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馬・船・常民

カテゴリー:未分類

著者:網野善彦、出版社:講談社学術文庫
 奈良時代、大きなお寺が金貸しをしていたという話がでてきます。人に貸せるお金は神や仏のもの。仏や神のものならば、貸して利息がとれる。だから、意識的に銭を神仏のものにすることによって、自由に投資・貸借できるものになる。だから勧進という形態をとる。うーん、そうなんだー・・・。
 平安時代の遊女の社会的地位はかなり高かったという話も出てきます。
 貴族が自分の母親は遊女の出だということを系図に平然と書いていた。遊女の子どもでも、徳大寺実基は従一位太政大臣になっている。
 女性は、昔も今も平気で一人旅に出かけていた。旅に出たとき、たまたま一緒になった男性と関係しても何もとがめられることもなかった。現代日本でも、地方によって二腹(ふたはら)、三腹(みはら)という言葉がある。これは何人の男の子どもを生んだかということ。日本は、性に関して、昔からおおらかな国なのだ・・・。
 このほかにも、いろんな面白い話が盛り沢山です。なかでも私の興味をひいたのは名前の話です。氏の名前は、天皇という称号が確定したころ、天皇から与えられる形になった。そして、戸籍をつくって、国家の支配下に入ったすべての人の氏名・姓名を全部書き上げようとした。逆に、天皇は氏名・姓を失うことになった。
 律令国家が確立して以来、天皇には氏の名前も姓もない。天皇は氏名を与える立場に立ったが、自分には与えてくれるものがない。中国だったら天が皇帝の地位を与えるが、日本の天皇は天命思想を注意深く避けているので、そういうわけにはいかない。それで天皇の氏名はなくなった。
 皇太子が論文を書くとき、名字がないので、徳仁だけでは格好がつかないから、徳仁親王と署名した。しかし、これは本当におかしい。自分に敬称をつけるようなものだから。
 なるほど、天皇には氏(名字)がないのか・・・。その理由を初めて知りました。
 次に庶民です。15世紀になると、一般の百姓、平民は実名を名乗らなくなる。氏名も実名も、もってはいるけれど、公式には名乗らず、二郎、五郎太夫などの仮名(けみょう)だけを使うようになった。それを江戸幕府が制度化して、百姓は、実名、苗字、氏名を公式には名乗ってはいけないことになった。だから、公式な文書に、百姓や一般平民は実名を名乗れない。しかし、実際には、苗字も実名ももっていた。だから、お墓には苗字を書いていた。なるほど、なるほど。私の長年の疑問のひとつがやっと解消しました。
 江戸時代が終わって明治になって、一般平民はそれまで苗字をもっていなかったので、あわてて苗字をつくったという説明を聞いてきましたが、私は本当にそうなのかという疑問をもっていたのです。私の先祖は「由緒正しい」百姓(農家)の生まれですが、江戸時代以前から上杉謙信の落ち武者伝説を引きずってきています。それなのに、明治時代まで苗字がないなんて、おかしいと思ってきました。名前のこともよくよく考えさせてくれる面白い本でした。

自衛隊、知られざる変容

カテゴリー:未分類

著者:朝日新聞取材班、出版社:朝日新聞社
 なんだか防衛庁のホームページを読んでいる気がしてくる本です。本文450頁の分厚い本ですが、残念なことに内容は薄っぺらです。やはり自衛隊にヨイショするばかりでは物足りないという典型みたいな本でした。
 後藤田正晴元副総理はインタビューで次のように語っています。
 米国依存だから、戦後の日本には政府全体の情報機関が育たなかった。国の安全は全部米国任せだから、いまのように属国になってしまった。
 (サハリン沖で大韓航空機がソ連戦闘機に撃墜された事件でも、自衛隊がソ連の無線を傍受した記録を先にアメリカに報告したのを知って)、本当に腹が立った。米国が先、日本が後なんだ。これでは米国の隷下部隊ですよ。こんな自衛隊ならいらんと言ったんだよ。
 私もまったく同感です。ところが、この本には残念ながらまったくそのような視点が欠落しています。自衛隊のエリートたちがトクトクといかに自分はアメリカ軍の幹部たちと交流があるかという自慢話のオンパレードです。
 自衛隊の装備や軍需産業についても、その問題点に迫ったとは言えません。私が最近読んだ新聞記事を次に紹介します。
 80年代の防衛費は10年間の合計で30兆5千億円。それが90年代には46兆8千億円と1.5倍に増えた。90年代に90式戦車が300両(3千億円)、イージス艦6隻(8千億円)が配備された。いずれも対ソ戦への備えである。ところがご承知のとおり、ソ連は90年代に入ってすぐに崩壊してしまった。しかし、政府は、以前の計画に従ってそのまま製造し、配備し続けた。北海道に配備された90式戦車は重さが50トンもあるため、北海道では、戦場になりそうなところへは特別に頑丈な橋や道路をつくった。しかし、対ソ戦の心配はなくなった。でも、本土にはこの戦車を通せる橋も道路もないから、北海道に置いておくしかない。ソ連の崩壊する前に配備したのは全体の1割の30両だけで、あとは相手がいないと分かっても配備し続けた。
 イージス艦は対ソ戦用の最新鋭の軍艦だが、実は第1号艦が最初に配備されたのが93年。つまり、ソ連崩壊の2年後だった。いま、イージス艦はインド洋でアメリカの軍艦に重油を供給する日本の給油艦を護衛することに使われている。おそらく世界で一番コストの高い給油活動だ。
 このような莫大な税金の無駄づかいが堂々となされていることを、どうしてマスコミは取材して報道しないのでしょうか・・・。小さい無駄づかいには目くじら立てるのに、何千億円というと、なんでもないことのように見逃してしまうなんて、おかしなことです。そもそも、いったい軍隊というのは本当に国民を守るものなのか、歴史をふり返ってみて国民を守ってきた事実があるのかという根本問題をぜひ視野にいれてほしいものです。
 いま、日本の自衛隊員は24万人。警察の25万人に次いで大きな組織です。その自衛隊のトップ制服組が堂々とマスコミに登場するようになったのは、イラク・サマワへの派遣からではないでしょうか。憲法9条2項を廃止してしまったら、日本は海外に出かけて戦争する国になってしまいます。恐ろしいことです。
 いつもいつも自衛隊の提灯もちの記事ばかり読まされ、いい加減ウンザリします。

対テロリズムの戦略

カテゴリー:未分類

著者:佐渡龍己、出版社:かや書房
 2004年から2005年まで、1年2ヶ月、イラクのバグダッドに滞在していた経験にもとづく本です。著者は防衛大学校を卒業して陸上自衛隊に入り、在イラク日本大使館に勤務しました。
 著者は対テロリズムの戦争においては、人を殺さない戦争を考えるべきだと、再三再四、強調していますが、軍事には素人の私も、まったく同感です。
 テロリズムは心の戦争であり、勝敗はつかない。民衆はもちろん、敵を殺しすぎることは、テロリズム戦争を泥沼化する結果となる。報復の悪循環を避けるために、テロリストは殺してはならない。
 アメリカ軍はテロリストとイラクの民衆を殺しすぎた。このため、イラク民衆のアメリカ軍に対する憎しみは日ごとに強くなっている。これが、テロリズムをなおさら苛烈にしていく。アメリカ軍は、イラクにおけるテロリズム戦争をおさめることができない状態に陥っている。
 それより、テロリストを逃がしてやることだ。民衆によってテロ戦争に勝利をおさめる。テロリズムは、民衆によってあぶり出すに限る。民衆の心をつかんだものが勝利をおさめる。
 なるほど、なるほど。私も本当にそう思います。
 日本はテロリストの攻撃目標となる可能性がある。テロリストは、弱いところ、宣伝効果のあるところ、政治的に効果の高いところを攻撃する。日本は、この三点を備えている。日本本国、サマワへの自衛隊、在留邦人は、他国に比較して弱い。宣伝効果も高い。
 バグダッドの日本大使館には、自衛隊を退官し、民間の警備会社に所属している4人が派遣されている。平均年齢56歳。
 これは、いわば戦争請負会社のような警備会社ですよね。
 テロリストは尽きない。テロリストとなる原因が克服されない限り、同じ考えをもつ者が生まれる。テロリズムは再生産される。
 アメリカの真似を日本はしてはならないとされています。まったくそのとおりです。心ある人の考えは一致することを知って、私はうれしくなりました。好戦派の自民・民主の若手国会議員には、ぜひ読んでもらいたい本です。

転落弁護士

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著者:内山哲夫、出版社:講談社
 私と同じ団塊世代。警視庁(事務系)に入ったものの、司法試験を目ざして退職し、一回で司法試験に合格(30期)。東京・銀座に事務所をかまえ、夜の銀座で豪遊をしているうちに筋の悪い事件に手を染めるようになり、ついに5000万円の詐欺罪で逮捕される。温かい先輩・同期の弁護士たちの活躍で執行猶予5年の温情判決を受けたものの、事件屋と組んだ大企業相手の恐喝事件が発覚して懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け、甲府刑務所に4年ほど服役。いまは法律事務所の調査員をつとめている(調査員とは一体何をするのだろうか・・・?)。
 金もうけのために弁護士になろうという浅ましい根性こそ、転落する伏線だった。法律を金もうけの道具に使おうという浅ましい心が、結局、身を滅ぼすことになってしまった。
 夜の銀座で消費したお金は、おそらく1億円は下らないだろう。
 弁護士は、やはり銀座に法律事務所を構えている方が断然、受けが違う。「銀座の先生ですか、さすがですね」となり、同じ東京でも池袋とは格段の落差がある。
 裏筋の連中のヤバイ仕事を、イエスと言って悪徳弁護士の道を歩むことも、ノーと言って弁護士の良心を守りつづけることもできず、弁護士の良心の残骸と顧客失うことの恐れを引きずって、優柔不断のままこれを引き受けることが転落弁護士への道を歩むことになる。
 この本を読むと、弁護士が転落して道筋がよく分かります。銀座には縁のない私にも反省させられるところはありました。
 後半は、刑務所生活が生々しく描かれています。刑務所は静かなところだと思っていましたが、どうも違うようです。騒音地獄だということです。収容者がラジオのボリュームを最大にして聴くからです。
 そして、刑務所にも独特のヤクザがいて、収容所を支配しようとします。
 刑務所ヤクザというのは、実におかしな連中で、刑務所ではカタギはヤクザに奉仕するものと思っている。カタギの食い物を取りあげるのが刑務所ヤクザの楽しみの一つで、死守しなければならない特権だという。
 著者はこれにあえて反攻したため、とんだ陰謀に巻きこまれてしまいます。
 刑務所で収容者をいじめたり虐待するのは看守ではなく、同じ収容者である。もし収容者の自治にでもまかせてしまったら、ろくでもない連中の支配する地獄と化するだろう。
 これを読んで、ナチスの強制収容所を思い出しました。ナチスは収容所内の生活はかなり「自治」を認めていました。そのため、囚人頭などの横暴がひどかったというのです。
 著者が仮釈放で刑務所を出てから働きはじめたところで、ひどいタコ部屋的な、奴隷のような扱いを受けたことも明らかにされています。
 出所した人間の再犯率が高いのは、刑務所の処遇に問題があるのではなく、むしろ社会の受け入れ体制にある。刑務所を出所したばかりの者に対して、刑務所以上の酷な仕打ちをする雇用主があまりにも多い。なるほど、と思いました。
 いずれにしても、この本によって、何のために弁護士になろうとしているのか、なったのか、やはりその原点の意義がきわめて大きいことを知りました。転落の道をたどらないための反面教師として、大いに学ぶものがある本です。

ワインの女王、ボルドー

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著者:山本 博、出版社:早川書房
 この夏、ボルドー地方に行き、サンテミリオンで3泊してきました。広々としたぶどう畑の真っ直中にある別館に泊まり、ゆったりとした日々を過ごすことができました。日本に帰ってきて一番に読んだのがこの本です。
 今回、私がボルドー地区を選んだのは、ブルゴーニュ地方へは18年前に行ったことがあるからです。それほどワインの味がわかるわけでは決してありませんが、赤ワインの色の良さ、舌になじむ味わいには魅せられます(私は日本酒と同じく、白ワインは飲みません。以前はどちらも飲んでいましたが、今は卒業した気分です)。
 したがって、この本も私の行ったサンテミリオン地区だけを取りあげて紹介するのをお許しください。著者は大先輩の弁護士ですが、本格的なワイン専門家です。
 ボルドー・ワインを少し飲みこんだ人なら、サンテミリオンと聞けば、なんとなく人なつっこくて、いやみやはったりがなく、いつも安心できる赤ワインを連想するだろう。事実、サンテミリオンのワインは安心して手を出せる気安い仲間なのだ。メドックのシャトー・ワインが格式高く品のいい山の手の令嬢だとすれば、サンテミリオンのワインは下町娘の気だての良さが現われたようなワインである。
 そうなんだー・・・。気安く安心して飲めるワインの里に出かけたのか・・・。道理で下町風の街並みだったな、そう私は思いました。
 サンテミリオンへ行く道が分からず、ボルドー駅からタクシーで行きました。小一時間かかりました(70ユーロ)。ところが、実は、TGVにはギルドーの手前にリブルヌという駅があり、そこからはタクシーでも10分で着くのでした(20ユーロ)。サンテミリオン駅もあるけれど、なにしろ本数が少ないのです。
 サンテミリオンはドルドーニュ河の右岸に迫る小高い丘と、それに続く高台および後背部のゆるやかな起伏をもった丘陵地帯なのである。畑も傾斜地のものが少なくない。
 サンテミリオンの中心部は、こぢんまりとしていて、5分も歩くと町はずれに出てしまうようなところ。ヨーロッパの古い中世の街が、時間の流れを止めたようにたたずんでいる。びっしりと建てこんだ古い家並みの狭い石畳の急坂を登ると丘の上の中心に古い寺院がある。寺の裏へ回ると、古くてぽつんと立った鐘楼の塔があり、そのまわりが石畳のテラスになっている。ここからのぞくと、目の下に赤瓦の屋根がかたまっているが、瓦は苔むしているし、建物の壁も古くさい。その先には、あちらこちらに段々畑のぶどう畑とはるか先の遠景の山々が望める。
 ここは中世のヨーロッパ中で巡礼が流行った時代、大切な宿場町だった。鐘楼のテラスのところにレストラン・プレザンスがある。
 行った人でないと描けない街並みの描写です。まったくそのとおりの情緒あふれた小じんまりとした古い町です。ともかく、周囲に延々と広がるぶどう畑には圧倒されてしまいます。遊園地型のバスに乗って、街の周囲を35分で巡ってみました。両側は、ずっとぶどう畑です。それも中心地に近いほど高級ワインを製造しているというのですから不思議なものです。ぶどう畑にはたくさんの小鳥がいて、たまにウサギも見かけました。
 なぜ、ここがワイン産地として有名かというと、やはり土壌のようです。丘は畑の基層が固い石灰岩の岩盤になっています。道に落ちている白い石は白墨です。子どものころ、路面によく絵を描いたのとまるで同じです。
 基層の下には暑い砂利層となっている。氷河時代に中央山岳地帯から運ばれてきた石がこのあたりに砂利になって残ったという。
 サンテミリオンのぶどうは、メルローが中心。カベルネ・ソーヴィニョンも少し混ぜてはある。だから、メドックに比べてサンテミリオンを飲んだらいい。
 うーん、なるほど、そうなのかー・・・。そう思いました。レストラン・プレザンスでは3種の赤ワインを少しずつ飲ませてくれました(デキュスタシオン)。そのときには、サンテミリオンの隣り町のポムロールのワインが一番のみやすい気がしましたが・・・。
 町なかのワイン販売所でカーブ入場無料という看板につられて入ってみました。地下の洞窟にワインが樽と瓶と両方びっしり寝かせてありました。すごいものです。堅い岩盤を何年かかって、どうやって掘ったのでしょうか・・・。
 ツーリスト・ビューロー(素敵で親切な日本人女性が働いていました)で、シャトーワイン見学ツァーに申し込みました。フォンロックというワイン・メーカーです。ちょっと渋みの強いワインでした。空きっ腹ではワインはとても飲めません。
 パリのシャルル・ドゴール空港でトロットヴィエーユのワインを見つけて買いました。黒ラベルに金色の枠と文字が輝くデザインです。口当たりのいい、こくのあるワインでした。
 3日間、ぶどう畑のなかをさまよい歩きました。快晴でしたので、真っ黒に日焼けしました。あわてて野球帽を買ってかぶりました。爽やかな風に吹かれて、とても心地よいひとときでした。うーん、良かった・・・。
 サンテミリオンの写真をたくさんとってきました。ここでお見せできないのが残念です。どなたかトラックバックで一面のぶどう畑が広がる風景をのせていただければ・・・。

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