法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 人間

悩む力

カテゴリー:人間

著者  姜 尚中 、 出版    集英社新書 
 夏目漱石をこんなに深く読み込んでいるのかと、驚嘆してしまいました。
 私は、高校生そして大学生のころに漱石を一心不乱に読みましたが、それからはすっかり卒業した気分になっていました。イギリスに留学中に夏目漱石がひどい神経衰弱になったという本は少し前に読みましたが・・・。
 著者は私の2歳下で、熊本で生まれ育っています。大学生のときに上京するとき、いかに心細かったか、その心境が描かれていますが、私も似たようなものでした。私は、幸いなことに大学に入学すると同時に6人部屋の学生寮に入りましたので、孤独感にさいなまれることは全然ありませんでした。今でも、本当にラッキーだと思っています。おかげで五月病とは無縁の忙しい、張りのある学生生活でした。
 夏目漱石とマックス・ウェーバーがほとんど同時代の人だと言うのを初めて認識しました。ウェーバーのプロテスタントの倫理意識が資本主義の価値観を支えたという本は、余り真面目に授業に出なかった私ですが、しっかり記憶に残っています。
青春とは、無垢なまでにものごとの意味を問うこと。それが自分にとっては役に立つものであろうとなかろうと、社会にとって益のあるものであろうとなかろうと、「知りたい」という、自分の内側から沸いてくる渇望のようなものに素直に従うことではないか・・・。
未熟故に疑問を処理することができなくて、足元をすくわれることがある。危険なところに落ちこんでしまうこともある。でも、それが青春ではないか。
青春というのは、子どもから大人へ変わっていく時期であり、険峻な谷間の上に置かれた丸太を「綱渡り」のように渡っていくようなものではないか。一歩間違えば、谷底へ転落してしまう危うい時期だ。
青春時代の、心の内側からわき出てくるひたむきなものを置き忘れて大人になってしまえば、その果てに精気の抜けた、干からびた老体だけを抱えて生きていくことになるかもしれない。
私も、こんな干からびた老体だけにはなりたくありません。そのため、毎日たとえばフランス語を一生懸命勉強しています。
ヒトが一番つらいのは、自分は見捨てられている、誰からも顧みられていないという思いではないか。誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じことになってしまう。
 社会というのは、基本的には見知らぬもの同士が集まっている集合体である。だから、そこで生きるためには、他者から何らかのかたちで仲間として承認される必要がある。そのための手段が働くということ。働くことによって初めて、「そこにいていい」という承認が与えられる。
この新書本が90万部も売れたというのは、とても信じられません。でも、たしかに味わい深い指摘がたくさんありました。
 10月4日(木)の午後、佐賀市民会館で弁護士会主催の教育問題シンポジウムにおいて著者は問題提起していただくことになっています。お近くの方はぜひ、今から予定しておいてください。ご参加をお願いします。
(2012年3月刊。2800円+税)

がん放置療法のすすめ

カテゴリー:人間

著者  近藤 誠 、 出版   文春新書  
 がんが見つかっても、あわてて治療を始めないこと。放置しておくのも一つの対処法だと著者は力説しています。
 がん放置療法の主人公は患者。監視療法は、医者が患者を監視、支配し管理する。
 がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査しないのがベスト。
 前立腺で、骨転移で痛みがあれば、治療を受けるのが妥当。そして、抗がん剤治療(化学療法)は、寿命を縮めてしまう。高齢者には、抗がん剤は特に危険。
 鎮痛目的で、2種類以上の方法を同時に始めないこと。
CTは放射線検査の中で線量が多く、被曝による発ガンの危険がある。胸部レントゲンによる被曝線量はCTのそれの数百分の一でしかない。
実のところ、健診は受けないのが平和に長生きするコツなのである。
抗がん剤治療は縮命効果が大きい。実は、スキルス胃がんは、手術さえしなければ、人が思っているよりずっと長生きできる。
 ええっ、と思いました。私の親しい弁護士は30代で亡くなってしまいましたが、手術しなければもっと長生きできたのでしょうか・・・。
そもそも胃がんの手術で胃を全摘したり、大きく切除したりするのは、原則として間違いである。
 そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
 がん放置療法の要諦は、少しの期間でいいから様子をみる点にある。その間にがん告知によって奪われたころの余裕を取り戻す。
がんは老化現象なのである。老化現象だから、放置した場合の経過が比較的温和なのである。
 がんについて、改めて考えさせられる本でした。
(2012年4月刊。780円+税)

声のなんでも小辞典

カテゴリー:人間

著者   和田 美代子 、 出版   講談社ブルーバックス新書
 どうして女性の声と男性の声は違っているのか、私は昔から不思議でなりませんでした。もちろん、ドラえもんの声が女性声優によるものだったとは知っていましたが、それにしても何が、どう違うのだろうかと謎でした。
 そして、人に近いチンパンジーやオランウータンは話せないのに、まるで人に似ていないオウムや九官鳥が人のモノマネができるのはなぜなのかも知りたいと思っていました。
 この本は、それらの疑問にこたえてくれる本です。
 チンパンジーののどは、ほぼ一直線になっているのと人と違って声帯が頭に近い位置にあるため咽頭がとても狭くなり、呼吸によって声帯で生じた音が鼻腔に入って鼻から外へ出てしまう。その結果、咽頭や口腔で共鳴させることができず、言語音をつくれない。
九官鳥は鳴器(めいき)という軟骨の突起部があり、ほぼ直角に折れ曲がった気道を、伸縮させたり太くしたり細くしたりして音を出す。
赤ちゃんの泣き声が遠くまでよく響いて聞こえてくるのは、声が大きいからだけではなく、人によく聞こえる周波数になっている、人間の耳の感度のいいところを本能にとらえているからだ。
新生児の声帯の長さは、男の子と女の子とで差がないので、声を聞いただけでは男女いずれか見分けがつかない。変声期を迎える7、8歳のころまで、男女の識別はプロでも不可能である。男子の場合、喉頭の上下、左右、前後といった枠組みが急激に成長して、声帯が入っている甲状軟骨の両翼の板が120度から90度くらいに突き出る。声帯の長さや幅、厚みが増していくにつれ、声が低くなっていく。これに対して、女子は男子に比べて変化が少ないために、声変わりしないかのように感じる。
 そして、年をとると声も中性化し、男女の声の差はなくなる。ええーっ、そうなんですか・・・。それは、まったく気がつきませんでした。今度、よく聞いて比べてみましょう。
 赤ちゃんに話しかけるときの声は、赤ちゃんが反応しやすい高い声が自然に使われている。
 アメリカの成人女性の声は日本人女性の声より低い。アメリカでは女性の甲高い声は幼い、あるいは能力が劣るという考えがあり、それに適応して、アメリカ在住の女性は低い声を学習している。
 男性は、おおむね声の高い女性により女性らしさを感じる。女性は低い男性に惹かれる傾向にある。
 喉仏(のどぼとけ)を形作っている甲状軟骨は焼くとなくなってしまう。そのすぐ近くにある第二頸椎の形があたかも座位の仏像のようにも見えることから、喉仏と呼ばれるようになった。
成人男性では、日常会話の声で毎秒100回、女性なら200回、声帯が振動している。歌をうたっているときは5~600回。ソプラノだと1000回をこえる。声帯は、超高速度臓器なのである。
 腹話術では下唇の代わりに舌を使うのがポイント。数え切れないくらい舌をかみながら、舌を前歯の前に出してしゃべる訓練を5年ほども続けた。これは、いっこく堂の話。
 狂言師の野村萬斎が舞台で演じるときの声がよく通るのは、頭から足先までの骨や筋肉の振動をうまく使ってうみ出した、体全体で引き起こされた空気の振動を私たちが受けとっているから。
音痴も、合理的なトレーニングをすれば、生まれつき強度の難聴や事故などで聴覚の機能が損なわれていない限り、ほとんど治る。
 これを知って、音痴の私も少しばかり安心しました。
(2012年3月刊。2800円+税)

脳はすすんでだまされたがる

カテゴリー:人間

著者  スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版   角川書店
 この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
 あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
 この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
 目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
 視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
 一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
 脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
 記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
 手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
 手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)

ソウルダスト

カテゴリー:人間

著者  ニコラス・ハンフリー  、 出版   紀伊國屋書店
 人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
 彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
 まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
 意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
 人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
 恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
 それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
 第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
 第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
 目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
 100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
 「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
 子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
 私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
 この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.