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幕末史

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 半藤 一利、 出版 新潮社
 まるで漫談を聴いているような面白さです。博識の著者が、市民向け講座で12回に渡ってしゃべったものが文章となっていますので、とても語り口は平易ですし、エピソードが豊富に語られていて、ついつい身を乗り出して聞きほれてしまいます。なるほど、なるほど、そうだったのか、ちっとも知らなかった。何度も膝を叩きながら、うなずかされたことでした。
 たとえば、幕末の志士たちが「皇国」という言葉を使ったとき、そこには現代日本の私たちが常識的に考えるような、天皇というものを意識したものではなく、単に、徳川幕府ではなく朝廷が支配する日本、というくらいの意味でしかなかった。
 幕末の日本人が天皇中心の皇国日本という考え方で国づくりを始めたとか、その先頭に立った明治天皇は偉大なる天皇であり、明治維新は天皇の尊い意志を推戴(すいたい)して成し遂げた大事業であるという意識は、当時、まったくなかった。
 坂本龍馬を暗殺したのは、見廻組の人間だったが、その黒幕は薩摩藩だったという見解が語られています。このとき、薩摩藩は武力によって権力を得ようとしていたので、武力討幕に反対していた龍馬が邪魔になっていた。それで、暗殺の当日に京都入りした大久保利通が、龍馬の居所を教えたというのです。本当でしょうか……。
 ペリーが浦賀にきたころ、日本人はオランダの通報によってアメリカが江戸を目ざしてやってくることは知っていた。そして、そのころ、中国がアヘン戦争で大敗して香港などをイギリスから取られていたことを知っていた。そうなんです。日本人は、決して、鎖国していたので世界の動静はまったく知らない、なんていうのではなかったのです。
 そして、ペリーのほうも日本についての本をよく読んで、研究してやってきていました。居丈高に出て日本人の鼻をへし折ってやればいいと考えて、そのとおり実行して成果を上げることができたのでした。
 文久2年(1862年)、島津久光は薩摩藩士1000人の軍勢とともに大砲を引っ張りながら勅使護衛の名目で江戸に入った。このとき、朝廷側の要求を結局、全部、幕府にのませて帰る途上で、有名な生麦事件が起きたのです。イギリスは英貨10万ポンドの賠償金を要求しました。
 これに対して老中格の小笠原長行(ながみち)が無断で、その10万ポンドをイギリスに支払った。今なら160億円にのぼる巨額の賠償金である。うひゃあ、す、すごーい。
 賠償金といえば、長州が四国連合艦隊と戦って負けたときの賠償金は300万ドルだった。50万ドルを6回に分けて払うことになり、徳川幕府が潰れたあと、明治政府が明治7年までかけて残り半分の150万ドルを支払った。そ、そうなんですか。屈辱的な賠償額ですよね。
 徳川幕府最後の将軍だった慶喜は32歳だった。朝令暮改、腰の定まらないことおびただしい人物だった。勝海舟は西郷隆盛との江戸城明け渡しの交渉がうまくいかなかったときには、慶喜をイギリスの舟に乗せて亡命させることを考えていた。
 知れば知るほど面白いのが日本史です。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

がん哲学外来入門

カテゴリー:人間

著者 樋野 興夫、 出版 毎日新聞社
 今日、日本国民の2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで死んでいる。2006年の死者は33万人。これは秋田県や大津市の人口に匹敵する。うひゃー、すごいです。
 ただし、がんになった人の約半数が治る時代になった。ああ、よかったです。
 がん細胞は、正常な細胞ががん細胞に変化(がん化)したもの。ウィルスはがんのトリガー(引き金)の役回りではある。がんは感染しない。ふむふむ、なるほどです。
 正常細胞を試験管の中で培養しようとしても、長く生きることはできない。細胞分裂を50回ほど繰り返したら、その先は増えない。ところが、がん細胞は、人間の体内と同じ37度の環境をつくり、それなりの栄養補給をすれば、永遠に生き続ける。現に、1951年に亡くなった人のがん細胞が、今なお培養液の中で生きている。な、なんと、すごい、すごい。
 がん細胞は飢餓状態に弱い。がん細胞は熱に弱い。1センチのがん組織の中に、がん細胞は10の9乗個、10億個もある。がんの初期の成長スピードは、おそろしく緩慢で、死につながる一人前のがんになるまで10~20年かかる。む、む、む。ヒトはがんと共存しているんですね。そうと分かれば、共存共栄とはいかないものでしょうかね・・・。
 日本では、がん治療の70%以上が外科手術。もう一つの治療の柱である放射線治療は25%程度で、欧米に比べてかなり低い。そうなんですか……。
 遺伝性がんは5%、食生活など環境因子によるがんが70%。原因を特定できないがんが25%となっている。だから、遺伝との因果関係に悩む必要はない。なるほど、ですね。
 日本人のがん患者の3割が、生きる希望を失って、うつ的症状を呈す。うつ病ではない。そこで、著者は、内村鑑三の次の言葉をがん患者に贈ります。
 勇ましい、高尚な生涯。つまり、善のために戦う、真面目な生涯そのものが、もっとも尊く価値のあるもの。あなたには、死ぬという大切な仕事が残っている。どんな人にも、死は最後の大舞台なのである。がんは最期まで頭が働き続ける病なのだから、自らの手で「大切な仕事」を成就して終えてもらわなければならないのだ。
 いやあ、そう言われると、そういうものなんでしょうが……。まだ、もう一つ、そこまでの悟りはとても開けませんね。
 できれば、天寿と思われる年齢に達したころ、がんで死ぬ。これが理想だ。なるほど、この点はよく分かりました。がん哲学外来という、耳慣れないものをはじめた著者の話は、傾聴に値するものと思います。
(2009年1月刊。1700円+税)

九州の一揆・打ちこわし

カテゴリー:未分類

著者 宮崎 克則、 出版 海鳥社
百姓一揆といえば、苛酷な年貢にあえぐ大勢の農民たちが発作的にテンデンバラバラに蜂起して藩権力と武力衝突したかのようなイメージがあるが、実態はそうではない。鉄砲などの武器を携えていても、それは武器としてではなく、合図の道具として用いられ、藩側との武力衝突はほとんど起きていない。年貢や夫役、商品生産への統制に反対して政策転換を求めて訴願する行為であり、代表を選出しての越訴(おっそ)や集団での強訴(ごうそ)などがある。つまり、権力へ訴えることを旨とする一揆は、農民たちによる異議申立なのである。
百姓一揆は江戸時代、3000件以上も発生した。久留米藩に起きた享保13年(1728年)の大一揆は、藩の年貢増徴策に反対するものである。
 享保一揆のとき、農民勢の動きに庄屋たちも同調した。5つの村が一つの組をつくって、傘型連判状、円を囲んだ放射状に名前を連ねて判をして、首謀者・発頭人が誰か分からないようにした。藩側の責任者2人は死刑となったが、ほぼ全面勝利を勝ち取った農民側には一人の処罰者もなく終わった。
 宝暦4年(1754年)に再び久留米藩で百姓大一揆が起きた。このときの参加者は16万人にのぼったと言われていますが、この本では2万人が妥当な人数とされています。
 このときの一揆の主力となったのは村役人層ではなく、貧窮化しつつあった中下層の者たちだった。処刑されたなかに大庄屋が一人いるが、これはくじ引きで選ばれたもの。
 宝暦一揆のときには、藩側は譲歩しなかった。
 天草は、全国平均11.2件(1万人あたりの発生件数)を超え、20.3件もある、一揆の激発地帯だった。ここでは、地主と小作の対立にもとづく運動が多いという特徴がある。
 江戸時代の中・後期には、全国的な傾向として、庄屋の公選や年番制が行われ、その交代が頻繁となった。そうなんです。庄屋といっても世襲制だけではなく、選挙で選んでいる地域も多かったようです。案外、民主的だったんですよ。
 打ち壊しの対象となるのは、都市部では両替商や米屋などの富裕層であり、農村部では庄屋や「徳人」などの上農層である。そして、必ず彼らの全員が打ち壊されるというのではなく、ある程度の施行をすれば、打ちこわしを免れることができました。打ちこわしによって没落した家はなく、明治以降の経済変動の中で没落している。打ちこわし勢自身の「私欲」は禁止されていて、金品の略奪やその場での分配はしない。つまり、統制がきいていたのです。
 共同体から抜き出ようとする庄屋や「徳人」を打ち壊す行為は、彼らを共同体から排除するものではなく、「徳」の実施を強要する一時的な制裁であり、制裁のあとは、ともに村の住民として居住していく。つまり、打ちこわしは、前近代の村落共同体が有していた「共生の技法」の一つなのである。
 百姓一揆なるものが、実に組織的なものであること、よく準備された、大規模なものが多いこと、それは村落共同体を守ろうとするものであったことなどが実証されています。
 370頁もあり、少々高値の本ではありますが、なべて日本人は昔からお上に従順だったなどという俗説の間違いも明らかにしていますし、江戸時代の実情を深く知ることのできる興味深い貴重な本です。
 3月末から3週間以上も次々に咲き続けてくれたチューリップも咲き終わりました。地上部を刈ってやり、すっきりさせました。彫り上げるのは先のことです。今はアイリスそしてクレマチスが花ざかりです。
 ちなみに私はチューリップを生花として花瓶に差し飾ることはしていません。地植えで咲いているチューリップの首を切るような気がして、なんだかそんな残酷なことはできないのです。花びらが落ちてしまうまでそっと眺め続けます。
 
(2009年1月刊。5700円+税)

自然に学ぶ・粋なテクノロジー

カテゴリー:生物

著者 石田 秀輝、 出版 化学同人
 土は私たちの生活には不可欠の材料である。西洋紙のなか30%、光沢のあるアート紙は40%以上の粘土鉱物が含まれている。軽い和紙に対して洋紙が重いのは、このため。6Hの鉛筆には55%、化粧品の口紅に15%、ファンデーションには40~70%も含まれている。
 うへーっ、ちっとも知りませんでした。
 カタツムリや卵は、表面に分泌液を出すこともなく、いつもピカピカ、きれいな表面をしている。なぜか?
 カタツムリの表面を電子顕微鏡で見てみると、数十ナノメートルからミリメートルにいたる小さな凸凹がたくさん存在する。この凸凹が材料の表面エネルギーを変化させているから。なんだかよく理解できませんが、いろんな細かい仕掛けがあるのですね。
 水のいらないお風呂が作られている。4リットルのお湯を泡にする。まったく水による圧力のかからない入浴感を楽しめる。うむむ、なるほど、そういうこともできるのですね。
 シマウマの縞は風を起こす役割をもっている。縞の白い部分は熱を吸収しにくく、黒い部分は熱を吸収しやすくなっている。そのため、身体の表面で温度差が発生し、微妙な風の流れ(対流)が起こる。このおかげで、シマウマは常に身体を快適な温度に保つことができている。
 むひょう。す、すごいですね。敵から見つけられにくくするためとばかり思っていましたよ。
 アワビの貝殻は落としたくらいではびくともしない。ハンマーで叩いても、なかなか壊れないほど強靭だ。アワビの貝殻は、厚さ1マイクロメートル以下の薄い炭酸カルシウムの板を有機質の軟らかい接着剤で貼り合わせた「積層構造」になっていて、厚さ1ミリメートルの中に、その薄い板が1000枚以上重ねられている。貝殻にヒビが入っても、柔らかい接着層でヒビが止まり、薄板が一枚一枚、少しずつ壊れることで破壊エネルギーを吸収し、なかなか割れない。破壊するためには、炭酸カルシウム単体と比べて、3000倍の破壊エネルギーを与える必要がある。
 ふむふむ、自然の驚異、そのすごさを改めて実感させられました。
 
(2009年1月刊。1700円+税)

派遣村

カテゴリー:社会

著者 年越し派遣村実行委員会、 出版 毎日新聞社
 私もよく行く日比谷公園に年末年始、2000人もの人々が集中して、ごった返していたといいます。今では、そんなことがあったなんて嘘のように何もなく、いかにも静寂な公園です。
 年越し派遣村のなりたち、そして、その実情がいろんな人の体験談を通じて明らかにされています。実行委員会の人々、ボランティアの人々、そして、何より参集してきた村民の人々に対して、心から敬意と連帯の気持ちを改めて私も表したいと思います。
 この本を読むと、日本という国も、まだまだ決して捨てたもんじゃないと思います。と同時に、どうしてここまで深刻な事態に追いやったのか、政治というものの深い責任を痛感します。
 実行委員会が想定した村民の人数は、100人前後だった。だから、用意したテントは5人用テントが21張。ところが、初日だけで登録した村民は139人。とても足りない。
 寝場所の確保は、最終日まで実行委員会の一番の頭痛の種だった。寝床を確保することが、いかに重要で、いかに大変かを改めて思い知った。
 私はテレビを見ませんからよく分かりませんが、テレビでも大きく報道されたようですね。31日の昼のニュースから、派遣村の映像が繰り返し流されたため、正月の深夜になっても入村の希望者が次々にやってきた。30代後半の男性は、埼玉県北部から10時間も歩いて村にたどり着いた。夕方、たまたま大型電器店の前を通りかかってテレビの報道を見て、ここを目ざしたのだった。
 泊まり込みのボランティアは、ほとんど野営状態。ストーブの横で仮眠をとるか、コートを着込んだまま本部テントに寝転がっていた。携帯カイロを背中と腹に貼り付けて本部テントの中で転がり、少しうとうとしているうちに朝を迎えるのだった。
 派遣村では、多くの村民が生活保護を申請することにしたが、みんながすぐにそうしたのではない。むしろ仕事をして自立したいと望んでいた。でも、とりあえずこれしかないでしょ、という働きかけを受けて、ようやく納得していったのだ。
 派遣村には、暴力飯場の手配師までやってきた。30万円の給与という声に乗せられて、山奥の作業場へ連れて行かれると、布団代、毛布代、食事代、家賃と差し引かれていく。日給1万3000円はなくなるどころか、借金までかかえてしまう仕組みになっている。そこから逃げ出すとリンチが待っている。うひゃあ、今どき、そんなタコ部屋があるんですね……。
 派遣村への入村者は、結局500人を超えた。そのうち、生活保護を申請したのが過半数(302人)。ボランティアとして登録した人は1700人ほど。カンパは現金2300万円のほかに振り込みがあって5000万円を超えた。支出は1000万円。
 ボランティアとして活躍した高校生の書いた文に目を見開きました。
 私は派遣村に一つの希望を見出した。それは結束だ。古い労働運動用語で言うなら、連帯だ。
 うへーっ、連帯って、古い労働運動用語なんですか……。実に新鮮な驚きでした。たしかに、ポーランドのワレサ議長の連帯(ソリダリテ)なんて古いことなんでしょうが、それでも連帯って、私にとっては新しくていい響きの言葉なんですけどね……。
 ボランティアの女性が、50代の暴れる村民(男性)をなだめた話も興味深いものがあります。その男性は、名前を訊かれ、名前で呼ばれるようになると、急に態度が変わっておとなしくなってしまったというのです。
 名前で呼ぶという行為は、私はあなたを認めていますよという一番初めのサインなのだ。久しく名前で呼ばれることがなかった彼にとって、それは自分が認められるという、驚きに値する出来事だったのだろう。
 そうなんでしょうね。あたかも人間ではない存在かのように、この日本社会で久しく扱われてきたのが、ここ派遣村では人格ある人間として処遇されたわけですから、彼としてももう暴れまわるわけにはいかなかったのでしょう。
 とてもいい本です。今の日本の現実を知るうえで、必須の本だと思います。毎日新聞社の発行ですが、朝日も読売も大いに取り上げて宣伝し、広く全国民に読んでもらいたいものです。
  
(2009年3月刊。1500円+税)

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