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1968年、世界が揺れた年(後編)

カテゴリー:未分類

著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
 1960年代後半になって、フランスは消費社会に変わった。突然、フランス人は車を持つようになり、家庭に屋内トイレが設けられるようになった。とはいえ、1968年までに屋内トイレを設けた家庭は、パリの半数にすぎなかった。
 1958年、フランスは17万5000人の大学生がいたが、1968年には53万人と、イギリスの倍になっていた。ところが、フランスの学生は4分の3が落第して退学したため、学位取得者はイギリスの大学の半数でしかなかった。だからこそ、ドゴールは最初のうち学生運動を歯牙にもかけていなかった。ドゴールは、運動に関わる学生は単に目前の試験を恐れているのだと考えていた。大学には学生たちが溢れ、パリ大学だけで16万人の学生を抱えていた。学生がデモを始めれば、その大義に共感したデモ参加者が数えきれないほどに膨れあがることになった。
 フランス共産党は、初めから学生たちのすることすべてに反対していた。そんな偽りの革命家どもは正体を暴かれてしかるべきだ、ジョルジュ・マルシェ書記長はこう言った。労働組合も同調しなかった。労働者もドゴール政権に怒りをつのらせていた。だけど労働者は革命を望んでいなかったし、ドゴール政権を転覆させることには関心があったが、それ以外の学生たちの問題については、どうでもよかった。労働者が望んでいたのは、労働環境の改善であり、給料値上げであり、有給休暇を増やすことだった。労働者と学生は、別々の運動だった。労働者が望んだのは、賃金や工場の抜本的改革。学生が望んだのは、生活の抜本的な改革だった。
 学生運動の高名な指導者であるコーン・ベンディッドはユダヤ系だった。左翼運動には多くのユダヤ系が参加していた。
 68年6月23日、ドゴール支持者は43%の票を勝ちとり、国民議会での絶対多数を獲得した。左派は国民議会の半数を失い、ニューレフトの学生は議席を得ることができなかった。
 1968年秋、ビートルズは最初の自主制作レコードをリリースした。片面がレボリューション、もう片面がヘイ・ジュードだった。
 アメリカで黒人暴動が起こるたびに、法と秩序を指示する白人有権者が増え、黒人とその権利にうんざりする人が増えた。人種差別撤廃運動に対する白人側の巻き返しは、一般にホワイト・バックラッシュと呼ばれた。ニクソンは、このバックラッシュ票をかき集めた。
 1968年の1年間のうちに1万4589人のアメリカ兵がベトナムで戦死し、アメリカ人戦死者の総数はそれまでの2倍となった。1968年は、もっとも犠牲の多い年だった。ひどい一年の締めくくりがリチャード・ニクソン大統領の誕生だった。
 この年、ビアフラで100万人が飢えに苦しみ、ポーランドとチェコスロバキアで理想主義が叩きつぶされ、メキシコで大虐殺が起こり、世界じゅうの反体制派が殴られたり無惨な目にあわされた。そして誰よりも世界に希望を与えた二人のアメリカ人が暗殺された。
 クリスマスの日、3人の宇宙飛行士が月面から100キロの軌道を周回し、上空から月面が灰色の荒涼としたでこぼこであることを明らかにした。
 1968年。私は大学2年生でした。6月から学園紛争が始まりました。いえ、他人事(ひとごと)のような紛争という言葉をつかいたくはありません。それに一兵卒としてかかわったものとしては、やはり学園闘争と呼びたいのです。大学がもっと学生の叫びと要求を真剣に受けとめてくれるものになってほしいと心から願っていました。ただ矛盾するようですが、もう一方では、勉強したくないという気持ちも強くありました。大学受験のような、押しきせの講義に対して反発していたのです。もちろん、好奇心の方は人一倍ありました。まったく矛盾する存在であり、行動でした。まさに20歳前後の分別のない年頃だったのです。この年に体験したことは貴重な青春のひとこまとして、今でも私の原点となっています。

1968、世界が揺れた年(前編)

カテゴリー:未分類

著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
 60年代後半の学生は、60年代前半の学生にはない体験をした。そのひとつが徴兵である。徴兵によって学生たちは、何千人というアメリカ兵が殺し殺されている戦争にいやでも駆り出される。
 もっと重要なのは、残酷で無意味な暴力に溢れた戦争そのものの様子が毎晩テレビに流れ、どんなに非難しても、こうした学生たちには戦いを止める力はなかったということだ。18歳で徴兵されるのに、21歳未満では選挙権すら与えられていないのだ。
 アメリカの選抜・徴兵局は、ひと月に4万人の若者を徴兵する計画だったが、その数は4万8千人となった。ジョンソン政権は研究課程の学生に対する徴兵免除を廃止し、7月に始まる会計年度のあいだに15万人の大学院生を徴兵すると発表した。この政策は、大学院への進学を考えていた若者たちに大きな衝撃を与えた。ローズ奨学金を受けてオックスフォード大学の大学院へ進学することになっていた、ジョージタウン大学政治学部4年のビル・クリントンもそのひとりである。大きな衝撃を受けたのは大学院にとっても同じこと。一年生として入ってくる20万人の新入生を奪われてしまうと訴えた。
 マーティン・ルーサー・キングは、アトランタの有名な聖職者の裕福な家庭に育った。FBIはキングの行動を執拗に追跡した。写真をとったり、周辺に情報提供者を送りこんだり、会話を録音して監視した。
 フーバー長官はキングと共産主義者とのつながりを暴くという名目をたてていたが、実際はまったくつながりがなかった。FBIが握った動かぬ証拠は、キングが日頃から何人もの女性と性的関係をもっていることを裏づけるものだった。キングは、セックスはストレス解消法だと言っていた。公民権活動家の多くもセックスにふけっていたから、キングを批判できなかった。キングが女性を追いまわしていたのではない。行く先々で女性に追いまわされていたのである。
 FBIはキングの情事に関する写真などを目ぼしいジャーナリストに提供した。しかし、それを報道しようとする者はいなかった。60年代には、この手の話題はジャーナリストの品位と倫理に関わるものとみなされていたからだ。
 キングが40歳にならないうちに白人脱獄囚に暗殺されたというニュースが広がると、たちまち暴動がアメリカ全土ではじまった。暴力事件は120都市の黒人居住地区で起きた。殺された黒人はワシントンDCだけでも12人にのぼった。
 この年、私は大学2年生でした。本当に世界が揺れた年です。日本は大変好景気が続いていましたが、学生は街頭デモをくり返していました。私も、銀座の大通りを何度もフランスデモで行進しました。深夜のことですが、壮観でした。なんだか世界を支配したかのような気分で,とても爽快でした。同じときにアメリカの青年は徴兵制のもとでベトナムの戦場へ狩りたてられていたのです。同世代の日本人青年がアメリカに行っているときに徴兵されてベトナムに送られ、日本に帰ってきたときに亡命を表明するということもありました。

がん遺伝子は何処から来たか?

カテゴリー:未分類

著者:J・マイケル・ビショップ、出版社:日経BP社
 原題は「ノーベル賞獲得法」だったそうです。ノーベル賞を受賞した著者が、それに至る経緯も紹介しています。
 男の成功の陰には女性の呆れ顔がある。なんとなく分かる言葉ですね。
 自分が本当に必要とされている場所を選ぶできであり、進むべき道を見栄などで決めてはいけない。まことにもっともな指摘です。私も今の弁護士という職業、そして今の活動場所(ホントに田舎です)に決めて良かったと本当に思っています。
 三つの教訓を得た。第一に、その分野の専門家よりも、外から見ることのできる立場の人間の方が鋭い観察をすることがある。経験不足だからといって。ひるむ必要はない。第二に、自分の想像力に信頼を置くべきだ。たとえ通説と矛盾する内容であっても、というより矛盾するときこそ、自信を持たなければならない。第三に、常識に挑戦する知的態度が不可欠だ。平均以上の成果を上げようと思うのなら、危険を覚悟しなければならない。
 この指摘にも、すごく同感します。
 人に知識を伝えたいという欲望は、体の中から自然にわき出てくるものだ。身構えてするものではない。理屈も不要だ。これは文化の中で生きる人間として一種の義務であり、使命でもある。私のなかにも、私が理解しえたことを世の中の人に分かりやすく伝えたいという欲望があります。それはふつふつと湧いてくるもので、止めようがありません。私が、弁護士になって1年に1冊以上は本を出版してきたのは、その結果です。義務感とか使命感というより、ともかくおのれの心が命ずるままに本を書いて出版してきたということです。残念なことに、あまり売れませんので、最後はタダで配っています。
 異質な者を受け容れる集団には、寛容な姿勢とともに優れた才能がおのずと備わっている。日本の社会そして日本の大企業に、この寛容さが失われている気がしてなりません。異なった思想・信条の人も広く包摂する集団こそが明日への飛躍を保証するのだということが忘れられているように思います。
 多くの微生物は、人間が安心して快適な生活を送り、人生を楽しんだり、ときには快楽を味わったりするために不可欠な存在、少なくとも重要な役割を果たしている存在なのである。ヒト1人につき100匹もの微生物が生息している。たとえば、私たちの体に進入してくる一過性の微生物のうち、有害な菌が容易に定着してしまうことがないのは、正常細菌叢が退治してくれるからだ。排便後、トイレットペーパーをいくらつかっても、肛門の周囲の皮膚表面には何百万という腸内細菌が付着する。だが、数時間のうちに、この部位にふだんから住みついている細菌が侵入者を一掃してしまう。
 ヒトの体は300兆個の細胞の集合体である。だが、細胞は単なる構成単位ではない。内部に精緻な仕掛けをもち、生きて呼吸する。機能を果たすために体内を移動することもある。その機能はまちまちで、それぞれ任務が決まっている。化学物質レベル、あるいは分子レベルの言葉で互いに会話もする。増殖能力をもち、人の場合、生まれて死ぬまでに述べ1京回(1兆の1万倍)分裂する。各細胞は、自分がいつ、どこでどのように仕事をすればいいか把握している。この秩序が乱れると、がんが発生する。がん細胞は、他の細胞とのあいだで取り結ぶ社会契約を無視し、無秩序な増殖を続け、版図を広げる。
 ヒトの体内では、一生のあいだに少なくない数の細胞ががん化につながるような異常をきたすと考えられている。そして、たいていは手に負えなくなる前に、初期の段階で正常な状態に回復するよう処理される。しかし、まれにそのままがん化のプロセスがすすみ、一個のがん細胞が分裂を続けて塊を形成する。こうした歯止めのきかない増殖によって致命的な結果がもたらされる。
 がん細胞はがん細胞を生む。がん細胞の機能は細胞から細胞へと受け継がれていく。
 がん細胞とは何か。私たちは何を考え、どうすべきか。さすがにノーベル賞を受賞した人は違いますね。いろいろ示唆に富むことの多い本でした。

サバイバル登山家

カテゴリー:未分類

著者:服部文祥、出版社:みすず書房
 すごい山登りです。厳しい自然のなかで自分の全存在をかけて登っていきます。私にはとても真似できませんし、また真似するつもりもありません。冬に寒いのはいやですし、夏に蚊に刺されるのも耐えられません。ご飯はわが家でゆっくり食べたいし、トイレも水洗を愛用しています。雪の洞窟のなかに閉じこめられ、他人のいるところで用便するなんて、たまりません。それにしても恐るべき山登りの記録です。
 夜テントで寝ているところを、キツネに食料をごっそり盗まれてしまった。あと10日ある山行の14日分の行動食をキツネが袋ごと持ち去った。残った食料はモチ1キロと乾燥米12袋、紅茶と砂糖、ヤッケのポケットに入れていたアメ6個とカロリーメイト1箱のみ。海岸で打ち上げられた昆布と海辺に生息する小さなウニを見つけて無心で食べる。スキーをザックにくくりつけた人間の出現にエゾシカが驚き、崖から転落して死んだ。
 生きようとする自分を経験すること。これが著者の登山のオリジナル。山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。だからこそ、そこには絶対的な感情のある気がする。
 生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界に存在していることを感じたい。そのために山登りを続けている。そして、ある方法にたどりついた。食料も装備もなるだけ持たずに道のない山を歩いてみる。最大11日間の山行にもっていく食料は、米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、コショーだけ。電池で動くものは何も持たない。時計、ヘッドランプ、ラジオも、コンロと燃料もなし、マットもテントもない。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山菜を食べ、草を敷いてその上に眠り、山に登る。
 えーっ、そんなことができるかしらん。
 山梨県南部の見延から、富士川支流をのぼっていく。南アルプス方面だ。ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけ、頭をふんづけて殺す。皮をはぐと、腹から溶けかけたカエルが出てきた。その未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープとする。もう一匹のカエルは皮をはいで内臓を出して丸焼きにする。でも、食べるところは、ほとんどない。
 岩魚の内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。岩魚は、さばいたら塩・コショーして近くの枝にぶら下げておく。これで余計な水分が抜けて燻製づくりがうまくいく。岩魚は、ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。岩魚は型が良ければ、刺身が旨い。
 カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけを燻製にする。おみやげに喜ばれるカエルの姿干しだ。このカエルはおやつ専用。
 山のなかでの「なんとなく」という感覚は大事にする。言葉に還元できない総合判断、身体全体で考えているということ。研いだ米は、急がないなら誤ってけ飛ばさないところに置いておく。焚き火の近く、じんわり暖まるくらいに置く。
 はじめ調味料は砂糖と塩とコショーだけだったが、最近はミソとゴマ油そしてしょう油も持っていく。塩・コショーだけではあまりにも味気なくて、まいってしまった。たとえ数日間でも、同じもの同じ味を食べ続けるのは、大いなる精神的苦痛だ。
 一週間ほどの山行なら、全装備・食料が35リットルのザックに余裕をもって収まる。しかし、自給自足は手段であり、あくまでも登山が目的。
 長い冬山のあとは、炒め物や生野菜が妙に旨い。サバイバル登山とは、自分の体が隠し持っている能力に出会う機会でもある。
 山でもっとも厄介なのは風。風は、静かに降る雪や雨の何倍もの力で人の生命力を奪い去る。風の影響のないところに幕営地を変更した方がいい。予備の装備を持っていくより、道具をつくり出すための道具、使いやすいナイフや小さなペンチを持っていく。新聞紙が防寒具、タオル、ぞうきん、風呂敷のかわりをする。お尻は川か水たまりか雪で洗うから、トイレットペーパーも不要。シュラフは化繊から羽毛にかえる。軽く、小さくなる。
 沢をゆく旅では、行動用の服と泊まり場用の服を分けたほうがいい。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツのこと。ないと困るのは、完全防水を可能にするビニール袋。乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
 朝は6時までに出発する。出発したら9時を過ぎるまでザックは下ろさないし、何も食べない。これは自己規律。9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。12時を過ぎるころには、へたばってきて、その日の宿営地を探しながら歩く。13時から14時には泊まり場を決める。お米は2合強を一度に炊く。翌朝の分までつくっておく。
 すごい、すごーい。すご過ぎます。とてもとても私には出来ない山登りです。本を読むだけで十分でした。でも、知ってみたい山行きの世界です。
 台風一過、秋晴れの日となりました。曼珠沙華が咲いて、秋の気配が濃くなりました。
 台風で、庭の葉がかなり吹き飛んでしまいました。エンゼルストランペットは全滅です。芙蓉の花はまだ生き残りました。酔芙蓉の花がまだ咲いていませんが、なんとか花を咲かせてくれるものと期待しています。庭を片づけて、かなりスッキリしました。チューリップの球根を植える準備をすすめなければいけません。

中国を取るアメリカ、見捨てられる日本

カテゴリー:未分類

著者:矢部 武、出版社:光文社ペーパーバックス
 アメリカ人にとって、日本はもはや魅力や興奮を与えてくれる存在ではなくなり、その座を中国に取って代わられてしまった。アメリカのメディアにおける日本関連報道は激減し、アメリカ人の日本への関心は低下している。アメリカのメディアは、東京支局を閉鎖したり、縮小している。日本軽視、中国重視の傾向が強まっている。
 2003年、中国のGDPは1兆4000億ドルで世界第7位。2005年には2兆2000億ドルを超え、フランス・イギリスを抜いて世界4位となった。2017年には中国は日本に追いついて世界第2位となるとみられている。
 靖国神社にこだわる小泉首相によって日中首脳会議も開けない。隣国と対話できない日本は、アメリカにとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本が東アジアのなかで役割を果たしてこそだ。
 中国人の贅沢品・娯楽の年間消費高は20億ドル、世界全体の12%。これは、アメリカ、日本に次いで、世界第3位。カリフォルニア大学バークレー校では、2004年まで受講者数1位だった日本語は、中国語にとってかわられた。ハーバード大学でも同じ。日本語クラスを減らして、中国語を増やしている。受講者は中国語580人、日本語は半分以下の269人。
 戦犯を祀っている靖国神社へ小泉首相が参拝すれば、中国・韓国だけでなく、欧米をふくむ世界の国々からの理解は得られない。それは日本の国益にとって大きなマイナスとなる。
 小泉首相が何と言おうが、日本が中国を侵略したという過去を変えることはできない。小泉首相の靖国参拝は、「日本は悪くなかった。日本も被害者だった」と考える人々を勢いづかせ、それが一般日本人の対中観の悪化にも影響を与えている。その責任は重大である。そんな人々が小泉政権の強い支持基盤になっているのだろう。
 日本国憲法9条を改正しようという動きは、アメリカが冷戦の終結後、憲法9条を改正して、「普通の国」になっているよう圧力をかけてきたことによる。普通なら内政干渉として大問題になるところだ。しかし,日本がアメリカに抗議したことは一度もない。こんなことで、はたして日本は独立した民主主義国家と言えるのだろうか?
 いやあ、本当にそのとおりですね。情けないと私も、つくづく思ってしまいました。
 日曜日(10日),庭に出て剪定しました。ナツメの木や梅の木などが伸びすぎているのをカットし、ヒマワリはまだ咲いていましたが強制終了させてしまいました。芙蓉のピンクの花、アンデスの乙女の黄色い粒々の花、そしてエンゼルストランペットの淡い黄色の花が今、咲いています。下の田んぼの稲穂も次第に頭を下げてきました。秋の気配を日々感じるこのごろです。

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