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カテゴリー: 人間

世界130カ国、自転車旅行

カテゴリー:人間

著者 中西 大輔、    文春新書 出版 
 
 自転車で、地球を2周りしたという日本人青年の壮挙を本人が再現した本です。今どきの日本の若者もやるじゃないですか。たいしたものです。パチパチパチ・・・・。
 日本を出発したのは1998年7月。アラスカを起点として、アメリカ大陸をずっと南下します。太平洋にそって南下して、ペルーではフジモリ大統領(当時)の姉に会見してもらえました。それからヨーロッパに渡り、アフリカに行き、オーストラリアへ飛ぶのです。地球2週目は、イースター島を経て、南アメリカに行き、ブラジルでサッカーのペレに会ったあと、アメリカでもカーター元大統領に会ったりしたあと、ヨーロッパへ飛びます。ポーランドではワレサ元大統領と会い、アフリカそしてインドさらには中国経由で2009年10月、ようやく日本に帰国します。すごいですね。まず、コトバはどうしていたのでしょうか。そして、危ない目にはあわなかったのでしょうか。さらには、軍資金は・・・・?次々に疑問が湧いてきますよね。
競輪選手の太ももは60~80センチもあって、瞬発力がある。しかし、自転車の長距離レースの選手などは、足の細い人が多い。そうなんですか・・・・。
 パンク修理など自転車の基本を学んでいないと海外遠征は難しい。うむむ、なるほど、そうでしょうね。
熊本で営業マンをしていて、3年あまりで1000万円をためたというのですよ。ところが、11年3ヶ月の旅にかかった費用は、なんと700万円。1年あたり60万円ほどでしかありません。ええーっ、嘘でしょ。と言いたいですよね。
アフリカでは警察署に泊めてもらったそうです。消防署や軍隊にも。
南アフリカをうろうろしているあいだに、スペイン語は自然にマスターした。旅行者にとっての武器は「銃」ではなく「言葉」である。なーるほど、話してこそ、分かりあえるのですよね。そして、各地で新聞やテレビの取材を受け、パスポートの役割を果たしたといいます。ふむふむ、きっとそうでしょうね。
 つかった自転車は日本でつくってもらった特製品です。車体は18キロの重さ。6つのカバンに詰め込んだ荷物は40~50キロにもなる。初めて見た人からはオートバイかと見間違われるほどの重量級だ。つかったタイヤは82本、パンクは300回。ふだんは1時間で平均20キロ、一日平均100キロすすむ。
 一人で何もせずに長い時間を過ごす退屈さや孤独に強いのが著者の強み。危い目にもあった。目を合わせない人間はたいがい怪しい。相手の言動を注意深く見る。話をすれば、相性がいいかどうか、だいたい分かる。相性がいい相手から「家に泊めてやる」と言われたとき、「この人なら、盗られたら盗られたでしょうがない」という気持ちで泊めてもらった。それで、盗られたことは一度もなかった。しかし、ブラジルでATM詐欺にひっかかったこともある。でも、人間って、本当にいいものだと思う。そう書いてあります。読んで心の温まる本でした。
(2010年11月刊。880円+税)

犬になれなかった裁判官~司法官僚統制に抗して36年~

カテゴリー:人間

安倍晴彦、 NHK出版、 2001年5月25日
最近テレビで山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」の映画版を見た。そういえば同じような話がわが司法界にもあったな、と思って、本書を読んでみた。
著者は、家裁勤務が長く、家裁の仕事に熱心であり、登山を趣味とし、山野の草花を愛する裁判官である。その姿は、毛利甚八さんの「家栽の人」の桑田義雄判事と重なり合う。著者は、「当事者のいうことをよく聞く」と「裁判は隣人の助言である」と基本理念とし、実に誠実に家裁の職務に取り組んだ。その時の苦労話とも笑い話ともつかぬエピソードが綴られている。著者は、「裁判官がする仕事の中では、もっとも人間的な仕事、環境であることがわかり、すっかり気に入ってしまったのである」とも言いきる。その熱意には敬服するばかりである。
しかし、ご存じのとおり、著者にはもう一つの顔がある。それは青法協裁判官部会に所属し、それを貫き通した裁判官としての顔である。もう古い話なのかもしれないが、かつての司法反動の時期、著者は家裁の支部から支部への支部めぐりの不遇な人事を強いられた。このような人事を詠んだ川柳として「渋々と支部から支部へ支部めぐり、四分の虫にも五分の魂」というものが知られている。著者を取り囲む上司、同僚の言葉が生々しい。
「君の場合、今後も、任地についても待遇についても、貴意に添えない。退官して弁護士として活躍したらどうか」
「あなたの処遇を、全国の裁判官が息を潜めて注目しているのです」
「君は合議不適だから、どの高裁の裁判長も君を受け入れるのを拒否するから無駄だ」
最近は、現職の裁判官がマスメディアでよく意見を表明する。「判決に全てを書き尽くし、決して言い訳をしない」という伝統的な裁判官の気風に変化があるようにも見えるし、組織の風通しがよくなったようにも見える。しかし、本当にそうなのか?裁判所の外にいる私にはわからないが、いや古い話ではなく、いつの時代にもなくならない普遍の話なのかもしれない、とかつて大きな組織に所属した私は、その組織に関する最近の出来事に接して思うのである。法と証拠に基づいて正義を実現するという、われわれ法律家の仕事は、その依って立つ社会の在り方との緊張関係の外にあって、超然と成り立つものではないな、と強く感じるこのごろである。

田舎の日曜日

カテゴリー:人間

著者  佐々木 幹郎、   みすず書房 出版 
 
 浅間山の麓に山小屋を作って週末ごとに生活している著者が、ツリーハウスをこしらえるという話です。森の中の自然あふれる生活が情趣豊かに描かれています。時間(とき)がゆったりと流れていく感じがよく伝わってきて、読んでると、なんとなく心の安まる思いのする本です。
 どんな人が書いた本なのか巻末を見てみると、なんと私と同世代の詩人でした。もっと年長の高齢者だとばかり思って読んでいたのです。東京芸大の音楽研究科で教えているというのですから、私なんかとは違って芸術的センスが大いにあるようで、うらやましい限りです。道理で文章にもゆったりした詩的なリズムが感じられます。
ツリーハウスというから、どんなものかと思うと、要するに、子どものころ木の上につくった秘密基地をもっともらしくしたようなものです。そこで生活できるというわけでもありません。そうなると、こういうものは、結果よりも、つくっていく過程自体が楽しみなのですよね。この本も、つくり上げていく過程がたくさん紹介されていて、そこがまた興味をそそられるのです。
 歌手の小室等が来てギターをひいて歌ってくれるのですが、ほかには、それといった大事件が起きるわけではありません。いえ、宮崎の新燃岳ではありませんが、浅間山が噴火することはありました。そして、可愛らしいムササビが登場します。
 山小屋生活も、たまにならいいのかもしれないと思わせる本でした。でも、一年中そこで生活するとなると、本当は大変なんなんじゃないでしょうか・・・・。いえ、別にケチをつけているわけではありません。こんな環境で週末のんびり骨休みできるなんて、うらやましいと言っているだけです。
(2010年11月刊。2700円+税)
 火曜日、日比谷公園に行ってきました。3月の陽気でしたが、園内にはほとんど花が咲いていません。梅もハナモモもまだつぼみ状態です。
 わが家の庭の梅も今年は咲くのが遅れています。両隣の梅は咲いているのに、うちはツボミばかりです。紅梅のほうはいくらか花を咲かせています。
 夕方6時くらいまでは明るく、庭仕事に精を出しことができるようになりました。それでも、春は花粉症の季節でもあります。ときどき反応して、目から涙、鼻水が出て、くしゃみを連発することがあります。ひどくならなければいいのですが・・・。

だまし絵のトリック

カテゴリー:人間

著者  杉原 厚吉、  化学同人 出版 
 
 人間の目は簡単に騙せるものなんですよね。たとえば、エッシャーの不思議な絵を見て、思わずこれはどなっているのだろう・・・・と、謎の世界に引きずりこまれてしまいます。
 無限階段という絵があります。階段が口の字型につながっている。この階段を登っていくと、いつのまにか元の場所に戻っている。登り続けても、同じところをぐるぐる回るだけで、終わりがなく無限に登り続ける。
この本の著者は、だまし絵に描かれている立体は本当につくれないかという疑問に挑戦しています。これが理科系の頭なのですね。そして、方程式を編み出し、コンピューターを使って作図するのです。たいしたものです。偉いです。どんなひとなのか、末尾の著者紹介を見ると、なんと私の同世代でした。大学生のころ、すれ違ったこともあるわけです。すごい人だなあと改めて感嘆したことでした。
 だまし絵の作り方がいくつも解説されています。簡潔なだまし絵ほど美しい。うむむ、なるほど、そうですね・・・・。
 人は写真を見たとき、そこに奥行きの情報はなく、タテと横だけに広がった二次元の構造であるにもかかわらず、欠けた奥行きを苦もなく知覚でき、旅の思い出にふけることができる。それは、人が生活の中で蓄えた、立体と画像の関係に関する多くの手がかりを総合的に利用して、奥行きを中断しているためと考えられる。だから、だまし絵の錯覚は生活体験をたくさん踏んで、立体とその絵の関係をある程度理解してからでないと起こらない。小学校に入る前の子どもはだまし絵を見ても不思議がらない。このくらいの年齢の子どもは、ピカソの絵のようにつじつまのあわない絵を平気で描くことができる。
 うむむ、そういうことなんですか・・・・。なるほど、ですね。
 著者は2010年5月に、アメリカへ行って、錯覚コンテストなるものに参加し、優勝したそうです。そのときの映像がユーチューブで見れるというので、私ものぞいてみました。不思議な映像がたしかにありました。ピンポン玉のような球体が坂道をのぼっていきます。同じ平面にあるのに、その窓を横から一つの棒が貫くのです。とてもありえない映像なのですが、謎ときがされていて、なーるほど、なーんだ、そうだったのか・・・・という感じです。
 エッシャーの絵を方程式とコンピューターで解説するなんて、その発想に頭が下がりました。
(2010年9月刊。1400円+税)

手足のないチアリーダー

カテゴリー:人間

著者  佐野  有美、   主婦と生活社 出版 
 
 笑顔の素晴らしい女性です。その笑顔を見ていると、自然にこちらの頬がゆるみ、顔がほぐれてきます。
 写真を見ると、あの乙武さんと同じような電動車イスにちょこんと乗っています。両手はまったくありません。右足もほとんどなく、左足は普通にあります(あるようです)が、足の指は3本だけです。その足指で電動車イスを操作します。
 こんな「不自由な」身体で、どうしてこんな天使のような笑顔の女性(ひと)になれるのか、その謎を解き明かしてくれる本です。私の愛読する新聞で紹介されていましたので、早速に注文して読んでみました。届いてから読み始めるのが待ち遠しくてなりませんでした。そして、その期待は裏切られませんでした。ただただ、ありがとうございますと感謝してしまいました。
そんな魅惑の笑顔の彼女にも思春期を迎えた中学生時代は大変だったようです。それはそうですよね。思春期というのは、誰にだって難しい年頃です。ずっと優等生だと思われていた私だって、親とろくに口もきいていませんでしたから・・・・。
 彼女を高校のチアリーダー部に仲間として受け入れた友達も素敵なはじける笑顔で紹介されています。まさに青春が爆発しているという勢い、エネルギーを感じます。
赤ちゃんのころからの写真がたくさんあって、本文がよく理解できます。手足がなくても、人間は周囲の理解と応援があればこんなにも見事に成長するのだということがよく分かります。父親もしっかり支えたようですが、母親は介護に明け暮れて、それこそ大変だったことでしょう。そして、そんな大恩ある母親に思春期(反抗期)には辛くあたってしまうのです・・・・。
手足のほとんどない赤ちゃんが生まれたとき、両親はどんな反応をするのでしょうか・・・・。
 著者は1歳半まで乳児院に預けられます。そして、乳児院から一時帰宅したときの著者の反応は・・・・?
 いつも笑っていた。母を見てはニコニコ。父の後ろ姿を目で追ってはニコニコ。お姉ちゃんが一緒に遊んでくれてニコニコ。そして、自宅で家族と一緒に暮らすことになります。
 乳児のころは、身体を見られても平気。障害児のなかにいたら、みんな違ってあたりまえだったから。そして、3歳すぎて、母親に質問する。
 「ねえ、お母さん。どうして私には手と足がないの?」
 この質問に、親は何と答えたらいいのでしょうか・・・・。
 小学校に上がる前のこと。いちばん悲しいのは、「あのこがかわいそう」という言葉。私は、別に、かわいそうでもなんでもないのに・・・・。なかなか言えない言葉ですね。乙武さんも同じように書いていたように思います。
そして、親の熱意で普通小学校に入学できたのでした。その条件は登校から下校まで母親が一日中付き添うこと。
小学校の学芸会でいつも主役に立候補した。1年で孫悟空、2年でアラジン。体育館のステージに歩行器に乗って、さっそうと登場する。
手足がなくても、水泳で100メートルも泳げるようになった。
 ところが、やがて、気が強く何事にも自分の意志を通し、いつも友達に囲まれていた著者は、いつのまにか友達の気持ちが分からない傲慢な女の子になっていた、というのです。自我のめざめ、そして、悔悟の日々が始まります。
 そして、高校に入り、チアリーディング部に入り、再び自分を取り戻すのでした・・・・。
 ぜひぜひぜひ、あなたに強く一読をおすすめします。心の震える本です。
(2011年1月刊。1200円+税)

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