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近代日本の徴兵制と社会

カテゴリー:未分類

著者:一ノ瀬俊也、出版社:吉川弘文館
 日本人は、世界に類例のないほど、日記をつけるのが好きな民族だと言われています。私自身は小学校のとき、夏休みに絵日記をつけていたほかは、小学4年生の一時期つけていたくらいです(その代わり、読書ノートは大学生以来ずっとつけています)。
 多くの日本兵が日記をつけてことを知ったアメリカ軍は、捕虜だけでなく戦死者の日記も収集し、日本軍の戦略だけでなく日本兵の心理状態まで解読・分析につとめていました。なぜ、多くの日本兵が戦場で日記をつけていたのか?
 実は軍部の方針として兵士に日記をつけさせていたのです。
 日記は兵士を文通どおり型にはめる有効な手段として機能していた。自らの手で教育訓練内容を書きつけ、記憶させるという狙いだった。出世競争にかられていた兵士にとっても、日記の内容は軍隊的価値を自分がいかによく体得しているか、上官に対してアピールしてみせる場でもあった。
 戦前、徴兵忌避・逃亡者はいたが、年々減少の一途をたどっていった。圧倒的多数の成年男子が順々と兵営に向かい、戦争で命を落としていった。そうはいっても、戦前の軍は自己の存在意義、兵役義務を国民が履行することの必然性を、繰り返し社会に対して語らねばならなかった。徴兵制度の正当性は決して所与の前提ではなかったからである。
 この本には戦死者の妻が親からの不当な要求に屈せず、役所に対して扶助料の全額支給を求めてたたかい続けたケースが紹介されています。やはり生活していかなければならないという現実は「軍国の母」を強くしたのです。
 いろんなことを考えさせられる本でした。

赤道の国で見つけたもの

カテゴリー:未分類

著者:市橋さら、出版社:光文社
 日本の女性はえらい。こんな本を読むと、私は心底から確信します。といっても、ここでは日本人男性がつれあいとして登場はしているのですが・・・。
 22歳の日本人の独身女性がアフリカ・ケニヤへ単身出かけます。そして、ケニヤのスラム街へ足を踏み入れるのです。たいした勇気です。いったん帰国し、自分をみがいて、再びアフリカ・ケニヤへ出かけたのです。すごいですね。単なる好奇心だけでは、とてもこういうことはできません。
 スラムでは大人たちが平気で嘘をつく。自分を正当化するため、人から同情されるよう、何でも言う。だから、子どもたちも嘘をつくことはあたりまえのことと思っている。
 優秀な子どもも、ストリートチルドレンになって大きくなると、悪い方へその頭脳をつかってしまう例がスラムの子にはよくある。
 スラムの子は、今度いつ食事ができるか分からないという恐怖心から、過食になるか、反対に、まともに食事をしたことがないため胃が小さくなってしまってよく食べられなくなっている。
 スラムでは売春も多い。母親が娘に売春させて現金を得るのは珍しくない。成人した女性はエイズ感染者が多いため、少女売春も盛んだ。
 貧しくてかわいそうだからということでスラムの子にお金を与えて甘やかすと、子どもの心を傷つけ、内面からダメにしてしまう。人はもらうことより、自分の手で生きることを学ぶことが大切だ。どんなに貧しくても、母親や兄弟と一緒に暮らすことの方が大切だ。
 スラムに生きる子どもたちに共通しているのは、とても頑固で粘り強い性格がということ。生まれてから何ヶ月間も、栄養らしい栄養も与えられずに生き抜いた子どもたちは、生きようとする強い意志があった。つまり、人一倍強い意志をもち、頑固な性格だからこそ、彼らは生き延びられたのだ。スラムでは生き抜くためには、人一倍強い意志と、自己を貫き通す強さを持っていなければ、人生につぶされてしまうのだ。
 ケニヤでは弁護士であっても、一度失業すると、なかなか再就職できない。えっ、そうなの・・・、と驚いてしまいました。
 ケニヤには貧しい子どのたちの入れる幼稚園をつくり、トイレのつかい方、身体を清潔にすること、そして英語を話せるようになることなど、現地のスタッフとともに教育実践をしている話です。もっともっと、こういう分野で多くの日本人が活躍するようになったらいいなと、つくづく思いました。
 年齢(とし)をとってアフリカまで出かける勇気のない私ですが、なんだか私にまで生命力を分けてもらった気がしました。読んでいるうちに身体の芯があたたまってきました。

細胞紳士録

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著者:藤田恒夫、出版社:岩波書店
 人間の身体は、まさに精密な化学コンビナートの工場群だとつくづく思います。誰が、どうやってこれらの工場群を全体的にコントロールしているのか、考えれば考えるほど訳が分からなくなります。
 この本はカラー版ですから、実にカラフルに人間の身体を構成する細胞をことこまかく見せてくれます。たとえば脂肪細胞です。脂肪滴を取りかこむように細胞質があります。血液からの情報に応じて、また神経の刺激を受けて、敏捷に在庫の出し入れをしています。脂肪細胞はレプチンというホルモンを出す。肥満するとレプチンによるブレーキがかかるので、正常な人では多少食べても体重がほぼ一定に保たれる。
 肝臓を全部とり去ると、主人は死ぬしかない。しかし、10%も残せば主人は生き返ることができる。残った肝細胞は分裂・増殖して、大きな肝臓をつくる。そして、正確にもとの大きさに達すると、ピタッと細胞増殖が止まる。肝細胞は旺盛な再生力と、精密な自己抑制力を兼ねそなえている。
 視細胞の話のとき、寺田寅彦の「とんびと油揚」が話題になっています。ヒトでは直径2ミクロンの外節が1平方ミリに15万個。ところがタカでは、太さ1ミクロンの外節が100万個もある。だから、タカの視力はヒトの6〜7倍はある。これを考えたら、トンビはネズミを見つけるのは容易だ。こんな話が紹介されています。
 カラー写真を眺めているだけでも楽しくなります。また、人間って実に不思議な生き物だとつくづく考えさせてくれる人体の細胞図です。

憲法で読むアメリカ史

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著者:阿川尚史、出版社:PHP新書
 アメリカの歴史を憲法をとりまくエピソードを紹介しながら語る面白い本です。福岡の藤尾順司弁護士に読むようにすすめられました。
 アメリカの先住民であるチェロキー族は銃をとってたたかう代わりに裁判所でたたかいました。白人の弁護士に依頼して裁判をすすめ、合衆国最高裁まで進んで勝訴したのです。ところが、現実には実力で土地から排除されてしまいました。しかも、勝訴はしたというので、白人の弁護士はチェロキー族に対して法外な弁護費用を請求したというのです。
 アメリカでは昔から黒人差別が根強いものであったことも証明されています。
 1857年の連邦最高裁は、黒人はアメリカ市民でないとして、次のように述べました。
 黒人は一段低い劣った人間であり、優勢な白人に支配されるべき存在である。彼らはあまりにも劣っているので、白人が尊重すべき権利を一切有していない。黒人が奴隷の境涯に置かれるのは、彼ら自身のためにいいことなのである。
 1858年夏、奴隷制度の存廃をかけてリンカーンとダグラスの2人が公開で対決討論しました。このときには、徒歩、馬、馬車、特別列車をつかって1万人が集まり、会場は立錐の余地もありません。聴衆は3時間立ちっぱなしでした。考えてみてください。マイクもスピーカーもない、肉声のみの討論なんです。聴衆は耳をそばだてて2人の演説を聞くしかありません。すごいことですよね。今なら1万人コンサートは珍しくもなんともありません。でも、マイクもスピーカーもアンプもなしで、地声のコンサートに1万人も集まるなんて考えらないことですよね・・・。

お家相続、大名家の苦闘

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著者:大森映子、出版社:角川選書
 実に面白い本です。大名家の相続って、現代日本の大企業において社長を世襲させるか、それとも有能な人間を導入するのか、いつも話題になっているようなことをずっとやっていたんですね・・・。
 お隣の韓国では、養子といっても、血のつながりのない人は考えられないということですが、日本は昔も今も融通無碍です。それがどうしてなのか、この本を読むとよく分かります。
 大名の当主が17歳未満で亡くなったときには、原則として相続が認められず、お家断絶となる危険がありました。幕府が建物上からは一貫して17歳にこだわり続けましたが、それは一人前の大名として、将軍にお目見えを果たし、一人前の大名として将軍への奉公を約束する。そういう奉公を前提として将軍は大名に相続を認め、領知支配を認可するという関係を維持したかったからです。
 現実に問題を複雑にしたのは、大名の子女が早死することが多かったという事情があります。たとえば、岡山藩の池田綱政の実子は40人いました。ところが、10歳をこえたのは、男子5人、女子7人のみでした。そこで、家督相続させるつもりでいた子どもが急死したときに、問題が発生します。たとえば、跡継ぎの確定していない大名が、参勤交代で郷里に帰るとき、帰国の途中で死亡したときに備えて幕府老中に仮養子願書を預けておくという制度がありました。
 さらに急養子(末期養子)という制度もありました。大名や旗本が臨終間際の病床から養子を指名し、幕府に相続を願うことのできる制度です。
 実際には、大名が死亡し、それを秘して、あたかも生きているように見せかけて急養子を指名するということが横行していたというのです。もちろん、幕府老中も承知のうえです。急養子願の大半は、実際には大名が死んでしまってからのものだろうということです。これを「公辺内分」と呼んでいました。公辺とは内緒のことです。つまり、幕府へは無届けの形で、内々に亡くなった当主の身代わりを立てるという手段です。このため、つじつまあわせが必要となってきます。年齢をごまかしたり、兄弟をいれかえたり、さまざまな苦労・工夫がなされました。
 肥後人吉藩相良家では当主が次々に若死にして、10年間のあいだに4代も替わるということがおきました。このとき、養子は、まったく相良家とは無縁の人たちでした。お家断絶の危険が迫っているとき、血縁かどうかはどうでもよかったのです。
 養子を迎えいれるとき、3500両の持参金を条件としていた話も紹介されています。経済的に苦しかったので、それなりの持参金を要求したというのです。
 将軍の息子を養子としてもらってほしいという話があっても、大名側から断ることは可能でした。それ自体は不敬にあたらないというのです。老中水野忠成が将軍家斉の子女の養子問題に関わっての発言です。
 大名の子女の公的年齢や死亡月日の操作は日常茶飯事でした。
 なんだか、今日の日本の大会社で内紛が起きたときの話のようですよね・・・。

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