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カテゴリー: 人間

旅は終わらない

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 芦原 伸 、 出版 毎日新聞出版
旅は「学び」である。まことにそのとおりです。とはいっても、私はコロナ禍のせいで、2年間も福岡県外に出ることがありませんでした。画期的なことです。もちろん、いい意味で言っているのではありません。本当なら、長野の「無言館」、「ちひろ美術館」に行くはずでしたし、北海道の利尻・礼文島にも行きたいと思っていました。
私の自慢は、日本全国、行っていない県はありませんし、各県どこにも知人の弁護士がいます。日弁連で長く活動してきたことによります。でも、まだ、屋久島には行っていませんし、八丈島にも行っていません。
この本には、日本航空(JAL)で不当な扱いをされた小倉寛太郎さんが登場します。私も一度だけ、大阪の石川元也弁護士の大学時代の友人だということで紹介され、日弁連会館で挨拶したことがあります。
小倉さんは、山崎豊子の『沈まぬ太陽』の主人公、恩地元のモデルになった人で、JALのナイロビ支店長もつとめました。要するに、左遷されたのです。ところが、小倉さんのすごいのは、左遷された先のケニアで大活躍し、またたくまに超有名人になったのでした。初めは、象やライオンをハンティングし、次はカメラをかまえて野生動物保護派に転身したのです。私も小倉さんのすばらしい写真集を何冊かもっています。中曽根政権のとき、JALの会長室部長に復帰しますが、退職後は、またケニアに戻って野生動物研究家になったとのこと。すごい人生です。
この本には、ブルートレイン「みずほ」も登場します。熊本までの17時間もかかる寝台特急です。私は何度も利用しました。食堂車は都ホテルの経営。コック3人、ウエイトレス4人の7人のクルーズ。大変な混雑ぶりだったとのこと。貧乏学生の私は食堂車も利用したとは思いますが、残念ながらあまり記憶がありません。私の大学生のころは、まだ、缶ビールなんて便利なものはなかったように思います。
博多までの特急「あさかぜ」があったことは知っていますが、私は利用したことはないと思います。全盛期、「あさかぜ」は1日3往復したとのこと。信じられません。速さは新幹線、旅情は「あさかぜ」と言われた。松本清張の『点と線』にも「あさかぜ」が登場する。
今、福岡には「あさかぜ」法律事務所があります。
国鉄(JR)の時刻表は、月刊100万部もの発行だったが、今や激減し、4万から5万部ほど。みんなネットですませている。そうなんですよね。アナログ派の私は大いに困っています。
旅情を語る原稿で禁句は、「感動した」、「美しい」、「おいしかった」。どう感動したのか、何が美しいのか、どのようにおいしかったのか、その詳細(ディテール)を言葉にしてあらわすのが紀行文。そこに、独自の視点をもつ、作者の個性と感性、そして教養が求められる。
文章力で読者に感動を体験させないと、プロの書いた原稿とは言えない。干田夏光は、「モノ書きは、読者を泣かさなければいけないよ」と言った。
モノカキを自称する私ですが、まだまだそこまで至っていません。ところが、私の書いた「アイちゃんと前川喜平さん」という文章を読んで、泣けてきたという人がいて、いや、もう少しがんばれば、そこまでいけるかも…、と思うようになりました。人生、何ごとも精進するしかありませんからね…。
(2022年2月刊。税込2090円)

音が語る、日本映画の黄金時代

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 紅谷 愃一 、 出版 河出書房新社
私は以前から映画をみるのが大好きで、月に1回はみたい気分です。自宅でDVDでみるのではなく、映画館に行って、大画面でみるのが何よりです。最近は、パソコンのユーチューブで「ローマの休日」の断片を繰り返しみて、オードリー・ヘップバーンの笑顔の輝きに見とれています。
この本を読むと、映画製作にはカメラワークと同じく録音も大切だということがよく分かりました。でも、同時録音するとき、マイクを突き出して、カメラの視野に入ったら台なしですし、周囲が騒々しかったり、時代劇なのに現代音が入って台なしにならないような仕掛けと苦労も必要になります。
著者は映画録音技師として映画の撮影現場に60年いたので、たくさんの映画俳優をみていて、そのコメントも面白いものがあります。
著者は1931年に京都で生まれ、工学学校(洛陽高校)の電気科卒。
戦後まもなくの映画製作の現場では徹夜作業が続き、そんなときには、ヒロポンを注射していた(当時、ヒロポンは合法)。
映画「羅生門」のセリフは、ほとんど後でアフレコ。
戦後まもなくの大映の撮影現場は、ほとんどが軍隊帰りで、完全な軍隊調の縦社会。
溝口健二監督は、近づきがたい威厳を感じた。ある種の威圧感があった。
映画製作の現場は、週替わりで2本ずつ公開していたので、月に8本を製作しなくてはいけなかった。1本を4日でつくる。いやあ、これって、とんだペースですよね。セリフと効果音を別々に撮るようになったのは、かなりあとのこと。
今村昌平監督は、「鬼もイマヘイ」と呼ばれていた。著者も、すぐにそれを実感させられた。
石原裕次郎の出現で、日活撮影所の空気が一変。それまでの2年間、日活は赤字が続いていて、全然ダメだった。
著者は映画「にあんちゃん」も録音技師として担当した。
1970年ころ、日活はロマンポルノへ方向転換した。このとき、日活を支えてきたスターがほとんど辞めた。
沢田研二は、素直に注文を聞くし、わがままも言わない。いい男だった。天狗にもならなかった。高倉健は、本当に礼儀正しい。オーラがある。笠(りゅう)智衆は、テンポがゆったりとしていて、セリフを聞いていて、気持ちがよくなる人。
黒澤明監督は怖い。いきなり金物のバケツをけ飛ばして、いかりや長介を一喝した。
黒澤監督は、役者の段取りをもっとも嫌い、常に新しい芝居を見たがった。
黒澤監督は、ともかく発想がすごい。傑作した天才というほかない。「世界のクロサワ」だけのことはある。
映画「阿弥陀堂だより」(02年)もいい映画でしたね。南木佳士の原作です。長野県の飯山市あたりでロケをしています。もちろん、セットを現場に組み立てたのです。四季を表現するのに、一番目立つのは小鳥の鳴き声。なるほど、録音技師の出番です。北林谷栄は、当時90歳だったそうです。そして、北林谷栄は、セリフをアドリブで言う。直前のリハーサルとは全然違うことをしゃべった…。
まず脚本を読む。そして自分なりのアイデアを考える。しかし、現場へ行くと少し違うこともある。そして、編集の段階で、また考えが変わることがある。作品にとって何がいいのかを考え、どんなに気に行っていても捨てる勇気が必要なことがある。一つのやり方に凝り固まっていてはいけない…。
撮影の木村大作、録音の紅谷と並び称される映画づくりの巨匠の一人について、じっくり学ぶことができました。ああ、また早くいい映画をみたい…。
(2022年2月刊。税込2970円)

生きがい

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 茂木 健一郎 、 出版 新潮文庫
なんと、あの茂木センセイが英語で描いた本の翻訳本なのです。おどろきました。
茂木(もてぎ、ではなく、もぎ)センセイは東大の理学部と法学部を卒業したあと、今や脳科学者として有名ですよね。英語で本を書くのは、長年の課題だったそうです。
私もフランス語を長く学んでいて、『悪童日記』(アゴタ・クリストフ)を読み、それに触発されて、フランス語で本を書いてみたいなどと、恥ずかしながら、だいそれたことを夢想したことがありました。でも、それより前に、日本語で本格的な小説を書くのが先決だと思い直して、現在に至っています。
この本は2017年9月にロンドンで出版され、31ヶ国、28言語で出版されたとのこと。ああ、うらやましい…。
「生き甲斐」には、大切な5本柱がある。その一、小さく始める。その二、自分を解放する。その三、持続可能にするために調和する。その四、小さな喜びをもつ。その五、今、ここにいる。
生き甲斐をもつためには、固定観念を捨てて、自分の内なる声に耳を傾ける必要がある。生き甲斐をもつ利点は、強靭(きょうじん)になり、立ち直る力がつくこと。
しあわせになるためには、自分自身を受け入れる必要がある。自分自身を受け入れることは、私たちが人生で直面するなかで、もっとも重要で、難しい課題の一つ。しかし、実は、自分自身を受け入れることは、自分自身のためにやれることのなかでは、もっとも簡単で、単純で、有益なことだ。
生き甲斐とは、生きる喜び、人生の意味を指す日本語。生き方の多様性を賛美している、とても民主的な概念でもある。生き甲斐は健康で、長生きするための精神の持ち主。
「こだわり」とは、自分がやっていることへのプライドの表明だ。「こだわり」の重要なことは、市場原理にもとづいた常識的予測のはるか上を行くところに、自分自身の目標をおくことにある。
はっとする思いで、頁をめくって読みすすめました。
(2022年5月刊。税込572円)

私たちはどこから来て、どこへ行くのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 森 達也ほか 、 出版 ちくま文庫
映画監督であり、作家である著者が、各界の理系知識人と対話した本です。
人間の身体は非常によく出来ているように見えるが、実は不合理なものもたくさんある。
クジャクのオスのきらびやかな飾り羽がモテるオスのカギだ。そう思って、その裏付けをとろうとして研究をすすめていった。ところが、鳴き声のほうが正確な指標だということが判明した。うひゃあ、意外でした…。
神経細胞は、増えないまま、少しずつ少なくなっている。少しずつ死んでいって、数が一定数以下になると、神経細胞としての統制が保てなくなる。
深海底にすむチューブワームは3000から4000メートルの海底に生息している。一本のチューブのような身体で海底に根を張っている。でも植物ではない。虫でもない。分類上は動物。ところが、動物なのに口がない。ものを食べない。
チューブワームは、植物のように独立栄養で、デンプンなどをつくる。海底火山から出る硫化水素を使う。酸素と硫化水素からデンプンをつくり、自分たちのエネルギー源としている。
チューブワームの大きさは、最長3メートルもある。硫化水素と酸素の供給が多いところでは、1年で1メートルも大きくなる。極端に少ないところだと、1メートル育つのに1000年かかると推測されている。なので、チューブワームの寿命は数千年という可能性がある。
宇宙の真空とは、文字どおり空っぽで何もないということなのだが、実は、ふつふつとエネルギーが湧いているところでもある。エネルギーがあるというなら、質量もあることになる。この真空のエネルギーが、暗黒エネルギーにつながっていく。暗黒物質(ダーク・マター)は、光学的に観測できる量の400倍もの質量が存在することが判明した。つまり、目には見えないけれど、引っぱっているものがあるはずだ、ということ。
スーパーカミオカンデが1998年に発見したニュートリノ振動現像によって、ニュートリノにも、ごくわずかな重さがあることも判明した。このニュートリノは左巻きに回っていて、反ニュートリノは、右巻きに回っている。
「動画」なんて存在しない。フィルムなら1秒24コマ、ビデオなら1秒30コマの静止画が連続して動くので、これを見た人は「画が動いている」と直感で感知する。
人は自分で思うほど自由に自分の意識をコントロールしていない。人の自由意思は、実のところ、とても脆弱だ。
正解がはっきりしているときには、コンピューターは強い。ところが、囲碁のように、選択肢が無限に近いほど多いので、大きな限界がある。
脳の機能はつぎはぎだらけ。
私たちヒト(人間)が宇宙で宇宙人を見つけたとき、その相手を生物とすら認識できないだろう。宇宙人は、自分たちなりの宇宙の法則をもっていてもおかしくない。
ぐんぐん、私たちの視野を広げていってくれる文庫本でした。
(2020年12月刊。税込1045円)

人類の起源

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(霧山昴)
著者 篠田 謙一 、 出版 中公新書
DNA研究がすすみ、今までの通説がひっくり返ってしまったことも珍しくありません。たとえば、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと交雑しなかったとされていたのが、今では交雑を繰り返していたことが判明しています(これはDNA研究の成果です。どうして、そう言えるのか門外漢の私には、とんと不明です)。
現生人類(ホモ・サピエンス)がネアンデルタール人の祖先と分岐したのは60万年前のこと。そして、その後も、ネアンデルタールや他の絶滅人類とも交雑していたというのです。DNAを調べたら交雑していることが判明するというのは素人の私にも何となく想像できます。でも、それが何万年前のこと、と時期まで特定できるというのが不思議でなりません。
人類の起源は200万年前。5万年前、ホモ・サピエンス(現代人類)は、いくつかの集団に分かれていた。その一つがネアンデルタール人と交雑し、世界に広がっていった。ところが、現代ヨーロッパ人を形成する集団はネアンデルタール人とほとんど交雑していない。なので、現代ヨーロッパ人は、ネアンデルタール人のもつDNAをわずかしかもっていない。
ネアンデルタール人は、女性が生まれた集団を離れて、異なる集団の中に入っていくという婚姻形態をとっている。これはチンパンジーと同じでしたっけね。ホモ・サピエンスが種として確立したのは、アフリカ。アフリカのどこなのかは、まだ決着ついていない。今のところ、中央アフリカがもっとも可能性が高い。ネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか、中学校そして高校でよく学ばされましたよね…。
人類の進化がどんなものだったのか、それを学校でどう子どもたちに教えるのか、教師としての悩みはきっと尽きませんよね。でも、ワクワクする面白さがあります。だって、知らないことを知ることができますからね…。
(2022年3月刊。税込1056円)

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