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カテゴリー: 人間

東北の山と渓

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ事務所
東京(正しくは神奈川県)の弁護士が東北の山歩きをした写真と紀行文が楽しい冊子にまとまっています。
私は阿蘇・久住なら登ったことはありますが、本格的な登山をしたことはありません。山をのぼりきったところに広がっているお花畑の写真を見ると、さぞかし気持ちがいいだろうと想像はしますが、そこに至るまでの難行苦行を考えたら、とてもとても山登りなんかしようとは思いません。この冊子にも、苦労した山歩きが少し紹介されています。
稜線に出ようとするところで、烈風が待ち構えていた。山が咆哮(ほうこう)し、波状的に押し寄せる風に押し返されて前に進めない。足を前に出そうとして片足立ちになると、足下からあおられてふらつき、後ろずさりをさせられるほどの風圧だった。雨粒が真横から身体を打ち、砂粒も飛んできた。
奥鬼怒沼の避難小屋に一人で泊っていると、激しい雷雨となった。すぐ目の前を稲妻が暴れまわり、湿原全体を青白く浮かびあがらせる。その不気味さ、雷鳴がすぐ耳元で咆哮し、振動した空気が身体に響き、全身に鳥肌が立った。
いやはや、山の天気は変わりやすいし、烈風が吹きすさめば低体温症になってしまいそうです。せっかく山小屋にたどり着いたかと思うと、カギがかかっていて、哀れ、なかに入れなかったこともあるとのこと。
この冊子の写真は、ほとんど青空の下のお花畑です。それはそうでしょう。雷鳴の下で脅えているとき、カメラなんか構える余裕なんてないでしょう。そして、絵になる構図も考えられません。
著者は単独行、気のあった弁護士仲間との山登りのどちらもやるようです。不思議なことに奥様のすばらしい山野草のスケッチがいくつも添えられています。たまには奥様と二人で山行きするということなのでしょうか…。ともかく安全には気をつけて、これからも山登りを楽しんでください。
著者より贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2022年2月刊。非売品)

寅さん入門

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 岡村 直樹 ・ 藤井 勝彦 、 出版 幻冬舎
知識ゼロからの、映画「男はつらいよ」入門の手引書です。
古い映画でしょ。50作もあるなんて、何からみていいのか分からない。ヤクザが主人公の映画なんて…。こんな映画をみたいファンなんて、年寄りだけじゃないの…。
そんな疑問に一挙に答えて、なるほど、それならぜひみてみたい、そう思わせる入門書です。「寅さん」をみるのにルールはいらない。初めのころに傑作が多い気がするけれど、それは好みによる。
テーマは普遍的。家族・愛・友情。まったく色あせない。そこに浮かびあがるのは、人間同士が裸でつきあえる豊かな世界。
葛飾柴又の参道には、私も何度も行ってみました。矢切の渡しにも、もちろんお寺の境内にも入りました。笠智衆や源公(げんこう)に出会えなかったのは残念でしたが…。
オープニングタイトルが流れ、参道の「くるまや」店内がうつし出されると、なつかしさが胸一杯こみあげてきます。
寅さんの映画には、冒頭に寅さんの夢物語が展開するのも楽しみでした。
浦島寅次郎、マカオの寅、車寅次郎博士、宇宙飛行士などなど、夢ですから何にでも寅さんは大変身します。まさしく夢のような別世界に私たちも一緒に連れて行ってくれるのです。
寅さんの啖呵売(たんかばい)も、まさしく名人芸です。言葉の魔力で通行人を自分の前に引き寄せる。サクラを置けばいいというものではない。そして、インチキすれすれの買い物をさせられた客に、「あんなに面白い啖呵が聞けたんだから、まあ、よしとするか」とあきらめさせる話術でなければならない。うむむ、これは難しいことですよね。
家族相手のモノローグ(独白)。寅のアリア(独唱)と呼ばれる場面がある。物言い、間、情感、表情、身振り手振りなど、すべてが渥美清の独壇場。まさしく、寅さんに扮した渥美清は天才としか言いようがない。
渥美清は黒いサングラスをかけて変装して都内の映画館に行って、よく映画をみていたそうです。そして、自宅とは別にマンションをもっていて、私生活は絶対オープンにしませんでした。命の洗濯としてアフリカ・ケニアによく行っていたそうですが、それもなんとなくよく分かりますよね。あんな顔をさらして町を歩いたら、あまりにも目立ってしまい、すぐに人だかりができたでしょうから。
50作のほとんど(全部だと言い切る自信はありません)を映画館でみた私です。4K・デジタルマスターしたブルーレイでみてほしい。この本に書かれていますが、私はやっぱり映画館でリバイバル上映でみたいです。
渥美清は1996年8月に68歳で亡くなりました。私より20歳だけ年長ですから、今、生きていたら93歳になります。もっと長生きしてほしかったですね。
(2019年12月刊。税込1430円)

邂逅の森

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 熊谷 達也 、 出版 文春文庫
圧倒的なド迫力、ストーリー運び、場面展開、クマ狩りの迫真の描写に思わず溜め息をもらしてしまいました。
東北の山間部で生きるマタギの暮らす村は貧しい。そして、人々は貧しいなりに知恵もしぼりながら生活している。ときに騙しあいもしながら…。クマだって、ただ狩られるばかりではない。ときには逆襲してみせる。包囲陣から逃げ切ることだってある。
主人公は山形県の月山(がっさん)の麓(ふもと)の肘折(ひじおり)温泉近くの山中で狩りをするマタギの一員。
狩りの獲物の一つは、アオシン、つまりニホンカモシカだ。アオシンは下へ下へと逃げていくので、上から谷底に向かって追い落として仕留める。ところが、クマは、アオシンとは逆に、人に迫られたら斜面の上に逃げていく。
4月中旬から5月上旬にかけて、冬ごもりから出てきたばかりのクマは、毛皮も上質で、何より熊の胆(い)が太っている。そんなクマを巻き狩りで仕留める。
「熊の胆」は高く売れる。クマの胆嚢(たんのう)を乾燥させてつくる「熊の胆」は、腹病みをはじめとした胃腸病、産後の婦人病まで、ほとんどあらゆる病気の万能薬として、昔から珍重されてきた。「熊の胆1匁(もんめ)、金1匁」という言葉があるほど高価なもの。米と交換するなら、熊の胆1匁は米2俵になる。
アオシンの肉と毛皮はクマ以上に需要があった。アオシンの肉ほど美味いものはない。毛皮も素晴らしい。防寒具としてすぐれていて、マタギもアオシンの毛皮を愛用している。
人は歩いた数だけ山を知る。山のことは山に教われ、獣のことは獣に学べ。これがマタギの鉄則。じっと待つのがマタギの仕事の一部でもある。ひとところで息を潜め、身じろぎひとつせず、気配を消して、ひたすら待ち続ける。1時間や2時間はザラで、3時間以上じっとしていることもある。少しでも物音を立てると、それを敏感に察知したクマは、人の裏をかいて姿をくらます。
穴グマ猟。クマは毎年同じ穴を使うことはほとんどない。寝込みを襲われないための知恵だろう。それだけクマ穴を探し出すのは容易なことではない。
クマは自分で越冬穴を掘ることはない。必ず自然に出来た穴を利用する。
主人公はマタギの里にいられなくなって、鉱山の里にもぐり込んだ。ここには、友子同盟と呼ばれる採鉱夫だけが所属する組織があった。鉱山は危険が一杯。そして長く働いていると病気になって早死してしまう。それでも目先のお金を求めて鉱夫たちは働いている。
文庫本で530頁もある大作です。2004(平成16)の直木賞、そして山本周五郎賞を同時受賞したというのは、読んで、なるほどと納得しました。冬山の危険にみちたマタギたちの狩りが手にとるように想像できるのです。巻末に参考文献が紹介されていますが、マタギの生活、鉱夫たちの友子制度、富山の薬売り、「性の日本史」などを踏まえ、一本の骨太ストーリーを組み立てあげた著者の想像力の卓越したすごさに完全脱帽しました。一読を強くおすすめします。
(2020年7月刊。税込902円)

さずきもんたちの唄

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 萱森 直子 、 出版 左右社
瞽女(ごぜ)の小林ハルさんの最後の弟子であった著者による瞽女の話です。とても面白くて、ぐいぐい惹き込まれて車中で一気に読みあげてしまいました。
瞽女は難しい漢字ですが、打楽器の「鼓」と「目」から成るもので、身分や生まれを指すのではなく、職業の名前。起源は室町時代と言われている。
三味線をもってうたうことで暮らしを立てていた、目の見えない女性たちの職業。新潟・越後では昭和の中頃まではその姿を見ることができた。
越後の瞽女たちは一本の三味線とその声でみずからの人生を切り開き、人々の暮らしに深く入り込んでパワーあふれる娯楽を提供する、誇り高き芸人集団だった。
瞽女は、ひとりで旅をすることはない。少なくとも親方と弟子と手引きの三人づれ。五人の組になると、縁起がいいと村人から喜ばれた。うたうときも、みんなで座を盛りあげる。
瞽女唄では、物語をうたうことを「文句をよむ」と表現する。
物語を伝えればいいのだから、機械のように毎回、一字一句、ハンで押したように同じようにうたう必要はない。繰り返し繰り返し稽古して身にしみこんだ文句と旋律で、その場で臨機応変に物語を再現していく。
瞽女唄は脚色も演出もしない。これは棒読みするというのではない。伝えるべきは物語の中身。聴く人が、それぞれに自分の頭の中で物語を思い描いていく。うたい手の作為的な飾りをつけ加えるのは、かえって、その邪魔をしてしまう。
「葛(くず)の葉の身になってうたえ」
「童子丸の身になってうたえ」
しかし、それなのに、「声色(こわいろ)を使ってはならない。声の調子を変えてはならない」と厳しい師匠。
単調、無作為と共存する感動。ここには、他の芸能とは重ならない独特の声と音の響きがある。
「あきない単調さを初めて知った」
「何の変化ももりあげもないのに、どうしてこれほどまでに心に訴えてくるのだろうか」
「単調さを貫くことが、うたい手の存在感を消すのではなく、かえって重くしている」
これらは聴衆の感想。いやあ、瞽女唄をぜひ聴いてみたくなりました。
物語を伝えるためには、自分のリズム感や自分の感覚で語ることが必要。
瞽女唄をうたうとき、見台や譜面台は決して使わない。目に頼らないでうたう。耳で伝える。これは、瞽女唄であるための、芸としての根幹に関わるもの。
瞽女は津軽三味線のルーツでもある。
瞽女だった小林ハルさんにとって大事だったのは、「お客人が喜んでくれなさるかどうか」の一点のみだった。
瞽女唄は、瞽女さんたちが、その耳で伝えてきた唄。なので、すべての文句について、できる限り、余計な解釈を加えず、耳で受けとったまま声を出すように著者はつとめている。
たとえば、牛頭(ごず)をハルさんは、「ごとう」とうたう。これはおかしいと批評されると、「おれはこう習うたから、こううたうんだ」と怒りをこめて言った。
うたう前に解説文などは下手に配らない。話と唄だけ。お客は著者の表情をじっと見つめ、あるいは目を閉じて、その瞬間の響きそのものに耳を傾ける。うたい手とお客とが一体となって物語に入り込んでしまうような濃密な時間を過ごすことになる。
知識や教養は役に立つものだけど、ときとして素直な感動を妨げることがある。
「さずきもん」とは、個人の能力や人との縁など、人生において「さずかったもの」のこと。
小林ハルさんが瞽女になると決めたのは5歳のとき、稽古を始めたのは7歳、瞽女としての初旅に出たのは8歳のときだった。最初の師匠には10年間ついた。それはとても辛かったようです。
「おれは人から悪いことをされたことは絶対に忘れない。死ぬまで忘れられない。死んだって忘れねぇ。だから、おれは人に悪いことはしないんだ」
なーるほど、そうなんですね…。
小林ハルさんは、2005年4月25日に死亡。105歳だった。
ハルさんをモデルにした映画があるそうです。著者が瞽女唄指導として関わっているとのこと。ぜひみてみたいものです。
著者は乳ガン、そしてパーキンソン病にもかかって大変のようですが、ぜひこれからも元気に瞽女唄をうたい続けてください。ご一読を強くおすすめします。
(2021年10月刊。税込1980円)

半夏生

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐田 暢子 、 出版 本の泉社
古希の誕生日は遅滞なくやって来た。
この本の書き出しの文章です。本当にそうなんです。まだ10年早いよ、出直しておいでと言いたいのに、カレンダーをめくるまでもなく私も古希を迎えました。
尻をつつかれて、しぶしぶ階段を上ったような気分だと著者は書いています。これは私にはちょっとピンときませんでした。階段を上ったというより、なんだか知らない世界が近づいてきているという感じです。なので、今のうちに、身の回りの世界をもっと見つめ直しておきたいという気になります。
65歳を過ぎると、思ってもみないことが起こるんだと生命保険の外交員が保険を勧誘するときに言った。それからは、なんでこうなるの、ということばかり。著者は、まったくそのとおりだと肯定しています。私も同じです。突然、駅のホームをフツーに歩けなくなるなんて、若いころには予想したこともありませんでした。
著者の夫はスライムのような人だと書かれています。えっ、何、このスライムって何のこと…。夫は、本質は変わらず、器に合わせ形を変えることができる。年をとって疲れやすくはなったものの、愚痴をこぼすこともなく、うたた寝などして適当に調節している。何より気持ちの切り替えがうまい。見ず知らずの妻の郷里に来ても、情緒の水位も生活の質も変えずにいられるのは、何か強いものをもっているからだろう。
私も疲れたら早目に布団に入って、ぐっすり眠ることにしています。そして、じたばたすることなく、毎日の生活パターンを変えず、下手にテレビなんかを見て心がかき乱されないようにしています。ささくれだった気分のままでは安眠もできませんし、疲れを翌日に持ち込します。
小学1年生の授業をリモートでやっている小学校があると聞いて、腰を抜かしてしまいました。1年生が画面を見て本当に分かるのでしょうか。親の付き添いが必要で、親が付き添えない子は、何人か集めて、まとまって授業を受けさせるというのです。いやはや、これでは子どもは本当に可哀想です。学校は友だちがいて学校なんです。先生との一対一の画面上のつながりは、テレビのお笑い番組と同じで、あとに頭の中に残るものがあるはずがありません。ゲームを買って遊んでいるうちにはネットは便利だけれど、それより明らかに時機早尚という声も強かった…。人間的触れあいの場をいかに保障するか、それを考えるのが、国であり政府の責任でしょう。
インターネットがますます社会の隅々にまで普及し、デジタルの変革が生活の隅々にまで急速に広がっている。そうすると、インターネットが十分に使えない人間は、社会と関わる手だてがますます少なくなっていく。これは、単に技術を習得すれば解決する問題ではなく、人間が機械に管理される社会を開拓しているように思えてならない。本当にそのとおりですね。
半夏生というのは珍しい草。白い小花が密生していて、そのすぐ舌の葉だけが緑と白の二色に分かれている。対照的な色合いが、互いを際だたせる。匂いはどくだみに似ている。
半夏生って、何と読んだらいいのでしょうか…。はんげしょう、ですよね、きっと。
東京で公立学校の小学校の教員をしていた著者が郷里に戻ってきてからの日々が見事に切り取られた短編小説が並んでいる本です。
(2022年1月刊。税込2400円)

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