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編集とは、どんな仕事なのか

カテゴリー:未分類

著者:鷲尾賢也、出版社:トランスビュー
 講談社現代新書の編集長をつとめた著者が編集とは何かを語った本です。モノカキ兼編集のプロを自称する私にとっても大変勉強になったことをまずもって告白しておきます。
 1970年ころ、出版産業はパチンコ業界と肩を並べていたそうです(ホンマかいな・・・?)。でも、今やパチンコ産業は17兆円(20兆円とも)。ところが、出版産業は、せいぜいその1割の2兆円でしかありません。
 本が読まれなくなりました。インターネットのせいとばかりは言えないと思いますし、インターネットが読書に代わるものとも私は考えていません。
 編集者は、人間が好きでないとやっていけない。少年の夢に似た憧れを抱きつづけられる持続力も求められる。あらゆることを面白がれる旺盛な好奇心の持ち主でないといけない。アンテナが四方に感応することが肝要だ。
 具体的な編集技術のノウハウまで公開された本です。大変勉強になりました。

シルクロード路上の900日

カテゴリー:未分類

著者:大村一朗、出版社:めこん
 西安からローマまでの1万2000キロを陸路ひたすら歩いた日本人青年の記録です。西安を出発したのが今から10年前の1994年6月14日。ローマにたどり着いたのが、なんと2年5ヶ月後の1996年11月6日。そして、7年かかって、その旅行記を完成させたのです。うーん、すごい。
 さすがに速読を誇る私も、一歩一歩たどるように活字を追っていく心境になりました。なにしろ、雨にうたれてトボトボ歩いて青年の姿を哀れんで、何台もの車がとまって「乗っていけ」というのを、心を鬼にして全部断り続けたのです。
 もちろん、著者は怖い思いを何度もしています。それでも、ああ、人間って、こんなに心のあたたかい人が一杯いるのか。読み手の心まで温ためてくれるシーンが何度となく登場してきます。世の中には、民族の違いはあっても、人間としての心の優しさは共通しているんだな。そう思わせてくれる、いい本でした。
 今、著者はテヘラン大学に留学中とのことです。こんな大変なことをやり遂げた青年が同じ日本人にいることを知って、私までうれしくなりました。今はやりの自己責任論の原点がここにあると思います。

藍色のベンチャー

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著者:幸田真音、出版社:新潮社
 外資系会社で債券ディーラーなどで活躍したあと、作家に華麗なる転身を遂げた50代初めの女性が、今度は時代小説に挑戦しました。近江商人が湖東焼という染付磁器に手を出し、彦根藩主・井伊直弼も巻きこんで事業を展開していくというストーリーです。歴史の真実は知りませんが、商売の基本もおさえていて、いろいろ学ばされる本です。
 なにより、現代ビジネスの最先端を走ってきた女性が、しっとりとした江戸情緒を見事に描き出しているのに感嘆してしまいました。

物理学者たちの20世紀

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著者:アブラハム・パイス、出版社:朝日新聞社
 私は40歳になってから、年に2回、一泊ドッグに入ることにしています。もちろん、健康状態のチェックが主目的なのですが、気持ちのうえでは同じ比重を占めるものとして、日頃なかなか読めない大部の本を読破する機会を確保することも狙いのひとつです。730頁もあるこの本も病室にもちこんで一心不乱に読みふけりました。1泊2日で、日頃よめなかった大作5冊を読了しました。おかげで、心身をスッキリさせて帰宅できました。
 著者はオランダ生まれのユダヤ人です。非ユダヤ人の恋人のおかげで隠れ家でずっと生活し、その間も物理学を勉強していました。アンネ・フランクの隠れ家とも近かったようです。しかし、ある日、ゲシュタポに踏みこまれ逮捕されてしまいます。ところが、恋人の大活躍おかげで、なんと解放されるのです。信じられないことですが、有能な物理学者だということで、ナチスのお目こぼしがあったのでしょう。
 戦後、物理学の道に復帰し、オッペンハイマーやアインシュタインなど、ノーベル賞クラスの世界の物理学者との交友を深めます。日本の湯川秀樹や朝永振一郎も出てきます。湯川は内気な学者で、黒板の方を向いて話をするので困った。朝永は、日本人物理学者のなかで一番学殖の深い人だった、と述べられています。天才にも様々なタイプの人がいるようです。

中世九州の政治・文化史

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著者:川添昭二、出版社:海鳥社
 14世紀。九州探題として九州を制覇していた今川了俊は足利室町幕府の基礎をつくった武将ですが、同時に二条良基の正風連歌の継承者として、文化の面でも活躍しました。
 和歌と違って連歌は、遊戯性・娯楽性そして一座性があるため、創作と鑑賞を共同で楽しむことができるものですから、堂上貴族から庶民まで、全国的に大流行していました。今日も連歌、明日も連歌といって、連歌にばかりかかわっていたので身代おちぶれてしまった。そんな様子が紹介されています。九州でも、連歌の面白さにはまった人が続出したようです。各地で連歌の会が催されています。京都から連歌の師匠がやってきて、九州各地を巡回していたのです。
 連歌は、戦国期の16世紀に入っても依然として盛んでした。専門の連歌師が九州内を巡回していたのです。決して殺し合いばかりの殺伐な時代ではありませんでした。
 1568年、高橋紹運(立花宗茂の父親)が岩屋城にたてこもり、北上してきた島津の大軍を迎え撃って、壮烈な全員戦死をとげた有名な岩屋城合戦の真相が語られています。すなわち、豊臣秀吉の九州平定戦の前哨戦として島津軍と戦ったことから、高橋紹運が玉砕し戦死しても、その子・立花宗茂は秀吉の直臣となることができ、柳川藩・三池藩が誕生することになったというのです。
 ただし、高橋紹運が40歳とまだ若かったので、臨機応変の謀計を欠いて血気にはやったための悲惨な結果だ。そんな見方が当時からあったことも紹介されています。

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