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なぜ彗星は夜空に長い尾をひくのか

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 渡部 潤一 、 出版 誠文堂新光社
 夜空の星を眺めるのは大好きですし、宇宙に関する本を読むのも好きです。
 いつも不思議なのは、星が空を移動しているのを見る(観察する)だけで、昔から数値化して軌道を計算し、いつ彗星が出現するのか予測する、できるということです。皆既日食も、いつ、どこでそれが見えるというのをぴたりと予測できるなんて、私にはまるで信じられません。
 今はコンピューターで計算しているわけですが、昔々のケプラーとか、みんな手で計算していたわけですよね。大変な計算だったことと思います。
 さて、彗星です。その正体は、なんと、巨大な汚れた雪塊というのです。
彗星核の成分は80%が水の氷、残り20%には二酸化炭素、一酸化炭素、それに微量成分として炭素、酸素、窒素に水素が化合した種々の分子が含まれている。これに岩塊や砂粒のような座(ダスト)が混ざっている。
彗星は、太陽系の中を勝手気ままに飛び回る太陽系の異端児。
彗星の2つの特徴。その一は、何の予告もなく突然に現れる。その二は、現れた彗星は華麗な姿を見せる。
 彗星の出現は西洋では凶兆とみられている。ジュリアス・シーザーが暗殺されたあと、第彗星が現れた。ところが、日本では稲作との関係で、穂垂星として吉兆とみられていた。
 ハレー彗星は、周期的に回帰する彗星のなかでも、きわめて大型で明るい彗星。
 彗星の尾(しっぽ)は、塵の粒子が太陽からの光の圧力(放射圧)によるもの。
彗星は、地球のような太陽系の内側の暖かい場所ではなく、太陽系のかなり外縁部で生まれたようだ。太陽よりも遠方で出来た微惑星が彗星だ。その意味で、彗星は、46億年前の物理・科学的状態を閉じ込めた化石とも言える。
彗星は、惑星や太陽に近づきすぎると、その潮汐力で分裂することが多い。それでなくても彗星は分裂しやすい、きわめて脆(もろ)い天体である。
 彗星はよく分裂し、そのうえで雲散霧消するものがある。
彗星核の密度はどうなのか。その中の構造がどうなっているのか、ほとんど分かっていない。まだまだ彗星は謎に満ちている。夜空に彗星や流星を眺めていると、つい、何か願いごとをしたくなりますよね…。
(2024年9月刊。1760円)

ブラジルが世界を動かす

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 宮本 英威 、 出版 平凡社新書
 ブラジルというと、真っ先にアマゾンの密林を思い浮かべます。最近では金採集などによる乱開発が進んでいるようで、心配しています。
 ブラジルの人口は2億1600万人、世界で7番目。国土面積は日本の22倍もあり、世界で5番目。GDPは世界第9位と、かなり上位にあり、今後さらに発展しそう。
 270万人の日系人がブラジルに暮らしている。これは海外の日系人500万人の半分以上という割合を占めている。戦前戦後の日本から26万人がブラジルに移住した。
 そして今、日本には21万人超のブラジル人が暮らしている。愛知、静岡、三重、群馬などの工場で働いている。
 ブラジルは、人口の4割以上が混血。その結果、差別が比較的少ない社会となっている。奴隷解放は1888年と、遅れている。
 ブラジルはカトリック教徒の国で、65%、1億2千万人の信徒がいる。プロテスタントは22%。ブラジルは貧富の格差が大きい。相続税が極端に小さいので、富裕層の子弟は、優位な立場で人生を歩む。
 今のルラ大統領は3期目で、2期つとめたあと収賄罪で刑務所に入っていたけれど、カムバックした。ルラ大統領は幼いころから街頭でピーナツを売り、靴磨きをし、また、日系人の経営するクリーニング店でも働いた。旋盤工をしているとき、左手小指を切断するという労災事故にあった。汚職事件で有罪となり、580日間、獄中生活を送った。
2024年のG20の議長国として、ブラジルは存在感を発揮している。ブラジルで中国の影響力が低下した背景に、アメリカが中南米への関心の低下もあげられる。アマゾン川の全長は7千キロメートル。その流域は700万平方キロメートル。
 ブラジルは国内電力の85%を再生可能エネルギーにしている。水力が62%、風力12%、太陽光が4%となっている。
 ブラジルには中国製の品々がよく目立つ。
 農業大国ブラジルの弱点は、肥料の8割以上を輸入に依存していること。ブラジルでは、サトウキビを原料とするエタノール燃料がガソリン並みに扱われている。エタノールはガソリンよりも3割ほど燃費が劣るが、価格はガソリンの7割ほど安い。
 ブラジルは航空機メーカーがあり、米ボーイング、仏エアバスに次いで、ブラジルのエンブラエルは世界第3位。
 ブラジル人の7割がPIXを利用している。現金を持ち歩く必要がない。
 味の素の社長は、2代続けてブラジル経験者。
ブラジルは150年来、戦争をしていない。だから、世界に平和を訴えることができる。
 ブラジルと日本との関わりも少し知ることが出来ました。
(2024年10月刊。1100円+税)

金子さんの戦争

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 熊谷 伸一郎 、 出版 リトルモア
 日本軍が中国に侵攻し、支配していた地域では、まさしく残虐な行為をしていました。その実行部隊の一人だった金子安次・元陸軍伍長の話が本になっています。
 1920年1月に東京近くの浦安に生まれましたので、1909年生まれの私の父より10歳ほど下の世代です。漁師の次男でしたが漁師にはならず、小さな鉄屋に丁稚(でっち)奉公に出ました。
 浦安コトバでは、目上の人に対して兄貴の意味で「なーこう」と呼び、二人称は「いしや」と呼ぶ。貴様の意味でしょうか…。
 丁稚奉公しているときは無給。月に1回50銭もらうだけ。浅草に行って、漫才か映画を観る。漫才が10銭、映画は15銭。帰りに25銭の天丼を食べる。
 遊廓は吉原は高くて5円。庶民的な玉の井は1円50銭。ただ、これは晴れた日の値段で、雨の日は客が来ないので1円とか50銭と安くなる。
 出征のときは喜んで行った。母親が生きて帰ってこいとこっそり言ったので、軽蔑した。軍隊に行かないと一人前の人間にはなれないという感覚があった。会社から餞別として20円もらった。
日本刀と兵隊は叩けば叩くほど強くなると言われていた。
 兵隊は毎日、上官から叩かれた。
中国人が木に縛り付けられているのを刺突させられた。日本では僧侶していた1等兵がどうしても刺せないといって泣きだした。すると、上官からめちゃくちゃ殴られた。そのうち、その1等兵も平気で刺突するようになった。
 兵隊を戦場に慣れさせるためには、殺人が早い方法だ。これは師団長からの命令だった。初めは人を殺すのは嫌だけど、戦場を経験すると、だんだん人間を殺すことをなんとも思わなくなってくる。人を殺せなくて戦争なんか出来るかという気持ちになってくる。
 人を殺し、家屋をこわして燃やすのを楽しんでやるようになっていった。
4歳の男の子を連れた母親を強姦しようとして抵抗されたので、無理矢理に井戸に投げ込んだ。すると、それを見ていた男の子は、自ら「マーマー」と叫びながら井戸に飛び込んだ。上官が、「武士の情だ。手榴弾を投げ込んでやれ」と命じた。
 いやあ、これが戦場の現実なのですね。まさしく鬼畜の仕業です。
兵士たちが強姦しても輪姦しても軍法会議にかかることはない。
 行軍途中で落伍する兵士が出ても中隊長たちは平気で知らん顔。責任をもたなければいけないのは分隊長。行軍できない兵士は自殺するしかない。手榴弾は2発もたされていて、1発は戦闘用、あと1発は自決用。捕虜になるなということ。
 日本に帰国してから、中国でやっていたこと、とりわけ強姦・輪姦をしていたことを妻や娘に話せるわけがないので、黙っていた。
 そうなんですよね。なので、今でも軍規の厳粛な帝国軍人が中国でそんなことしたはずはない。みんな中国軍のデマだ、プロパガンダと言いはる人がいるのです。
戦争が本当に人間性を喪わせるものだということを実感させられる本です。
(2005年8月刊。1980円)

島津氏と薩摩藩の歴史

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 五味 文彦 、 出版 吉川弘文館
 薩摩藩と島津氏の強さがどこから来るのか、私は前から大変興味があります。
 島津という地名は都城市にあり、そこに島津荘があった。
島津氏も、いろいろ内紛が起きています。総州家と奥州家との争いというのもありました。
 室町時代の遣明船は細川氏が中心で、堺の商人が主導権を握っていた。薩摩の坊津(ぼうのつ)で硫黄を積み込み、島津氏の警護で中国へ渡航していた。坊津は日本の津の一つとされるほど、対明(外)貿易で栄えた。島津氏はまた、琉球貿易を独占していた。
 ザビエルは薩摩出身のアンジローに接し、当時の日本人が名誉を重んじ、盗みに厳しい罰を与え、知識欲が旺盛で、食事は少量で肉食せず、米で作る焼酎を飲み、海岸の砂を掘って温泉に入ると書いた。
 またザビエルは鹿児島で布教を許された。次のように報告した。
 「今まで発見された国民のなかでは最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒のなかには見出せない。日本人は親しみやすく、一般に善良で、害意がない。知識欲が旺盛で、善良で、社交性が高い。」
足利学校の七代の当主は、大隅の伊集院氏の一族。
城下士は半農半士の外城(とじょう)衆中を「肥(こえ)たんで士(さむさい)」と呼んで軽視していた。安永9年、外城衆中を郷士と呼び改めた。
 江戸幕府の初期のころ、島津氏は、日本最大の貿易大名だった。
 薩摩藩は藩士の子弟の教育にも熱心に取り組んだ。子どもは年齢により、二才(にせ)と稚児に分けられた。二才は14.5歳から24.5歳までの青年。稚児は小稚児(6~10歳)、と長(おせ)稚児がいた。小稚児の教育は長稚児が、長稚児の教育は二才が行った。二才たちは互いに鍛錬しあった。
 薩摩藩の産金量は佐渡に次ぐ2位。全国の3分の1の産金国だった。薩摩国で金がとれていたなんて…、知りませんでした。
 島津重豪は、その娘(茂姫)が将軍家斉の御台所になったので、将軍の岳父として権勢を振った。いやあ、これは知りませんでしたね…。
 万延元年(1860年)の8月に生麦事件が起きた。そして、イギリス海軍が鹿児島市中に放火し、3分の1を焼失させた。イギリス海軍はアームストロング砲で砲撃した。薩摩藩は果敢に反撃し、イギリス艦隊も大破一隻、死傷者63人。これに対して、薩摩側は城下の市街地の10分の1が焼失した。しかし、当時、世界最強を誇っていたイギリス軍が退却した結果に世界は驚いた。
 「この戦争によって西洋人が学ぶべきことは、日本を侮るべきではないということ。日本は勇敢であり、ヨーロッパ式の武器や戦術にも長(た)けていて、降伏させるのは難しい」
 長州藩のほうは四国連合艦隊にたちまち砲台を占拠されるなど、屈服させられましたが、鹿児島湾での戦いは「日本が勝った」のでした。
 ざっとざっと薩摩藩の歴史をおさらいした気分です。
(2024年9月刊。2200円+税)

パリ十区、サン・モール通り209番地

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 リュト・ジルベルマン 、 出版 作品社
 もう久しくフランス、そしてパリに行っていません。ひところは毎年のように行っていました。パリ、リヨン、ボルドーそしてモンサンミッシェル、アヌシー、シャモニー、エズなど観光地にも行きました。もはや30年前のことになりますが、フランスに40日間いました。南仏のエクサンプロヴァンス大学での外国人向け夏期集中講座に参加したのです。大学の学生寮に3週間も暮らしました。独身貴族の気分をたっぷり味わうことができました。今はもうそんなことをする元気(勇気)がありません。なんでも思い立ったときにやっておくことだと、今になってつくづく思います(反省しているのではなく、やっておいて良かったという意味です)。
さて、この本に戻ります。パリはパリ・コミューンが戦われた舞台でもあり、この本でも少し紹介されています。
 1870年、ナポレオン3世がプロシアに宣戦布告し、結局、敗北。そこで、パリ市民が決起し、市民軍(国民衛兵)がつくられた。そして、1871年3月、ついにコミューン評議会が成立し、パリを支配した。そこへ、ヴェルサイユ政府軍が攻撃を仕掛けてきた。最新兵器の前に市民軍は次々に敗退していく。このパリ十区でもバリケードが築かれ、激しい市街戦が展開したようです。
 敗れた市民軍は次々に処刑され、ニューカレドニアを流刑地として流されたのでした。
 1942年7月、ナチス・ドイツの支配するパリでユダヤ人狩りが始まった。実行したのはパリ警察で、フランス人警官が動いた。十区については、152の検挙班が組織された。
 7月16日午前9時現在の逮捕者数は4044人。パリ十区の209番地では18人が逮捕された。ユダヤ人住人の多くが一斉検挙を免れた。
 この本は109番地で生活していたユダヤ人一家の行方を丹念に追跡しています。意外なことに絶滅収容所に送られても戦後、生還した人がいました。
 7月16日と17日に逮捕されたユダヤ人は1万3152人にのぼる。この冬期競輪場に7日間、閉じ込められたあと、各地にある収容所に送られた。
 この状況を描いた映画を私は観ました。あまりにも悲惨な状況です。食事はなく、水も不十分。そして、トイレがない(圧倒的に足りない)広場に1万人以上も集められ、7日間を過させられたのです。想像するだけでも恐ろしい状況です。
 そして移送列車に乗せられます。母は無理矢理子どもと離されたのでした。ひどい話です。ひどすぎます。ナチスはユダヤ人を人間と考えていませんでした。
 一斉検挙のとき、幼い子どもは泣きださないように、口にアメ玉を押し込まれ、母親と同じベッドで息を潜めていた。それが生きのびた戦後、大人になって突然に思い出されたりする。思い出したくない過去だけど、つい現れてしまう過去の記憶というものがあるようです。
 映画にもなっているようですが、そちらは観ていません。パリの一区画に住んでいた人々を追跡した貴重な労作です。
(2024年8月刊。3600円+税)

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