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渋谷の街を自転車に乗って

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 苫 孝二 、 出版 光陽出版社
 北海道に生まれ育ち、東京に出てきて、渋谷で区議会議員(共産党)として35年間つとめた体験が素晴らしい短編小説としてまとめられています。
台風襲来で事務所が半休になったので、仕事を早々に切り上げて読みはじめ、途中から焼酎のお湯割り片手にして、一気に読み終えました。心地よい読後感です。でも、書かれている情景・状況は、どれもこれもなかなか大変かつ深刻なものがほとんどです。
 孤独死。死後、3日たって発見した遺体はゴミの山に埋まるように倒れていた。遺体の周辺には、紙パックの水と無数の使い捨てカイロがあった。部屋には暖房器具がなく、これで暖をとっていたのだろう。電気代を惜しんだのだ。室内は、どこもかしこもゴミの山。敷き詰められ、地層のようになっているゴミの山を軍手をはめて取り崩していく。デパートの紙袋は要注意だ。領収書と一緒に1万円札や千円札、そして百円玉や五十円玉などの小銭が出てくる。高齢者祝金の袋が1万円札の入ったまま見つかる。ずいぶん前から、一人暮らしになり、掃除、洗濯、炊事という人間楽し生活する気力を喪ってゴミとともに生きてきたのだ。
 人間嫌いで、近所づきあいなんてしたくないと高言し、ひっそりと生きてきた女性だった。
 アルコール依存症の人は多い。30代で依存症になり、朝から酒を飲み、一日を無為に過ごす、そして、そのことで自分を追いつめ、ますます酒に溺(おぼ)れてしまう40代後半の男がいる。若いころは大工として働いてきたが、失職したのを機に酒浸りになって、そこから脱け出そうとするが、酒を断つと食欲がなくなり、拒食症になって瘦(や)せ細り、それでまた酒に出してしまい、そんな自分が情けないと嘆いている60代の男性がいる。
アルコール依存症の人がアパートの家賃を滞納。当然、大家から追い出されそうになる。そんな人に生活保護の受給をすすめる。知り合いの不動産業者にアパートを紹介してもらう。そして、仕事も世話をする。区議会議員って、本当に大変な仕事だ。だけど、依存症は簡単には治らない。仕事をサボって、迷惑をかけてしまう。
職を転々としたあげく、なんとかスナックを開店し、意気揚々としている男性が突然、自死(自殺)したという。なんで…。
弟が、小さな声で「真相」を教えてくれる。
「兄貴は、二面性のある男なんだ。真面目で一本気なところがあって、ズルイことをする奴は許さないという面がある一方、お金のためなら密漁したり、農作物を盗むのも平気な男なんだ。だから、アワビの密漁をやっていた主犯だとバレそうになったからかも…」
ところが、弟は、次のように言い足した。
「兄貴が遺書も残さず自殺するなんて、考えられない。何か遊び半分で、いま死んだら少し楽になるんじゃないかと、首に太い縄をかけてみた、鴨居の前に立って首を吊るしてみた、そしたら急に首が締まってきて、息ができなくなってしまった。こんなはずじゃない、これは間違いだ、そう思ってもがいているうちに絶命してしまった…」
いやあ、「自殺した人」の心理って、そうかもしれないと私も思いました。お芝居の主人公になった気分で、もう一回、生き返ることができるつもり、自分が死んだら周囲の人間はどんな反応をするのか、「上」から高みの見物で眺めてみようと思って、本気で死ぬ気はないのに首に縄をかけてみた、そんな人が、実は少なくないのではないでしょうか…。自死する人の心理は、本当にさまざまだと思いました。
この14の短編小説には、著者が区議として関わった人々それぞれの人生がぎゅぎゅっと濃縮されている、そう受けとめました。まさしく、人間の尊さと愛しさ、かけがえのない人生が描かれています。東京のど真ん中の渋谷区で、こうして生きている区議会議員であり、作家がいることを知り、うれしくなりました。私も、18歳から20歳のころ、渋谷駅周辺の街をうろついていましたので、その意味でも懐かしい本でした。
著者は、私より少し年齢(とし)下の団塊世代です。ひき続きの健筆を期待します。
(2022年7月刊。1500円+税)

編集者の読書論

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 駒井 稔 、 出版 光文社新書
 私もそれなりに幅広く本を読んでいるつもりなのですが、こんな本を読むと、さすがに世の中には上には上がいるもので、とてもかなわないと思ってしまいます。
私も近く出版社からノンフィクションみたいな本を刊行しようとしているのですが、担当してもらっている編集者とのやり取りは、とても知的刺激を受けます。本はタイトルが決め手になりますので、そのタイトルの決め方、そして、オビにつけるキャッチコピーとして、何を、どこまで書くかについて、その着想のすごさには頭が下がります。そこが純然たる自費出版との決定的な違いです。
 編集者からすると、出版を成功させる条件は二つだけ。一つは、とても面白いこと、もう一つはとても安いこと。私の近刊は、自分では「とても面白い」と思っているのですが、客観的には、どうでしょうか…。そして、安い点について言えば、定価1500円なので学生でも買おうと思えば買える値段に設定しました。果たして、売れますやら…。
 編集者には、作家の書いた文章に手を入れる人と、そうでない人とがいるようです。私は弁護士会の発行する冊子の編集を何度も担当していますが、遠慮なく手を入れるようにしています。だって、漢字ばっかり、見出しもなく、文章のメリハリがない文章をみたら、赤ペンで修正(書き込み)したくなります。抑えることができません。
本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること。たえず本を読んでいると、他人の考えが、どんどん流れ込んでくる。なので、本はたくさん読めばいいということではありません。
まあ、そうはいっても、たくさん本を読むと、それはそれで、結構いいこともあるんですよ。心の琴線にビンビン響いてくる本に出会ったときのうれしさはたとえようもありません。
神保町は世界でも有数の古書街。私も、弁護士会館での会議の後に古書街をぶらつくことがあります。上京の楽しみの一つです。
世界の読むべき本の紹介のところでは、ロシアのトルストイは読んだことがある、フランスのプルーストには歯が立たなかった(『失われた時を求めて』)。
ドイツでは、やはりナチスとの戦いの本ですよね。ドイツ人が知らず識らずにヒトラー・ナチスが降参するまで戦っていたことを全否定するわけでもないということには、いささかショックを受けました。
そして、図書館の大切な役割が語られています。最近は、コーヒーチェーン店のカウンターで原稿を書くことの方が多く、図書館には滅多に入りません。残念でなりません。
自伝文学もあります。私も父母の生い立ちから死に至るまでを新書版で、まとめてみました。そのとき、意外な発見がいくつもありました。
それにしても、著者のおススメの本で私が読んでいないのが、こんなにも多いのかと、ちょっと恥ずかしいくらいでした。でも、まだまだ死ねないということですよね。楽しみながらこれからもたくさんの本を読んでいくつもりです。ちなみに、1年の半分が終わろうとしている今、240冊の単行本を読みました。これは例年並みです。
(2023年3月刊。940円+税)

102歳、一人暮らし

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 石井 哲代 、 出版 文芸春秋
 広島県尾道市の山近くで一人暮らしする102歳の元気なおばあちゃんを中国新聞が連載で紹介しました。
 26歳で結婚、56歳まで小学校の教員。子どもはいなくて、元教員の夫も20年前に亡くなってから、ずっと一人暮らし。
 アニメの映画『この世界の片隅に』の主人公すずさんより5歳も年上。身長150センチ、体重45キロ。食事は、お肉もラーメンも、何でも食べる。好きなのは熱い日本茶。
 健康で長生きするための8つの習慣
 ①朝起きたら布団の上げおろし。…私もしています。
 ②いりこの味噌汁を飲む。…私はニンジンとリンゴの牛乳・青汁です。
 ③何でもおいしくいただく。…私も嫌いなものはありません。
 ④お天気の日はせっせと草取り。…私も日曜日の午後は庭に出て、草いじり。
 ⑤生ごみは土に還す。…私もやっています。
 ⑥こつこつ脳トレに励む。…私は毎朝、フランス語の書き取りをしています。これが一番のボケ防止策です。
 ⑦亡夫と会話する。…私は依頼者と毎日、会話しています。
 ⑧柔軟体操する。…私は寝る前、腹筋・背筋を鍛えています。
 若いころから、ずっと「さびない鍬(くわ)でありたい」と思ってきた。何かしていないと、人間もさびてしまう。体も頭も気持ちも、使い続けていると、さびない。当たり前の毎日に感謝し、ささやかなことに大喜びしている。
 いつも忙しくして、自分を慰める。自分をだましだまし、やってる。悩みはある。悩みごとは日記に書きつける。すると、心がすっとする。生き方上手になる五つの心得。
 その一、物事は表裏一体なので、良いほうに考える。
 その二、喜びの表現は大きく。
 その三、人をよく見て、知ろうとする。
 その四、マイナス感情は、笑いに変換。
 その五、お手本になる先輩を見つける。
 同じ一生なら機嫌よく生きていかんと損だ。心はお月さんのようなもの。満月のように輝きたいけれど、自分のは三日月のように、ちいと欠けている。弱いところを見せて、いろんな人に助けてもらって満月にしていこうと思っている。
私も弁護士50年近くやってきて、今では身近な若手弁護士に法律解釈を教えてもらい、事務職員に諸事万端、支えてもらってやっています。感謝・多謝の日々です。
 もう50年も続いている、「仲良しクラブ」がある。おばあさんたちが集まる。夜は10時に寝て、起きるのは午前6時半。ぐっすり眠り、途中で目は覚めない。ご飯は、1日1合食べる。新聞に虫メガネをあてて、隅々まで読む。いつも身近に辞書を置いている。
 哲代おばあちゃんは、「この時代に戦争なんて、本当に情けないこと」とロシアのウクライナ侵攻戦争を嘆いています。さすが、新聞をしっかり読んでいる人のコトバです。
 最近、病院に入院していたけれど、退院したら、毎日2時間びっちりと電子ピアノを弾いていた。いやはや、そのタフさかげんは、ほとほと頭が下がります。とてもかないません。
 哲代おばあちゃんのふくよかな笑顔の写真は、眺めていると心の安らぎを覚えます。ぜひ、無理なく引き続き健康で長生きしてほしいおばあさんの話でした。
 主体的に自由に、生きる喜びを満喫している哲代おばあちゃんを、みんなで見習いましょう。いつもニコニコして、何かを目ざすのです…。
(2023年3月刊。1400円+税)

少女たちの戦争

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 瀬戸内 寂聴 ほか27人 、 出版 中央公論新社
 瀬戸内寂聴は1940年(皇紀2600年祭の年)に女学校を卒業し、東京女子大に入学した。本人に言わせると、文学サークルもなく、退屈した。恋愛の相手もなく、およそ色気に乏しい青春だった。軍国色一色の青春だった。
 太宰治の『女生徒』を読み、こんなのが小説なら、私にも書ける、小説家になろうかなどと思ったりしたが、一作も書かなかった。
さすがに、たいした自信ですね。
ドイツでユダヤ人が排撃されたおかげで、ユダヤ人の音楽家が数多く日本に渡ってきた。そのおかげで、日本の音楽界は発展した。
 女子専門学校で若い英文科の教員が教室で生徒にこう言った。
 「皆さんは、じきに死ぬかもしれませんね。爆弾が落ちてくれば、そうなりそうですよね」
 「いつ死んでもいいように勉強するという気持でいてください。勉強しておくといっても、あまり時間がないかもしれません。なので、一つずつの詩とか、ほんのわずかなことで、少しでも豊かな心を養うようにしてください」
 「でも、授業中に眠ければ、眠ってもいいのですよ。そして、目が覚めたら、また聴いてください」
 なんと心の優しい教師でしょうか…。これって現代日本の教員のセリフではないのです。戦争中の話ですよ。すごいことだと思います。
 石牟礼道子は、代用教員になって、教室にのぞんだ。父親が戦死する子どもたちが、どんどん増えていく。必ず子どもたちの目つきが変わり、荒(すさ)んでくる。子どもたちの弁当などありはしない。服も靴も、学校に配給が来るのだが、90人ほどのクラスで、3ヶ月に1足来るくらいの割合だ。子どもたちは、やがて裸足(はだし)で学校に来て、暴れるようになった。
 いやはや、とんだ敗戦前の状況です。「戦争前夜」とも言われる現代日本の状況ですから、戦争にだけは絶対にならないよう、反戦、平和の声を市民に強く強く訴えかけていく必要があると、改めて思ったことでした。
(2021年11月刊。1300円+税)

冬のデナリ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 西前 四郎 、 出版 福音館日曜日文庫
 北米大陸最北かつ最高峰のアラスカにそびえ立つマッキンレーのデナリに厳冬登山。まさしく無謀そのものです。マイナス40度、いや50度という厳しい寒さのうえ、峰々に吹き渡るブリザード(嵐)。そして途上の氷河には底知れぬクレバス(割れ目)がある。いやはや、とんでもない冒険をしようという男たちが7人も8人も集まったのです。いえ、初めは賛同者は誰もいませんでした。それがいつのまにか志願する男たちが寄ってきて…。
 メンバーの年齢構成は20代の青年ばかりではありません。最年長は39歳の外科医。身長190センチ、体重100キロです。最年少は22歳のヒッピー・詩人。アメリカ人だけでなく、スイス人、フランス人そしてニュージーランド人もいて、31歳の日本人もいます。この日本人は身長160センチ、50キロと小柄です。
個性豊かな山登りたちが8人もいて、本当に統制がとれるのか、登頂をめぐってメンバー同士が張りあうのでは…、そんな心配もします。
 荷物を確保し、それをきちんと分類して頂上に至るまであちこちに分散して配置します。危険を分散するのです。この食糧確保と輸送を担当したのは、日本人のジローでした。8人分、そして40日分の食糧と装備を山に運び上げるのですから、大変な苦労が必要です。
 零下30度の乾燥しきった空気に寝袋をさらす。これを怠ると、身体が発散する湿気を吸い込んだ羽毛は、やがて氷の玉に固まってしまう。
隊員が2人、氷河のクレバスに落ちた。1人目のアーサーは、なんとか自力ではい上ってきた。しかし、2人目のフランス人のファリンはダメだった。8人のグループのうちの1人が登山途中で死んだとき、その登山は中止すべきなのか、それとも続行してよいものか…。結局、遺体は下のほうに運びつつも、登山を続行することになった。うむむ、難しい選択ですね。仲間の1人が事故死しても、なお登山しようというのですから、並の神経の持ち主ではありません。
氷河の旅が終わると、次はアイゼンの世界。もうクレバス事故という不意打ちを心配する必要はない。軽合金でできた12本の鬼の爪を防寒靴にくくりつける。
 高度の高いところで、口を開けて大きくあえぐのは禁物(きんもつ)。寒気のもとで、水分をすっかり氷雪片にして落としてしまった空気はカラカラに乾燥しており、不用意に深く息を吸うとノドが焼けてくように痛む。
 鼻の高いディブは、鼻の先を凍傷でやられないよう、手術用マスクをかけて用心している。一日の仕事が終わってテントに入る。断熱マットを敷き寝袋を広げてすわりこむ。まず靴下をはきかえて、ぬれた靴下を絞る。足からこんなに汗が出るとはと驚くほど、気密な防寒靴の中で粗毛の厚い靴下は、ぐっしょり汗を吸っている。
 その絞った靴下は、テントの外に出しておくだけでよい。翌朝には、カラカラに乾燥していて、氷の細かい結晶をパタパタとはたき落とすと、すぐに素足にはくことができる。
 食事は乾燥食に頼る。1キロの肉が200グラムのコルクのような乾燥肉になっている。湯の中に、この「コルク」を入れて肉らしい煮物に戻るまで温める。おいしくはない。
 湿度の高い軟雪と違い、大きな雪のブロックから、わずかな量の水しかできない。80度の熱湯をつくるのに、長い時間と大量のガソリンを消費する。体内の水分不足は凍傷になりやすいので、ともかくたくさんお茶、ジュース、コーヒーを飲まなければならない。昼食用のテルモスを用意するゆとりはないので、朝晩に飲めるだけ飲んでおく。登山靴もメーカー特注品。
 先頭の3人は、なんとか頂上にたどり着いた。記念写真をとろうとしても、無線電話機を使おうとしてもバッテリーが厳しい寒さで動かない。零下49度だった。
問題は帰路に起きた。遭難寸前のところ、岩陰で缶詰食品を見つけた。また、別のところにガソリンが4リットル、岩陰に置かれていたのを発見した。こんな奇跡的な発見によって、頂上をきわめた3人組は生還することができたのでした。まさに、超々ラッキーだったとしか言いようがありません。死の寸前で助かったのです。
 いやはや、こんな苦労までしても厳寒の冬山に登る物好きな人たちがいるのですね…、信じられません。まあ、こちらはぬくぬくとした感じで、人間ドッグのあいまにとてつもない緊迫感を味わうことが出来ました…。前から気になっていた本を本棚の奥から引っぱり出して読了したのです。
(1996年11月刊。1700円+税)

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