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カテゴリー: 人間

探検家の事情

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  文春文庫
著者のスリルにみちみちた冒険の旅は、その迫真の描写に接して、思わず息をひそめてしまうほど圧倒されてしまいました。『空白の五マイル』、『極夜行』など、読んでいる途中で、息が詰まって投げ出したくなりましたが、でも、このあとどうなるんだろうと思わず頁をめくる手が速く動いていきました。
この本は、そんな著者の、信じられないとぼけた人柄もにじみ出てくる内容です。いわば楽屋裏のオチ話のオンパレードになっています。
著者に向かって投げかけられる質問。なぜ、冒険をするのか・・・。これは冒険をしない人に、なぜあなたは生きるのかと問うのと同じくらい、回答に窮する質問だ。
氷点下40度の寒さに支配される世界を、1日30キロも歩いていく。そのときには1日に5千キロカロリーは人体の健康保持に十分なレベルではない。大人が極地で肉体運動を続けるのには、少なくとも1日8千キロカロリーが必要なのだ。
著者は忘れ物や落し物が多いという「自慢話」を紹介しています。
記憶力があまりよくないうえに、集中力が非常に高く、せっかちなので、ある一つの動作から別の動作に移った瞬間、その新たな動作のほうに意識が集中してしまい、前のことが完璧に意識の外にはじき出されてしまうことになるからだ・・・。ええっ、そ、そうなんですか。
著者はスマホを持っていない。不肖、私もスマホはもっていません。がさつで慎重さに欠ける人間である著者の「唯一の取柄」は、立ち直りが早いこと。これは、いいことですよね・・・。
北極の村に滞在するときには、肉を生食することになる。生肉は、身体にビタミンを補給してくれる。口内炎で悩んでいたのが、生肉を食べると、たちまち良くなった。肉で一番おいしいのはシロクマの肉。シロクマの肉は「王候貴族の料理」と言われている。
シロクマの肝臓(レバー)を生で食べると、ビタミンA過剰をひきおこし、吐き気やひどい頭痛に苦しめられる。
コウモリの肉は「深みのある味」だそうです。ご相伴したくありませんね・・・。
コウモリの頭蓋骨に穴をあけ、脳髄をずるずるっとすする。ドロッとしていて濃厚で、少しだけ苦味のきいた独特の味がする。
うひゃあ、コウモリなんて、まったく食べようという気分にはなりません・・・。
家庭と探検生活をいかにして両立してきたのか、その悩みや葛藤が紹介されています。
(2019年4月刊。690円+税)

日本を愛した人類学者

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 田中 一彦 、 出版  忘羊社
私は弁護士として、毎日毎日、男女間の不倫にともなうトラブルを扱っています。浮気するのは決して男性だけということはありません。その相手は女性ですし、女性がリードしている不倫だって少ないとは言えません。
まことに日本は太古の昔から性に関してはおおらかな国なのです。
それは神話の時代にさかのぼっても言えますし、戦前もそうでした。夜這(よば)いの習慣が戦後まで続いていた地方もあったのです。
そんなおおらかな性習慣をふくめて、戦前の農村地帯の生活の実際をあますところなく伝えてくれる画期的な本が、若きアメリカ人学者夫妻の手になる『須恵村の女性たち』です。まだ、読んでいない人には、ぜひぜひ図書館から借りてでも一読されることを強くおすすめします。
この本は、最近、その須恵村(今は、あさぎり町須恵)に定住してまで調査・研究した元新聞記者の著者による労作です。
エンブリー夫妻は、戦前の1935年(昭和10年)11月から1年間にわたって須恵村に定住して調査・研究を重ねた。函館に育ったエラ夫人は日本語が達者で、須恵村の女性たちの話を中心に日記1005頁を残した。
エンブリーは、有能な通訳2人(いずれも若くして交通事故死ないし戦死)によって記録していった。
エンブリーはアメリカに戻って42歳のとき娘とともに交通事故で亡くなったが、エラ夫人のほうは再婚したあと、2005年にホノルルにおいて96歳で亡くなった。
当時の須恵村の人口は1663人。軍事施設はなく、純農村地帯で、大地主もいなかった。エンブリー夫妻は、毎日のように開かれる酒宴に参加し、いつも酔っ払っていたので、それが調査の障害になっていた。
プライバシーがまったくない、何でも自由に話す村人たちのなかに入って、仰天させるような話題までエンブリー夫妻、とりわけエラ夫人は聞くことができた。
須恵村の女性たちは、お互いの性器を比べあい、夫以外の男性とも関係をもち、酒宴では卑猥な歌をうたって踊る。甘い子育て。村外から嫁いだ女性たちは、女だけの協同のネットワークをもった。
須恵村の女たちは、結婚そして離婚においても、予想できないほど著しく自立していた。
詳細はぜひ『須恵村の女たち』を読んで下さい。仰天することまちがいなしのオンパレードです。
須恵村の女たちは、エラ夫人が2歳の娘クレアに対する厳しいしつけを「異例」と見て、理解できなかった。須恵村では子どもは寛大に扱われていた。
そして、須恵村の人々は、天皇について、「神様のようにしとりますが、本当の神様ではなかとです。天皇陛下は人間で、とても偉か人です」と語った。
ええっ、そんなことを外人(アメリカ人)に話していただなんて・・・。
GHQによる日本の農地改革はエンブリーの『須恵村』を参考書として始まった。
明仁天皇が皇太子だったときの家庭教師だったヴァイニング夫人も須恵村まで足を運んでいる。もちろん、エンブリーの本を読んでいたからだ。
この本が『須恵村の女たち』を読んだ人に大変な便益をもたらすのは、エンブリー夫妻がとった写真がたくさん紹介されていることです。これによって、須恵村の人たちが、どんな顔と表情をしていたのか、具体的なイメージをつかめます。
ぜひ、この本も手にとってお読みください。
(2018年12月刊。2200円+税)

南極ではたらく

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 渡貫 淳子 、 出版  平凡社
今ではコンビニでも売られている(らしい)悪魔のおにぎりを南極の昭和基地で考案した著者による面白い調理隊員体験記です。
女性が昭和基地で1年間も生活するなんて、大丈夫かしらんと心配しますが、ちゃんと風呂・トイレは男女別になっていて、トイレはいち早くウォッシュレットです。そして、野外活動に出て見渡かぎり何もないところでは、「ちょっと大地と交信してきます」と言うと、男性が察してくれるとのこと。それにしても勇気があります。
調理員は2人。交代で厨房に入る。1人で30人分をつくる。
夕食は、メインの料理に小鉢ものが2~3品。ご飯と味噌汁はセルフサービス。
1年間、途中の補給はなく、1年間分の食糧を1回で仕入れ、それでやり切る。したがって、ありとあらゆる料理をつくれるスキルが求められる。
常に生野菜が不足している。1年間も保存がきくのは、長いもと玉ねぎくらい。
南極にもち込んだものはすべて日本に持ち帰る。生ごみは処理機で減容して焼却し、灰はドラム缶に入れて日本に持ち帰る。スープ類が残ってもシンクに流さず、生ごみとして処理する。
水は、雪を水槽に投げこんでつくる。
人間1人が1年間に消費する食糧は1トン。30人の隊員のため30トンを持ち込む。
観測隊は海上自衛隊にならって、金曜日はカレー。カレーは料理をムダにしないというメニューでもある。
メニューは日替わり1種類のみ。隊員は勝手につくって食べることは出来ない。調理隊員が用意したものを食べるだけ。
アルコールはあるけれど、無料(実は食費のなかに含まれている)で、飲み放題だけど、隊員はあまり飲んでいない(ようです)。
空気が乾燥しているので、洗濯物はすぐに乾き、枚数は必要ない。ところが、20足もっていった靴下は、みな穴が開いた。極度の乾燥で足の裏がゴワゴワになって、擦れて靴下に穴が開く。
南極から日本に戻ると、しばらくは「南極廃人」になって、ぼおっとして過ごす人が多い・・・。
子もちの40代の主婦が、夫と子を日本に残して、1年間、南極で調理隊員として過ごしたというのです。大変なその勇気にただただ感服しました。
(2019年1月刊。1400円+税)

生き残った人の7つの習慣

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 小西 浩文 、 出版  山と渓谷社
56歳の著者は、8000メートル峰の無酸素登頂に挑み続けてきたプロの登山家です。
これまで山でケガしたことはなく、五体満足。凍傷のため手や脚の指が1本、2本なくなっているところもありません。これって、実に素晴らしいことです。奇跡的です。
標高8000メートルの高さは、「デス・ゾーン」(死の地帯)と呼ばれている。酸素が平地の3分の1しかないので、息苦しいどころではない。すぐに視力は減退し、脳機能障害が引き起こされ、正常な思考ができなくなる。
ジャンボジェット機が飛ぶ高さが標高8000メートル。普通は酸素ボンベを背負って、マスクで酸素吸入しながら登頂していく。酸素ボンベがなければ、普通の人は30秒で失神し、急性脳浮腫や肺水腫になり、死に至る。
それなのに、著者は酸素ボンベを使わず、8848メートルのエベレストをふくめて、8000メートルの山が14座あるうちの6座を制覇したといいます。信じられません。
デス・ゾーンでは、ほんのわずかな迷い、ためらい、そしてわずかなミスが致命的な危機を招いてしまう。危機の90%以上は何かしらの予兆がある。
気の緩みが危機につながる。あともう少しで安全地帯だと思う気の緩みは危ない。ゴールや目標が間近に迫ったとき、人は緊張が緩む。すると、身体はまだゴールしていないのに、頭のほうはゴールしたかのような錯覚に陥る。これが危ない。
「危機」というものの多くは、その組織や人物の心が引き起こしているケースがほとんど。つまり、「危機」の90%以上が「心」に起因している。
山の事故のほとんどは下山中に起きている。それは「気の緩み」と「焦り」から来る。「心」の乱れが道迷いや事故を引き起こす。
「おごり」(過信)は、目の前にある「危機」から目を背けさせて、自分たちに都合のいいように物事を解釈してしまう。人間は、どうしても自分に都合のいいように「危機」を考えようとする。そうではなくて、常に「最悪」を想定しなければいけない。
「いつもと同じ」というのが、きわめて重要。いつものように冷静に判断できる。いつものように高い技術を発揮する。いつもと同じことを苛酷な状況下で行えるかどうかが生死を分ける。そして、そのためにも事前準備に9割の力を注ぐ。
なるほど、とんでもない高山で大変な危機に何度も直面してきた著者の体験にもとづく提言なので、一つ一つの提言がしごく素直に受け入れられます。
(2018年12月刊。1200円+税)

経済学者の勉強術

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  根井 雅弘 、 出版  人文書院
たくさん本を読み、たくさん書評を書いている人のようですが、申し訳ないことに、私はまったく知らない人でした。私もたくさんの本を読み(この30年間、年間500冊を下回ったことはありません)、たくさんの書評(この20年近く、1日1冊の書評も欠かしていません)を書いていますので、大いに共感するところがある本でした。
読書は、自分の好きな本を読めばよい。
時間は、30分でも1時間でもよいから、無理してでも作ったほうがよい。30分でも、毎日、継続的に読書に励めば、1年、5年、10年とたつうちに大きな力となるだろう。
30分でも、長年実践していると、新書1冊ぐらいは読めるようになる。私も電車のなかで、たいていの新書は30分で1冊読んでしまいます。専門書でも、30分で1章ほどは読めるようになる。継続が大事である。
私が著者に絶対かなわないのは、専門書のなかに英文も含まれているということです。私は法律書(もちろん日本文)なら、それなりに早く読めますが、英語もフランス語も、まるでダメです。
本は買って読む。自分の所有物なら、どこに線を引こうと書き込みをしようと自由である。
文章は理路の通ったものであるだけでなく、魅力ある生きた文章を書きたいもの。あまり平板な文章が続くと、読者がついていけない。
いやはや、本当にそのとおりなのです。その点も、私の永年の課題です。分かりやすく書けるようにはなったつもりなのですが、味わい深さがまだまだです。
書評は読んだ本の悪口は書かない。欠陥の多い本なら取りあげなければいいだけのこと。本当にそのとおりです。私は読んだ本の7割を書評として紹介するようにしています。それも、なるべく本の内容を紹介するのを主体としています。忙しい読者に、ほら、こんな内容なんですよ。もっと読みたくなったでしょ。ぜひ、手にとって、あなたも読んでごらんなさい。そう呼びかけています。
「私が」とか「我々は」、「彼らは」といった主語は、日本語の文章では省略されるもの。ただし、学術雑誌は違う。英文では、必ず主語が必要だ。
自分の稼いだお金で本を買い続けることが大切だ。自分の蔵書が少しずつ確実に増えていくことは「知的生活」のために必須だ。
私もこれを永らく実践してきましたが、70歳になって、一大決心し、蔵書の2割を捨てて、本箱は背表紙が見える状態に整えることにしました。この10連休に、かなり達成しました。すると、今までの読書遍歴をたどることも出来て、なんとなく豊かな気分に浸ることができました。
(2019年1月刊。1800円+税)

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