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蝉しぐれ

カテゴリー:未分類

著者:藤沢周平、出版社:文春文庫
 映画も見て、しっとりした江戸情緒を心ゆくまで堪能しました。薄暗い映画館のなかで過ぎ去った青春時代を思い起こしながら胸を熱くしました。味わい深い原作をもとに、大自然のこまやかな季節の移ろい、そして人さまざまの生き方が見事に描き出されています。
 陽炎のたちのぼる炎暑の坂道にさしかかり、父の遺体を汗だくになって必死に運ぶ文四郎。それを手伝おうとして隣の娘ふくが坂の上から駆けおりてくるシーン。黄金の稲穂が風に揺れる風景。水田に入って作柄の様子を調べている見まわり役人の苦労。雪をいただいた、威厳すら感じさせる堂々たる山並み。何かしら胸の奥につきあげるものを感じます。いかにもニッポンの原風景です。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」にも美しい情景と鮮やかな殺陣に魅せられてしまいましたが、同じ藤沢周平が原作でした。
 凛とした、張りのある美しい女優さんに強く魅せられました。憂いのある微笑みがアップでうつしだされると、ほかには何も目に入りません。まさに至福のひとときです。
 海坂(うなさか)藩普請組の軽輩・牧文四郎の父は藩内部の抗争に巻きこまれ、突然、切腹を命じられた。文四郎はその子どもとして苦難の道を歩みながら大きくなっていく。そして隣家に住む幼なじみの少女ふくは江戸にのぼる。やがてお殿さまの手がつき、側室となって郷里に帰ってくる。
 剣の道をきわめた文四郎に側室の子どもを奪う命令が下る。そこへ刺客たちが乱入し、側室と殿の子どもの命が狙われる。文四郎の殺陣まわりは迫真のものがあります。日本刀で人を斬ると血が人間の身体から噴き出し、刀はこぼれて使いものにならなくなります。斬り合いがいかに大変なことか痛感しました。
 そして20年後、文四郎は殿様と死別した側室ふくに呼び出され、久しぶりに再開します。静かな屋敷で、並んで庭を眺めながら話します。
 「文四郎さんの御子が私の子で、私の子どもが文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
 「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・」
 原作と映画では、このあたりが微妙に異なっています。原作は、この会話のあと何かが起きたことを暗示していますが、映画の方はあっさりしたものです。どちらがありえたのか・・・。私は原作を選びます。でも、映画の方がいいという人も多いことでしょうね。
 ふくを見送る文四郎を、黒松林の蝉しぐれが耳を聾するばかりにつつんで来た・・・。
 そうなんですよね。みんな青春の淡く、ほろ苦い思い出があるものなんです。

境界線を越える旅

カテゴリー:未分類

著者:池 明観、出版社:岩波書店
 私も「韓国からの通信」を愛読した一人です。といっても「世界」に連載されていたのを読んでいたというより、岩波新書にまとめられたものを読んだということです。岩波新書で4冊あります。ここに良心の叫びがある。そんな気がして、毎回、読みながら自分はこのまま何もしなくていいのかと、身もだえする思いでした。
 「世界」の1973年5月号から1988年3月号まで15年間も連載されていました。400字詰めの原稿用紙で1万枚ほどの分量になるというのですから、それだけでもたいしてものです。もちろん、その量よりも質です。その伝える事実の重みに泣きながら書いていたというのですが、惻々とした、いかにも抑えた筆致で、読み手の心に重くズシンと貫きました。
 その著者「T・K生」は長らく謎の存在でした。おそらく韓国内にいる複数の人物(学者)だろうと推測されており、私もそのように想像していました。しかし、それは日本にいる韓国人学者だったのです。本人が名乗り出たわけです。KCIAの探索もはねのけ、長く秘密が守られてきたことにも畏敬の念にかられます。
 この本は「T・K生」こと池明観教授の生い立ちから現在の心境を本人が語ったものです。読みはじめると、人間の良心とはこういうことなのかと、心が震える思いで、最後まで一気に読み通してしまいました。
 著者の父親は貧しい小作農民。精米所のベルトにからまる事故にあってまもなく死亡。著者はこのとき3歳。30代前半の若い母親と2人、苦難の人生を歩き始めた。
 小学校で大酒飲みの進歩的な先生(担任)に出会った。後に出会ったときには、この先生は共産党の幹部になっていて、著者と意見を異にする。しかし、小学生のころの著者に対して絶大な影響を及ぼした。やがて苦学しながら北京に学び、また韓国で師範学校で教え、さらにソウル大学に入った。大学3年生のとき、朝鮮戦争が始まった。
 この戦争は起こるべくして起こった。著者はこのように言い切ります。朝鮮半島は、北も南も、矛盾のなかに大いに荒れすさんでいたからです。
 韓国では、健康な若者は軍隊に引っぱられ、健康の悪い者は棍棒でたたかれて放免された。イデオロギーとは、いったい何のためのものであるのか。戦いの中で人間は残忍になる。人を殺せば勲章がもらえる。この世に生き残れる者は残忍なものだけなのか。
 著者は警備隊に入り、軍隊に入ります。そこで、軍隊の本質を見せつけられます。
 高級将校は避難民の女性を宿舎に隠しているのに、兵士が女性と性行為をすれば、当の女性が強姦などされていないと叫んでも銃殺刑に処せられる。他人には厳しく、自分には甘い。わが身の延命が最優先。軍人による正しい政治など可能であるはずがない。軍隊は腐敗していた。多くの高級将校がそうだった。5年間の軍隊生活のなかで、良心的な高級将校には出会ったことがない。将官級にのぼればのぼるほど、幻滅は増していくばかりだった。軍人生活のなかで優れた人間が育つことはない。
 韓国は軍人社会をくぐり抜けて、ようやく民主化を達成できました。その民主化運動には、著者のような海外にいる韓国人の運動があったことがよく分かります。
 金大中が大統領になった。ところが、その在任5年のあいだに金大中事件のことを調べたら真相は分かったはずなのに、金大中はなぜか真相を明らかにしなかった。これは現代史の謎のひとつだ。
 著者は、1993年4月、20年ぶりにソウルに戻りました。そして、今では韓国側から日韓問題について意見を述べています。
 日本は門戸を開放して世界交流をなしたときに繁盛し、その門戸を閉ざしたときに敗北している。これは厳然たる歴史的事実である。
 なるほど、そうです。そうなんです。教科書問題といい、小泉首相の靖国神社参拝といい、自らの過去を反省せず、海外友好を考えないでは日本の繁栄はありえません。
 著者は、いまの廬武鉉(ノムヒョン)大統領にも苦言を呈しています。廬武鉉は軍事政権と戦ってきたはずなのに、国民のなかに敵と味方をつくりあげている。これが韓国の政治状況全体を暗くしている。革命を口にしながら反革命に傾斜している。
 うーむ、厳しいな。思わず、私はうなってしまいました。それでも、日本の小泉首相よりはよほどまともな大統領だと思うのですが・・・。

アルジャジーラ

カテゴリー:未分類

著者:ヒュー・マイルズ、出版社:光文社
 イラク戦争をきっかけとして、私たち日本人にも急に有名になったテレビ局の実像に迫った本です。アメリカのCNNより、ある意味では親しみがあり、信頼できる映像でした。
 アルジャジーラとは、アラビア語で島あるいは半島という意味。その本部はカタールにある。カタールは、1916年以来、イギリスの保護領となっていて、1971年に独立したが、サーニ家が支配している。人口は61万人で、生粋のカタール人の成人人口はなんと、たった8万人でしかない。あと40万人はパキスタン・インド・エジプトなどからやってきた移民労働者。人口の半分が16歳未満。ロシアとイランに次いで世界第3位の天然ガス埋蔵量があるため、1人あたりの国民所得は世界の上位にある。したがって所得税はない。水もガスも電気もタダ。ガソリンは非常に安く、医療もすべて無料。政府の職員は、退職後も現役時代の年収の同額の年金が生涯支給される。
 エジプトの国営放送局には、毎晩、情報相から電話がかかってきて、閣僚の名前と放映する時の順番について指示がある。夜のニュースではムバラク大統領夫人の一日の行動が紹介されるし、大統領の息子の活動を伝える長時間番組もしばしば放映される。
 アルジャジーラにはオーナーはいない。が、カタール政府から資金援助を受けている。株式はカタール政府と少数の個人が所有している。それでも、政府の意向と離れて放送している。
 アルジャジーラのスタッフのうち、4分の1はカタール出身で、残りは他のアラブ諸国の出身者。ゲスト同士が激しくののしりあい、ついには途中で退席してしまうという「反対意見」という番組がある。そこには一般市民も電話で論戦に参加できる。これが圧倒的な人気を呼んでいる。
 もうひとつ、「宗教と生活」という人気番組がある。そこではイスラム聖職者が政治からセックスまでズバリ語る。だから、毎晩、3500万人が観ているという。
 ところが、アルジャジーラはシオニストの手先だと疑われ、アラブ世界に多くの敵をつくってしまった。でも、アメリカやイスラエルのマスコミからはテロの温床だと非難されている。
 アルジャジーラは、広告主へサウジアラビアが圧力をかけるため、年間3000万ドルの赤字を計上した。日本のNHKから入る映像使用料収入が、その赤字を埋めあわせている。なかなか独立採算でもうかっていくのは大変のようです。
 アメリカ軍はバグダッドの中心部の住宅街にあるアルジャジーラの支局をミサイル攻撃して記者を殺した。アルジャジーラをアメリカ軍が敵視したからとしか思えません。
 アルジャジーラは、イラク侵攻と読んで報道していたが、イラクにも米英にも、どちらにも味方してはいなかった。フセイン政権にも米英軍によるイラク侵攻にも反対していた。
 今やアルジャジーラが欧米諸国のアラブ人コミュニティーに与えている影響は大きい。アメリカに180万人、イギリスに40万人、ドイツに80万人のアラビア語人口がいるからである。
 日本にも、このような独立系の、ニュース番組を主体とした局ができたら、ちょっとはマシな日本になるのではないか、つい夢想してしまいました・・・。

雲の都、第2部、時計台

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著者:加賀乙彦、出版社:新潮社
 1949年、19歳の小暮悠太が東大医学部に入学した。これは著者の自伝的大河小説の第2部です。先に出版された第1部の方が時間的に先ということでないことに途中で気がつきました。
 医学部ではまず人体解剖の実習をさせられる。ホルマリン漬けの人体を解剖する。その臭いが全身に染みついてしまう。死体がたくさん並んでいる部屋に入っていくんですね。私には耐えられません。つくづく医学部なんかに入らなくて良かったと思いました。
 大学内で学生運動が分裂している。共産党は国際派と主流派に分かれて対立している。
 1950年。東大本郷の五月祭の展示に悠太たちは原爆展に取り組んだ。アメリカ(ABCC)の禁止令がまだ生きているときのことで、市民からも大きな反響があった。
 6月25日、朝鮮戦争が始まった。しかし、日本にとって経済回復には寄与したとしても、他国の戦争でしかなく、平和な日々が続いていた。この年の4月、東大セツルメントが発足した。戦前の東京帝大セツルメントを復活させたのだ。
 セツルメントは、完全にパルタイの下部組織だ。今に徴発されて北朝鮮解放軍の兵士に仕立てられる羽目になるぞ。そんな会話が出てきます。ちょっとオーバーですけど、セツルメントの雰囲気は伝えています。
 1951年。東大セツルメントは大井町と江戸川区葛西のほかに新しい拠点として川崎の古市場と亀有の大山田地区に進出することに決めた。悠太は亀有セツルに入った。
 私は、もうひとつの川崎古市場のセツルに入りました。1967年のことです。この年、同時に入ったセツラーは少なくとも30人はいたと思います。東大だけでなく、学芸大学や津田塾大学そして横浜市立大学、神奈川栄養短大など、多いときには20以上の大学から集まり、セツラーも100人を軽くこえていました。
 悠太は土曜の昼から日曜日いっぱいをセツルに通った。診療にあたるのだ。それでも悠太は、ある種の貧困者が住む、それだけで青春の時代を喜んでささげるという彼ら(セツラー)の夢を十分には理解できなかった。発言の端に革命とかプロレタリアートとかアメ帝とか、情熱を支えるキーワードが衣の下の鎧のように見え隠れしていたが、悠太には無縁の言葉だった。悠太は未知の土地を見るという楽しみ、好奇心で動いていた。
 セツルメントを五月祭の展示に出しても見る人は少なかった。まだ世間からは認知されていない言葉だった。
 これは私がセツルメントに入った1967年当時もそうでした。実際、セツルメントって何のことやら分かりませんでした。先輩に誘われて面白そうだと思ったのですが、地域の現実を知ってみたいなと思ったのです。その地域とは、ドヤ街とか最底辺の人々が生きるというより、フツーの労働者が多く住んでいる町のことでした。そして、私が丸々3年間以上もセツルメント活動を続けたのは、心魅かれる素敵な女子大生がたくさんいて一緒に活動できたことも大きかったと思います。今思えば、夢のように楽しい日々でした。悠太も同じように看護婦に好感をもち、好かれるようになりました。
 悠太は卒業後、精神病院に入り、また東京拘置所に入ります。そこで、書物から得た知識とはまるで違う現実を見せつけられました。犯罪者の人々と向きあう毎日を過ごすようになったのです。すごい体験です。私も、法廷で、被告人が人を殺すためには憎悪の念をかき立てる必要があると語るときの被告人を見て、その表情の怖さにゾクゾクしてしまいました。まるで夜叉のように表情が固まり強張っていました。
 さらに、人妻との恋も進行していきます。悩み多き青春を生きる精神科医。本のオビにそう紹介されています。当時の世相と学生の心理状態がよく分かります。
 私の親しい友人が、1968年の東大駒場にいた学生群像を描いた自伝的小説を出版しました。東大闘争の実情とあわせてセツルメント活動の様子も紹介しています。加賀乙彦のように高名ではないので、どれだけ売れるのか心配ですが、せいぜい販売に協力したいと考えています。みなさんもぜひ買って読んでやって下さい。花伝社「清冽の炎」第1巻です。1968年4月から1969年3月までの1年間を5巻に分けて描いていく第1弾なのです。第1巻がまったく売れなかったら、第2巻以降の出版が危ぶまれるところではあります・・・。どうぞ、よろしくお願いします。

庭仕事の喜び

カテゴリー:未分類

著者:ダイアン・アッカーマン、出版社:河出書房新社
 田舎で弁護士をする最大のメリットは、なんといっても恵まれた自然のなかで毎日の生活を送ることができることです。四季の移り変わりを愛でて楽しむには、なにより庭に出て草花と触れあうのが不可欠です。いえ、地中にはミミズもモグラもいて、地上には小鳥だけでなく、クモもヘビもいます。といっても、クモの巣が庭にはりめぐらされるのは廃屋のようで、困ります。ですから、クモさん、悪いね。そう言いながら、クモの巣を払いのけています。
 これを書いている11月上旬の今、わが家の庭にはツメレンゲの白い花が咲き、ネムの木が線香花火のような艶やかなピンクの花を咲かせています。妖しいほどの魅力がありますので、ついつい触れてみたくなります。これって美人と同じですよね。
 四季咲きのクレマチスも2輪ほど花を咲かせています。キンモクセイは10月末に咲き匂い終わりました。芙蓉の花が終わったので、根元から枝を切ってやりました。酔芙蓉もあります。午前に純白の花を咲かせ、午後遅くなると赤みの濃い花となりますので、その名のとおり酔っ払った佳人(美女)のなまめかしい風情です。
 花は詩に似ている。喜びを求めれば、花はあなたを喜ばせてくれる。深い真実を求めて花を眺めれば、思いをめぐらす種は尽きない。
 花はとても大胆な目的を持っている。官能的であることが仕事であり、欺くことは天賦の才だ。賄賂を差し出したり、変装したりは得意技で、疑うことを知らない旅人たちを騙す。彼らがかたる物語は正直で、淫乱さとは無縁なので、自然は裁かないし意図しない。ただ実行するだけだとつくづく感じさせる。
 ザゼンソウは早春に、主根のでんぷんを糖に変化させることによって、花が熱を発する。糖はすばやく激しく燃焼し、ときには周囲の雪をとかすことさえある。ザゼンソウは動物のようだともいえる。寒いときには、熱を発して体を温める。
 ひやー、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。まるで動物ですよね。
 チューリップは数年しか花を咲かせない。秋に植えた元の球根は複数の子球根をつくり、それらは親のエネルギーを不均等に受け継いでいる。花を咲かせた後、元の球根は死んでしまい、子のなかでもっとも強いものが次の季節に花を咲かせる。毎年エネルギーが分散されるので、そのうちに球根は単純に、自ら消耗してしまう。だから私は、チューリップは一年草として扱い、咲いているあいだを楽しみ、約束を期待せず、翌年も花が咲いたら幸運だと思うようにしている。
 私も、毎年秋になると、300個から500個のチューリップの球根を植えています。チューリップは密植した方が見映えがいいのです。ですから、畳一枚分くらいに100個ではスカスカした感じで、とても足りません。庭のあちこちに分散し、そして集中して植えていきます。9月から12月にかけての日曜日ごとの楽しい作業です。春、チューリップの花が咲き終わっても、しばらくそのままにしておきます。そのうち掘りあげてしまうのですが、それは次の花を植えるためのものです。掘りあげた球根を翌年につかうつもりで何度か試みましたが、たいていは小さく分球していてモノになりませんでした。ですから、まあ花屋さんが喜んでくれるのだからと考え、いつも数万円分の球根を買って植えています。もちろん一度に買うのではありません。生協で大量に注文し、そして町の花屋さんでも少しずつ買っては植えていくのです。
 ちなみに、チューリップにもいろいろな新種がありますが、やはり昔ながらのチューリップが一番いいようです。小学校1年生のときの教科書にチューリップの花の絵があったことを、今もよく覚えています。フリンジのついたものとか、八重咲きのものなどは、そのうちに飽きがきてしまいます。

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