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心臓にいい話

カテゴリー:未分類

著者:小柳 仁、出版社:新潮新書
 心臓は、自ら音を出す唯一の臓器である。私たちの意思とは無関係に、定期的に音が聞こえているような臓器はほかにない。
 心臓は、安静時で1分間に70回拍動し、1回ごとに出ていく血液は70ミリリットル。最低でも毎回10万回も収縮をくり返し、7000リットルもの血液を全身に送っている。心臓から流れ出た血液は、30秒ほどで全身をめぐって再び心臓に戻ってくる。えーっ、そんなに早く血は身体中をめぐっているんですかー・・・。
 日本では、現在、30万人がペースメーカーをつかっている。
 ニトログリセリンに血管拡張性があることが分かった。ニトログリセリンには冠状動脈を広げる効果がある。私の依頼者にもニトログリセリンを持ち歩いている人が何人もいます。舌下錠です。心臓に激痛が走ったとき、舌下に1錠入れて10〜20分で効果があります。逆に30分たってもまだ苦しくて、2錠目が必要になるかどうかで、狭心症なのか心筋梗塞に向かいつつあるのか区別できる。そうなんですかー・・・。
 心臓は許される虚血時間が短い。4時間しかもたない。4時間のうちに血流を再開して、真っ赤な血を流してやらなければ、その心臓は蘇生しない。これに対して、肝臓は12時間、肺は8時間、腎臓では24時間の虚血時間に耐える。
 心臓移植をして、20年以上も生活している人がいる。現行の人工心臓の耐用期間は、長くても2〜3年。現在、人工心臓によって生命を維持している人は、日本国内に20〜30人ほど。
 心臓にとって、たばこは厳禁。ニコチンを注射すると、冠状動脈は攣縮してしまう。タバコは心臓にとって、百害あって一利なし。
 健康な心臓にとって、ストレスは必ずしも大きな問題ではない。真夜中から午前中にかけて心臓発作が起こりやすい。睡眠中には脳からの指示がないから。昼間のストレスを受けながら活動しているときには、心臓は元気よく働いてくれる。
 死ぬまで休みなく働いてくれる心臓がいとおしくなってくる本です。

アップ・カントリー

カテゴリー:未分類

著者:ネルソン・デミル、出版社:講談社文庫
 なんと1968年のテト攻勢をメイン・テーマとする現代アメリカ小説です。驚きました。実は、私も同じ1968年を扱った小説を書いていて、この年に何が起きたかについて調べていますから、よく分かります。
 1968年2月のテト攻勢は、私が大学1年生のときに起きました。本当に驚きましたよ。だって、サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ大使館が「ベトコン」の決死隊によって占拠されてしまったのですから。アメリカ万能ではないことを全世界に知らしめた画期的な事件でした。ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵は5万8000人。ワシントンにある長く延々と続く壁に、その氏名が彫り込まれていて、観光名所にもなっています。
 1968年は、アメリカが最大の死傷者を出した悲しみの年だ。テト攻勢、ケサン攻囲戦、アシャウ峡谷の激戦など。私も、リアルタイムで聞いていました。
 1968年は、またマルチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とロバート・ケネディ大統領候補の暗殺があった年でもある。そして、アメリカでも日本でも大学紛争があり、アメリカでは都市暴動まで起きている。
 このテト攻勢のさなか、アメリカ軍の中尉が大尉に殺されたのを一人の「ベトコン」兵士が目撃した。その状況を書いた手紙が30年たって発見された。この目撃者を調べてほしい。こんな依頼を、陸軍犯罪捜査部を退役した元准尉が、かつての上司から受けることから話は始まります。そして、ベトナム各地を、かつてのアメリカ陸軍第一騎兵師団の兵士として戦闘に従事した思いを抱いて歴訪します。ベトナム戦争の惨状が記憶に生々しくよみがえってきます。読者は、当然のことながら、ベトナム戦争を追体験させられます。実にすさまじい戦争でした。
 アップ・カントリーというのは、田舎のほう、という意味のようです。ベトナムにいたアメリカ兵がマリファナなと薬物に手を出していたことはよく知られていますが、軍事物資の横流しや文化財の持ち出しなどの犯罪も横行していました。この本は、30年前の犯罪が今も問題となることがあることを明らかにしています。それはアメリカ大統領選でケリー候補の軍歴が問題になったことでも明らかです。
 700頁もある分厚い文庫本で上下2冊の本です。長崎の福田浩久弁護士よりすすめられて読みはじめました。実は、今月末から6日間、ベトナムへ旅行するつもりなのです。大学生時代、ベトナム戦争反対を叫んで何度となく集会やデモ行進に参加していたものとして、また、ベトナム関係の本をたくさん読んだものとして、ベトナムにはぜひ一度行ってみたいと思っていました。

トンマッコルへようこそ

カテゴリー:未分類

著者:チャン・ジン、出版社:角川文庫
 博多駅そばの小さな映画館で映画をみてきました。韓国で800万人が笑って泣いた映画だとオビにかかれていますが、まさしく笑えるシリアスな映画です。感動大作というより、心あたたまるファンタジー映画という感じです。といっても、朝鮮戦争を扱っていますから、「JSA」「シュリ」「シルミド」「ブラザーフッド」ほどではありませんが、戦闘場面も出てきます。でも、どこか、ほのぼのとして、とぼけた雰囲気なのです。
 流れるテーマ音楽もぴったりなのですが、どこか聞いたような気がするなと思っていると、日本人の作曲で、あの宮崎駿監督の映画でテーマ音楽を作っている人でした。道理で、よく雰囲気が似ています。
 ときは朝鮮戦争のまっ最中。トンマッコルという山奥の村に、北へ脱出しようとしている、いわば敗残兵の人民軍兵士3人がやってきます。そして、南の韓国軍の脱走兵も2人流れてきます。そのうえ、偵察機が墜落してしまったアメリカ海軍大尉までやってくるのです。ところが、外部と途絶した生活を送っている村人は戦争が起きていることを知りませんし、武器のことにもまったくの無知です。鉄砲は長い棒でしかありませんし、ヘルメットは洗面器を逆さにして頭にかぶっているものに見えています。
 知恵遅れの少女が村の内外を自由奔放に飛びまわっています。この少女の笑顔が、また実に素晴らしいのです。純粋無垢を体現するかのように輝いているのです。
 村長が、村人を見事に統率している秘訣を尋ねられ、次のように答えます。腹いっぱい食わせることだ、と。なーるほど、ですよね。飽食と一般に言われている今の日本でも、餓死者が出ているんです。生活保護を受けられずに餓死する人がいるんですよ。
 私の依頼者にも、まともに食べられずにいる人は少なくありません。せいぜいコンビニ弁当かスーパーのタイムサービスで半値になった食品を買ってしのいでいる人が何人もいます。飽食日本とばかりは言えない現実があるのです。
 映画館のパンフレットによると、太白山脈の山奥に廃村となった土地を探しあて、  5000坪の広さの土地に理想郷トンマッコルを2億円かけてつくりあげたそうです。なーるほど、すごいものです。俳優の顔も実に生き生きとしています。
 それにしても、1950年代、同じ民族同士で殺しあったという戦争がひきずるものは、本当に大きいんだなと、つくづく思いました。

東アジアのなかの日本古代史

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著者:田村圓澄、出版社:吉川弘文館
 女王卑弥呼の政権を支えたのは、女王卑弥呼が祭る「神」ではなく、「異国の皇帝」であった。魏の皇帝の支持と援護を失うならば、卑弥呼は、倭の女王であることはできなかった。女王卑弥呼は巫女(みこ)であった。卑弥呼は神権政治を行って以降、その姿を見る人は少なくなっていた。
 倭は尊卑の差序によって区分される、身分社会であった。大人ー下戸ー奴婢の3階層に大別できる。3世紀の倭の「クニ」は、邪馬台国の女王卑弥呼の支配下にあったが、しかし、女王卑弥呼が支配する倭は、倭の一部だった。
 実在が確認できる最古の倭王と考えられる応神大王(天皇)はいうまでもなく、架空の存在とみられる第一代の神武大王にはじまり、以後のすべての倭王は自己の宮をもち、その宮に住んでいる。この一大王一宮の制度・慣行は、古代中国の各皇帝、朝鮮半島の各王朝においては見られない。倭王のみに固有の制度・慣行だった。同一の宮が、2人またはそれ以上の倭王によって住居として使用されていた例はない。「古事記」では、33代の推古大王まで、「日本書紀」では39代の天武天皇まで、ひとりの例外もなく一倭王一宮の慣行を厳守している。それを打ち破ったのは、天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)の出現である。倭王の宮は、もともとは神を祭る場であった。そうだったんですか・・・。認識を新たにしました。
 倭の大王の即位は、群巨の衆議による。そうだったのですか・・・。現大王が次の大王を指名して自動的に決まるということではなかったのですね。
 太宰府設置以前の筑紫には、太宰府と同類の役所は存在しなかった。太宰府は、来日する新羅使を上陸第一歩の筑紫の地において、「蕃国」の客としての賽礼で送迎する官衙(かんが)であり、701年(大宝元年)に制定された大宝律令によって設置された。
 太宰府が設置されるころの日本の情勢もよく分かる本です。
 北部九州の山に、開創者が海の彼方の人であるとする山がある。英彦山は魏の善正、雷山(前原市と佐賀郡との境にある)は天竺の清賀、背振山は天竺の徳善大王の十五王子とする。これは、渡来系の集団がこの山に定住していたからではないか。うむむ、そうだったのでしょうか。でも、天竺って、インドのことじゃなかったかしらん・・・。
 蘇我馬子は崇峻(すしゅん)大王を公開の場で殺害したが、誰もとがめることはなく、かえって当然視された。非は崇峻大王にあると当時の人々は考えていた。
 当時の倭王には「倭王の軍」はなかった。倭王が指揮・統率する「国軍」は存在しなかった。ムスビノ神の祭祀を本務とする倭王が、軍事力とかかわりをもたなかったのは、当然といえる。
 隋の煬帝が無礼だと考えたのは「日出る処」と「日没する処」との対比の箇所ではない。問題は「天子」にあった。天子はただ一人であり、隋の皇帝である煬帝であった。煬帝意外に天子はありえない。天命にそむく倭王の大王は許せなかった。
 聖徳太子の「太子」は倭の制度にもとづくのではなく、仏教経典に根拠をもつ名称である。「天皇」制の成立以前において「太子」が存在する理由はない。「摂政」を厩戸王の史実とすることにはためらいがある。聖徳太子は実在していたのか、著者も疑問を投げかけているようです。
 たまには、日本の古代史をふりかえってみるのも大切だと思いました。だって、いま、女性天皇を認めるかどうか大騒ぎしているわけですからね。私は天皇制なんて早いとこ廃止したほうが、みんなのためだと思います。だって、雅子さんがなんであんなに毎週のように週刊誌でバッシングされなくちゃいけないんですか。可哀想じゃないですか。あれも、改憲勢力が、女性天皇なんか認めたら日本はとんでもないことになるんだと警告するために叩いているのだそうです。支配層、実は権力を握った一部の人間の道具にすぎない天皇って、ホント、哀れなものなんですね。週刊誌の見出しを眺めるたびに、そう思います。天皇一家には基本的人権は保障されていないし、権力を握る連中には社会的常識も通用しないんですね。

攻防900日

カテゴリー:未分類

著者:ハリソン・ソールズベリー、出版社:早川書房
 昭和47年発行の本です。図書館から借りました。2段組み400頁で上下2冊の大部な本です。第二次大戦のとき、ヒトラーのナチス・ドイツ軍に包囲されたレニングラードの無惨な実情が、ことこまかに、これでもか、これでもかと描かれていて、読む人の気分を重たくさせます。でも、戦争って、こんなにひどいものだったんだ。そこから目をそむけてはいけないと思い、じっと耐えて最後まで読み通しました。
 安倍タカ派内閣のもとで、麻生だとか中川だとか、好戦的な連中が戦争をあおり立てています。本当に無責任な政治屋としか言いようがありません。戦争がどんなに悲惨なものか、この連中に読ませたいものです。でも、信じられないことに安倍内閣の支持率は68%だそうです。日本人には、そんなに流されるだけの人が多いのでしょうか・・・。
 この本を読むと、ヒトラーの世界征服という、とんでもない野心はともかくとして、スターリンの見通しのなさに呆れ、かつ怒りを覚えます。そのうえ、自分の非を認めず、責任を他になすりつけながら、権力保身に汲々とし、部下の将軍たちを冷酷・無情に次々と射殺していくのです。スターリンによるすさまじいばかりの粛正テロルのあとナチスに攻めこまれて大苦戦してなお、それをやり続けるのですから、まさしく狂気の沙汰としか言いようがありません。
 それでも、日本人は当時のソ連を笑ってすませるわけにはいきません。東条英機も昭和天皇も同じことでしょう。決して自己責任は認めなかったのですから。小泉前首相だって同じことです。あれだけ勇ましいことを言っておきながら、週刊誌にイタリアへ脱出か、なんて書き立てられているのです。無責任さは共通しています。こんなことを書いていると、一人でますます腹が立ってきました。あー、やだ、やだ。
 1941年6月。ヒトラーは独ソ不可侵条約を無視して、一方的にソ連領内に侵入した。スターリンは、挑発に乗るなと、その直後まで叫んでいた。つまり、まさかの不覚をとったのだ。そんな馬鹿なトップをもっていたソ連軍はたちまち崩壊させられた。
 ナチス・ドイツ軍は、ついにレニングラードを完全に包囲した。外部から食糧を搬入することもできない。レニングラードの人口は340万人にふくれあがっている。いったいどうするのか。
 最初に死んだのは老人ではなかった。若者、それもとくに少ない配給量で生きてきた 14歳から18歳だった。男は女より先にくたばった。健康で丈夫な者の方が、慢性廃疾者より先におさらばした。これは配給量の不均等の直接結果だった。12歳から14歳までの配給量は、12歳までの幼児の量とまったく同じ。1日にパン塊の3分の1、たったの200グラム。これは労働者の配給量の半分。しかし、成長期の元気な子どもは、労働者と同じ量を必要とした。若者たちが先に死んだのはこのため。配給量は男女同じで、労働者は一日パン400グラム。他の食物合計200グラム。しかし、男たちは活動的な生活をするから、もっと食糧が必要だった。それがないため、男は女より早く死んだ。
 古い皮革を煮てゼリーパテをつくったり、セルローズを煮出してスープをつくったりして、親は子どもを生きのびさせようとした。
 飢えは、性別を事実上なくした。人は性欲をなくし、性衝動が消えた。女はお化粧をしなくなった。口紅も食糧として食べた。化粧クリームはバター代わりに代用パンに塗って食べた。工場の浴場に男女の従業員が一緒に裸になって入っても、何も起きなかった。
 あとで飢饉が緩和して、配給がふえてくると、男女ともフロント・ラブ(前線愛)に芽ばえた。
 人は愛犬を食べた。さすがに自分の手では飼い犬は殺せず、知人に頼んだ。ネコも鳥も姿を消した。ネズミはドイツ軍の前線へと逃げ出した。
 闇市では人肉が売られているという噂が立った。本当かもしれないと人々は思った。食糧を貯蔵していた倉庫が焼失したあと、その土を掘り返して、売りに出された。鍋で煮出し、麻布でこして精製するのだ。
 1942年1月に餓死した市民は1日に4000人。月に12万人にもなる。レニングラードは、包囲が始まったとき、難民10万人をふくめて250万人の人口があった。 900日の包囲が終わりに近づいた1943年末、その人口は60万人だった。100万人の市民が包囲中に疎開した。また、10万人は、前線に徴兵された。すると、少なくとも、100万人が餓死した計算になる。
 その責任はヒトラーのナチス・ドイツにあるが、スターリンにも責任を分担してもらわなくてはいけない。しかし、実のところ、レニングラードが包囲を破ったあと、なんと、レニングラード包囲戦をたたかい抜いた将軍たち、そしてジダーノフやポプコフ市長などは、スターリンの毒牙にかかって、一斉に粛正(銃殺)されてしまったのだ。スターリンは自分に並ぶような英雄を許さなかった。戦争の非情さは、こんなところにまで貫徹したのです。
 恐るべきノンフィクションでした。前に紹介したスターリングラードの戦いもすさまじいものがありましたが、レニングラードの飢えとのたたかいの凄絶さには、度肝を抜かれてしまいます。

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