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カテゴリー: 人間

さとし、わかるか

カテゴリー:人間

著者 福島 令子、 出版 朝日新聞出版
 なんとなんと、すごい母と子がいたものです。感嘆、感心、感激の本です。
 目が見えないだけでも大変なのに、耳も聞こえなくなるのです。それも9歳のときに失明し、18歳で失聴したというのです。まさに思春期のときに、そんな重大な身体的ハンデを負いながら、明るくやんちゃに育っていったのです。その母親って、どんな人(女性)だろうと知りたくなりますよね。テレビでも出演されているようですが、私はテレビを見ませんので、分かりません。本の表紙にちらっと出ている顔は、失礼ながら、どこにでもいそうなフツーのおばさんです。だけど、この本を読むと、とてもとてもフツーのおばさんがここまでできるとは思えません。
 東大教授になった三男もすごいと思いますが、その上のお兄ちゃんたちも偉いと思いましたね、私は。だって、母親は障害を持つ三男につきっきりなんですよ。お父ちゃんは、残る二人のお兄ちゃんにスパルタ式で厳しく接していた気配です。よくもグレなかったものですね、二人とも……。障害を持つ弟の我がままにひたすら耐え忍んだ兄貴の辛さが、ちらっと出てくるところが愛敬です。
 どんどんと目が見えなくなり、ついに失明する。次第に耳が聞こえなくなっていき、ついにまったく音が聞こえなくなる。いやあ、とんでもないことですね。
 実は、うちの息子も思春期失明症にかかって、しばらく視力を失ったことがありました(今は見えています)。そのとき、関西のK病院に入院しました。この本に出てくるO病院と同じ療法です。完全生菜食療法をするのです。生体の本来持つ生命力を活性化させる療法なのです。今でも私は、これを決してインチキ療法だとは思いません。ただ、万能ではないことも確かなのです。著者の子についても、失明も失聴も防ぐことはできませんでした。
 失明し、失聴した我が子との会話は、偶然の機会にお互いの両手をとって、指点字で始まりました。
 智(さとし)の両手をとった。手の甲を上にして、前に出させた両手の人差し指から薬指までの6本の指先を点字タイプライターの6つのキーに見立てることにした。
 6つの点に対応させて、智の指をポンポンとたたいてみた。智の左手の人差し指、中指、薬指。右手の人差し指、中指、薬指。それが点字の1の点から6の点だ。
 そして、ゆっくり、はっきりと、智の指に点字の組み合わせでタッチした。向かい合っているから、じつは、智にとって左右逆の組み合わせになるけれど、それを考える余裕はなかった。
「さとし、わかるか」
 聡は即座に、「ああ、分かるで」と答えた。
 いやあ、泣けるシーンですよね。ヘレン・ケラーがサリヴァン先生との出会いで「ウォーター」を学ぶシーンに匹敵します。
 声をつかわなくても、言葉が智に通じた。私は有頂天になった。
 著者の夫は、まだ若いうちにくも膜下出血で倒れ、ついに亡くなってしまいました。教員でしたから、過労によるものかと想像します。惜しかったですね。
 現役の東大教授として活躍中の、福島智氏の母親がつづる子育ての記録です。感動の日々が語られています。ああ、お互い、それでも生きていて良かったと実感できます。
 
(2009年5月刊。1600円+税)

先生、どうやってヤセたんですか?

カテゴリー:人間

著者 山田 春木、 出版 WAC文庫
 20キロやせた医師の体験にもとづくダイエット法が書かれています。
 身長180センチ、体重103キロの巨体が、10ヶ月間で83キロになったというのですから、すごいものです。そして、リバウンドなし、なのです。見事です。
 私はダイエットを始めてから毎日、体重計に乗っています。63キロに減らすのを理想としていますが、なかなか減りません。それで、65キロより少ないと、ヤッターと叫んでいるのです。ところが、著者は毎日でなくていい、毎週1回だけでいいというのです。トホホ…。
 著者は排便が大切だと強調しています。そのためには、朝しっかり食べるべきだと強調します。パンやうどんは、消化吸収が良く、大腸に到達するまでになくなってしまうので便秘には不向きな食品だ。食物繊維がたっぷり含まれた食事を心がけるべきである。
 私の朝食は、7年前からニンジンとリンゴ、そして青汁と牛乳をミキサーにかけたものです。このおかげで便秘はなくなり、境界型糖尿病といわれることもなくなりました。
 適量のアルコールは、むしろ胃に優しい。人間の意志は気まぐれなプリマドンナと同じ。すぐに厭きた、休みたいなどと文句を言い、緊張を保てない。
 ダイエットが辛いと思うようでは長続きしない。
 ダメだ、ダメだと抑えつけるのは逆効果、じっくり味わいつつ、低カロリーのものを食べるようにしたらいい。
 一番いいのは、モズクやところてん、コンブのような海藻。夕食にも海藻と豆腐を食べるように心がける。
 バナナはカロリーが低く、食物繊維を多く含んでいる。キノコもいい。
 メロンパンは450カロリーもある。リンゴは1個で150カロリー。やせたい人は、とびきり甘くて美味しい香り高いコーヒーやミルクティーを飲む。わずかなカロリーで、甘いものを食べたいという欲求の歯止めになってくれる。
 コンソメスープはたったの8カロリー。腹もちがよく、塩分のかわりにアミノ酸で味が付いている。ウーン、そうなのか。私も、これからは飛行機の中ではコンソメスープにします。
 みんなから否定され、やる気をなくした時は、鏡で自分を見つめる。自分自身に関心を向けないと、自分を律するのがおろそかになる。
 もったいない、などと思わず、さっさと捨てる。保険の掛け捨てと同じ。なーるほど、ですね、これって……。
 ダイエットを成功させたいなら、モッタイナイは禁句だ。ダイエットとは、贅沢な行為だと認識しなければいけない、
 なるほど、なるほど、そうなんですね。お金とヒマがないとダイエットも成功しないのですよね。
 サンモリッツの空は抜けるような青空です。日差しはそれほど強くは感じません。暑くはありませんので、湖の周囲の遊歩道を歩いても汗をかくわけではありません。
 ところが、やはり夏の日差しでした。帽子もかぶらず歩きまわっていると、すっかり顔が日焼けして赤くなりました。そして、唇のあたりがこわばってしまったのです。用心しなかったせいです。やはり油断大敵でした。ティラノで1000円の安い帽子を買いました。
 サンモリッツの夜9時は、まだ昼間の明るさです。夜10時にようやく暗くなります。
 レストランは、外のテラスで食事している人もいるのですが、涼しいからでしょうね、はじめから室内で食事をしている人も大勢います。昨年行った南フランスでは、外のテーブルが埋まるまでは、室内で食事をとる人はほとんどいませんでした。気温の違いだと思います。
 ディアヴォレッツァ展望台で軽い昼食をとったときには、シャンパンで喉を潤しました。
 夕方、サンモリッツに戻ってからは、ホテルの斜め前にあるイタリア料理店に入りました。ピザとボンゴレを注文したのですが、ピザはとても一人では食べきれないボリュームでした。
 スイスでも赤ワインがとれるというので注文しました。渋みとコクのある重めのワインでしたので、私にぴったりでした。若い頃はボジョレーのような軽い味が良かったのですが、だんだんカオールのような重い味の方が良くなってきました。
 
(2009年5月刊。857円+税)

なぜ年を取ると時間の経つのが速くなるのか

カテゴリー:人間

著者 ダウェ・ドラーイスマ、 出版 講談社
 人間の一番古い記憶は、反復と決まった型が背景になければならないが、これは3歳より前には起こらない。幼児期健忘は、ハードウェアの欠陥が原因なのではなく、プログラム、つまりソフトウェアの問題なのである。 一番古い記憶は、その人のアイデンティティの獲得と関係している。
子どもは、実年齢に関係なく、18か月の精神レベルに達すると、「私」としての自分自身を理解するようになる。
 匂いほど、突然に自分の思考の流れを止める刺激はない。
 感情が高ぶると、通常より短時間のうちにより多くの詳細を貯蔵せよという命令が脳に下される。
 既視感(デジャヴュ)について、左右2つの脳半球の存在から証明されています。
 2つの映像の時差は、ほんの一瞬。既視感において2度目だと感じるのも無理はない。2つの脳半球は交替で活動する。一方の脳半球が活動しはじめていても、他方の脳半球がまだ休止していないと、一種の「2重像」が現れる。現在の像のなかで、休止状態に入りつつある他方の脳半球の像が明滅し続けるので、まるで同じことを2度経験しているように見えるのだ。
 既視感は3つの錯覚をともなう。一つは、思い出のように感じるが、実際はそうではないというもの。二つは、これから何か起きるのか知っているような気がすること。三つには、漠然とした不安をかきたてられるというもの。これらの錯覚が心に混乱を招く。
 ほとんどの自分史に共通する特徴がある。つまり、語り手は、自分史をできるだけ筋の通ったものにしようとする。
 高齢者に思い出を語ってもらったところ、50歳から80歳までを全部あわせた期間の出来事よりも、10歳から20歳までのあいだの出来事のほうがずっと多く語られた。自伝的記憶と自叙伝に共通しているのは、そのなかにある思い出がテーマ・動機・話の筋に適合していること。それらは一つの発展の要素として、少しずつ現れる。自分や他人に向けて話す想い出話は、「公」に向けられているので、もはや出来事そのものではない。
 老人は若いころの思い出に自分自身を書き込んでいくのだ。
 人生が変化に富んでいるときには、記憶の標識の数が多い。年齢の高い人の方が、20代のころの出来事を比較的楽に思い出せるのは、利用できる時間標識がその期間に非常に多いことの結果である。
 時間標識は、期間や日付を記すだけでなく、老年期に夢想をも生じさせる。
 たくさんの思い出の詰まった期間は、振り返ってみたときに伸びるだろうし、思い出がほとんどない同じ長さの期間より長く続いていたように感じられる。逆にいうと、中年以降には時間標識の数が少なくなるので、そうした空白時期では、時間は主観的に速く過ぎるのだろう。
 時間を測る能力は、年齢とともに上昇し、20歳でピークに達し、その後は下降していく。高齢者の能力は幼児のレベルにまで低下する。
 何かをしていて忙しいときには、時間がかなり速く過ぎる。
 老齢とともに、人間はだんだん、ゆっくりと時を刻む昔の旅行用携帯時計になっていく。体内のメトロノームが減速していくために、外界のほうが加速しているように思えてくる。
 客観的な原則が主観的な加速を生み出す。体内時計の速度が一定の役割を果たす。体内時計のほうは、老人よりも若者の体内の方が速く動く。だから、子どものころの日々はとても長かったのに、年をとると時間は驚くほど速く過ぎていくことになる。
 また一つの解を得ました。でも、ということは、日々の生活を充実させるしかないということなんですね。
 
(2009年5月刊。2400円+税)

単純な脳、複雑な「私」

カテゴリー:人間

著者 池谷 裕二、 出版 朝日出版社
 日本の高校で、高校生相手に話をした内容が本になっていますので、大変分かりやすく、しかも興味深い内容が満載です。うへーっ、脳って、こういうものなんだ。人間って、こういう存在だったのか……、と目からウロコの数々です。さあ、読んでみましょう。
 人間は、長時間接しているほど好きになってくる。これは脳の性質による。社内結婚が多いのは、そのため。何度も会っていると、もうそれだけで好きになってしまう性質が脳にある。なーるほど、ですね。だましの手口として、足しげく通っているうちに、甘い話に断りきれなくさせるというのがあります。
 恋愛関係にあるのか自信がないとき、周囲から反対されると、緊張してドキドキしてしまう。ところが、このドキドキ感を脳は相手がより魅力的なのだからこうなるんだと間違ってラベルづけしてしまい、どんどん好きになっていく。うむむ、だから本心で反対したいときには、表面上は反対せずに放っておいたほうがいいのですね。
 直感は意外と正しい。というのは、直感は学習、つまり本人の努力の賜物(たまもの)だから。直感は訓練によって身につく。経験に裏付けられていない勘は、直感ではない。
 大人になっても、成長する脳部位が2つある。一つは前頭葉で、もう一つは基底核である。直感は、年齢とともに成長していくのである。
 記憶というのは、覚えていると意識できること、「これは私が覚えている内容」というものばかりではなく、もう一つのタイプもある。
 たくわえた情報は、それ単体で思い出されるのではなく、そこに付帯された情報によって影響を受け、記憶そのものがすり替わってしまう。つまり、人間の記憶というのは都合よく捻じ曲げられてしまうものなのだ。情報は、きちんと保管され、正確に読み出されるというより、記憶は積極的に再構築されるものなのである。とりわけ、思い出すときに再構築される。
 記憶は、生まれては変わり、生まれては変わる。この行程を繰り返して行って、どんどんと変化していく。だから、「見た」という感覚というものは、怪しいものでしかない。そうなんですよね。私も、大学時代、紛争の最前線にいたことは間違いないのですが、たとえば寮食堂で開かれていた代議員大会が全共闘の集団に襲われたとき、寮食堂の中に代議員としていて襲われたのか、外にいて救援活動をしていたのか、今なお自分の体験が思い出せません。今のところ、内側にいて襲われたことにしているのですが……。ちなみにこのとき、かの有名な舛添要一大臣は中にいて、10人の代表団のメンバーに立候補したのですが見事に落選しました。これは記録が残っていますので間違いありません。彼は当時から右翼的行動をしていて、学生のなかに支持を集めることができませんでした。
 感情と行動はどちらが変えやすいか。既成事実を変えるのは大変だが、心の方は容易に変えられる。だから、脳は感情を行動に整合するよう変化させてしまう。
 むひょう。そうなんですね。そんなことまでするのですか……。
 脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由づけして説明してしまう。現状に合わせて都合よく説明するのが脳の働きである。ええっ……。
 人間って生き物は、主観経験の原因や根拠を無意識のうちにいつも探索している。ぼくらは本当は自分が道化師にすぎないことを知らないまま生活している。根拠もないくせに妙に自分の信念に自信をもって生きている。
 脳は、ノイズから生まれる秩序をエネルギー源として用いているため、外部供給として必要なエネルギー量はわずか1日400キロカロリーで済む。電力量に換算すると、20ワットという驚くべき少量のエネルギーである。
 脳、そして人間を知り、考えさせられる本です。
 
(2009年6月刊。1700円+税)

「流れる臓器」血液の科学

カテゴリー:人間

著者 中竹 俊彦、 出版 講談社ブルーバック新書
 血液は体外に置くと15分間以内に自然に凝固する。出血を最小限に食い止める防御能力である。
 赤血球には細胞内に核や顆粒がなく、自然に変形することができる。
 血小板は、いち早く損なわれた場所を見つけ出し、多数の血小板が集まってケガの表面を覆って、出血を防ぐ。血液が自然に固まる現象(凝固)と、出血が止まる現象(止血)とは、似ているけれど異なるもの。止血は、血小板の働きによる。凝固とは、血漿に含まれる多くの凝固因子がいくつもの反応段階を滝のように下って進むメカニズムである。
 ヒトの血液量(重さ)は、体重の7.7%。私のように体重が65キロある人間では、5キロもの血液が体内を循環していることになります。重さからすると、最大級の臓器であり、まさに「流れる臓器」といえる。
 心臓は握りこぶしほどの大きさであり、一回の振動で80グラム(ミリットル)の血液を送り出す。コーヒーカップ半分ほどの量である。しかし、これを1分間に72回も繰り返しているから、1時間で5.5リットル、1日にすると8千リットル、つまり8トンにもなる。こんな動きを平均80年間も休みなく続けられるポンプを人間は今も作ることが出来ない。人間の身体中の血液は1分間ですべて入れ替わっている。
 首の長いキリンは、最高血圧は200~300ミリもある。キリンの首の付け根にワンダーネットという血管の塊があり、一時的にそこに血液をためて血圧が高まるのを防いでいる。
 人間は汗をかくことが唯一の積極的な体温冷却法である。そのため、水分が不足した状態が続くと十分に放熱できず、ついには熱射病となって意識を失い、倒れてしまう。
 血液中の脂肪分は、タンパク質のカプセルに入った状態(リポタンパク)で循環しているので、脂肪分のために血液がベタベタになることはない。サラサラとかドロドロとか言う言葉は、広告宣伝のための無理な表現にすぎない。
 健康な血流も、液体として見ると、もともと自力では血管内を流れることのできないほど、ドロリとしている。むしろ、サラサラ流れたら、そっちのほうがよほど不健康な状態である。
 血液型の自己申告は、医療現場ではまったくあてにしていない。
 血液型性格判断は、全くのウソであり、それに科学的な根拠のないことはすでに十二分に明らかになっている。A型とかAB型とかで一喜一憂する必要などないと、つくづく思います。まあ、スナックなどで場を持たせるための話題にはなるのでしょうが。
 コレステロールは、なくてはならない大切な栄養素である。いくつかのホルモンの原料になるし、細胞膜の重要な成分でもある。そして、コレステロール値が低すぎると、うつ病になりやすく、むしろ脳卒中やガンのリスクが増えて死亡率が高くなる傾向にある。実は、先日の人間ドッグでコレステロール値が高いという指摘を受けました。あまり心配ないことのようで、安心しました。
 
(2009年2月刊。820円+税)

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