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明治天皇

カテゴリー:未分類

著者:笠原英彦、出版社:中公新書
 明治天皇が生まれたのは嘉永5年(1852年)秋のこと(9月22日)。孝明天皇の第二子。母は孝明天皇の側室、典侍として入内(じゅだい)した権大納言(ごんだいなごん)中山忠能(ただやす)の次女慶子(よしこ)。明治天皇は4歳まで母の実家である中山家で養育された。中山家には型破りな人間や熱血漢の儒学者などがいて、明治天皇は大いに感化されたと思われる。
 孝明天皇は6人の皇子・皇女に恵まれながら、そのうち5人までが3歳を数えるまで生きられなかった。慶応2年(1866年)7月、徳川家茂が21歳で大阪城で死亡。慶喜が後継者となって長州征討を中止。孝明天皇も同じ12月に36歳で亡くなった。毒殺されたとも言われる。明治天皇の即位は、慶応3年(1867年)1月、16歳のとき。
 イギリス公使が明治天皇と会見したときに同席したアーネスト・サトウは、次のように明治天皇を描いた。
 天皇は眉を剃り、その上方に描き眉を施すなど化粧をし、応対はぎこちなかった。
 横井小楠によると、明治天皇は面長で浅黒く、背丈はすらりとして声は大きかった。
 天皇が東京に来たのは明治1年(1868年)10月13日。江戸城を皇居と定めた。京都から東京までの旅費80万円を天皇家の財政は負担できず、沿道の諸藩から借金した。
 孝明天皇は外国や外国人を洋夷として忌避していたが、明治天皇はむしろ西洋に多大の関心を示した。天皇は政務に対してはあくまで熱心だった。必ずしも才気煥発とはいえないが、大変な努力家ではあった。
 西郷隆盛が征韓論が容れられずに下野したとき、明治天皇は22歳。自律的な判断を下せるとは誰も想像していなかった。西郷に殉じる者はあっても、天皇に忠誠を尽くそうとする者はいなかった。天皇はむなしい気持ちに駆られた。天皇の権威失墜は決定的で、このような事態を如何ともなしがたかった。だから、次第に酒にふけるようになった。
 明治天皇は、皇后とのあいだに子はなく、権典侍の柳原愛子(なるこ)とのあいだに皇子2人、皇女1人をもうけた。しかし、無事に成長したのは、のちの大正天皇だけだった。
 西南戦争のとき、明治天皇は26歳。西郷との直接対決を避けようとし、西郷が死んだあと追悼歌まで詠んだ。西郷に対する同情には深いものがあった。
 明治天皇は日頃、よく人物評を口にした。黒田清隆については、実にいやな男だと言い切った。しかし、天皇は内閣の輌弼を受けて消極的天子であることが望まれた。天皇が宮中で側近からの進言を耳にして意思表示することは、政治責任を負う内閣の動きと齟齬することが懸念された。
 明治憲法を制定するまでの枢密院における審議に明治天皇は一日も欠かさず出席し、玉座で目を光らせた。明治天皇は政治に関心を示し、政策の方向づけや人事に介入した。天皇は政治的に成熟してきていた。
 明治天皇は大隈重信の入閣によい顔をしなかった。明治天皇は進歩思想を敬遠する傾向があった。藩閥政府に加勢していた天皇は政党の進出を内心快く思っていなかった。
 明治天皇は常に立憲君主としてのあり方を模索していて、能動的な行動を自制していた。つまり、明治天皇は「専制君主」ではなかった。
 明治天皇の祭祀嫌いは半端ではなかった。主要な行事は掌典長が代拝した。
 天皇についての「常識」は、たいてい明治以降のことであって、江戸時代までのものとは違うということを、今の日本人はあまりにも知らないように思われます。明治天皇の生活の一日を紹介した本(前にとりあげました)とあわせて読むと、ますます面白いと思います。この本を読むと、一人の等身大の人間が見えてきますから、明治大帝という呼び方には大いに違和感を覚えてしまいます。

ニッケル・アンド・ダイムド

カテゴリー:未分類

著者:バーバラ・エーレンライク、出版社:東洋経済新報社
 アメリカの女性ライターが、スーパーのレジ係などの低賃金労働者になった体験談をまとめた本です。前にイギリスの女性ライターが同じような体験をして本にまとめたものを紹介しましたが、アメリカの方が悲惨さはひどい感じがします。
 求人広告とは、低賃金労働者の高い移動率に備えるための、雇用側の保険なのだ。現在の従業員が辞めたとき、補充するため、求職者を確保しておきたいということなのだ。
 時給6ドルとか10ドルで暮らしている人々には、生き残るための秘策なんてない。ほとんどの場合、「住」こそ生活を破綻させる最大の要因になっている。時給6ドルとか7ドルということは、週に平均40時間働くとして、週給200〜250ドルでしかない。
 求職者には、性格検査がなされる。マリファナに強くこだわる内容となっている。ところが、この性格検査は、年商4億ドル産業にまでなっている。アメリカでは、それほどまでマリファナ汚染がすすんでいるのですね。
 アメリカでは職場での薬物検査を支持する声は高い。検査したら、事故や欠勤が減り、健康保険への請求も少なくなって、生産性が向上するという理由だ。しかし、アメリカ自由人権協会の報告はそれをいずれも否定している。検査には膨大な費用がかかっている。1990年に連邦政府が職員2万9000人を検査するためにつかったお金は1170万ドル。ところが、陽性反応が出たのは、たった153件だった。1人の薬物常用者を調べ出すのに、7万7000ドルもかかったことになる。なぜこんなことが続いているのか。一つは、20億ドル産業といわれる薬物検査業界が展開する広告の成果だ。もう一つは、この検査のもつ屈辱的効果が雇用主にとって魅力となっている。ええーっ、そういうことなんですか・・・。アメリカって、ホント恐ろしい国なんですね。
 ハウスクリーニングがアメリカで流行している。利用している家庭は14〜18%もあり、どんどん伸びている。そして、使用人を監視し、その窃盗を防止するための隠しビデオカメラのテレビ広告が目立っている。
 貧しい女は、とくに独身女性は、二重ロック付き、警報システム付き、夫付き、犬付きの家に暮らす女たちより、恐れなければならないものがこんなに多いのか、身に沁みて分かった。著者の女性ライターの文章を読んで、いやあ、ゾクゾクしてきました。ホントにホントに、アメリカって怖い国なんですね。いつもいつも、こんなにビクビクしながら暮らさなくてはいけないなんて、とても信じられません。こんな国には住みたくありません。
 ウォルマートの女性従業員の多くは、底の薄いモカシン(靴)で一日中走りまわっている。ヘアスタイルも階級を見分ける手がかりになる。ポニーテイルが多い。肩まで伸びたストレートヘアを真ん中分けして、顔にかからないように二本のピンで留めるのもまた、希望もなく疲れ果てたウォルマート店員の典型的な姿なのだ。ウォルマートのなかにいると、ウォルマートがすべてになってしまう、それ自身で完結した排他的な世界に閉じこめられてしまう。
 単純労働など、楽勝だと思われるかもしれない。だが、それは違う。どんな仕事も、どれほど単純に見える仕事でも、本当に単純ではない。
 今や、私たち自身が、ほかの人の低賃金労働に依存していることを恥じる心をもつべきなのだ。ワーキング・プア(働く貧困層)と呼ばれる人々は、私たちの社会の大いなる博愛主義たちといえる。彼らは、その能力と、健康と、人生の一部をあなたに捧げているのだから。
 アメリカの現実を深く考えさせられる本です。では、日本はいったいどうなんでしょうか・・・。町中、どこもかしこもコンビニだらけ。従来のパパ・ママストアーは見かけなくなりました。デパートも生き残りが厳しくなり、今や郊外型ショッピングモール全盛時代です。でも、これだって、いつまでもつのやら・・・。政府が福祉切り捨てを公然と語っているのに怒りの声が不思議なほどあがりません。日本人は、昔から一揆が大好きな国だったのですけどね。和をもって貴しとせよ、という言葉は、おまえたちあまりケンカばかりするな、そのころも日本人はたしなめられていたということですよ。もっと怒りましょうよ。2世議員か3世議員か知りませんが、日本の過去を無視してしまう、あんな安倍なんかに日本の国の将来をまかせておけますか、あなた?

笑いの免疫学

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著者:船瀬俊介、出版社:花伝社
 著者も団塊の世代です。北九州の荒牧啓一弁護士は早稲田大学の同級生だったそうです。消費者問題などの著書があり、私もいくつか読んだ覚えがあります。この本は、その延長線上にあるものでしょう。なかなか面白く、画期的な内容の本です。
 かの有名なシュバイツァー博士は、こう言った。
 いつも、自分がどんな病気にかかろうと、一番いい薬は、すべき仕事があるという自覚に、ユーモアの感覚を調合したものである。なるほど、ですね。
 たとえ若い人でも、健康な人でも、一日に約3000〜5000個くらい、がん細胞は発生している。毎年31万人が死んでいると言われるがん患者の8割、25万人は抗がん剤や放射線、手術などのがん治療で殺されている。白血病やリンパ球腫などを除いて、抗がん剤で治るがんはない。抗がん剤により、命を短くしている印象すらある。
 患者には抗がん剤をつかいながらも、自分ががん患者になったときには抗がん剤の投与を必死になって拒む。抗がん剤以外の代替療法でがんからの生還を期す医師(医学部教授)は少なくない。
 毎日、数千個も産まれているがん細胞が無限に増殖せずに、人類が100万年以上も生きのびてこられたのは、がん細胞の増殖を抑える免疫細胞があるから。キラー細胞の強い人の生存率は弱い人の2倍以上。だから、がん治療の最大の目的は、このキラー細胞を強くすることに尽きる。
 ところが、がんに対する三大療法は、どれも患者の免疫力を徹底的に叩き、弱らせてしまう。つまり、がんと戦うキラー細胞を徹底攻撃している。三大療法とは、抗がん剤、放射線、手術のこと。これは、実は、がん応援療法なのだ。
 抗がん剤の最大攻撃目標は、患者の造血機能。赤血球が殲滅されて、悪性貧血になる。血小板が壊滅して内臓出血で多臓器不全で死亡する。また、リンパ球も消滅させられる。ナチュラル・キラー細胞は、リンパ球の一種。だから、抗がん剤の投与で、がんを攻撃するキラー細胞は全滅し、がん細胞が大喜びする。放射線治療でも、造血機能が殲滅される。
 ところが、笑うことで脳血流が増加し、脳が活性化し、記憶力もアップすることが具体的な数値で立証されている。笑いは深呼吸に勝る。大量に息を吐くことで、その後、酸素を大量に取りこむ大深呼吸となる。ストレスで脳は興奮状態になり酸素を急激に消費する。すると脳細胞は酸欠となり、機能が低下する。しかし、笑うと大量の酸素が脳に取りこまれ、弱った脳細胞にいきわたり、脳のはたらきが活性化する。気分がスッキリすると、ストレス物質コルチゾールが減少し、ストレス状態が鎮められる。
 著者は、『笑うと免疫力』(ノーマン・カズンズ、岩波書店)を推奨しています。私も読みましたが、笑いはたしかに心身を健康にするものだと実感しています。
 私の法律事務所では、幸いなことに笑いが絶えません。ただし、深刻な相談を受けているときに大きな笑い声が聞こえてきて困ることもあります。それでも、深刻な内容を笑い飛ばせるような心の触れあいと交流を相談に来た人としたいものだと考えています。

社長の椅子が泣いている

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著者:加藤 仁、出版社:講談社
 一代で大企業をつくりあげたオーナーの前では、立派な実績をあげた有能な社長であっても、簡単に社長を解任されることがあるのですね。オーナーは可愛い我が子を企業の存続・発展を無視してまで優遇してしまうのです。まるで豊臣秀吉の世界です。その理不尽さに呆れてしまいました。
 舞台は静岡県の浜松市です。ここにホンダとヤマハが生まれました。ホンダの社長とヤマハの社長とが兄弟だったなんて、ちっとも知りませんでした。当事者も、それぞれの社員の手前、それを隠していたそうです。実の兄弟であり、ケンカしていたわけではなく、むしろ仲は良かったのに、公然と会うのは遠慮していたというのですから、やはり世間の目はそれだけ厳しいということですね。
 この本の主人公は、46歳でヤマハの社長になった弟の方です。アメリカにも6年半いました。ただし、社長の在任期間はわずか3年あまりで、ある日突然、オーナー(創業者)に解任されてしまったのです。
 会議をやれば、人間の能力がわかるんだよ。だれが馬鹿か、だれが利巧かね。
 組織の最高権力者からこのような牽制球を投げられると、管理職は萎縮し、プレゼンテーションひとつとっても、権力者の気に入るようにするのが会議の主流となる。
 ヤマハにおける川上源一は、実は、創業経営者でもなければ、オーナー経営者でもなかった。川上一族が所有する日本楽器の株式を合計しても3%にみたず、いわゆるサラリーマン経営者である。それでも源一が社長そして会長と30年にわたって君臨しえたのは、親が東大「銀時計」であるという出藍の誉れ、昭和30年代までのリーダーシップ、後継者候補を切り捨て続けた人事操作、くわえて自分を「殿さま」と思ってはばからない個性によるものだった。なるほど、そういうことだったのですかー・・・。それにしても、企業を私物化するエセ・オーナーって怖い存在ですね。
 徹底したマニュアル化は、人間のロボット化にほかならず、ノー・シンキングの社員を輩出することになりかねない。必要なのは、自分で問題を発見し、解決する人材である。
 河島博はヤマハ社長を解任されたあと、ダイエーの中内功に請われてダイエーの副社長に就任しました。ダイエーの建て直しに功績をあげ、続いてリッカーミシンの再建に力を注いだ。ところが、中内功に追放されてしまうのです。
 企業における社長の椅子がこんなにも重く、また軽いものなのか、驚き呆れながら500頁近い大作を読み通しました。

死刑執行人の記録

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著者:坂本敏夫、出版社:光人社
 懲役受刑者は四級からはじまり、三、二、一級と進級する。上位の級に進むにしたがって自由の範囲が広がり、社会復帰が近くなる。1933年(昭和8年)につくられた、当時は世界の最先端をいく画期的な制度だった。
 自由の範囲というのは、手紙を出せる回数、面会できる回数、自分のものがつかえる日用品等の物品の種類がふえるということ。手紙だったら、四級は月一回、三級は月二回、二級は週一回、一級になると毎日出せる。一級者になると、着衣や身体の検査もなく、独歩といって、刑務官の付き添いなしで構内を歩くことも認められる。
刑務官は1万5000人。その90%は幹部養成の研修も試験も受けない。幹部は転勤をともなうから。
 仮釈放は、刑務所の推薦があってはじめて審査の対象となる。それはパロール審査会で決まる。そのときもっとも参考にされるのは処遇係長の意見。
 死刑の執行は判決が確定してから6ヶ月以内に行うと刑事訴訟法に定められているが、実際には10年前後経過して行われている。もちろん、先日の大阪の例のような例外はある。
 絞首刑によって心臓が停止するまで、つまり生物学的に死亡するまでの平均時間は10分だといわれている。
 処刑に立会するのは高等検察庁の検察官と検察事務官、拘置所の所長、教誨師、医務課長。
 日本における死刑執行の状況を小説という形をとって克明に再現した本です。死刑執行の是非を真面目に考えるときにはぜひ読んでほしい本だと思いました。

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