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日本語の発音はどう変わってきたか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 釘貫 亨 、 出版 中公新書
庭をヒラヒラと舞い飛ぶチョウチョ(ウ)を、昔は「てふてふ」と書いていた、というのは有名な話です(きっと今どきの若い人は知らないのでしょうね…)。
平等、如来(にょらい)、男女(なんにょ)、これら仏教用語は呉音(ごおん)。仏教を中心に、5~6世紀の中国六朝時代の漢字音のこと。8世紀の唐代長安音は漢音(かんおん)。   
漢音は、内裏(だいり)、図書(としょ)、経典(けいてん)、古文(こぶん)など。日本を「にほん」「にっぽん」と読むのは「日」を呉音で読んでいる。漢音では「日」は「ジツ」。ここから「ジパング」が出てくる。
奈良時代のハ行音はパ、ピ、プ、ペ、ポに近かった。古代日本語にhの音は存在しなかった。平安時代はじめの「ハ」の音は「パ」より「ファ」に近い音だった。戦国時代にやってきた宣教師によるキリシタン資料では、鳩はファト、光はフィカリと表示されている。
平安朝の桓武天皇は、呉音ではなく漢音を学ぶよう命じたが、失敗した。呉音は、仏教と日常生活に染みついていたから。
東京語が成立したのは明治30(1897)年ころ。江戸末期までは混乱していた江戸東京方言がようやく東京語に集約した。
漢字、ひらがな、カタカナそしてローマ字と、日本の文章には4種類の文字が混在している。これほど複雑な文字体系は世界に類をみない。このような世界一複雑な日本語の文字体系は平安時代に始まった。
9世紀半ば以降、日本の知識人は、漢字漢文、ひらがな、カタカナを自由に使いこなしてきた。
藤原定家は、和歌を書くのに総仮名を漢字かなまじりに変えた。歌意の理解のしやすさを重要視した。
この本によると、五十音(あいうえお)は純日本製だと思っていると、実はインド製だそうです。円仁がインド人僧(宝月三蔵)が口伝を受けて日本にもち帰ったというのです。
英語で「円」をyenと表記するのは、日本人が「y音」を自覚しないまま、「え」を「yen」と発音しているからだというのにも驚きました。日本語にまつわる面白い話が満載の新書です。
(2023年7月刊。840円+税)

灰色の地平線のかなたに

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ルータ・セペティク 、 出版 岩波書店
 バルト三国の一つ、リトアニアの15歳の少女がスターリンのソ連によって母国を追い出され、シベリアまで追いやられて辛じて生きのびたという実話にもとづくストーリーです。
リトアニアと日本の結びつきですぐに思い出されるのは、1940年、リトアニアの首都カウナスにいた日本人外交官・杉原千畝(ちうね)がナチスドイツのユダヤ人迫害の前に、6千人ものユダヤ系難民に対して、日本を通過するためのビザを発給し、アメリカなどへの亡命を助けたことです。スターリンは、ヒットラーと手を結んで、このバルト三国をソ連の領土とし、そこの知識人たちを邪魔者扱いにしてシベリアに追放したのでした。
 ソ連の秘密警察NKVDが突然、リストにあがった知識人の家に乗り込み、20分の猶予で有無を言わさず連行していきます。行先は告げられません。入れられたのは貨車、家畜運搬用です。1両に何十人も詰め込まれ、トイレは床にあいた穴を利用するしかありません。水と食料も満足には与えられません。途中で死んでくれたら、手間が省けてちょうど良いとNKVDは考えている様子。著者は母と姉の三人、いつも一緒に行動することにします。貨車には、外から「泥棒と娼婦」とペンキで表示されていることを知らされます。
列車は、ついにシベリアにたどり着き、そこの収容所での生活が始まります。
 NKVDは、著者たちに署名を迫ります。ソ連に対する国家反逆罪で有罪であることを認めること、犯罪者として25年の刑に服することです。
 とても認めるわけにはいきません。でも、認める人がついに続出します。どうしたらいいのでしょうか…。
リトアニアの人々がシベリアへ大規模な追放されたのは、1941年6月14日に始まった。追放されたリトアニア人は、10年から15年という年月をシベリアで過ごした。1953年にスターリンが死亡すると、ソ連の政策が変わり、シベリアで生きのびていたリトアニア人の1956年までに解放され、故郷に戻ることができました。
 しかし、故郷のリトアニアにはソ連の人々が勝手に占有していたのです。そして、不平不満を口にしようものなら、NKVDの後身であるKGBによって逮捕・投獄されかねません。だから、人々はシベリアでの体験を表向きに語ることは許されなかったのです。
バルト三国は、このソ連支配の時代に人口の3分の1以上を喪ってしまいました。
 この本は、いろんな人の実体験を総合した創作ですが、最後に登場するサチデュロフ医師は実在した医師とのこと。この医師が北極圏の収容所を訪れ、壊血病などで生命の危機に頻していた多くの人々をギリギリのところで救ってくれたのです。
お盆休みに400頁ほどの大作を必死の思いで読みすすめました。ヒットラーのナチスも絶対に許せませんが、スターリンの悪虐さもヒットラーに匹敵するものがあると実感させられました。いずれも、同時代の人々は強力なプロパガンダによって、この二人の「悪魔」を救世主であるかのように「敬愛」していたのです。まことに宣伝の力は恐ろしいです。
 アメリカのトランプ前大統領が自分本位の政治をして、一般国民に対して、いかにひどいことをしたか、客観的に明らかだと思うのですが、トランプ支援層には、まったく目に入らないそうです。同じことは、日本でも、自民・公明の大軍拡政治に「仕方ない」と多くの国民が思わされている現実があります。真実を見抜く目をもちたいものです。
(2012年1月刊。2100円+税)

チャリンコ日本一周記

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川西 文 、 出版 連合出版
 23歳の神奈川県の女性が自転車に乗って日本一周の旅に出る。それだけでもすごいことなのに、なんと2年半もかけて日本を一周したというのですから、圧倒されます。もちろん、一ヶ所に何ヶ月もいて、働いたりもしているのです。
 気になるお金(費用)は、40万円を貯め、かかった費用は100万円。つまり、旅の途中で60万円も稼いだのでした。ただ、100万円のうち20万円は自宅その他に送ったプレゼント代なので、実際につかったのは80万円。そして、これには、ニセコで半年のあいだ働いた稼いだ分は、すべてスキー代や欲食費に充てたので、含めていない。いやはや、これもすごい。
 詳細な旅日記になっていますが、これは、本人(著者)が自宅へ書いて送った記録をもとに再現しています。出発のとき猛反対していた両親も、旅の途中から送られて来る旅の様子を書いたものをずっと楽しみに読んでいたそうです。それは、安心ですよね。帰宅したあと、著者は半年かけて本書を書きあげたとのことです。
 この旅は、1992年5月に始まり1994年12月に終わっています。ですから、もう30年以上も前のことです。当時23歳ですから、今は55歳でしょうか。元気に今も活躍しておられることでしょう(どこで、何をしてますか?)。
それにしても、23歳という独身女性が一人で自転車に乗って、怖い目に遭わなかったのでしょうか…。ところが、変なおじさんから危ない目に遭おうとしたことはあったようですが、全国至るところで声をかけられて、基本的に安全・安心な旅を続けることができたのでした。もちろん、落雷や台風、そして海中であわや遭難という大自然の脅威にも接していますが、そこも運の良さで乗り越えたようです。今でも同じことをしたら、各地に受け入れてくれる家庭はあるのでしょうか…。
 「私は女で良かったと思う。女だからと、ずい分得(トク)している気がする。珍しがられ、大変だろうと親切にされることが多かった。夜、寝るときに、男の人よりちょっと余計に緊張はしたけど…」
 旅の最終盤で、著者は26歳になりました。
 「25歳を過ぎて、もう売れ残って捨てられる年齢になってしまった。でも、私は、青春を大いに楽しんでいるのだ。これだけは胸を張って威張れる」
 どんなところに寝泊まりしていたのか…。もちろん、テントを張ってのことも多いのですが、安い民宿(素泊まり2500円とか…)やユースホステル。今では、ユースホステルって見かけませんよね。私も大学生のころ、1回だけユースホステルに泊った気がします…。それがどこだったか覚えていませんし、単なる思い込みかもしれません。
 そして、北海道には、二輪の旅行者には、無料宿泊所まであったのでした(今も、あるのでしょうか?)。
 このころは、チャリタン(チャリンコ旅行者)、原チャリダー(原動機付自転車での旅行者)、そして徒歩さらには鉄道に乗って全国一周している若者があふれていましたよね。北海道では「カニ族」が有名でした。今でも、たまに自転車で旅行している様子の若者は見かけますが、減りました…。
 著者が自宅に戻ってきたとき待っていたのは「日本一周自転車一人旅、GOAL、おめでとう」の横断幕でした。すばらしい。読んでいて、元気の出てくる旅行記でした。
(1995年9月刊。2000円)

サハラてくてく記

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 永瀬 忠志 、 出版 山と渓谷社
 アフリカのサハラ砂漠を日本人青年がリヤカーをひっぱりながら1人で横断した体験記です。信じられません。
古い本です。1994年10月に出版されていて、アフリカをリヤカーで横断(縦断か)する旅を出発したのは1989年6月のこと。そして、最終目的地のフランスのパリに着いたのは翌年の6月でした。このとき著者は33歳。高校での教員生活4年を経て、貯金300万円をはたいて旅に出たのです。
サハラ砂漠をリヤカーで旅をすると、どうなるか…。砂嵐に見舞われる、何もかもが砂だらけ。リヤカーの中から、耳の穴、髪の毛まで砂だらけ、目を細くして砂が入らないようにする。ターバンを頭に巻いて歩く。
 顔中がヒゲ面の青年が砂漠でリヤカーをひっぱっている写真が本の表紙になっています。柔らかいフワフワの砂地がある。リヤカーがぐっと重くなる。力いっぱい引っぱる、汗ダクダクだ。腕は汗をかいて塩で白くなる。シャツも塩分で白くなる。リヤカーの車輪が砂にはまり込んで、どうにも動かない。板を敷くことにする。2枚の板を1列に置き、片方の車輪を乗せて前へ引く。2枚目の板まで引くと、後ろの板を前へ持ってきて置く。また、前へ引く。また、後ろの板を前へ置く。もう片方の車輪は砂にめり込んだままだ。
 1回で1m80cmだけ前進する。10回くり返して18メートルの前進。100回くり返して180メートルの前進。200メートル進むのに40分から50分かかる。夕方5時半まで歩く。そこでテントを張る。ハードな1日だった。
朝食のあと、また歩き出す。周囲の地平線を見渡し、ふと我に返る。周囲は砂漠のみ。誰もいない。一人ぼっちだ。朝、起きたときの気温は13度。日によっては5度まで下がって、冷え込む。
何を求めてサハラ砂漠に来たのだろう…。目の前にあるサハラは、ただ砂と太陽の地獄のような姿しか見せてくれない。
歩いている時間だけで6から8リットルの水を飲んでいる。朝食と夕食で使う水も入れると、1日に10リットルの水を使っている。
こうやって、砂漠のなかを1週間も歩いたのです。とてもとても信じられません。たまに砂漠を車で走る旅行者から水や冷えたビールをもらったこともあったようですが、このたくましさ、精神力には、圧倒されすぎて声も出ません。
ケニアを出発して西の方へ行って北上しています。リヤカーを引きながら1日に40キロも歩いたというのです。これまたそのタフさに息を呑みます。タフとはいうものの、何回も下痢をして1時間おきに便所にかけ込んだこともあります。そして、途中でマラリヤにもかかりました。また、リヤカーもパンクして、その修理をしたり、タイヤを交換したり、大変です。
靴は5足を、それこそ履きつぶしました。傑作なのは、この5足を途中で捨てないで、5足全部を写真にとっています。また、ボロボロになったシャツ5枚を並べた写真もあります。見事にボロボロのシャツです。
33歳の日本人青年ですが、パリに着いたときの写真では、まるでライオン丸のように濃いヒゲの中に顔があるという感じです。
このヒゲがなければもっと若く見られて、危い目に遭ったのでしょうね。ともかく、1年後、無事に日本に戻れたというので、ホッとする旅行記でした。
(1994年10月刊。1700円)

江戸の実用書

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 近衛 典子 ・ 福田 安典 ・ 宮本 裕規子 、 出版 ペリカン社
 江戸時代は寺子屋が繁盛していたことで知られるように識字率はとても高かった。なので、人々はたくさんの本を読んでいた(買う人より借りて読む人のほうが多かった)。
江戸時代を代表する百科辞典は『和漢三才図会(さんさいずえ)』(寺島吉安、1712年)。中国の『三才図会』にならって漢文の解説文で図解されていて、105巻もある。
江戸時代の国語辞書は『節用集』といい、室町時代に成立したものが、増補されていった。日常語を「いろは」に分け、さらに部門別に言葉を配列し、用字や語義、由来を説明している。
驚くべきことに、江戸時代はパロディ本がブームだったのです。「仁勢物語」(伊勢物語)、「尤之双紙(もっとものそうし)」(枕草子)、「偽紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」(源氏物語)が有名…。
江戸時代はガーデニング(園芸)が大人気でした。なかでも朝顔は、3回もピークを迎えるほど人気を博しました。その朝顔は、変化(へんげ)朝顔を主としています。花や葉や蔓(つる)が変化したものです。今や、まったく見かけません。私も毎年、朝顔のタネを店で買ってきて、植えています(夏の日の毎朝の楽しみです)。でも、昔ながらの鮮やかな赤い朝顔が一番です。
 浮世絵にも、変化朝顔が描かれています。たとえば、1本の苗から赤色と青色の花が咲いているというものです。
 江戸時代の男子が身につけるべき教養として、読み書き学問は当然として、謡(うたい)、漢詩、和歌、連歌、俳諧、茶の湯、生け花、囲碁将棋があった。茶の湯や生け花は、江戸時代には、しかるべき家柄の男性に求められた必須の教養だった。
 江戸時代の女性が使用する文字と男性の使用する文字は異なっていた。女性は大部分が「かな」で、一部に漢字が混ざった「和文体」を用いる。男性は主に漢字による「準漢文体」を使用した。なので、往来物には女性を対象とした女子用往来物がある。
世の中には、いかに知らないことが多いものか…。呆れるほどです。
(2023年7月刊。3300円)

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