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カテゴリー: 人間

世界中で言葉のかけらを

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 冴里 、 出版 筑摩書房
 なんといっても、この本を読んで一番驚いた話は、著者が高校生のとき、芥川龍之介の「羅生門」の初めの1行を、1ヶ月かけて意味を読み解くという授業を受けたというものです。
 「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
 ただ、これだけの1行に毎週ある国語の授業で1ヶ月かけ、5月半ばにようやく次の2行目に入ったというのです。しかも、高校生だった著者も、何日たってもこの一行を考え続けるのが当たり前という感覚に変わったというのですから、信じられません。
 肉眼から虫眼鏡、電子顕微鏡まで使い分けながら文章を観察していくような授業だったと評しています。このたとえは、とてもしっくり来ます。感じ入った著者は、国語の教員免許をとったのでした。いやはや、ものすごい熱烈教師がいるものです。
 フランス語が出来なかった著者は、カミユの『異邦人』の1章をまるごと暗記したとのこと。語学のできる人がやる手法ですよね。もっとも、著者はフランス文の前に日本語で読んでいるから、意味のほうは分かっていることが前提だったとしています。
 自分が何を言っているのか、意味の分からないままに口に出すのは虚(むな)しい。
 1章の文章は20頁ほど。これだけあれば、ほとんどの基本的な構文は出尽くす。丸暗記している構文の単語を入れ換えて応答するようになって、フランス語は急速に理解でき、やがて自由に話せるようにもなったとのことです。なるほど、なるほど、です。
 トンパ文字は、書く色によって意味が変わる。言語学習は何に突き動かされているのか…。それは欲望だ。
 慣れない言語の学習とは、他者の言葉を自分の舌に乗せ、指を使ってえがき、自らを示し、他者を理解しようとすること。それは本質的に他者を求める行為だ。
 世界各地で日本語学校の教員として働いたことのある著者は、10年かけて、この本を書いたとのこと。これまた、すごいことです。そして、今は山口大学の准教授です。
言語学だなんて、すっごく難しそうですが、面白いことに出会いもするのですね…。
(2023年10月刊。1870円)

ちいさな言葉

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 俵 万智 、 出版 岩波書店
 コトバを話しはじめた2歳ころから5歳ころまでの子どもの話が丹念にフォローされている、楽しい本です。
 本当に子どもって天才ですよね…。でも、それがたいていいつのまにか、フツーの大人になってしまうのです。もったいないことです。
 著者は大阪の生まれですが、高校は福井だったようです。今回の地震で、福井の人は大変だった(過去形ではありません)と思います。その福井弁に「こっぺ」というコトバがあるそうです。こっぺな子どもを「こっぺくさい」と言います。生意気、賢(さか)しら、おませ、かわいげのない感じをミックスしたコトバだそうです。
 私の育った地域の方言でいうと、「ひゅーなか」に少し似ているのかもしれません。
 朝起きて、パンツ一丁のまま遊んでいる我が子を見つけた著者が、「ズボン脱いじゃあダメでは」と言うと、「脱いでないよ、はじめからはいてないんだよ」と得意顔。分かりますよね、こんな生意気を言う子ども。憎たらしいけど、そこまで知恵がまわるようになったのかと安心もしますし…。
  5歳になったら、自分でゴハンを食べるというのが、母親と息子の約束であり目標だった。ところが、外はともかく、家で母親と二人きりになると、母親に食べさせてもらおうとする。キレた母親が、「なんでそんなに食べさせてもらうのがいいのよ。自分で食べたほうが、てっとり早いでは」と言うと…。 その返事は、なんと、「愛の気持ちを感じるから…」
 ええっ、こ、こんな答え、あるの…。腰が抜けましたよ、私は。5歳の男の子が母親に言うセリフなんでしょうか、これって…。信じられません。母親は、つい大いに納得して、食べさせてやったそうです。愛の力は畏(おそ)るべしか…。
 著者が取材でフランスはボルドーへ行き、ワインの作り手にインタビューしたときのこと。
 「ブドウは、手間や愛情をかければ、かけたぶんだけ、いい方向に伸びてくれます。でも、子どもはそうとは限りません」
 いやあ、すごいコトバです。そして、著者は、こう考えました。
 「手間や愛情のかけかたを間違えると、その逆になるよ」
 でも私は、50年になる弁護士生活を通して、手間や愛情を惜しみなくかけていて、間違えることは、まずないと確信しています。出し惜しみしていると、つまり手間も愛情もかけないでいると、たいてい間違ってしまうと考えています。ただし、ダメな親に代わる人が身近にいて、そちらでカバーされたら違うとも考えています。皆さん、いかがでしょうか。
 著者には大変失礼ながら、この本を読んで、つい笑ってしまった一節がありました。
 著者が27年ぶりに福井の高校の同窓会に出席したときの話です。
 「高校2年のときの失恋、あれがなかったら早稲田に行ってなかったかもしれないし、そうしたら自分は短歌を作っていなかったかもしれないなあ」
 ということは、著者を「振った」男性は、大ゲサに言えば、日本を救ったことになるわけです。いやはや、すごいことですよね。人生って、何が「吉」になるか分からないっていうことなんです。なので、一回きりの人生って、面白いのですよね…。
 この本は2010年に発行されたもので、そのもとは2006年から2009年まで発行されていた月刊誌などに書かれています。本棚の奥に眠っていた気になる本をひっぱり出して読みました。とても面白い本でした。息子さんは今どこで何をしているのでしょうか…。
(2010年4月刊。1500円+税)

イラストでひもとく仏像のフシギ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 田中 ひろみ 、 出版 小学館
 仏像のことが何でも分かる、楽しい本です。仏像がすごく写実的なイラストで紹介されています。著者が仏像を好きになったのは独身でヒマだった叔父さんに連れられて、あちこちのお寺をまわってたくさんの仏像を見ていたからです。幼いときは、アイスクリームや美味しいご飯につられて行っていたのですが、それが、ついに仏像と恋に落ちるまでになったのでした。いやはや、そういうことも世の中にはあるのですね…。
 そして、仏像をよく見ていると、人間と同じように1体1体が違っていて、ちゃんと個性があるということに気がつきます。見る位置によって仏様の表情は変わるし、尊格を知るには、ポーズや髪型などの細部に注目しなくてはいけない。そして、時代による流行がある。
 仏像のもともとのモデルはお釈迦さま、その人。釈迦は本名(個人名)ではなく、一族の名前。本当はゴータマ・シッダールタ。ゴータマは「聖なる牛」、シッダールタは、「目的を達成した人」の意味。
 お釈迦さまは、29歳のとき、妻子も王子の位も捨て、出家します。そのとき髪を剃りました。悟りを開いたのは35歳のとき。80歳のとき、キノコ料理で食中毒になり死亡しました。
 釈迦は、母親の右腕から生まれたとのこと。それが当時の観念でした。
仏像には4種類あり、如来、菩薩、明王、天という。如来は、悟りを開いた仏さまで、最上位の仏像である。2番目が菩薩。
観音菩薩には女性になぞらえた仏像が多くある。観音菩薩は、この世に生きるものすべてを救い、あらゆる願いをかなえるべく、33の姿に変身する。
弥勒(みろく)菩薩は、お釈迦さまが亡くなってから、56億7千万年後に、この世界に現れ、悟りを開いて、如来となって命あるすべてのものを救う。
普賢(ふげん)菩薩は、女性も男性と同様に悟りを開いて、仏になることができると説いたので、女性からの信仰を集めた。
明王は、密教によって仏教に導入された仏のグループ。不動明王は、36の童子が、おのおの1000万の従者をもつとされているので、3億6000万の従者が不動明王を手助けしている。
インドには、古くから手のしぐさで気持ちを伝える習慣がある。たとえば、両手を合わせることで、仏さまと生きとし生けるものが合体し、成仏するという意味になる。
インドでは、牛は神の使い、そうなんでしたか…。だからインドの人々は牛を食べないのですね。
お釈迦さまは、生前、弟子たちに自分の姿を写したり、彫刻してはいけないと伝えていた。ところが、死後500年もたつと、どんな人柄だったのか知りたいと思う人が圧倒して、仏像がつくられるようになった。うひゃあ、知りませんでした。
昔は、それこそメールも写真もありませんでしたから、すべては想像です。大工さんの独自の解釈の余地が生まれ、その結果、ユニークな仏像が全国各地に誕生したというわけです。
仏像は、もともと鑑賞の対象ではなく、信仰の対象である。なるほど、そうなんですよね。でも、眺めて美しいと思ってしまうのも許されることではないかと思います。
実に見事な仏像のイラストで、ため息の出るほど驚嘆してしまいました。一読をおすすめします。
(2023年10月刊。1760円)

なぜ世界は、そう見えるのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 デニス・プロフィット、ドレイク・ベアー 、 出版 白揚社
 アメリカ人からすると、白人でも黒人でも、日本人を見たら、みんな同じ顔をしているので、判別できないといいます。私だって同じで、黒人の顔を判別することはできません。
 この本によると、生後3ヶ月の白人の乳児は黒人、白人、アラブ人、中国人を判別できたものの、同じ乳児が生後9ヶ月になると白人の顔しか判別できなくなった。同じ傾向は中国人の乳児にも認められた。そうなんですか…。
 知覚研究をすると、経験的現実、つまり見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わう世界は、人それぞれに固有のものだ。
 よく打てる野球選手は、打席に立ったとき、打てるときには、ボールがグレープフルーツの大きさに見えるし、打てないときには黒目豆みたいに見えるという。アーチェリー選手も同じで、成績のいい人には、的の中心が大きく見える。
 乳幼児は決して一直線には歩かない。効率の良い移動法なんて問題にもせず、自分の霊感に従い、自分の世界をはね回って歩いていく。
 赤ちゃんは、決まった順番で運動能力を獲得していく。まず、おすわり学習し、次にハイハイができるようになり、最後に歩けるようになる。おすわり期に距離について学んだことは、ハイハイ期には引き継がれない。おすわりからハイハイへ、ハイハイから立っちへと移行するたびに子どもは特定の姿勢における空間の意味を一から学び直す。
 私は、少し前に、「赤ちゃん学」なるものが存在することを知りました。人間が類人猿とどう違うのか、人間とは何者なのかを知るためには、赤ちゃんのときの行動と、その意味を探る必要があるという問題意識からの研究分野です。そこでも、いろいろ面白いことを学びました。
 赤ちゃんは、みな科学者だ。何かに疑問を感じると、常に実験して試している。物を口に入れたり、投げたり、にぎりつぶしたりすることによって、外的世界の物体の働きを直接的に見出している。
 目の前にそれなりの傾斜のある坂道を見て、新しい友人と談笑しながら歩いてのぼっていくのなら、なんということもない。しかし、重い荷物を背負っていたり、疲れていたり、高齢の人の目には、坂の傾斜がきつく見える。このように生理的ポテンシャルの変化は見かけの傾斜に影響を及ぼす。
 ヒト科にはヒトと大型類人猿が含まれているが、持久力動物に進化したのはヒトだけ。チンパンジーはマラソンを走れない。オランウータンやゴリラなどは、座り続けの生活しているが、人間のように肥満や糖尿病に苦しめられる心配はない。大型類人猿は座り続けるのに適した体に進化しているから。ヒトは運動するのに適した体に進化したから、運動が欠如すると、肥満や糖尿病を引き起こす。
 親指の先と他の指の先を接触させられるのは、霊長類の中でヒトだけ。これも、二足歩行による。
 多様性のあるグループの中に身を置くと、居心地は悪いけれど、思慮深い意思決定がなされやすい。自分と同類ではない人々に囲まれているときのほうが、ヒトは思慮深く行動する。
 ヒト(私たち)は、他者と話すとき、手と目を使う。
 ヒト、つまり私たちの身体のことを改めて深く認識することができました。
(2023年11月刊。3100円+税)

祖母姫、ロンドンへ行く!

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 椹野 道流 、 出版 小学館
 これはすこぶるつきの面白い本でした。ぜひ、ご一読してみて下さい。
でも、このタイトルって、何のことやら分かりませんよね。
 80歳をとっくに超えている祖母が「お姫様のような旅がしてみたいわ」と言ったのを周囲が、その気になって、孫娘の著者がロンドンまで同行することになったのでした。
 お姫様の旅というからには、もちろん、飛行機はファーストクラス、ホテルもロンドン中心部にある五つ星ホテルです。孫娘はさる、やんごとなき高齢女性に仕える秘書役を演じることになります。
 すでに認知症が始まっている祖母ですが、なかなかどうして、相当にしたたかな女性です。自分の意志は、はっきり貫き通すところが、実に素晴らしい。
 ファーストクラスの世話をしてくれるCA(キャビン・アテンダント)のアドバイスが実に的確です。
「大切なのは、お祖母様には何が出来ないかではなく、何を自分でできるのかを見極めること。できないことを数えあげたり、時間をかけたらできるのにできないと決めつけて手を出すのは、相手の誇りを傷つけることになります」
 空港で立ち往生しているとき、祖母の言った言葉がスゴイ。
 「遠い国から来たお客様なんだから、きちんと分かるように、相手の国の言葉で話しなさいって、伝えてちょうだい」
 いやはや、ここまでくると、このメンタルの強さには、私も、ははーっと恐れ入ります。
 そして、ロンドンでの買い物の途中に祖母は孫娘に忠告するのです。
 「もって生まれた美貌がなくても、その気になれば、女性はどうにかこうにかキレイになれるの。小野小町でなくても、努力でそれなりにはなります」
 いやあ、すごいですね。そして、作家を目ざす著者に対してのアドバイスは・・・。
 「小説を書いて食べていくのなら、有名になりたい、ほめられたい、売れたい・・・そんな欲はぐっと抑えて、誰かの心に寄り添うものを書きなさい。自分のためだけの仕事はダメ。売れたときには、もうかったことより、たくさんの人の心に触れられたことこそ喜んで、感謝しなさい」
 いやあ、これには参りました。自称モノカキの私にもピッタリのアドバイスです。
 孫娘の著者は、祖母を「偉そうで、わがままで、厄介な婆さん」とみていたのを、「頭の中に膨大な記憶と経験と知識を詰め込んだ、偉大な人生の先輩」と認識し直したのでした。
 祖母は孫娘の化粧についてもアドバイスします。
 「努力しなければゼロのまま、百も努力すれば、1か2にはなるでしょう。1でも、違いは出るものよ。最初からあきらめていたら、不細工さんのまま。ゼロどころか、マイナス5にも10にもなってしまいます」
 「何もしないのは、自分を見捨てて痛めつけているようなもの」
 「もっとキレイになれる、もっと上手になれる、もっと賢くなれる。自分を信じて努力して、その結果として生まれるのが自信」
 「自信なんて、ないよりあったほうがいいでしょ。まだ若いんだから、今からでも、もっと努力しなさい、いろんなことに」
 いやあ、ぐぐっと心に響きますよね、このアドバイスには・・・。
 イギリスの五つ星ホテルのアフタヌーン・ティーは、大変なボリュームのようです。まずはサンドイッチ。次は焼きたてのスコーン。手のひらよりひと回り大きな見事なサイズ。それが3種類あり、そこにジャムとクリームをどっさり載せて食べるのです。そして、最後にケーキ。それも特大。日本のケーキの2倍もありそう・・・。私には、とても無理、いくら何でもムリすぎます。でも、この二人はそこを必死にクリアーしたのです。
 旅の最後に祖母が孫娘に言ったアドバイスは、まさに圧巻。
「あんたに足りないのは自信。自分の値打ちを低く見積もっているわね」
「謙虚と卑下は違うもの。自信がないから、自分のことをつまらないものみたいに言って、相手に見くびってもらって楽をしようとするのはやめなさい。それは卑下、とてもみっともないものよ」
「楽をせず、努力をしなさい。いつだって、そのときの最高の自分で、他人様のお相手をしなさい。胸を張って堂々と、でも、相手のことも尊敬して相手する。それが謙虚なのよ」
著者が「お世話してあげている」と思っていた祖母は、とてつもなく冷徹に著者を観察していたのでした。
いやあ、いい本でした。これって実話なのか、小説(フィクション)なのか読んでいてさっぱり分かりませんでしたが、私は実話だと思って読み通しました。
ただし、舞台となったロンドンは現代ロンドンでないことははっきりしています。しびれましたよ、まったく・・・。
(2023年11月刊。1600円+税)

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