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カテゴリー: 人間

脳は回復する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 鈴木 大介 、 出版  新潮新書
脳梗塞で倒れた人が、徐々に以前のような状態に戻っていく過程で起きた驚くべき出来事が描かれています。
脳にとっては、言語もその他の音も匂いも光も、すべては「情報」なのだ。
人が人ごみのなかで他人に当たらずに歩くというのは、それだけでも脳内で非常に高度な情報処理が求められる行動だ。互いに少し歩く方向をずらして当らないようにしているし、歩む速度を緩めずに、即座に相手の身体全体の動きや目線を読んで、瞬時に、自らのルートを選択している。
ところが、著者は情報の奔流の中から、必要なもののみをピックアップすることができず、すべての情報を受け入れて、結局、すべての情報を処理できない。結果として、何もできなくなって、苦痛だけが膨れ上がっていく。
高性能耳栓で不快な音をカットし、サングラスで不要な光という情報もシャット。キャップ(帽子)はうつむくだけで、強すぎる光や見る必要のないものを視野から排除してくれる。
出かける前には、財布、ケータイ、キャップ、耳栓、サングラス、そしてメモ帳。指差し確認よし。これでようやく出かけることができます。
脳梗塞を起こすと、性格や僕という人物が変わってしまったのではなく、病前の僕と同じようなパーソナリティでいるための「僕自身のコントロール」が失われてしまった。自分で自分が変だと分かっていながら、「変でない自分」であることができないのだ。
相槌とは、きちんとした言葉を発さずとも、自分の意思を伝えることのできる、超便利なツールである。会話と言う言葉のキャッチボールをするうえで、相手のボールを受けとりましたよ、という意思表示や、「こちらが、そろそろボールを投げ返しますよ」であるとか、「投げ返すボールの方向や強さは、こんな感じですよ」なんてことまで伝えられる、万能なツールである。
伴走者は、本人のつらさを全面的に肯定してやってほしい。まちがっても、次のようなコトバを投げかけないでほしい。
「みんな、そんなものだよ」
「つらいのはキミだけじゃないよ」
「それは病気なの?」
「その程度の障害で良かったね」
「いつまでも病気に甘えないで、がんばろうよ」
「なんでも障害のせいにするな」
これらは、どれもこれも、残酷な、全否定と拒絶と攻撃のコトバだ。
脳梗塞、脳卒中になっても、脳は機能回復するのですね。この本が、いわば、その証明です。その人が苦しいって言ってたら、苦しいんです。この前提でつくられた社会は、最終的には、誰にとっても生きやすく、誰にとってもローリスクな社会になる。
なーるほど、そういうことなんですね。すべて、明日は我が身に起きることなのです。
(2018年2月刊。820円+税)

声のサイエンス

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山﨑 広子 、 出版  NHK出版新書
男女で声が違うのは、なぜなのか・・・。このところ、ずっと疑問に思っていました。その答えは、要するに、男性は喉頭が前に突き出し、声帯が7ミリ長くなって1オクターブほど低い声になるということ。
声が低く太いのは、多くの生物の共通認識として、身体が大きいことを示す。
新生児(赤ちゃん)は、自分の母の声を間違いなく認識し、他の母親の声と聞き分けている。お腹のなかで聞いていた母の言葉、母国語に特徴的な発音に、生まれてすぐに反応する。
声という音は、話し手の実に多くの情報をふくんでいる。身体・体格・顔の骨格・性格・生育歴・体調から心理状態まで・・・。
声は、ひとりひとりの履歴書のようなもの。声を形成する要素の2割は、生まれもった体格・骨格や声帯の長さ、共鳴腔(口腔や鼻腔など)の形など、先天的な声の素質。残り8割は、生育環境や性格と、その時の心身の状態。したがって、声は履歴書というよりは、その時の体調や心情を実況放送しているようなもの。
人は、出したい音を、その周波数、つまり、その数だけ声帯を振動させて出している。 ド・レ・ミと歌うときには、1秒のあいだに、262回、293回、329回の振動数を出す張力に瞬間的に調整している。でも、この音は、まだ声ではない。声帯から出た音が声になるためには、「共鳴」が必要。話すためには、声帯から出た音を言葉に応じた発音にしなければならない。発音は声帯から上の部分でつくられる。
260ヘルツの音を出すために、意識的に声帯を1秒間に260回振動させることは出来ない。脳が、生まれてから今までの声と聴覚の神経の蓄積から瞬時に司令を出して声帯を振動させる、この司令にしたがって出した声を、聴覚が即座に分析して、脳は音の大きさや発音を判断し、次の音への司令を出す。声帯の張り加減、声道や口腔や舌や唇の形、呼気量など、数十万通りのなかから必要な組みあわせを瞬時に選んで、100以上もの筋肉を動かして調整する。これを聴覚フィードバックと呼ぶ。
 声を出して話すというのは、脳と聴覚と発生の驚異的な連携の賜物(たまもの)なのだ。
声帯は、声を出すことを目的とした器官ではなく、異物が肺に入らないようにするための門でしかない。
声を出すことは、身体の他の働きをしている機能を巧みに利用し、全身を共鳴させて出すもの。だから、声に身体の状態が出てしまうのはあたりまえのこと。
人は、話すときに聴覚で自分の声を確かめながら発生している。人は生まれたときから、環境音という膨大な音情報を「無意識に」取り込んで育つ。聴覚は、それらの音を吸収し続け、脳に集積して分析し、その結果として脳で自分の声が「つくられる」。
話すときに顔をほとんど動かさないと、音声が安定する。「まばたき」をすると声のピッチを下げて不安定にするので、話している途中でまばたきしないのは鉄則である。
人前で話すことの苦手意識と、自分への無能感は比例している。
緊張が高まって逃げ出したい気分になったら、軽く「コホン」とやってみる。そうすると、興奮していた身体の状態が瞬間的にリセットする仕掛けだ。
なるほど、そうだったのか・・・、説得力のある話の展開でした。
(2018年4月刊。820円+税)
フランス語検定試験(仏検一級)の結果が判明しました。もちろん不合格なのですが、51点(150点満点)でした。合格点は89点ですので、38点も加点しなければなりません。まだまだ道遠し、です。実は自己採点で57点でしたので、あわよくば60点(4割)まで届くかとひそかに期待していたのです。仏作文と書き取りが思ったより悪かったようです。
毎朝、NHKフランス語の応用編を書き取りして、丸暗記につとめています。今にみていろ、ぼくだって・・・。あすなろうの心境です。

新・冒険論

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  インターナショナル新書
私は冒険をするような勇気は、これっぽっちも持ちあわせていませんが、冒険物語をハラハラドキドキしながら読むのは大好きです。
探検は、システムの外側にある未知の世界を探索することに焦点をあてた言葉。冒険はシステムの外側に飛び出すという人間の行動そのものに焦点をあてた言葉。
探検は土地が主人公の言葉で、冒険は人間が主人公の言葉だ。
冒険とスポーツとは、本質的に完全に対極に位置する行為だ。冒険には未知で予測不可能な世界に飛び込むという点が注目される。スポーツは、競技場という名の、舞台の整った場でおこなわれる行為だ。
著者は、冒険というものを自らの経験をベースに、現在の時代状況と照らしあわせて論じることのできる日本で唯一の人間だと自負していますが、まさしくそのとおりだと私も思います。だって、あとで紹介する著者の本を読めば、疑いようもありませんから・・・。
本多勝一は、①明らかに生命への危険をふくんでいること、②主体的に始められた行動であること、この二つが満たされたら、その行動は冒険だと言えるとした。
本多勝一は、朝日新聞の有名な記者で、私も、たくさんの本を読みました。
エベレスト登山は、いまや冒険とは認められない。なぜなら、エベレストに登りたい希望者が、熟練したガイド登山家が主催する隊にお金を払って参加するという、いわば商業ツアー登山の形をとっているから。登山客は定められたマニュアルにそった行動を指示される。公募登山の参加者は、自分の力で山に登っているわけではない。このエベレスト・ツアーに足りないのは無謀性である。
北極点を目ざすような極地旅行者は、ほぼ全員がGPSを持って行動している。使っていないのは、著者くらいだろう。
このコーナーで先に取りあげた『狼の群れと暮らした男』(築地書館)が紹介されていますが、この本は本当に驚くべき冒険にみちみちています。だって、文明人の大人がオオカミ(狼)の群れに近づき、ついには、その一員として認めてもらったというのです。その過程のすさまじさは圧倒的で、まさしく声を呑み込んでしまいます。
そして、もう一人は服部文祥の『サバイバル登山』です。これまた、大雪に閉ざされた冬山で一人、黙々と登山を敢行していくという苛酷すぎる体験記です。なにしろ、テントなし、コンロなし、食料は自給という生活を山中で続けていくのです。
そして最後に、先日よんだばかりの『極夜行』(文芸春秋)です。80日間、ほとんど真暗闇の極夜を過ごしていく極限の状況には声を呑み込むしかありません。
欧米人は単独行を避ける傾向にあるが、日本人は積極的に単独行をする。日本人は自然の本源に深く入り込むこと、生の自然に触れて、畏れおののくこと、結果以上に課程の充実を重視している。
冒険者は、自由状態をできるかぎり享受するため、あえて安全性を犠牲にしたり、緻密に計画することを放棄したりする。
なるほど、冒険って、そういうことなのか・・・。とても私には出来ないことだと再認識させられました。でも、自分が出来ないからこそ、こういう本を読むのは大好きなのです。
(2018年4月刊。740円+税)

極夜行

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  文芸春秋
太陽が昇らない、暗い冬の北極を犬とともに命をかけて歩いた極限の体験記です。
いわば、『空白の五マイル』の続編なのですが、この冒険旅行も次々に必殺パンチが繰り出されてきて衝撃度は極大です。
ところはカナダより北のグリーンランド。ここは、太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い長い漆黒の夜、極夜(きょくや)がある。
世界最北の村であるシオラパルクは、世界で一番暗い村でもある。
極夜という異常環境の下では、白熊対策の番犬として、犬は絶対に必要。犬なしで極夜の旅をするのは、目隠しで地雷原を歩くようなもの。シオラパルクでは、各家庭で10頭から20頭の犬を飼っていて、日常的に犬ゾリを移動の手段としている。
極夜病というものがある。関心の欠如、不脈、かんしゃくなどの心理的な症状が特徴だ。
人間は、あまりに暗い環境が長々とつづくと憂うつになり、何もする気がなくなってしまう。著者は、この極夜行に4年間もの歳月をかけて準備した。
冒険旅行では、GPSを使いたくない。機械の判断に自分の命をまかせたくないからだ。
極夜行のときには、身体に脂肪分をたくわえるように努力する。72キロの体重を80キロ近くにまで太らせた。
テントは、冬の極地の旅では、コンロとならぶ最重要装備だ。風で飛ばされることのないようにする。したがって、強風時のテント設営は、手順を守って慎重にすすめる。
氷点下20度台と30度台とでは、かなり明確な断絶がある。氷点下30度台は、明らかに人間の生理的限度をこえていて、このままでは肉体が消耗して、そのうち死ぬなという予感を無理なく持つようになる。氷点下30度の壁を乗りこえるには、1週間ほどの期間が必要だった。
1日の行動を終えてテントに入ると、必ずコンロに火をつけた。コンロで手を温めてから、防寒衣の内側にこびりついた霜をたわしでこそぎ落とし、毛皮靴についている雪を丹念に払い落す。
食糧は1日5千キロカロリーの摂取を目安とした。
極夜では、毎日しっかり乾かさないと衣類は濡れていく一方となる。衣類が濡れると生活のストレスが非常に大きくなってしまう。
1頭の犬を連れて歩いているうちに、目標を見失い、食料の補充の可能性がなくなり、犬はガリガリにやせ、自分が生きのびるためには、その犬を食べてしまおうと考えたほどに追い詰められます。
その迫力のすさまじさは、ただただ声も出せずに、くいいるように目を近づけて一気に読了したのでした。それにしても極寒の地を生き抜くためには鉄砲でウサギを撃ち、 解体して食べる技(ワザ)が必要なのです。生半可にやれる旅ではありません。
また、こんな極夜の地にも日本人男性が長く現地で生活をしているということに驚いてしまいます。
(2018年4月刊。1750円+税)

私は6歳まで子どもをこう育てました

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版  中央公論新社
子育ては大変ですよね。若いときに夢中になって過ごした日々が、楽しくもあり、思い出すと後悔の日々でもあります。ついカッとなって、冷静さを失い手を出してしまったり、理詰めで説明しきれずにごまかしてしまったり・・・。思い出すと、冷や汗がどっと出てきます。でも、膝の上に乗せて、もみじのような手を握って、手をあわせて歌をうたったり、くすぐって無理にでも笑わせたり、そして、絵本を一緒に読んで、話の展開に読み手のほうが声に詰まってしまったり、楽しい思い出もたくさん、たくさんあり、みんな宝物です。
4人の子どもをみんな東大理Ⅲに送り出したサトーのママって、スパルタ・ママなんじゃないか、そんな決めつけを見事に裏切ってしまう6歳までの読んで楽しくなる子育て論です。
これは読まないと損しますね・・・。
著者が子育てのなかで、一貫して最優先してきたことは、子どもが笑顔で過ごすこと。そして、自分自身を笑顔にするためにも、しっかりと手を抜いた。
これは、これは、とてもすごいことです。何度読んでも、この考えには、ぐぐっと惹きつけられます。
肩の力を抜き、子育てを120%楽しむ。
振り返ったときに後悔しない。
子どもたちを目一杯大切にして、気持ちよく巣立たせる。
著者は長男が1歳4ヶ月のときに「公文」(くもん)を始めさせました。
三男は3歳でプールの水泳教室に。三男は、はじめの3ヶ月は、わんわん泣いてばかり。それでも著者はあせらず、あきらめずプールに連れていったのです。すごいです。
子どもの健康管理のため、小学2年生までは「うんちチェック」。子どもたちにうんちを流させずにチェックして健康状態を確認していたといいます。
これは皇室でもやられていることのようですね・・・。
子どもの歯、箸(はし)、鉛筆は一生モノの習慣。
 歯は3ヶ月に1回の歯科検診を欠かさない。いやあ、これにはまいりました。4人の子どもは、全員、ピカピカの歯だそうです。ちなみに、私も虫歯でさし歯をしているのが一本だけです。あとは、全部、自前の歯です。そして毎日、合計して9分ほどの歯みがきを励行しています。
箸と鉛筆のもち方は、私も子どもたちにはうるさく言いました。ただし、字のほうは、私と似て、子どもたちの字はあまり美しい字とは言えません。残念です。
子どもには叱られた経験より、たくさんの成功体験や自己肯定感を植えつけることこそ大切。これがあると、自分は大丈夫だという精神的な支えをもてる。
これは大切なことです。やっぱり自分は何をしてもダメなんだ。子どもにそう思わせてはいけないのです。
兄弟はみんな平等に扱う。いま「争族」事件が多くて、いわばそれで「メシを食っている」弁護士なのですが、その大きな原因として、親が子どもたちを平等に扱わなかったことがあるとのだと痛感しています。
著者は、みんな「ちゃん」と呼び、「お兄ちゃん」とか呼びません。お菓子を分けるときだって、みんな一人前で平等に扱うのです。これはすばらしい。
子育ての発想を転換させてくれ、励ましてくれる本です。ぜひ、子どもを持つ親だったら手にとって読んでみてください。
(2018年4月刊。1300円+税)

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