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なぜ、伊右衛門は売れたのか

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著者:峰 如之介、出版社:すばる社
 私の名前(昴)だから、この本をすすめるわけでは決してありません。一つの商品をつくり出す過程が描かれているのに心魅かれたからです。前にもトヨタのプリウスをつくり出す過程を描いた本を紹介しました。
 開発者が何かをやりたいと言ってきたとき、提案された企画に対して自分が100%反対の考えを構築できなかったら、やらせる。なぜなら、止めるとこでチャンスを喪失するからだ。部下のチャレンジングな企画を抑制する思考方法を身につけてしまうと、人間って弱いもんだから、いつの間にか挑戦できない思考に染まってしまう。
 開発者として実現しなければならないのは、飲んだときの実感だけではなく、飲み終わったときに、また飲みたいと思う微妙な感覚だ。過去に開発したヒット商品に共通している味覚は、もう一度飲みたい気持ちになる微妙な味覚設計にある。
 味覚を敏感しておくためには満腹は大敵。敏感な味を感じとれる体調を維持するためにも、朝食は摂らない。空腹の午前中に味覚を評価して、午後から味覚レシピを工夫する。
 臭覚を研ぎ澄ますため、タバコはもちろんのこと、家庭生活においても、臭気を発する生活商品は一切つかわない。
 研究段階でおいしい味が実現できても、マスプロラインで同じ味が大量生産できる保証はない。伊右衛門の場合、無菌充填に加えて、微粉末の茶葉を使用する初めての試みだったので、生産ラインの構築が大変だった。
 2004年3月16日。店頭に並んだ伊右衛門は、あっという間に売り切れ、発売4日目で出荷停止を発表した。無菌充填、石臼挽き茶葉、粉末処理、オリジナルボトルなど、ものづくりへのこだわりが逆にアダとなって、急激な増産がままならない状況だった。
 清涼飲料史上、最速で年間販売額5000万ケースを達成し、1000億円超の販売金額を実現した。
 緑茶を140度という高温に30秒間さらし、ペットボトルに飲料を充填して85度の高温で30分間殺菌する。これをホットパック方式という。これは優れた殺菌効果がある反面、度重なる高熱の影響によって緑茶本来のうまみがそこなわれてしまう。
 2002年当時、コンビニで売られていた緑茶飲料はホットパック方式、加熱殺菌方式で生産されていた。殺菌効果はあがるが、緑茶本来の旨みは損なわれる。そこで香料を添加したりしていた。それでも完全殺菌できないため、抗菌作用の強い、つまり渋いカテキン含有量の多い茶葉を選ぶことになる。すると渋みが強くなる。まずくなるわけだ。
 緑茶本来のいれたての旨みが実感できるには、非加熱無菌充填方式をめざすことになる。
 緑茶を愛飲しているのは20代から50代の男性。急須でいれた緑茶を毎日飲用している。そこで、次の3つが必要条件とされた。その一、日本的スローライフ感を具現化する。その二、急須でいれた本格的な味わいを具現化する。その三、お茶のつくり手の顔が思い浮かぶこと。
 プレゼンがうまくいったときは、部屋全体がシーンと静まりかえって、質問さえ出ない。なーるほど、そうなんですね。ちなみに、田上尚志弁護士(島根県浜田市)は、プレゼンはパワーポイントよりマックのキーノートが断然優れていると喧伝しています。
 茶の水色から茶葉のダメージを推しはかることができる。赤みがかっているということは、お茶を生産する工程で茶葉に傷がついてしまったことを意味する。茶葉に傷がつくと、そこから発酵がすすんでしまうので、どうしても水の色が赤くなってしまう。
 熱湯を入れて2分間待つのは、おいしいお茶の飲み方ではない。研究者としては、茶葉の味や性質を十分に引き出し、審査するための飲み方。上級茶といわれる茶葉は70度くらいのお湯をいれて飲むのが一番おいしい。
 最後までこだわったのは、味にほのかな甘味をつくり出す石臼挽きの超微粒子粉末の混入技術。味にまろやかさを出す隠し味につかった。粉末の状態が少しでも粗すぎるとボトルの底に粉末茶が沈殿し、商品としては見た目が非常に悪くなる。そこで、1ミクロン以下の超微粉末をつくる石臼挽き技術を徹底的に追求して、究極のまろやかな味を実現した。
 炎暑としか言いようのない残暑が続いています。水分補給にペットボトルの緑茶は欠かせません。伊右衛門の味はどうして出来あがったのか、そのネーミングにはどんな苦労があったのか、ヒット商品がつくり出されるまでの過程が手にとるように分かり、大変勉強になりました。

今日、ホームレスになった

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著者:増田明利、出版社:新風舎
 実に身につまされる本でした。なにしろ、私とまったく同世代の人々が、帰るべき家がなく、公園などで寝起きしているというのです。実に悲惨です。
 ところが、世の中には、ホームレスなんて気楽な稼業でうらやましいという意見があったり、働く意欲のない彼らには何の権利もなくて当然だと高言する人が少なくありません。私には、とても信じられません。冬には凍死寸前、夏は蚊に襲われ、いずれも安眠できない。若者に襲われたり、病気になったらどうしようもない。そんなホームレスに誰が好きこのんでなるというのでしょうか・・・。
 ホームレスになった理由は、失業・倒産、病気で高齢のために働けなくなったことなど。前職は、正社員、会社経営者、自営業者などが4割を占める。まさに明日は我が身かもしれないのです。50も半ばを過ぎた高齢で雇ってくれるところがどれだけあるでしょうか。路上警備の人々の日焼けした顔を見るたびにそう思います。
 家庭崩壊、熟年離婚。これらは、それまでの会社人間で家庭生活を放棄したツケがまわってきたとも言えるものです。私なんか、身震いしてきそうです。
 13人のケースが紹介されていますが、いずれも、悲惨です。大手総合商社の財務部次長だった52歳は、今や雑誌拾いで1日1000円の収入、食事はコンビニの廃棄弁当。ところが、今もスーツを着ている。
 49歳の外資系投資銀行ファンドマネージャーをしていた男性は、今はゲーム喫茶のサンドイッチマンが仕事。日当6000円。彼は、なんとボーナス込みで2000万円の年収を誇っていた人です。
 ゼネコン営業部長だったという56歳の男性は、雑誌拾いとアルミ缶回収で1日1500円の収入。体調不良で野垂れ死に寸前。
 自動車部品メーカーの管理職だった57歳の男性は首切りを仕事としているうちに、自分も解雇通告を受けてしまいました。雑誌拾いで収入は1日500円。意地悪した先輩や退職を迫った役員を包丁でメッタ刺しにする夢を何度もみるという。怖いですよね。本当に何回かありましたからね、そんなことが・・・。
 生まれ変わっても、サラリーマンにだけはなりたくない、もう嫌だね、と言います。よほど辛かったんですね。57歳だと、ハローワークに行っても求人ボックスさえないというんです。ああ、どうしましょ。
 ホームレスの男性の一週間の生活が紹介されています。本当に大変です。
 身体の清潔に気をつけている人は生き延びるが、そんなことどうでもいいと思っている人は短命で死ぬ。そんな統計があります。
 私も、家出してホームレスをしていた人から法律相談を受けたことがあります。全身から発散する独特の異臭に息が詰まりそうでした。本人はもう慣れて何も感じなくなっているのです。この本は、よく調べてあります。現代社会の矛盾をえぐるノンフィクションでした。

イラクと自衛隊ブログ

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著者:岡本 宏,出版社:アメーバ・ブックス
 バクダッドの危険はテロに巻きこまれること,サマワの怖さは自分がテロの対象になっていること。
 イラクではタクシーに乗ったら助手席に座らなければならない。日本の感覚で後部座席に座ってはいけない。ひと目で外国人と分かってしまい,テロリストの恰好の餌食となる。
 イラク派遣の自衛隊員に支給される危険手当は1日3万円。3ヶ月いたら、それだけで300万円になる。すごい高給優遇です。しかも、一日一時間だけ働けばいいのです。新聞報道によると、イラクに派遣された陸上自衛隊員は3ヶ月交代で、2年半のあいだに合計5500人。各方面隊は600人ずつ派遣したが、本隊は500人で、業務支援隊が  1500人。この500人のうち、自衛隊宿営地の管理と警備に各200人。したがって復興活動にあたったのは、なんと600人のうちわずか100人のみ。施設部隊50人と衛生部隊50人。しかも、活動時間は当初こそ1日3時間だったのが、路上爆弾攻撃を受けた2005年6月からは、なんとなんと1日1時間のみ。いやあ、驚きました。こうまでして、小泉首相はイラクに自衛隊がいた実績をつくりあげたかったのです。といっても、正当性がまったくない戦場で生命を危険にさらしたくなんてありませんよね。
 大切なのはGNN。義理(G),人情(N)と浪花節(N)。これは万国共通。
 ABCが大切。当たり前のこと(A)を,ボーッとしないで(B),ちゃんとやる(C)。
 昼間は41度,夜は32度。この32度でも肌寒い。湿度がないから。
 イラクでは昼食がメインで,ご飯を食べるのは昼だけ。夜はパンだけで,軽めの食事となる。だから,夜レストランに行って,ご飯を注文しても出てこない。
 イラク人は,見た目から10引いた年齢が実年齢であることがほとんど。それだけ苦労していることなんでしょうね。
 サマワでは,すべての女性が家庭から出ることはない。
 この本は,中日新聞社の写真記者がイラクのサマワに派遣されたとき,ブログで日記を書いたものをまとめたものですから,臨場感があります。迫真のドキュメントとありますが,まさしく危険と隣りあわっせだということが伝わってきます。ただ,著者がイラクにいたのは2004年3月24日までです。サマワは,その後,ますます危険地帯になったような気がします。
 そんなイラクとサマワの実情が日本人にほとんど知らされていない現実があります。そのうえで小泉政権はタカをくくっているのです。許せません。そして、航空自衛隊のほうはイラク全土を飛んでアメリカ・イギリス軍の支援活動をしています。日本人の多くは、自衛隊はイラクから完全撤退していると思っているんじゃないですか。
 あつ、そうでした。もうひとつ、海上自衛隊がいました。こちらはアフガニスタンの復興支援ということでインド洋まで出かけているのですが、いつのまにかイラク侵略戦争をすすめているアメリカ軍の補給活動までしています。
 マスコミって、こんな実情を報道していませんよね。ホントに困ったことです。

ブロンド(上)

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著者:ジョイス・C・オーツ、出版社:講談社
 本名ノーマ・ジーン。マリリン・モンローの生涯を小説で再現したものです。セックス・シンボル。ノータリンの金髪美女というイメージのあるモンローですが、その実情は、大変に勉強熱心な女優だったようです。
 ノーマ・ジーンは、おばあちゃんが大好きだった。この世でノーマ・ジーンのことを本当に愛している唯一の人だった。ノーマ・ジーンを傷つけようなどと思いもせずに、ただひたすらノーマ・ジーンを庇ってくれた唯一の人だった。
 内気な娘ノーマ・ジーンは、人目につかない子どもだった。
 ノーマ・ジーンの母親が入院したため、ノーマ・ジーンは孤児として女子寮に入れられた。郡の被保護者となってから、ノーマ・ジーンには3組の夫婦から養子縁組の申し出があった。9歳から11歳までのあいだのこと。
 彼女の瞳には訴える力があった。わたしを愛してちょうだい。だって、わたしは、もうあなたを愛しているんですもの。
 ノーマ・ジーンが孤児院から出られたのは、1938年11月のこと。里親に引きとられたのだ。高校でノーマ・ジーンは平均的な生徒だった。ごく普通の生徒だったが、容姿だけは特別だった。月並みな少女だったが、その顔にあらわれる、どこか神経を張りつめた、感じやすい、燃えあがるような輝きだけは特別だった。
 ノーマ・ジーンは里親のもとから一刻も早く離れるため、16歳になってまもなく結婚した。夫はやがて第二次大戦の兵士として戦場へ行った。18歳になって、ひとり暮らしができるようになって、ノーマ・ジーンは飛行機工場で働くようになった。
 ノーマ・ジーンは口の大きい割りには舌が長かったので、うまくしゃべれないことがあった。
 1994年12月号の雑誌にノーマ・ジーンの工場で働く写真がのった。そして、次々に雑誌のモデルとなった。
 共産党員だったオットーは、ノーマ・ジーンに「デイリー・ワーカー」や進歩党などのパンフレットを読ませた。ノーマ・ジーンは目を通し、理解しようとつとめた。
 マッカーシーによる赤狩り旋風が吹き荒れたアメリカで、ノーマ・ジーンは、こう言った。ああ、どうしてみんなこんなことばかりしているの。互いに、密告しあっている。哀れな人たちがブラックリストにのせられている。ハリウッド・テンの人々は刑務所に入れられてしまった。まるで、ここはナチのドイツみたい。
 尊敬するチャップリンは夕刊にも協力を拒否してアメリカを去った。
 オットーは共産主義者じゃない。もし、彼がそうだというのなら、わたしだってマルクス主義者になってしまう。マルクスは正しかったわ。宗教は民衆にとっての阿片だといったのよ。お酒や映画と同じよ。それに共産主義者って、民衆のために働いているんでしょ。それが悪いことなの?
 カリフォルニア大学ロサンゼルス校の夜間講座で、「ルネッサンスの詩」をテーマとする講座が開かれた。1951年秋のこと。木曜日の夜7時から9時までの授業。これにノーマ・ジーンは本名で出席した。
 祭壇という詩を教授に指名されて朗読することになった。その声はかすれているけれど堂々としたもので、息継ぎをせず力強く、精神的な感じであると同時に、セクシーでもあった。朗読を聞いていたみんなは教授をふくめて拍手喝采した。教授は、きみは詩人だよ。それも類い稀なね、とほめたたえた。もちろん、誰も彼女がマリリン・モンローという女優だということを知らなかった。
 雑誌にのっている彼女を見て、彼女が女優だと知ったクラスメイトが彼女に問いつめたとき、彼女は逃げ去り、二度と教室には戻らなかった。1951年11月の雨の降る木曜日のこと。
 ノーマ・ジーンの母親は精神病院に入っていた。女優になって、週給1000ドル、プラス経費に引き上げてもらってすぐ、母親は私立の精神病院に移した。そして、そのことは誰にも知られないように手配した。母親の死まで、モンローはずっと面倒を見つづけたのです。
 庭の芙蓉がようやく花を咲かせてくれました。爽やかなピンクです。炎暑が続いていますが、このピンクの花を見ると秋の近いのを感じます。

梅原猛の授業,仏教

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著者:梅原 猛,出版社:朝日新聞社
 稲作が始まったのは1万4000年前。小麦農業の発生より2000年も古い。これは,まだ教科書にのっていない。(間違いないのでしょうか・・・)
 世界の四大文明のうち,一番古いのがメソポタミア文明で、5000年前に始まったと言われている。次にエジプト文明、インダス文明,それから1000年遅れて黄河文明。
 ところが,実は,6000年前の中国・湖南省の城頭山で都市文明がおきていた。
 日本人は山には木があると思っている。しかし,山に木があるところは世界では少ない。ユーラシア大陸の真ん中に行ったら,山にはまったく木がない。中国でも,北のほうは山に一本の木もない。米をつくる南のほうには木がある。
 仏教のなかには,人間の自然支配ではなく,人間と生きとし生けるものとの共存という思想が含まれている。それが東の文明の,東の宗教の強みだ。
 紀元前5世紀前後に,その後の人類の精神世界を指導した聖者がほとんど全部生まれた。ギリシャ哲学をはじめたソクラテス。イエス・キリストの思想の先駆をなすと言われる第二イザヤ。インドの釈迦。中国の孔子。
 西洋の聖者であるソクラテスもイエス・キリストも殺された。しかし,東洋の聖者はそうではない。釈迦は涅槃で静かに死につく。孔子も畳の上で死んだ。
 西洋には,どこかに怒りの思想がある。聖者を殺した人間に復讐しようとする怒りの思想がある。東洋のほうはもっと安らか。あきらめの思想,悲しみの思想がある。
 釈迦は天国のことを説かない。人生とはこういうものだと言って静かに死んだ。釈迦の思想は一言でいうと,四諦,四つのあきらめ。苦諦とは,人生は苦であると悟ること。集諦(じったい)とは,苦の原因は愛欲であると悟ること。滅諦(めったい)とは,愛欲を滅ぼすことを悟ること。愛欲をなくしてしまうのは難しい。しかし,コントロールすることはできる。道諦(どうたい)とは,愛欲を滅ぼす方法を悟ること。戒・定・慧。規則を守る。集中力を養う。知恵を磨いて,人生を生きる。
 自己がよく調整されるとき,つまり自己管理をきちんとしたら,人は得がたいよりどころを得る。仏教というのは,カビ臭いものではなく,自己調節,自己管理の教えである。なーるほど,そうなんですよね。自己管理がよくできて,私は司法試験に合格することができました。その代償も払いましたが・・・。
 日本に入った仏教は,ほとんど大乗仏教。釈迦が死んで500年たって龍樹があらわれ,新しい仏教を始めた。そして,それまでの仏教を小乗,自分たちのを大乗と呼んだ。タイやベトナム,スリランカの仏教は小乗仏教。こちらが昔のままの仏教で,戒律も厳しい。たとえば妻帯を認めない。日本も戦前は,浄土真宗以外の坊さんは妻帯しなかった。ところが,戦後みな浄土真宗にならって坊さんも嫁さんをもつようになった。
 龍樹は,海の果ての龍宮に行ったら経典がたくさんあったとして,世に出したのが般若経という経典。あとの大乗仏教の人々も龍樹にならって,どこかで見つけたといって,新しい経典を次々につくっていった。華厳経,法華教などがそう。インドという国の人は,途方もない永遠の世界に生きているので,そういうことが可能だった。ひゃあー,そうだったんですか・・・。
 大乗仏教の特徴は,自利利他。悩んでいる民衆のなかへ入って人を救う。これが利他。これを強調する。人を悲しませないために,どうしても嘘を言わなくてはいけない。人を喜ばすために嘘をつくことは,ときに許されるけれど,人を欺すために嘘をいうのは許されない。
 仏教の教える四つの大切な道徳は,精進,こつこつ努力をする。禅定,集中力を養う,正語,正直であれ。忍辱(にんにく),辱めに耐えろ。
 一生,煩悩との闘いがある。あまり煩悩を断ってしまうと,今度はエネルギーがなくなってくる。煩悩を超えなくてはいけないが,むしろ煩悩をいい意味で利用するのが大切。これを四弘誓願(しぐせいがん)という。
 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
 煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)
 法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)
 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
 なかなか読みあげやすい文句ですよね、これって。
 福沢諭吉の考えには,まずいところがある。脱亜入欧には,日本の亜細亜侵略理論になっている。
 親鸞は90歳まで長生きした。しかし,生きているうちは,ほとんど無名だった。京都の片隅の自分の弟の寺で,ひっそり死んだ。ところが,女系のひ孫に覚如が出て,その子孫の蓮如によって,教団の組織が飛躍的に発展した。そうだったんですかー・・・。
 靖国神社は,本当の神道を歪めている。日本古来の神道では,えらい人を神に祀ることはありえない。神に祀るのは,世の中を恨んで死んだ人。高い位につきながら殺されたりして世の中を恨んでいる人が怨霊になって世の中にたたりをするので,その魂を鎮めるために祀られているもの。
 明治以降,神道がおかしくなって、天皇そのものを崇拝するようになった。そして国のために死んだ人だけを靖国に祀る。戦争を始めた戦犯の東条英機まで祀る。これは日本の神道と違う。中国や韓国の,被害を受けた人を祀るのが日本の神道の精神なのに,靖国は違う。小泉純一郎はそのことをよく分かっていない。
 なーるほど,仏教について大変勉強になりました。

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