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脱ダム、ここに始まる

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 森 武徳 、 出版 くまもと地域自治体研究所
 筑後川の最上流に松原・下筌(しもうけ)ダムがあります。建設省(今の国交省)がダム建設を決定したのは1957(昭和32)年で、完成したのは1969(昭和44)年のこと。完成まで12年の歳月を要しました。この12年の歳月は、何事もなく過ぎたのではなく、全国からも注目される「蜂之巣城」攻防戦という13年に及ぶ歴史的大闘争があったのでした。
 ダムが完成した1969年というのは、私が東京で大学2年生のころですから、九州が地元といっても、遠く東京のほうから大変な闘争があっているようだなと、他人事(ひとごと)のように眺めていたのでした。
 ダム建設反対運動の中心人物は室原知幸。早稲田大学で政治学・法学を学び、戦前・戦後、町会議員や町公安委員をつとめるなど、名望家であり、知識人でした。
 1960年というと、東京では安保条約反対運動が盛り上がっていましたし、大牟田の三池炭鉱の炭鉱合理化をめぐって、総資本対総労働の闘いと言われるほど、三池争議が全国的な支援を受けて激しく展開されていました。私が小学6年生のころのことで、市内は全国から駆けつけた支援の労働者そして2万人と言われる警官隊でぎっしり埋まっていました。
 室原知幸は、ダム建設反対闘争の拠点として、1959年5月、監視小屋、集会所、炊事場、便所など常駐施設を構築し、これに「蜂之巣城」の看板を揚げたのです。
 当時の土地収用法14条では、「蜂之巣城」のような建築物は排除が許されませんでした。しかし、熊本県土地収用委員会は1964年3月、「蜂之巣城」の収容採決を下し、熊本県知事は同年6月23日から「蜂之巣城」の物件移転の代執行を強行したのです。
 代執行に抵抗する側は1300人以上の応援者とともに座り込みで対抗しましたが、職員等600人が警察官700人の支援を受けて、反対派をゴボウ抜きして排除し、建築物も撤去したのでした。
 中心人物の室原知幸は1970年6月に死去し、同年10月にダム闘争は終結しました。
 著者は、1960年当時、熊本の庄司進一郎弁護士の下で事務員であり、また司法試験の勉強中でもありました。
 土地収用法を適用しようとするとき、建物は「試掘の障害物」にあたらないので、同法14条によって撤去できないことを室原知幸に進言したのは著者だということです。これはまさしく卓見でした。これによってダム反対は闘争の拠点ができ、闘いを可視化することによって全国的に闘争の意義を訴えることが容易になったのです。
 ちなみに、「蜂之巣城」というのは、有名な黒沢明監督の映画「蜘蛛(くも)巣城」のパロディ(パクリ)であることは言うまでもありません。
 この本を読むと、現地での実力阻止闘争とあわせて法廷闘争もたくさん提起され、闘われていたことが分かります。また、民事だけでなく、公務執行妨害・威力業務妨害などで室原知幸ほかが起訴されるなど刑事処分とも闘っています。
 民事訴訟は80件、そのうち地元住民が提起したのは50件ほどだということです。
 これらの裁判闘争を担った弁護士(弁護団)については、福岡第一法律事務所と青木幸男弁護士が紹介されていますが、室原知幸は、この関係ではあまりに渋かったようです。
 熊本(地元)の坂本・庄司弁護士への着手金すら当初の仮処分事件で支払われたのみだったということも、著者はこの本で明らかにしています。
 長期・困難訴訟の壊合、弁護団費用をどうやって確保し捻出するかは、いつも大きな問題となりますが、このダム建設反対では、その点がきちんとクリアーできなかったようです。
 それはともかくとして、本書は「蜂之巣城」をめぐる下筌・松原ダム建設反対運動を振り返ることのできる大変意義のある本になっています。
 著者はその後、司法書士になり、熊本県司法書士会の会長、さらには日本司法書士会連合会の副会長をつとめ、旭日小綬章を受賞しています。また、熊本で活躍中の森徳和弁護士の尊父でもあります。そんなわけで、森弁護士より全文コピーを恵贈していただき、通読しました。ありがとうございます。
(2010年4月刊。絶版)

創造論者VS無神論者

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 岡本 亮輔 、 出版 講談社選書メチエ
 アメリカという国は、本当に不思議な国です。月世界を歩く飛行士がいるかと思うと、アメリカ人の40%は人間は1万年前に神によって創造されたと今でも真面目に信じているというのです。つまり、人間の先祖はサルではなくて(これは本当です)、初めから人間だったというのです。
 つまり、生物(生命)誕生から何億年、何万年もかかって進化していって人間が生まれたという進化論を信じていないわけです。
 これだけ多種多様な生命体が存在するのに、それをみな、万物の創造主は神、それも唯一神だとするのは、あまりに無理があると私は思うのですが…。
 アメリカには無神論者はわずか4%しかいない。
 「ある人が心の底から神を信じているのか、それとも神を信じるのは良いことだと信じているのか、両者の区別はそれほど明確ではない」
 この指摘には、まったく同感です。無神論者の私だって、「苦しいときの神頼み」はしていますし、ゲンをかついだり、お寺の仏像の前では深々と頭を下げて、お願いごとを心の中で唱えます。そのとき、何のこだわりもありません。
 スパモン教なるものが存在するというのには驚かされました。「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教会」です。
 1952年にアメリカはテネシー州のデイトンという田舎町で起きたモンキー裁判の紹介には目を洗わされました。進化論を学校で教えた若い教師(スコープス)がバトラー法違反で裁判にかけられ、全米の耳目を集めた事件です。
 そもそも、この裁判は、衰退してしまった町(デイトン)の町おこしとして全米から注目してもらおうとして事件になったものだというのです。これには心底から驚かされました。全米の話題になって観光客や投資を呼びこもうと町の有力者たちが考えたというのです。いやはや、まったく呆れてしまいました。
 そして、裁判は案の定、全米の注目を集め、マスコミが乗り込んできて裁判は全米に実況中継されます。当初は進化論否定派が有利でしたが、進化論者の弁護士は聖書絶対派に質問して、局面が大転換します。
 つまり、聖書絶対論者はあまりに歴史的事実と違いすぎるので、身がもちません。
 聖書絶対論者によると、天地創造は紀元前4004年10月23日になる。多少の前後はあっても、だいたい、それくらい。ところが、それでは科学的に何万年も前のことだと証明されているのと、あまりに違う。
 また、「地球は6日で創造された」というのも、いくらなんでも…。
 アメリカの歴代の大統領は、就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。また、折にふれて神の名を口にする。つまり、アメリカはキリスト教国家だということ。でも、イスラム教徒や仏教徒もいるんでしょ…、どうなってんのかしらん。
 それでも、今後は、無神論者より信者のほうが増加するとみられているのです。イスラム教徒はキリスト教徒と同じく世界人口の3割を占める(2050年)。そして、ヒンドゥー教徒は14億人になるだろう…。いやはや、日本は世界のなかで、きわめて特異な国なんですね…。改めて知って、驚きました。
(2023年9月刊。1800円+税)

江戸の好奇心、花ひらく「科学」

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 池内 了 、 出版 集英社新書
 江戸時代についての本は相当よんできたつもりの私ですが、この本に接して、いやいや、まだまだ知らないことがいかに多いか、思わずため息が出ました。でも、そんな出会いがあるから、人生って面白いのですよね・・・。
 たとえば、江戸時代にはアサガオ栽培が盛んで、変わりアサガオがもてはやされ、高値で取引されていました。これは私も知っていました。
 アサガオは奈良時代には、その種は「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、下剤として重宝された薬用植物だった。江戸時代に入るまで、花の色は青だけだった。四大将軍野家綱の時代の本(1664年)には青と白の2色になった。ところが、17世紀末になると、赤や浅黄(淡青)、そして瑠璃(るり)色の花も生まれた。18世紀半ばに第一次アサガオブームが起きて、アサガオは地味な花から派手な花へ変貌した。19世紀半ばに第二次アサガオブームが起き、明治に入って、第三次ブームも起きている。
 次に菊です。18世紀前半の本に、金7両(35万円)で菊1鉢が売買されたと記されている。菊の「1本造り」は、1本の台木に接ぎ木して100種もの異なった菊の花を咲かせた。
 菊の花を持ち寄って、左右に別れて優劣を競い合う「菊合わせ」があっていた。入選すると、「勝ち菊」とし、負けたら「負け菊」を決めていた。
 オモトも高値で取引されていた天保年間(1803~44年)がオモト人気のピークで、1鉢が100両とか200両することがざらだった。
そして、タチバナ。18世紀の終わりころ、タチバナは「百両金」として1鉢300両とか400両で取引されていた。種1粒が何両もしていた。
 次に、驚くべきことにネズミを江戸の人々は飼っていて、毛色の変わったネズミや形・大きさの異なるネズミを生み出していた。たとえば、白ネズミとか・・・。とくに大坂には白ネズミの需要があったようです。そのうえ、ネズミに芸を仕込んでいたのでした。
 金魚。江戸時代に金魚がブームとなり、そのときから庶民にも身近な存在となった。江戸時代初期は、金魚は非常に高価だった。ビードロの金魚玉が発明されてから、庶民に広まった。懇切丁寧な金魚の飼育法が紹介されています。
江戸には鳥ブームも起きました。鳥を飼って、鳴かせる。カナリア、ハト、イソヒヨドリを多数飼っている人は目立つばかり・・・。
 江戸時代に入ると、庶民が広く虫を飼い、誰もがその音を楽しむようになった。スズムシ、ミツバチ、カイコ(蚕)。いやはや、現代日本人と、ちっとも変わりませんよね、これって・・・。
 江戸時代の人々は好奇心が旺盛で、遊び好きで、凝(こ)ると、損得を忘れて夢中になる、そんな気質にみちあふれていた。改めて、江戸時代の人々を見直しました。
(2023年7月刊。1210円)

極楽征夷大将軍

カテゴリー:日本史(室町)

(霧山昴)
著者 垣根 涼介 、 出版 文芸春秋
 植木賞受賞作品です。といっても私は、賞をもらった本だから読んでみようと思うことは、まずありません。書評を読んで面白そうだと思えば読んでみることにしています。その意味では同じく直木賞をもらった『木挽町(こびきちょう)のあだ討ち。』(永井紗耶子)には、ぐいぐいと書中の世界に引きずり込まれてしまいました。たいした力技(ちからわざ)の作家だと、ついつい唸ってしまいました。
本書も、よく出来ています。ともかく面白くて、ええっ、室町幕府を始めた足利尊氏って、こんな人間だったの・・・と、思わず首を傾(かし)げてしまったものです。それでも、戦(いくさ)になると、勝ってしまうし、周囲に武士たちが集まってくるのです。「やる気なし、使命感なし、執着なし」。これが足利尊氏だったというのです。呆れてしまいます。
 足利家には家政を取り仕切る高(こう)一族がいました。また、上杉家もまた足利家に仕える郎党。足利家を高家と上杉家が支えながら、さまざまな困難を乗り越えていきます。その過程が実に生き生きと描かれているのですが、結局のところ、勝利してしまえば、お定まりの内紛が始まります。鎌倉幕府において源頼朝が死んだあと、北条家が執権として全権を握りますが、次々に「邪魔者は消せ」とばかりに北条家に敵対し(そうな)武士集団は排除されていくのです。「鎌倉殿の13人」というテレビドラマが、それをテーマとしたようですね(私はテレビは見ません)。
 鎌倉の北条政権と敵対し、戦いに敗れて隠岐の島に流されていた後醍醐天皇が、ひそかに島を脱出して、倒幕の兵を厳げた。
 足利家は、源氏の嫡流に最も近い血筋の御家人だという強烈な自負心がある。むしろ、本来なら、平氏の木っ端に過ぎなかった得宗家(北条家)より以上に鎌倉幕府を引き継ぐ資格がある。足利「高」氏は後醍醐天皇から「尊」氏という名前を授かった。しかし、天皇は、尊氏を権力の中枢には近づけないようにした。そして、天皇が恩賞を与える権限をひとり占めにして次々と行使していった。まったくの身内優先。これには「選にもれた」武将たちの怒りと不満は当然のこと。
 足利尊氏が南朝と敵対しているとき、北朝を創立するのに活躍した公卿(日野資名(すけな)がいた。日野家は、歴代の足利将軍家に次々と正妻を送り込み、公卿としての権勢を極めた。史上もっとも有名な正室は八代将軍・義政の妻・日野富子。悪名高いというべきなのでしょうか・・・。
 征夷大将軍に就任したあと、向こう見ずな蛮勇を発揮したのは日本史上で尊氏のみ。さすがは変わった大人物でした。面白く読み通しました。
(2023年8月刊。2200円)

あなたの知らない昆虫植物の世界

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 野村 康之 、 出版 化学同人
 食虫植物は日本にも生育しているし、熱帯だけでなく、温帯植物もいる。
 ウツボカズラの捕虫器の中にたまっている液体はほとんど水なので、手が触れても何の問題がない。獲物が入る前なら無菌だから、飲料水として飲める。消化酵素が利く前に、虫たちは窒息死か衰弱死している。
食虫植物はすべて緑色植物であり、光合成している。
食虫植物の捕食器は、ほとんど、葉が変化したもの。
 食虫植物は、世界に11科18属800種以上いる。
 食虫植物の捕食方法において罠はじつに巧妙であり、獲物を逃がさない仕掛けがこらさえれている。食虫植物の多くは、明るく、湿った、貧栄養な土地に生育している。
 食虫性は、決して良いことばかりではない。捕食器は普通の葉にはない欠点がいろいろある。捕食器の光合成効率は悪い、風雨や他の生物によって破壊される危険も大きい。
 日本で多くの食虫植物の姿が消えている原因は、水質の悪化や流入水の減少にある。
 食虫植物は、獲物から窒素、リンあるいは炭素を得ることで、大きな利益を受けている。
 食虫植物のことを楽しく学ぶことが出来ました。わが家の庭に以前に咲いていた時計草(トケイソウ)も食虫植物の仲間のようで、驚きました。
(2023年6月刊。2420円)

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