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カテゴリー: 人間

古稀のリアル

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 勢古 浩爾 、 出版  草思社文庫
私と同じ団塊世代の著者が、70歳になって何が変わったか、これからどう生きていくのかを、他者との比較で、あれこれ考察している愉快な本です。私自身はまだ古希にはなっていません。60代なのです。といっても目前に迫ってはいるのです。
すでに少なからぬ同級生がこの世とおさらばしています。現役弁護士として、それほど深刻ではありませんが、頭をふくめて老化現象を痛感することはしばしばです。
著者はさかなクンの天真爛漫ぶりを大いに評価しています。ハコフグの帽子をかぶってテレビ(たとえば『ダーウィンが来た』)にしばしば登場します。「好きなこと、夢中になれる何かがあると、毎日がワクワクでいっぱいになる。もっと知りたいという探究心が出てくる」。ほんとうにさかなクンの言うとおりですよね。
そして、二人目は前野ウルド浩太郎(『バッタを倒しにアフリカへ』の著者)です。秋田育ちの昆虫少年がアフリカ大陸でバッタ退治に乗り出す様子には著者だけでなく、私も言葉を失うほど圧倒されました。昆虫オタクの香川照之もいますよね。この人もまたすごいです。
本好きの人のなかに、いま読んでいる本を読み終わりたくないという人がいる。その気持ちは、よく分かる。本は読んでいるあいだが愉しい。その物語のなかにいる時間こそ、何物にも代えがたい。だから、またすぐに最初から2回目を読むという人もいる。しかし、著者は、そんなことはしない。別の新たな愉しみを求め、別の本を読む。
そうなんです。絶えず新しい出会いを求めるのです。その出会いがときにあるからこそ、世知がらい世の中を生きていられるのです。
読みかけている、その先を早く読みたい。これが面白い本の条件である。まったくもって、そのとおりです。
著者は私とちがってテレビ好きだそうです。ところがドラマはほとんど見ていません。もっともらしく、わざとらしく、ウソくさく、あざとくて、うっとうしいからだ・・・。
私は、テレビのドラマは全然みません。そのため「おしん」とか「大地の子」など、見逃してしまった残念な番組がいくつもあります。
70歳になったからといって大騒ぎする必要はまったくありません。それでも、いよいよ終末期を迎えようとしていることを自覚させられる本ではありました。
(2018年2月刊。700円+税)

私の少女マンガ講義

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版  新潮社
福岡県大牟田市出身の、今では世界的にも有名なマンガ家です。
私自身は直接には著者と面識ありませんが、母親同士が親しく交際していて、私の記憶に残る著者の母親は、まさしく著者そっくりです。ところが、著者と母親とのあいだには、大変厳しい葛藤があったようです。要するに、いつもマンガを描いている娘を母親は認めることが出来なかったのです。まあ、無理もないことでしょうね・・・。
さすがに少女マンガの第一人者ですから、著者の話は大変説得力があります。
この本は、著者がイタリアの大学で講演したときの話と質疑応答をまとめたものが主となっていますので、大変読みやすく、また、読者の知りたいことを明らかにしていて読みごたえがあります。
少女マンガとは、少女の、少女による、少女のためのメディア。
30年以上も続いている少女マンガの作品がある。読者も大きくなっていくけれど、少女マンガを読むときには、心が少女に戻る。男は、いくつになっても少年の心を持っているというけれど、女も、いくつになっても少女の心を持っているのだ。
「リボンの騎士」を描いた手塚治虫は、かけがえのない贈り物を作品として少女たちに手渡した。それは、女の子にも自由はある、ということ。
著者は高校2年生のとき、手塚治虫の「新撰組」というマンガを読んで大変なショックを受けた。そして、こんなにショックを受けたのだから自分も誰かにショックを返したいと思い、それでマンガ家になると決心した。
今いる場所がすべてではないと考えると、脳が活性化する。
ふだん、気になっていることをずっとずっと考えているうちに、ある日突然、ストーリーがぱっと浮かぶ。
マンガ家の世界では、気が合う人、作品が好きな人同士で、おつきあいをする。
三度の出会いがあった。デビューできたこと、描ける場があったこと、よい編集担当に出会ったこと。
あっ、これが運だ。そう思ったときに、それを逃さないようにキャッチする。これが大切だ。
すごく面白いマンガには、コマのリズム、構図のリズム、台詞(セリフ)のリズムが三位一体となって感情を動かしてくる。
マンガのオーソドックスの基本を描いているのは、横山光輝、手塚治虫、そしてちばてつやの三人。この3人の技法をおさえておけば、マンガの基本は描ける。
「ポーの一族」、「11人いる!」はその発想に圧倒されました。「残酷な神が支配する」には、私の想像できない世界を見て、言葉が出ませんでした。とても同世代とは思えない思考の深さに感嘆します。
(2018年4月刊。1500円+税)

佐藤ママの強運子育て心得帖

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  小学館
著者の本は、どれを読んでも、じんわり心が温まる思いがします。同時に、自らの子育てを振り返ると、ああ、そうか、あれは良くなかったんだなあと、反省することしきりです。でも、まあ、3人の子がそれなりに元気に生きていることで、それほど大きな間違いはしてないよね、と自らを慰めています。
そもそも、子どもには、親の恩なんて感じさせないように育てるのが一番いい子育てだ。
ともに笑ったり、泣いたり、かわいいころを一緒に過ごせる幸せに感謝。
まったく、そのとおりです。でも、その幸せに気がつくのは、たいてい過ぎ去ってから何年も何十年もたってからのことなんですよね・・・。
ケアレスミスという言葉をつかってはダメ。間違いは、すべて間違い。
人間はみな、基本的に怠け者である。
子どもの泣き声が耳障りなのは、生きていくために親の注意をひく目的があるから。
そうなんです。サルやチンパンジーの赤ちゃんは泣かない。なぜか・・・。赤ちゃんは母親にぴったり密着しているから、泣く必要がない。人間の赤ちゃんは母親と密着していないので、泣いて母親の注意を喚起する必要があるのです。
隣の子に言えないような言葉は自分の子にも決して言ってはならない。
アドバイスを受けたら、まず、感謝する。「だけどね・・・」と言うべきではない。
子どもから相談をされたら、何を差しおいても、ふたつ返事で引き受ける。
うーん、これって簡単そうで、実際には難しいですよね。親にも都合があり、気分の変化もありますからね・・・。それでも、ということなんですよね。
家庭のなかで、みんなが明るく生きていけるように演じてみる。
自分の心に毒になってしまいそうなことはスルーしてしまう。
そうですよね、ストレスもためこまない工夫が必要です。
子どもにとって、親は絶対的な存在であって、相対的なものではない。
親が何ごとにも好奇心旺盛で積極的に行動していると、子どもは伸びる。
子育てにおいて一番大切なことは余裕をもつこと。そして、十分な睡眠は集中力に欠かせない。
4人の子(男3人、女1人)を全員、東大理Ⅲに合格させた佐藤ママの言葉は、どれをとってもなるほどと思わせるものばかりです。あとは、ひとつひとつ実行していくことですね。
わずか130頁たらずの小さな新書ですが、子育て途中のパパ・ママには価値ある1000円に間違いありません。
(2018年4月刊。1000円+税)

絶景本棚

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 本の雑誌社編集部 、 出版  本の雑誌社
愛読家にとって蔵書の収納場所をいかに確保するか、常に頭を悩ます大問題です。必ずしも世に広く知られた有名人だけではありませんが、本のコレクターとして書斎に何万冊も並べている光景が1冊の写真集になっています。
私も60歳台の前半までは、「本は一冊だって捨てられない」と高言していました。雑誌は捨てても単行本は捨てることができなかったのです。
しかし、60歳台も後半になって一大心境の変化が生まれ、まず、今後もう読むことはないと思う本を書斎から抜き出し、私の関係する団体の事務所に本棚ごと贈呈し、移動させました。それでもまだまだ本はあります。次に、主として警察小説と中心とする推理小説を知人の市会議員の個人事務所にそっくり寄贈しました。推理小説を2度読み返すことは、まずありませんので、読み手のいそうなところに引き取ってもらって、本のリユースを願ったのです。そして今、資料価値がなくなっていて、保存しておくことのないと思った本を大胆に捨てています。
私はこの20年ほど、毎年500冊の単行本を読了しています。買ったけれど読んでいない本が何冊かあります。ちなみに、私は本は買います。読んで光るところは赤エンピツで棒線を引きます。弁護士生活も40年以上となっていますので、私の所有する本は単純に数えても2万冊を下回ることは考えられません。自宅も事務所も本であふれています。
本は段ボールに入れてしまったら終わりです。死蔵ということは使わないことと同義。やはり、背表紙を見えるようにして、すぐにも手に取れるようにしておく必要があります。
この本に出てくる書斎は、本の高さと形に応じて、みんな苦労していることがよく分かります。私の事務所にはスライド式書棚がありますが、これは本の保管としては適さないと考えています。
本は背表紙を読んで、「えっ、こんなところにいたの・・・。」というつぶやきとともに、すぐに手を伸ばして胸にかかえこむべきものです。今度、そのうち買って読もう、なんて考えていても、そんなことはついつい、すぐに忘れ去ってしまいます。今、ここでの出会いを大切にして、フィーリングで購入することを表明して、いい本(いい書斎)にめぐりあえたことを高く評価します。ありがとうございました。
(2018年3月刊。2300円+税)

モノに心はあるのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 森山 徹 、 出版  新潮選書
心があるのは人間だけに決まっている。なんて変なタイトルの本なんだ。モノに心はない。心がないからこそ、人間とちがってモノなんだ・・・。
著者は、子どものころ、死ぬと決して生き返ることはない。死ぬと夢を見ないで寝ているのと同じ状態になることを確信した。人間は、死ぬと、まったくなくなってしまう。そして、世界は、自分の生まれる前から、そして自分が死んでからも存在するということを実感した。
この点は、私もまったく同じです。ですから、私は、この世に自分というものが存在したことを、たとえ小さなひっかきキズでいのでなんとかして残したいと考え苦闘してきました。こうやって文章を書いているのも、そのあがきのひとつなのです。
心とは、隠れた活動体、すなわち潜在行動決定機構群だ。それは、動物行動学の言葉を用いたら、自立的に抑制する複数の定型的行動の欲求だ。
石においても、隠れた活動体は存在している。つまり、石にも「心」が存在する。石器職人が石を割るとき、自分の力だけで石を思いどおりに割ったとは考えていない。職人は石の自律性を感じている。石の個性に気がついた職人は、石の内部でそれを生成する何者か、すなわち「隠れた活動体」の存在を知ることになる。
アメーバ動物である粘菌が迷路のスタートとゴールを結ぶ最短経路を探し出せること(知)、魚が恐怖や不安の反応を示すこと(情)、ザリガニの脳内には自発歩行の「数秒後に」活動しはじめる神経回路があること(意)が判明している。これらの研究報告は、無脊椎動物をふくむヒト以外の多くの動物に、知・情・意を代表とする精神作用が備わっていることを示唆している。したがって、心はヒトに特有なものではなく、あらゆる動物に備わるものだということになる。
この本は、「心」というものを平易で明瞭なコトバでもって語り尽くそうとしています。読んでいると、なるほど、なるほど、そういうことだったのかと思わずひとりつぶやいてしまいます。
(2017年12月刊。1200円+税)
 初夏と勘違いさせる陽気となり、ジャーマンアイリスが一斉に花を開いてくれました。ほとんどが青紫色で、いくつか黄色の花が混じっています。そのあでやかさは目を惹きつけます。チューリップは終わりました。庭の一区画からアスパラガスが次々に伸びて、春の香りを毎日のように味わっています。
 博多駅の映画館で韓国映画「タクシー運転手」をみてきました。1980年に起きた凄惨な光州事件がテーマです。軍隊が市民を守るものではないこと、当局はひたすら真相を隠してデマ宣伝をすることが描かれ、思わず鳥肌が立ちます。
 自衛隊がイラクのサマワに行ったとき、何が起きていたのか・・・。日報かくしは絶対に許せません。ぜひ時間をつくってみてください。

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