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カテゴリー: 人間

視覚はよみがえる

カテゴリー:人間

著者    スーザン・バリー 、 出版   筑摩選書
人間は三次元で思考する。48歳にして立体視力を奇跡的に取り戻した神経生物学者が、見えることの神秘、脳と視覚の真実に迫る。
これは本のオビに書かれているフレーズです。脳って固定的なものではないのですね。これがダメなら、あれでいこう。あれがダメなときには、とりあえず、こうやって対応しておこう。こんな具合に融通無碍に対応できる、とても可望性に富んだ器官なんです。
宇宙飛行士が地球に戻ってきたとき、しばらくはヘマばかりしてしまう。なぜか・・・?
大気圏外の自由落下状態にいると、内耳の感覚器官である前庭器官が正常に働かなくなる。宇宙飛行士は、帰還して3日目にようやく正常に戻ることが出来た。むむむ、うへーっ・・・。
人間の赤ちゃんは、生後四ヶ月までは、立体的に物を見ていない。目を内側に寄せる能力、ふたつの像を融合させる能力、立体的な奥行きを認識する能力の三つは、ほぼ同時期に発達する。視力(視精度)が良好なことと視覚が良好なことは、同じではない。文章を読むには、1.0の視力以外のものが必要だ。文字の羅列から意味を読みとれなくてはならない。
ほとんどの人は、文章を読むときに必ずしもページの同じ場所に二つの目を向けてはいない。読む時間の50%は、左目が見る文字のひとつが、ふたつ右の文字を右目が見ている。読み手にとって、この状態は問題を生じない。というのも脳がふたつ目の像を一つに融合しているからだ。情報は協調のとれた形で結合されている。ふむふむ、さてさて・・・。
世界をなんらかの形で細かく知覚しようと思ったら、同時に身体を動かさなくてはいけない。それどころか、体の動きを計画する行動は、おおむね無意識に行われるが、この計画行為こそが目や耳や指の感覚を研ぎすませている可能性がある。知覚と体の動きは、双方向的。絶え間ない会話によって密接に結びついている。
人間の脳のなかには、未開発の配線が数多くあり、その配線は、たとえば新しい技術を身につけるとか、脳卒中から回復するとかいった状態によって活動せざるをえなくなるまで、いつまでも未開発でありつづける。損傷から回復したり、新しい技術を学んだり、知覚を同上させたり、さらには新たな主観的な感覚を身につけたりするために、脳は一生のあいだ配線を変えつづける。
著者は、幼いころ内斜視を発症し、その後、3回の外科手術によって目の位置はそろったものの、二つの目で同時に物を見ること、すなわち両眼視がうまく出来ないまま成人しました。そして、40代の半ばを過ぎて視能療法を受けて思いがけずに立体視ができるようになったのでした。そのことへ驚きと喜びと戸惑いの入りまじった強烈な感情がこの本にしるされています。
視覚障害者とは、単に目の見えない人ではなく、むしろ視覚なしで世界で対処できる脳と技術を発達させた人なのである。このように書かれていますが、この本を読むと、それが納得させられます。
(2010年12月刊。1600円+税)

世界の少数民族文化図鑑

カテゴリー:人間

著者    ピアーズ・ギボン、 出版    柊風舎
 
 この地球上には、さまざまな文化を持って生活している少数民族が無数に存在していることを実感させてくれる大型の写真集です。少数民族といっても、合計すると1億5千万人だといいますから、決してちっぽけな存在というわけではありません。
 みんな違って、みんないい。
 金子みすずの詩が思い起こされます。
 結婚とは、両家族のメンバーに移動があることを公然と明らかにする儀礼のことである。そして、経済的な責任を必然的にともなう契約である。
お互いに惹かれあう大きなポイントは、健康的な赤ん坊をつくりたいという願望からきている。ヒップとウエストの比が平均で0.7というのは、つまり「砂時計のように腰のくびれた」女性の体形は、健康体であるとともに子どもを出産する能力の指標といえる。
 互いに一番よい組み合わせとなる遺伝子型をもつ相手、つまり遺伝学的に適合した相手を求める傾向がある。匂いは身体的な魅力に欠かせない要素である。人は、お互いに健康な子孫をもてそうな異性の匂いにのみ惹きつけられる。女性は、遺伝子的に自分と似ていない男性により強く惹かれる。そんな二人が結ばれると、免疫遺伝子の幅が広がり、健康な子孫を持つ可能性が高まる。逆に、よく似た匂いをもつ男女は、お互いに避ける傾向がある。なーるほど、そういうことも言えるのですね。
 ダウリ(持参金)は、しばしば娘の嫁ぎ先へ「支払うこと」と説明される。しかし、ダウリの恩恵を得ているのは当の娘であり、お金は彼女と彼女の新家族のものである。ダウリは息子ではなく娘の結婚に支払われるが、その理由の一つは、息子は遺産を相続するが、娘はその機会がないことにある。相続することのできない娘への賠償がダウリであると言える。ふむふむ、改めて認識しました。
 カラハリ砂漠のクンの女性は、ブッシュのなかで赤ん坊を産み、彼女1人が母親のみの付き添いで対処する。もし彼女が育てないと決めたら、赤ん坊は産まれてすぐ窒息死させられてしまう。これは罪とは見なされず、やむをえないことだと同情される。というのも、砂漠は人々に十分な食料をもたらさないので、余分の子どもを養うことはできないからだ。
 インド北部のヒンズー社会において、高位のカースト社会の妻は夫と離婚することはできない。彼女の献身のあかしは、夫が死んだとき、夫を火葬するために燃えさかる薪のなかに身を投げ出し、夫の遺体と一緒に荼毘に付されることである。ただし、妻を亡くした男は再婚が期待される。うへーっ、これって恐ろしいことですね。すぐにも止めさせなくてはいけませんよ・・・。
 アラスカのイヌイットの人にとって、離婚とは単に夫と妻がもはや一緒に暮らさないというだけのこと。結婚は永久的な結びつきではないので、離婚という概念すら必要ない。
カラハリ砂漠のクンは平和を好む人たちである。この首長の地位は、一般に父から息子へ継承されるが、父から娘へ受け継がれる場合がある。
クンは肉をバンド(集団)内で分配する習慣を忠実に守っている。しかし、その量は食料全体の摂取量の20%にすぎず、しかも、彼らが取り入れるタンパク質のほぼすべてである。食事は一人でとってならないという規則があり、複雑な分配の仕方をする。クンの食べ物の80%は野生植物からである。
いやはや地球は広いんですね。少数民族とその文化を知ることは、人間というものを知ることだとつくづく思いました。高価な本ですが、それだけの価値はあります。
(2011年2月刊。1300円+税)

想像するちから

カテゴリー:人間

著者    松沢 哲郎 、 出版   岩波新書
人間とは何か、どういう存在なのか。そのことをチンパンジーとの比較を通じて、じっくり考えさせてくれる良書です。著者は私とほとんど同世代の学者ですが、ながくチンパンジーを観察し、研究してきただけに、その論説にはとても説得力があります。
 サルとは目が合わない。サルは人間の目を見ると、キャッといって逃げるか、ガッと言って怒る。サルにとって、目を見るというのは、「ガンを飛ばす」という意味しかない。ところが、1歳になったばかりのチンパンジーのアイを著者が見たとき、アイはじっと見つめ返した。そして、著者が腕につけていた袖当てを腕から抜いてアイに渡すと、アイは、すーっと手をそこに通した。著者がええっと驚いていると、またもやすーっと腕から抜いて「はい」って返した。このように、チンパンジーは目と目で見つめ合うことができる。自発的に真似る。そして、何か心に響くものがある。
 チンパンジーには、人間の言語のような言葉はない。でも、彼らなりの心があり、ある意味で人間以上に深いきずながある。ふむふむ、そうなんですね・・・。
 動物分類学上、ヒト科は四属である。ヒト科ヒト属(ホモ属)、だけでなく、ヒト科チンパンジー属(パン属)、ヒト科ゴリラ属、ヒト科オランウータン属の四属である。日本の法律ではチンパンジーはヒト科に分類されている。
 人間とチンパンジーの全ゲノムを比較した結果、DNAの塩基の並び方は98.8%同じである。人間とチンパンジーとサルの三者では、人間とチンパンジーがよく似ていて、サルが違う生き物なのだ。三者に共通する祖先がいて、3000万年前に分かれて、サルはサルになった。その時点では、人間とチンパンジーは同じひとつの生き物だった。
チンパンジーの寿命は50歳。チンパンジーのコミュニティーでは、女性は10歳前後のころ、つまり妊娠できる年頃になると、群れの外へ出ていく。
 チンパンジーは、基本的にはベジタリアンだ。しかし、シロアリやアリといった昆虫も食べる。そして、センザンコウ(動物)を捕ることもある。
道具はまれにたまたま使うというのではなく、生存するのに必須なものとして、いつも使う。
チンパンジーは、音声でコミュニケーションする。音声のバリエーションは30種類ある。
 チンパンジーは、50歳になっても子どもを産む。チンパンジーの女性は死ぬまで生み続ける。だから、チンパンジーには祖母はいない。子どもを産み終えて孫の世話をする役割、それを担う年寄りの女性という存在はない。このように、チンパンジーにはおばあさんはいないが、人間にはおばあさんがいる。
チンパンジーは5年に一度、出産する。だから、年子がいない。チンパンジーの子どもは4歳ころまでずっと母親の乳首を吸っている。子育ては母親が一人でする。チンパンジーの父親の役割は、「心の杖」といえる。父親がいると、女性や子どもはすごく大胆にふるまう。チンパンジーは子どもを抱くだけではなく、「高い、高い」をしたり、わざわざ引き離して、顔と顔を合わせ、見つめあう。
 チンパンジーの赤ちゃんは夜泣きしない。夜泣きするのは人間だけ。チンパンジーの赤ちゃんは、お母さんがすぐそばにいるから呼ぶ必要がない。ひもじくて母乳がほしければ、自分で乳首を探して吸えばよい。
 人間の赤ちゃんは仰向けの姿勢になっているから両手が自由で早くから物が扱える。
 人間の赤ちゃんは、異様に可愛くて、異様に愛想がよい。それは、お母さんだけではなく、お父さん、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、みんなからの助けを必要とするから。仰向けの姿勢で安定して、にっこりと微笑むように人間の赤ちゃんはできている。人間は一歳のときに人間になるのではなくて、生まれながらにして人間なのだ。人間は生まれながらにして、見つめあい、微笑みあい、声でやりとりをして、自由な手で物を扱う。そういう存在として生まれている。
人間の子どもは、一歳をすぎるころから「自分で!」と言って自分で食べるようになる。もう少し大きくなると、「お母さんも!」と言って母親にも食べさせようとする。これは、チンパンジーには決して見られない行動だ。人間は、すすんで他者に物を与える。お互いに物を与えあう。さらには、自分の命を差し出してまで、他者に尽くす。利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方である。なーるほど、そういうことなんですか・・・。
 チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには、親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。チンパンジーを見せ物や金もうけの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーは挨拶や性行動ができなくなる。
このように、著者はチンパンジーを群れのなかで観察する手法を実践しています。なるほど、すごいです。
 チンパンジーは、「今、ここの世界」に生きている。人間のように、百年先のことを考えたり、百年先のことに思いを馳せたり、地球の裏側にすんでいる人に心を寄せるというようなことは決してしない。今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。自分はどうなってしまうんだろうとは考えない。恐らく明日のことさえ思い煩ってはいないだろう。
人間とは何か。それは想像するちからを駆使して、希望を持てるのが人間だ。先のことを考えて悩んだり、他者を思いやる心をなくしてしまったら、もはや人間ではないということなんですね。我が身を振り返るうえでも、とても考えさせるいい本でした。あなたにも一読をおすすめします。
(2011年2月刊。1900円+税)

錯覚の科学

カテゴリー:人間

著者    クリストファー・チャブリス 、 出版   文芸春秋
自動車運転中の携帯電話を使うのは危険だ。それは手動式であろうがハンズフリーであろうが変わらない。要は、車の操作能力への影響ではなく、注意力や意識に対する影響である。一方で何かを聞きとり、もう一方で何かを考えると、脳のなかで注意力を必要とする仕事の数が増えるほど、それぞれの作業の質は落ちる。ケータイをつかうと、注意力や視覚的な認知力が大幅に損なわれる。これに対して助手席にいる人と話すのは、ケータイで話すよりも問題が少ない。助手席の人と話しても運転能力への影響はゼロに近い。なぜなら、隣の人との会話は話が聞きやすく、分かりやすい。ケータイほど、会話に注意を奪われずにすむ。第二に、助手席の人も前方を向いているので、何かあると気がついて知らせてくれる。ケータイで話している相手には、そんなことはできない。第三に、ケータイで話していると、たとえ運転の難しい場所にさしかかっても、ケータイで会話を続けたいという強い社会的欲求の下にある。なーるほどですね・・・。
カーナビの指示だけを見て運転し、走ってくる列車の目の前で線路を横断させようとした人がいる。ドライバーは、カーナビを見るのに忙しくて、目の前にある標識を見落としがちになる。うひょう、これって怖すぎですよね。
聞いた物語を何回となく話していると、それを暗記してしまいやがて、自分の体験談と思い込むことがある。そうなんですよね。私も、それはいくつもあります。大学生のときの苛烈な経験のいくつかは、実際に自分が体験したことなのか、それとも後に学習したことによるのか、今ではさっぱり判別できないものがいくつもあります。
ヒラリー・クリントンはオバマと闘った2008年の大統領選挙において、1996年3月にボスニアの空港に着陸したときに自分は狙撃兵の銃火を浴びたと語った。しかし、実際には、歓迎式典に参加してボスニアの子どもにキスをしていたのであり、銃撃されたという事実はまったくなかった。ところが、ヒラリー・クリントンは間違いを証明されても、自分のミスをすぐには認めなかった。そのため、選挙に勝つためには、どんなことも言う人間だと思われ、結局、選挙戦でオバマに敗れた。うむむ、思い込みというのは恐ろしいですよね。
能力の不足は、自信過剰としてあらわれることがある。うむむ、これはすごい指摘です。私の身近にも、そんな人がいます。他人のことはあまりとやかく言えませんが、客観的に無知な人ほど自信過剰になりやすいものです。お互い謙虚さを大切にしたいですね。
裁判の証人が確信を持って証言しているときでも、それが客観的な真実に反することは少なくない。自信の強さは証言内容の正しさと結びつくが、完全に結びつくというわけでもない。
人が誰かの視線を感じることなど、実際にはありえない。この本では、そのように断言しています。しかし本当でしょうか・・・。心霊現象などまったく信じない私ですが、五感の次の第六感はその存在を信じています。だって、現実に何かを感じることが多々あるのですから・・・。今の科学では証明できていない、何かがあると私は考えています。
脳トレなんて無意味だという指摘をふくめて、かなり刺激的な話が満載の本です。一読してみる価値はありますよ。
(2011年4月刊。1571円+税)

胎児の世界

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著者    三木 成夫、 出版   中公新書
 
 1983年に初版が出ている古典的な名著だというので読んでみました。
 人間が生まれる前、母体でどんな生活をしているのか、その形や顔、そして機能はどうなっているのかを教えてくれる本です。
胎児は3ヶ月になると、一人前に舌なめずりをし、舌つづみを打ちはじめる。
 胎児は羊水に漬かっているが、この羊水を思いきり飲み込む。来る日も来る日も、これを飲み続ける。こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までくまなくひたし、腸の全長に及ぶ。さらに、肺の袋にまで液体は流れ込む。羊水呼吸は、半年にわたって、出産の日まで続く。出産のとき、この羊水は最初に勢いよく吸い込まれた空気に押されて、たちまち両肺の周辺部に散らばり、一種の無菌性肺真の状態となる。これは一ヶ月で血中に吸収される。
 ニワトリの卵は21日で孵化する。ところが、温めはじめた4日目、正確には4日から5日にかけて、それは一つの危機を迎える。同じように、胎児の発生は決して一様ではない。途中、山あり、谷あり、ときには危険な時期もある。
40日を迎えた胎児の顔はもはやヒトと呼んでも差し支えない顔をしている。真正面を向いた二つの目玉と、大きな鼻づらがある。
60日目の胎児になると、巨大な大脳半球が目立つ。
 人間が人間となっていく過程を明らかにしていく、この本を読むと、その神々しいまでの神秘さに沈黙せざるをえません。こうやって、この世に生まれてきたんだね、生きてて、良かったね、っていう感じです。
(2007年10月刊。700円+税)

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