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海賊たちは黄金を目指す

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 キース・トムスン 、 出版 東京創元社
 海賊の書いていた日誌をもとに、その海賊生活を再現した異色のノンフィクションです。
 海賊7人の日誌をもとにカリブの海賊のありのままの世界を描くと本のオビにあります。
 いったい、海賊がこんなに詳しい日誌を書くものだろうかという疑問を抱きましたが、実は海賊といっても学問のある若者もいたというのです。これもまた驚きです。そして、内容は日誌というから無味乾燥かと思うと、さにあらずです。血沸き、肉踊る、海賊たちの活劇が展開していくのです。もちろん、海賊の多くは哀れな末路をたどり、しばり首になったり、早々に処刑されてしまいます。
 海賊を裁く裁判において、法廷には被告人側弁護人がいない。1696年より前は、被告人が弁護士を雇うことは禁止されていた。そのうえ、被告に不利となる証拠は裁判が始まるまで本人には伏せられていた。予備知識なしでそれに接したら、人は正直な反応を見せるというのが理由だった。
「率直で誠実な弁護」をするのに特別な技術は必要としない。もし被告人が助けを必要としたら、判事がその面倒をみることになっていた。いやあ、それはないでしょう。
 被告人が死刑に処せられるときは、「マーシャルズ・ダンス」をさせられる。特別な巻き方をしたロープを使うと、首を絞められても頸骨が折れず、海賊は首を吊られたまま絞首台で激しく暴れる。それがダンスをしているように見えることから名づけられた。うひゃあ、これって、いかにも残酷ですよね…。
 海賊は捕虜にした人間すべてに、かたっぱしから質問をぶつけるのが習いだった。生まれ故郷、都心そして地方のこと。その結果、各地の製造業、資産、防衛施設、軍事力、弱点といった情報が、いかなる諜報組織がまとめる調書にもひけを取らないほど充実する。海賊船は、いわば海に浮かぶ国政調査局なのだ。
 壊血病は、ずっと早くから医学界では認知された。皮膚がウロコ状になったり、病斑が浮き出たりする病気で、船乗りたちが一度に数カ月もの長旅に出るようになった15世紀から発症した。崗や船の難破そして戦闘人上に、この病気で命を落とす人々が多かった。その治療に柑橘類が有効だとイギリス海軍が突きとめたのは1796年のこと。それからは船旅をする人は、ライム果汁に1.5オンスの砂糖で甘味をつけたものを毎日とるようになった。
 スペイン人という共通の敵を前にして、イングランド人から成る海賊たちと、現地のクナ族とが手を結んだ。ジャングル内の道なき道を進んでいくとき、お互いに疑心暗鬼に陥っていた。ひょっとして現地民のクナ族はスペイン人に引き渡そうとしているのではないか…。
しかし、クナ族の王は、海賊の力を借りて、スペイン人に連れさられた自分たちの娘(プリンセス)を奪還しようとしていた。実は、娘とスペイン人は相思相愛の関係だった…。
海賊たちのモットーは、「短いながらも愉快な人生」というもので、「絞首刑になるために生まれてきた」という本のタイトルどおりの人生だった。
陸(おか)の厳格な階級社会とは異なり、海賊の暮らしは平等主義が基本。船長の選出や罷免は投票によって民主的に決められる。
遠征に出発するときには、契約書が作成され、そこには「労働災害」に対する補償まで細かく定められていた。
海賊船には船医が乗っていた。船医がいないときには船大工が船医を代行する。
この本は、1680年から1682年までの2年間の海賊の生活を明らかにしている。詳しい日誌を書いた1人は、優秀な数学者であり航海士だ。英語、ラテン語そしてフランス語を流暢に託した(リングロース、27歳)。もう1人は、28歳の博物学者(ウィリアム・ダンロア)。
船員雇用契約書には、武器を常にきれいに保ち、いつでも戦闘にのぞむ用意をととのえていない者は捕獲物の取り分を失うとともに、船長や仲間の決める懲罰を受ける。敵船に乗り込む仲間の援護射撃が必要なときに銃のぜんまいがさびて撃てなかったら、その者はただではすまないと明記されていた。
報酬に関しては、「犠牲なくして報酬なし」と定められていた。まずは船医や船大工という技術職にその職能にみあった報酬を渡し、残ったものを、みんなで山分けする。船長や上級船員は、その階級にあわせて追加報酬があった。
そして、「労働災害」で左腕を失った者は奴隷5人、右腕を失ったら奴隷6人を受け取ることになっている。
ジャマイカで船に乗っていた海賊17人が副総督モーガンの邸宅に招待され、豪華な夕食をとることになった。そして、モーガンは、彼らの武勇伝を熱心に耳を傾け、聞き入った。海賊たちは、酔って、いい気分になって次から次へ武勇伝を語り出した。そして、翌朝、全員が手錠をかけられて海事裁判所へ連行された。判事席にはモーガンがすわっていて、ただちに有罪を宣告し、その日のうちに全員が処刑された。
こんな話って、本当に実話なのでしょうか…。まあ、ともかく、海賊の実態を知ることのできる本として、最後までドキドキしながら仏検(フランス語の試験)のあと、素速く読み通しました。
(2023年7月刊。2700円+税)

プーチン(上)

カテゴリー:ロシア

(霧山昴)
著者 フィリップ・ショート 、 出版 白水社
 プーチンのロシアによるウクライナへの軍事侵攻が今なお終息する気配がないのは本当に残念です。欧米各国はウクライナへの軍事援助を強め、日本もその尻馬に乗って軍事的に貢献しようとしていますが、平和憲法を有する日本のやるべきことではありません。もっと国際世論に訴え、外交交渉を強めてロシアのウクライナからの撤退を求める努力をすべきだと私は思います。今のままではプーチンとともに日本を含む各国の軍需産業が栄えるばかりです。それでは、いつまでたっても戦争は終わりません。
 この本は、そもそもプーチンとは何者なのか、その実像を、生い立ちから探っています。
 プーチンがエリツィン大統領から首相に指名されたのは46歳のとき。1991年、ロシアがチェチェンに侵攻していたときだった。プーチンは、この時点では、何ら特色のない実務は役人、慎重さ以外に取り柄のない人物とみられていた。
 プーチンはチェチェンにロシア軍を侵攻させ、チェチェンを強圧的に押さえつけた。その容赦ない生真面目な姿勢はロシア国民の共感を呼び、プーチンの支持を飛躍的に高めた。
 プーチンが生まれたのは1952年10月7日。プーチンの祖父は、サンクトペテルブルグの豪華ホテル(アストリアホテル)で総料理長をつとめた。ラスプーチンも客の1人だった。
 プーチンの両親は、どちらも小学校でせいぜい2、3年の教育を受けたくらい。父親は夜間学校に通って技術の習得に励み、40歳で修了した。
 プーチンは子どものころ素行不良だったが、犯罪者ではなかった。ケンカが始まると、一番に飛び込んだ。伸長の低さを補うやり方でもあった。
 プーチンは、政治について議論することがほとんどない保守的なソヴィエトのプロレタリア階級の中で育った。
 プーチンが大学生のとき、母親が国営宝くじでソ連車をあてた。それで、19歳にしてプーチンは自分の車を有するレニングラード唯一の大学生になった。
 プーチンは柔道を始めた。プーチンは、いつもたくましさを高く評価し、弱いものを軽蔑した。
 プーチンは法学部の学生として、ソヴィエト法の一番の目的が国民の保護ではなく、制度的権威を守ることだと学んだ。
 KGBは、最も頭のいい、聡明な学生は求めなかった。もちろん、バカや怠け者も不要、求めたのは、バランスのとれた学生。当時のソ連では、学生は自分で就職先を探したりしなかった。卒業時に新しい職場を言い渡された。1975年8月、プーチンは中尉という肩書でKGBのレニングラード支局に足を踏み入れた。KGBの階級は、服務期間の長さだけで決まる。プーチンは年長者に取り入るのが得意だった。
 プーチンは異様なほど他人を信用しなかった。プーチンは手札を見せない。感情を隠し、あいまいな合図を送る。
 1986年4月のチェルノブイリ原発(原子力発電所)の爆発は、ソ連の人々のプライドに大打撃を与えた。
 プーチンが家族とともにレニングラードにドイツから戻ったのは1990年2月のこと。ゴルバチョフは、エリツィンに負けた。
このころ、何かを実現するには非公式ネットワークに頼るしかなかった。ロシアのボスは、通常、ムチで支配するが、プーチンは違った。プーチンは、世間話や社交を時間の無駄だと考え、心底から嫌った。バカには容赦がなかった。
プーチンは時間を守る理由がない限り、人を待たせた。それは、自分には相手を待たせる力があるからだ。ロシアでは、嘆願者を待たせるのは、優位性を見せつけるための古い官僚手法なのだ。
 1990年代初めに有力者となったロシア人実業家は、1人残らず、違法取引からスタートした。
 1995年には、サンクトペテルブルグの1人あたり殺人率はニューヨークを上回った。賄賂は、もはや犯罪ではなく、生活の肌理(きめ)の一部だった。
 プーチンの方針は、主要ギャングたちのバランスを維持し、突出したギャング集団がいないようにすることだった。うむむ、なるほど、これは大変賢いやり方です。突出したギャング集団がいたら、とても逆らえなくなることでしょう。
 プーチンが首相になるまでは、クレムリンにいるのは口先ばかりで、実際のプロジェクトを達成できない連中ばかりだった。
 これに対して、プーチンは、実行して、しかも成功させた。そして、プーチンは、たとえ犯罪者だろうと、友達は守る。これを実行した。
エリツィンがプーチンを首相候補として考えはじめたのは1998年夏。
 上巻だけで468頁もある大作です。上京する飛行機の中で必死の思いでプーチンの正体を知ろうと読みすすめました。
(2023年5月刊。4500円+税)

やさぐれトラックドライバーの一本道迷路

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 橋本 愛喜 、 出版 KADOKAWA
 2024年問題として世の中を騒然とさせているトラック運転手の立場から、その生々しい実情をレポートし、問題点を鋭く告発している本です。大変勉強になりました。
 トラックの白ナンバーと緑ナンバーの違いを知りました。自社の工場で製造・生産されたものを自社で運ぶ自家用トラックは白ナンバー。これに対して緑ナンバーのほうは客から運送の依頼を受けて運賃をもらう営業用トラック。
営業用の大型トラックのほとんどは、どんなにアクセルを踏んでも時速90kmまでしか出ないようにスピードリミッターがつけられている。もちろん、デジタルタコメーターで記録もされている。
 多くのトラック運転手は、車内に多くの家電製品を備えている。電気ポット、炊飯器、冷蔵庫そして電子レンジまで。社内で自炊する人も少なくない。
 この本を読んで一番のショックだったのは、トラック運転手には歯のない人が多いこと、その理由としてしかに通院できないからだということです。たしかに長距離トラックに乗っていたら、定期的に歯科医院に通院するのは無理でしょうね。しかも、運転手は荷おろしなどで力仕事をするとき、歯を食いしばることもあるので、余計に歯を痛めてしまうというのです。
 トラック運転手は男性82万人に対して、女性は3万人、たった3%しかいない。
 トラック運転手は、誰にでも出来るような仕事ではない。平均年齢は50歳。トラックが好きな人に向いている。集団行動が苦手でも、ひとりコツコツ距離を稼ぎ、絶景や絶品に触れながら仕事ができ、それを楽しめる人に向いている。この過酷な仕事は、本当にトラックが好きな人間でないと、やれない。
 鹿児島を起点として、福岡は、ちょっとそこまで買い物、大阪は気分転換にドライブ、東京は久々の遠出、そんな感覚。いやあ、これはちょっと私にはぴんときません。私はなるべく車を運転したくありません。それより列車に乗って本を読みたいです。
 長距離トラックドライバーは全国各地のご当地グルメに詳しいし、堪能していると紹介されていますが、普段はコンビニとカップラーメンの類ですませているのでしょうね・・・。
 トラック運転手の置かれている状況がよく分かる本でした。
(2023年6月刊。1450円+税)
 11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが届きました。ダメだったかなと恐る恐る開いてみると「合格」でした。
 合格基準点がいつもより低くて、62点です。私の成績は68点でしたので、6点オーバーしていました。といっても、自己採点は71点でした。これは、書き取りと仏作文の評価の違いだと思います。
 1月下旬に口頭試験があります。これから頭の中をフランス語にすべくがんばります。

「核兵器廃絶」と憲法9条

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
 いま、世界に1万2500発の核兵器があり、そのほとんどはアメリカとロシアが保有している。しかも、1800発は、いつでも発射できる警戒即発射態勢にある。
 さらに、アメリカもロシアも、自分の国や同盟国が危なくなったと思ったら核兵器を使用することを公言している。先制不使用ではない。やられる前にやっつけてやろうという政策。
 いったい、これほど大量にある核兵器を全廃させることは可能なのか…。
 核兵器廃絶なんて夢みたいな話で、全然、実現可能性のない話だよね。少なくない人が、こう考えている。でも、夢なんかじゃないし、必ず、しかも一刻も早く実現しなくてはいけない緊急の課題なんだと、著者は力を込めて強調しています。
 まず、第一に、最高時(1986年)に核兵器は7万発あった。なので、6万発近くがすでに減っているのです。残り1万発余りだって、その気になれば「核兵器ゼロ」は決して夢物語ではありません。
 核兵器を地球上からなくそうと取り組むと必ず出てくるのは、「抑止力」として核兵器は必要だという「核抑止論」です。「使うかもしれない」と思わせて危機を盛り上げ、交渉の決定打にしようという考え。しかし、1発でも使えば、戦場だけでなく、アメリカとロシアとの間の全面核戦争になる可能性がある。
 殲滅(せんめつ)戦争に、こちらは耐えるが、おまえは耐えられないだろうというところに抑止の本質がある。しかし、それは単なる幻想でしかない。ロシアのプーチン大統領の発言によって、はしなくも核による抑止が幻想だということが明らかになった。核の脅しで外国を制御できるなんて、考えてるほうが実は馬鹿げています。
 核兵器を保有する9ヶ国が、2022年に核兵器の開発や維持のために使ったお金は11兆5500億円という巨額。これって、まったく無駄なお金の使い方の典型ですよね。こんな大金を教育や福祉予算にいくらかでもまわしたら、ずいぶん世界は住みやすい優しい社会に変わると私は思います。
 著者は「核」のボタンが間違えて押されそうになったことが過去に何回もあることも指摘しています。恐ろしいことです。しかも、それは古い話ばかりではありません。
 2018年1月18日、ハワイ当局が「弾道ミサイルがハワイに向かっている。近くのシェルターを探せ。これは訓練ではない」と市民に告知した。まったくの誤報です。本当にヒヤヒヤものですよね…。本当に核兵器だったら、シェルターに入って、どうなるものでもありません。
 オバマ大統領が広島に来たときも、すぐそばに「核のボタン」が入ったカバン持ちを同行させていた。トランプみたいな狂信的な大統領の下で、いったい歯止めがあるのかまるで心配です。
 さて、日本政府です。日本政府は、いつだってアメリカ政府の言いなり。オスプレイが堕落しても、まともに抗議もしませんでした。アメリカの「核の傘」の中に入って守られているという、ありえない幻想に浸ったまま、何ら独自の行動をとろうともしません。情けない限りです。
 今や、「終末時計」では「残り90秒」だとされています。ロシアのウクライナ侵攻戦争、ガザ地区に対するイスラエル軍の大々的な戦争が依然として進行中です。いつ、どこで、誰によって核兵器が使われるか、まったく予断を許しません。
核兵器はなくせる。核兵器に頼ってはいけない。核兵器は今すぐ全廃すべき。そんな声を高らかに上げましょう。
 核兵器は人類を破滅させるものなのです。
 日本政府は、アメリカによる原爆投下を「罪悪」ではあるが、「違法ではない」としているというのには驚きました。歴代の自民党政府の公式見解です。また、アメリカ政府も原爆投下について、今に至るまで反省も謝罪もしていません。オバマ大統領も同じなのです。
 著者は喜寿(77歳)を迎えたようです。ところが、この7年間に5冊もの著書を刊行したとのことです。相変わらず意気軒高です。今後ますますの活躍と健筆を期待します。
(2023年12月刊。1800円+税)

三人の女(上)

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 チョ・ソニ 、 出版 アジュマブックス
 夏の陽差しを受け、小川に足を浸しながら笑顔で会話している三人の若い女性胃の写真に始まる小説です。
 小川にアーチ型の石製の橋がかかっています。三人の女性はみな、膝下まである白い服を、チマ・チョゴリを着ています。三人とも素足で川の水に入っていて、二人は岸辺の岩に腰かけていて、一人だけ立っています。長い髪の女性ばかりの時代に、みな短髪。三人の若い女性たちは、いったい何を話しているのでしょうか・・・。
 日本の植民地だった朝鮮で雑誌『新女性』を編集長として発行していた許貞淑、そして朱世竹、高明子。この三人は、いずれも共産主義運動に人生をかけ、欧米にも足をのばして朝鮮で激動の時代を生きた。
 許貞淑は京城の人権弁護士として高名な許憲(ホ・ホン)の娘。朱世竹は、没落した両班(ヤンバン)家に生まれ育った。留学先の上海で有名な革命家である朴憲永と結婚した。朴憲永は韓国で活躍したあと北朝鮮に行き、朝鮮戦争のあと金日成によって粛清された。高明子(ミョンジャ)は、大地主の娘。
 日本の植民地時代、朝鮮人は徹底して抑圧されていました。そのなかでの共産主義者たちの活動を描いた本ですので、1980年代までの韓国ではこんな本が出版されるなど、考えられもしませんでした。軍事政権は出版と表現の自由を抑圧していたからです。2017年にようやく本書を出版することができました。
 朝鮮半島で活動していた共産主義を信奉する人たちは、激しい派閥争いをしていて、お互いに暴力班(チーム)までつくって流血の争いも辞さなかった。
 1925年4月17日、京城にある清料理店で朝鮮共産党の結成式が敢行された。ついに朝鮮にも共産党が誕生したのだ。
 日本人は、協力することを知らず、派閥争いをするのが朝鮮人の民族性だとあざ笑った。しかし、それは日本人だって同じこと。日本人も協力することを知らず、派閥争いをしているということ。
 朝鮮共産党事件の公判は、1927年9月13日だった。このとき、被告人らの弁護を買って出たうちの三人は許憲、金炳魯そして秀任がふくまれている。日本からも古谷貞雄弁護士が派遣されてきた。同じく自由法曹団の弁護士が法廷に立って議論した。
 刑務所における独房というものは、便所で食べて寝てるようなもの。
 コミンテルンは1933年に朝鮮共産党の創立、そして再建運動から手を引いた。このころスターリンによる粛清が最高潮であり、「反革命分子」の公開銃殺が連日敢行されていた。1938年10月、中国で朝鮮義勇隊が結成された。
はてさて、三人の女性たちは苦難の活動をどうやって続けていくことになるのか、下巻が楽しみです。
(2023年8月刊。2640円+税)

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