立したいというA弁護士が紹介されているからです。

 事務局のサポート体制が非常に充実していて、収入面でも非常に良好。でも、特定の分野に特化していて、新たな学びや挑戦の機会が少なく、成長速度が停滞していると感じている。社内で割り振られる仕事をこなすだけで、他業種との交流のなく、新たな案件を開拓するという積極性が失われていった。

 そうなんですよね。上から与えられた特定の分野の仕事だけをこなす仕事って、魅力が乏しいですよ。

 ところが、このA弁護士に対して著者の北弁護士は、最初の就職先として、このようなネット広告集客系事務所を「おすすめ」としています。いやいや、本当にそうでしょうか…。何事も初めの3年間が大事だと、私は思います。

周囲の弁護士と何事につけ相談しながら、多種多様の案件に接し、顧客開拓の苦労もしながら、自らのキャリアを広げ深めることをまず真っ先に優先した方がいいと私は考えています。高収入なんか優先すべきではありません。いかがでしょうか…。

(2025年7月刊。3000円+税)

裁判官はなぜ葬られたか

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 岡口 基一 、 出版 講談社

 昨年(2024年)4月3日、著者は国会の弾劾裁判所によって裁判官から罷免された。著者は、裁判官でなくなっただけでなく、法曹資格までも失った。

私は著者のフェイスブックを昔も今も愛読しています。問題となったFBには、やや表現に穏当さに欠けるのではないかという印象をもっていますが、それでも表現の自由、裁判官にも市民的自由を保障するため、今回の罷免判決は明らかに間違っていると考えています。間違いというより、許されない判決だというべきものです。

 ところが、弁護士会のなかにも罷免判決を正当だと考える弁護士も少なくなくいた(いる)ため、日弁連では罷免反対の会長声明を出すことが出来ませんでした。

 著者の主張は、こうです。

 一般市民の立場でSNS等をしたにすぎない裁判官が、かつては裁判官の「市民的自由」を何よりも重視してきた弾劾裁判所において罷免された。結局、裁判官の市民活動が強く制限されていることが明らかになった。こんなことでは、日本の民主主義は上辺だけの見かけ倒しのものになってしまう。

著者に対する弾劾裁判は最高裁が訴追申立てをして始まったものではない。国民の訴追申立てにもとづいて、国会議員からなる訴追委員会が訴追を決めたもの。

 最高裁は、裁判官について、世俗から隔離して雲上人にしておいたほうが国民の信頼を得やすいと考えている。その結果、裁判官は世間から隔離された存在となっている。居酒屋で同僚・部下と飲むことはあっても、裁判官と分かるような言動は慎んでいる。

 最高裁の元長官が右翼的な政治活動に挺身しているというのには、石田和外三好達がいる。

 裁判官村のルール(掟)は、

 ① 前例に従うこと

 ② 一般社会とは極力かかわらないこと

 ③ 「先輩」の裁判官を不快にさせないこと

というもの。

 著者は、最高裁との情報戦で完敗した。林道晴・東京高裁長官(現・最高裁判事)は著者に対して、SNSを止めるように命令した。裁判官には表現の自由なんてないというわけである。

 最高裁には、マスコミという強力な援軍がいる。著者について、毎日新聞も読売新聞も著者の弁明を記事にしなかった。

大竹昭彦・仙台地裁所長は著者に対して、こう言った。

 「きみが岡口か。あんな戒告決定を受けて、よくまあぬけぬけと裁判官、続けてられるね」

 上から目線の非難そのものです。

 弾劾裁判所は、2021年7月29日、著者に対して、職務停止命令を発令した。そして、自宅待機が命じられた。それでも給与は支給された。ちなみに、罷免判決によって退職金は支給されなかった。

当時は現職の裁判だった竹内浩史判事が、唯一、弁護側証人として証言した。かつては裁判官のなかにも青法協の会員がいましたし、懇話会やネットワークのメンバーもいましたが、今では「絶滅」してしまいました。本当に残念です。

罷免判決は、前半の事実認定部分では弁護人側の主張がことごとく認められ、著者は「完勝」と評価しています。

 ところが、後半の法的判断のところで一変(一転)して、著者を強く批判する言葉のオンパレードとなった。たとえば、著者がブログで引用したところ、それを著者のなりすましアカウントで引用投稿され、それを見た遺族が著者の投稿と誤解した。これは不幸な誤解ですが、今や「なりすまし」やフェイクニュースが横行していますので、その真偽を見抜くのは、とても困難です。

 罷免判決は、「東京高裁と東京地裁がそう言っている」ことを理由としている。ところが、罷免判決は前半部分の事実認定において、この事実認定を完全に否定した。すると、自ら両裁判所の事実認定を否定しながら、「裁判所が言っているから」というのは、理由がくいちがっている。そして、そのことについて何の説明もない。

 いやあ、これはひどいですね。ともかく罷免しようという結論が先にあったということなのでしょうが、あまりにも無理があります。

 私は、著者が罷免されたあとも、元気に講演そして執筆活動を続けていることに心より敬意を表します。つい先日は福岡でも講演していただきました。今後とも引き続きのご活躍を心より祈念しています。

(2025年10月刊。1980円)

菊池事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 徳田 靖之 、 出版 かもがわ出版

 1952年7月に起きた殺人事件で犯人とされた被告人F氏(28歳)はハンセン病患者だった(本人は否定していたし、違うとする医師もいた)。F氏は逮捕・起訴され、死刑判決を受けた。控訴も再審請求もしましたが、三度目の再審請求が棄却された翌日の1962年9月14日、死刑が執行された。このとき、F氏は40歳になっていた。

 そして、現在、死刑執行後の再審請求の裁判が係属している。著者は、再審請求弁護団の共同代表。別件ですが、飯塚事件も同じく死刑が執行されたあとに再審請求中です。

この飯塚事件ではDNA鑑定が杜撰だったことが問題とされています。

先日来、佐賀県警でDNA鑑定がとんでもないインチキだったことが暴露されました。警察庁も重大視していて特別監査に入ってはいますが、佐賀県弁護士会が指摘しているように、第三者による科学的で公正なメスを入れるべきだと思います。つまり、DNA鑑定自体の科学的正確さは間違いないとしても、それを運用する人間のほうがインチキしてしまえば、結局、DNA鑑定だってすぐには信用できないということです。佐賀県警のようなインチキを許さないようにするには、どうしたらよいか、この際、第三者の目で徹底的に明らかにすべきです。

 被告人がハンセン病患者だというので、ハンセン病療養所内で「特別法廷」が設置された。裁判官も検察官も弁護人も「予防衣」と呼ばれる白衣を着て、証拠物はハシで扱われた。そして、F氏の国選弁護人はF氏が無実を訴えているのに、有罪を認めるような「弁論」をした。いやあ、これはひどいですね。弁護人にも大きな責任があることは明らかです。

 再審請求を受けて熊本地裁(中田幹人裁判官)は、証人尋問に踏み切った。内田博文九大名誉教授が証言台に立った。検察官は反対尋問せず、その代わりに中田裁判長が時間をかけて細かく質問した。そして、その後、鑑定した専門家の尋問も実現した。

事件犯行に使われたとされているF氏の短刀には血痕が付着していなかった。被害者は全身20ヶ所以上に刺創・切創があるのに、ありえない。

 証拠上もおかしいことに加えて、「特別法廷」での審理も公開の裁判を受ける権利を保障していないという、憲法上許されないという問題がある。

 ハンセン病に対する社会的偏見、そして差別がF氏に対して有罪判決を下し、死刑執行に至った。とんでもないことです。

 著者は、私より4年ほど先輩の超ベテラン・人権派弁護士として長く、そして今も元気に活躍している大分の弁護士です。心から尊敬しています。

(2025年5月刊。2200円)

戦争犯罪と闘う

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 赤根 智子 、 出版 文春新書

 いやあ、偉いですね。日本の検察官をすっかり見直しました。国際刑事裁判所がロシアのプーチン大統領、そしてイスラエルのネタニヤフ首相の逮捕状を発付したことは知っていましたが、その裁判所の所長は日本人なのです。その所長をつとめている著者が苦労話を打ち明けている本(新書)です。ぜひ、広く日本の司法界で読まれるべきだと思いました。

 写真で見ると、弱々しそうな印象というと叱られそうですが、決して威丈高ではなく、淳々と道理を解き明かすタイプのように見えます。本人は、とても粘り強いとのことですから、その通りなのだと思います。

 そして、ロシアは逆に著者を指名手配したとのこと。ひどいものです。なるほど、プーチンのしそうなことです。ウクライナから子どもたちを連れ去ったのは戦争犯罪にあたると著者は裁判官として証拠にもとづいて判断したのです。

 このロシアによる指名手配のニュースのおかげで、著者がICCの所長であることが日本にも広く知れ渡りました。私も、その一人です。

 著者がICCの所長に就任したのは、2024年3月のこと。著者は、日本の検察官を長く務め、法務総合研究所、そして国連アジア極東犯罪防止研究所の所長も歴任している。

 ICCは、戦争犯罪や人道に対する犯罪を行った個人をローマ規程という国際条約にもとづいて訴追し、処罰する裁判所(2002年に設立)。オランダのハーグに本部がある。日本は2007年に加入しているが、アメリカもロシアも、また中国も加入していない。トランプ大統領は、ICCに対して敵対的な姿勢を示している。

 ICCの発付した逮捕状によって、フィリピンの前大統領ドルテルテを逮捕した。

 著者の任期は2027年3月まで。それまで全力で奮闘するとのこと。ぜひとも、みんなで応援したいものです。

 ICCに似ているものに、国際司法裁判所(ICJ)がある。

 このICJは国連の機関であり、国家間の紛争を扱う。このICJの所長も本年(2025年)3月、日本人の岩澤雄司が務めている。すごいですよね、ICCもICJも、どちらも日本人の所長だなんて…。いつもアメリカべったりで主体性がないとみられている日本ですが、意外に真面目さと粘り強さが評価されているようです。

 著者は、戦争犯罪、侵略犯罪という、中核犯罪全般に対する処罰規定を日本も規定すべきだと提起しています。なるほど、きっとそうなんでしょうね。また、ジェノサイド条約に日本は早く加わるべきだとも提案しています。アメリカもロシアも中国も加入しているのに、日本が加入していないと知ると、恥ずかしくなります。

 そして、最後に、今ICCは有続の危機にあるので、ぜひ日本は全力でICCを守ることを訴えています。大賛成です。日本のやるべき国際貢献の一つですよね。

読んで元気の出る新書でした。ご一読を強くおすすめします。

(2025年6月刊。950円+税)

 白内障の手術を受けました。白いもやもやがかかっていて、どうしようもなかったのです。手術は痛くないし、20分で終わるということでしたが、ドキドキして手術室に入りました。目は開いたままで、全身麻酔でもないので、意識は清明ですから、メスが入るのが見えるのではないかと心配していました。

 すると、麻酔の目薬を注入されるので、視界はぼんやりして、まばゆい小さな光がゆらゆらしているのが見えるだけで、メスなんか見えません。痛くないと聞いていましたが、ときどチクッとした痛みはあり、MRI検査のときのような音、ゴオーっという音が聞こえてくるのです。ええっ、痛みはあるじゃないの、と思わず内心つぶやいてしまいました。

 眼球の中のレンズをこわして破片を吸い出し、そこに新しいレンズを入れる手術です。

 たしかに20分ほどで終わりました。その日は、眼帯をして帰宅し、翌朝一番に診てもらいました。目にゴロゴロと違和感があると症状を訴えました。医師からは、目に傷つけましたので、それくらいは感じますが、いずれ消失しますと言われました。

民事調停

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 園尾 隆司 、 出版 金融財政事情研究会

 日本最古の裁判所が、宮城県に残っているそうです。

 明治21(1888)年9月、登米(とよま)治安裁判所が創設された。翌年に移転した庁舎が現存している。しかも、明治6(1873)年に、司法省が制定した断獄則例中に「断獄廷」として定めた様式のまま。当時のままの姿で保存されている。

 この法廷は、江戸時代のお「白洲(しらす)」と同じく、上・中・下段の3段構造。判事と検事は上段の法卓前に並んで着席する。中断には書記、下段には廷丁(ていてい)。当事者(被告人または原・被告)は同じく下段の柵の前に立つ。上・中段は板敷で、下段は土間になっている。

 書記は、前は解部(ときべ)といい、その次に判事補とされていた。この建物には、現在、「水澤県庁記念館」という看板が入口にかかっているが、登米治安裁判所のころは、「石巻治安裁判所登米出張所」と表示した看板が掲げられていた。

 戦後、昭和22(1941)年4月、仙台地裁登米(とめ)支部となって、さらに10年後に別の地に移転した。

 著者は、この建物は、国の重要文化財(重文)として指定して保存すべきだと提言しています。まことに、もっともです。

 著者は、現在の日本の民事調停制度は江戸時代前期に形成され、400年の伝統をもっているとしています。しかも、それは、日本の山間僻地(へきち)にまで浸透していて、諸外国の調停制度にはない、大きな特徴があるとします。

 なにより、訴訟になっていない当事者間の紛争を扱って調停していること。そして、2人の調停委員は法曹ではない民間人から成り立っていること、そして、裁判以外の解決方法を模索していることです。

 調停機関は裁判所内に設置されているが、そこでは裁判になってからではなく、まだ裁判になっていない紛争を扱うのです。これは、諸外国にはないとのこと。また、民間人から成る調停委員の手当がその良し悪しはともかく低額であり、基本的にボランティア精神を基礎にした報酬になっている。

 著者の祖父も調停委員だったそうです。幼い著者は「チョーテイ」というコトバを聞いて「朝廷」と勘違いしていたそうです。祖父は元教員で、その後、村役場に嘱託として村史の編纂にあたるかたわら、月に1回か2回、片道10キロの山道を往復5時間もかけて池田簡裁に通っていたというのです。無報酬ですから、まさしくボランティアそのものです。

 江戸時代の裁判は調停前置制度だった。当事者双方が町村役人の立会の下で調停がなされ、それが不調に終わらない限り奉行所での訴訟には移行できなかった。

 町奉行所における裁判制度が整備され、多数の訴訟が提起されるようになってから、訴え提起前に町村役人による調停が実施されるようになった。そして、裁判になってからも職権で調停にまわされ、そこで決着すると「内済(ないさい)」と呼ばれた。

 江戸時代、訴訟の当事者は奉行所の指定した期日に出頭しないと、処罰されることになっていた。ただし、明文の法令ではなく、判例法。そして、この出頭の義務付けは、明治に引き継がれ、現代でも通用している。

 江戸時代、奉行所に勤める与力が賄賂を受けとっていたという話はあっても、町奉行自身が賄賂を収受していたという話はまったくない。そして、これは、奉行所が2つあって、相互に監視・牽制する関係にあったことによるとしています。

明治時代になって、調停前置制度でなくなり、いきなり訴訟が提起できるようになったので、訴訟事件が爆発的に増えた。明治6年から8年へ、2年間で23倍にもなった。そこで、明治15(1882年)から、治安裁判所で勧解手続が始まった。これは和解の勧奨。

 裁判官による職権和解と勧解による和解とは大きな違いがあったとされています。つまり、勧解によるほうは、必ずしも法律にとらわれることなく解決を探るものだったのです。

 いつもながら、よく調べられていて、大変勉強になりました。

 今回も著者より贈呈を受けました。まことにありがとうございます。

(2025年10月刊。3300円)

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